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嫁の来訪①

 時刻は、九時ちょうど。


 朝礼がはじまることを示すチャイムが、教室に響き渡る。耳慣れたチャイムが、メトロノームのように、日常のリズムを刻んでいた。そう、朝のことなど、ただの夢だったかのように。

 しかし、「始業のベルが鳴ったら着席する」という当たり前のルールを理解していない一部の人間にとっては、ただの環境音に過ぎないようだった。例えるならば、それは、猫にとっての道路標識、だろうか。

 そんな、ある意味でいつも通りの光景を横目に、頭に浮かぶのは今朝のことだ。


「なんだったんだろうな、あれは」


 その自問は、簡単に答えられるものではなかった。

 なにせ、ひとがトラックをはねたのだから。

 ふと、プリントの裏紙にその一文を書き殴る。


 ひとがトラックをはねた。

 

 文章にすると、それだけのことだった。

 次の文章の間違いを正しなさい――そんな、小学一年生の国語の問題のようにも見える。

 しかし、間違ってはいないのだ、これは。間違えていて欲しいと願う気持ちはあれど、この目で見てしまっているのだから、どうしようもない。


 あのあと。

 ひとがトラックをはねたあと。

 はねた張本人は、細腕のなかでにゃーと鳴く子猫の柔らかさを堪能していたかと思うと、なにかを思い出したかのように走り出して行ってしまった。

 やがて遠くから聞こえてくるサイレンの音に、巻き込まれてはかなわないと、オレもその場から足早に――具体的には、全速力で――立ち去ったことは言うまでもない。


 その甲斐あってか、始業のベルにはこうして間に合ったものの、頭のなかは依然と整理がついていない状態だった。もっとも、整理するほど複雑なわけではない。単純だからだこそ、整理をつけるにつけられないのだ。

 しかし、通学中に寝惚けていたというほど自分を信じられないわけでもない。


「待てよ」


 答えがわからないのは、問題が間違えているからかもしれない。冷静に考えてみれば、ひとがトラックをはねる、というのは文章的におかしい。

 ということで、「ひとがトラックをはねた」という一文を線で消し、そのとなりに、改めて書き直してみる。

 

 トラックがひとに衝突し、吹っ飛ばされた。

 

 うん。

 プリントを音を立ててグシャグシャに丸める。

 なんだろう、この気持ちは。

 たしかに先程よりわかりやすくなった――なったが、意味のわからなさが増した気がする。

 そんな無意味なことで思考を巡らせていると、教室のドアがガラガラと開かれた。


「おい座れー」


 担任である烏丸――敬称略――の気怠げな声で、立ち歩いていた一部の連中も着席する。

 女性ながら一七〇はあるであろう長身。バッサリと切られたショートカット。その髪にも負けず劣らず黒いスーツに身を包み、射抜くような鋭い目をした烏丸は、有無を言わせぬ妙な迫力があるのだ。クラスの有象無象が、大人しく席に着く程度には。


 訪れる束の間の静寂。

 しかし、それも続く烏丸の言葉で破られることになる。 


「転校生を紹介する」

「え?」


 突然だった。

 同じ気持ちだったのだろう、間欠泉が噴出するかのように、騒然とする教室内。

 退屈を持て余す高校生の食いつきは予想を上回るものだったらしい。烏丸は眉間にしわを寄せながら、深いため息をつく。手に持った出席簿で、苛立ち混じりに教卓を叩く。


「静粛に」


 ふたたび蓋をされたかのように、静まり返る教室。しかし、落とし蓋のしたでは、抑えきれない好奇心がふつふつと煮立っているのが伝わってくるかのようだった。


「いいか、静かにしろよ――入ってこい」


 開け放たれた扉の向こうに、そう呼び掛けると。


「お」


 ひょこりと、金色の頭が覗いた。


「おはようございます!」

「……マジか」


 自分の目を疑うことが、まさか一日に二回もあろうとは。

 知らず知らずのうちに、丸めたプリントを握る手に力が入る。ひょっとして、まだ夢は続いているのだろうか。オレはまだ、現世に帰ってきていないのだろうか。


 そう。

 そこにいたのは。


「金剛レイムです!」


 見間違えるはずもなかった。

 フワフワとした綿菓子のような金色の髪と、輝きに満ちた瞳。Sサイズの制服でも、まだ大きいのではないかというぐらいの小さな身体。

 トラックをひいた、少女だった。


「えー、かわいいー!」

「本当に高校生か、あれ?」

「金髪ってなに、外国人?」


 などと、様々なコメントが飛び交うなかで、少女は――金剛レイムと名乗る彼女は、両手を後ろで組み、居心地が悪そうにモジモジとしつつ、教室に視線を巡らせている。

 そして、目があった。


「あ」


 どうやら、彼女も気づいたようだ。少女はどこかはにかみながら――いや、それははにかむだなんてレベルではない――満面の笑みを浮かべ、少女はオレに向かって、手を振った。まるで、太陽に向かって咲き誇って見せる一輪の花のように。


 たちまちに、教室を静寂が満たす。

 冷や汗が頬を伝う音が、聞こえてきそうだった。

 少女が手の振る方向を、クラスの連中が見る。

 オレを見る。

 オレを見て――怪訝な表情をする。


「え、いま、花岡に手振った?」

「どういう関係?」


 教室内が、好奇と困惑が入り混じったような雰囲気になる。

 それに対しオレは、隠すことなくため息を漏らす。

 なんてことはない。転校初日で、不安もあるだろう。だからこそ、思いも寄らぬ顔見知りの存在に、にわかに気分が高揚しているに過ぎないのだ、きっと。


「なんだ、花岡と知り合いか?」


 烏丸が意外そうに――しかしどこか可笑しげに――少女に尋ねた。


「はいっ」


 その返事自体は間違えているわけではない。実際は知り合いという表現にも満たない、知合未満の関係ではあるが、お互いに知ってはいるのだから。

 だからこそ、「ええ、そうです、朝にちょっと」なんていう言葉が続く――はずだった。


 しかし。

 そういえば。

 オレはひとつ、大事なことを忘れているのではないか。


「わたしは、花岡――花岡御影様の」

「は?」

「お嫁さんです!」

「そうだったああああああああああ!?」

「嫁の来訪②」は4/1水22時更新予定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 比喩表現が多くて、良いなと思いました。
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