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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

サンタは来ない

作者: ジュゴンmEX

 メアリーは淡いピンクの便箋を一枚、机の上に置いて怖い顔をしていた。片付いている机の隅には小さなクリスマスツリーが置いてある。プラスチックの針葉樹に塩化ビニルの赤と金のモールがくるくると巻き付けてあるだけの簡素なものだ。光の当たり具合によっては光って見えることもある。きれいに整えられたベッドにはメアリーの代わりに大きなクマのぬいぐるみが寝ている。メアリーはこのクマをルシーと呼んでいる。彼女はクリスマスの夜にやってきた。

「サンタさんにお手紙を書きなさい」

 そう言ってパパは今年もメアリーに便箋を渡した。けれど、メアリーはサンタを憎んでいた。

 メアリーはピンクのきれいな便箋に、濃い字で荒々しく「チキン野郎」と書いた。どうしてこんなことを書いたのかはわからない。パッと頭に浮かんだのだ。クリスマスの時にいつもチキンを食べるからかもしれない。

 それを折りたたんでパパに渡すと、翌朝、彼はその手紙を突き返してきた。

「これではサンタさんも悲しんでしまうよ」

「なに人の手紙覗き込んでいるのよ!」

 彼はとても悲しそうな顔をしていた。同時に怒っているようにも見えた。

「書き直しなさい」

 低い声でそう言われて、メアリーは思わずうなずいた。新しいピンクの便箋を再び自分の机に置いた。ツリーに巻き付いたモールが光の加減でチカチカ光る。

 そうは言っても、サンタに書くことなど何もないのである。そりゃあ、メアリーも年頃の女の子であるので欲しいものはたくさんある。けれど、そんなわがままはここには書けない。サンタは彼女のわがままを叶えてはくれない。メアリーはとてもいい子なのに。

 サンタはいい子のところにやってくる。物心着いたころ、パパがそう教えてくれた。だから、メアリーはいい子になろうと努力した。パパとママの言いつけはよく聞くし、お手伝いもするし、お友達には優しくする。メアリーは優しくて気も利いて、賢い子に育った。   

そしてクリスマスの時だけ、とびきりのわがままをピンクの便箋に書いた。メアリーの家はあまり裕福とは言えなかった。だから、欲しいものがあってもメアリーは決して両親に物をねだったりはしない。けれど、サンタという存在は特別だ。メアリーの想像では、彼は無限に財産を持っている。そのため、どれほど無茶なお願いをしても叶えてくれるはずなのである。

それなのに、サンタはメアリーの願いを一度も叶えたことがない。クリスマスの夜、物音がしてうっすら目を開けると(夜更かしをするのは悪い子だ。ばれないように本当にうっすら)、そこにいたのはサンタではなくパパだった。また、サンタに頼んだはずのおもちゃをパパがいそいそと買いに行くのも見たことがある。

「これ買ってくれたの、パパなんだよね」

 ルシーを抱きかかえながらパパを見上げると、「何を言っているんだ、サンタさんのおかげに決まっているだろう?」と言って苦しげに笑った。どうしてそうまでしてサンタをかばうのか、メアリーには理解できなかった。

 カチコチと時計が鳴る。よい子はもう寝る時間だった。便箋には一文字も書くことが出来ず、彼女はルシーと一緒にベッドに入った。背中の方から彼女の白い大きなお腹をぎゅっと抱いた。ルシーのお腹は中の綿が出ないように糸でしっかりと縫い合わされている。

 ベッドの外はとても寒い。鼻先が冷たくて、メアリーはクマの背中に顔をうずめた。

窓の外には雪が降っている。とても静かに、しんしんと。しんしんと音を立てて雪が降っている。それにわずかにシャンシャンという音が混じる。あれはサンタがトナカイで夜空を駆けている音だとパパは言った。ただ、その音はとても小さくて、ひょっとすると空耳だったかもしれない。少なくとも、メアリーはその音を聞く間もなく眠ってしまった。


3年前まで、メアリーが眠っていたのは病院のベッドだった。シーツも枕もベッドも、天井まで真っ白な無機質な場所でずっと一人だった。時々、看護婦が食事を運んだり、血を取ったりしに来た。家族は本当に時々見舞いに来た。

メアリーは一人きりだった。いつも真っ白なベッドの中、自分の膝を抱えて丸くなって寝ていた。重い病気らしい。そう長くは生きられないと医者は言っていた。その言葉の通り、自分の体が日に日にやせ衰えていくのを彼女は感じていた。こうして少しずつ痩せて、いずれは皮と骨だけになって、棺桶の中に入れられるのだわとメアリーはぼんやりとそんなことを考えていた。

時々見舞いに来る家族は彼女の姿を見るたびに絶句する。そのあとすぐに笑いかけてごまかすけれど、自分の姿がどれほどの衝撃を彼らに与えるのかをメアリーは知っている。彼らはメアリー以上に彼女の変化を恐れている。家族がなかなか見舞いに来ないのは、こうした残酷な現実を直視したくないからだろう。いっそのこと、一思いに死んでしまえたらと思う。こんな醜い私など早く死んでしまって、彼らの記憶からも消えてなくなれればいい。そうしたら、もう誰も悲しまなくてすむのに。

 ある日、見舞いに来たパパが大きなクマのぬいぐるみを連れてきた。ある日。そう、あれはちょうどクリスマスだった。12月25日。

「サンタさんからだよ、メアリー」

 メアリーは笑った。

「私はもうサンタさんの正体を知っているのよ、お父さん」

 少女の笑顔はひどく大人びて見えて、彼女の父親は思わず涙ぐんだ。

 数日後、彼女はとても大きな手術をした。一時は命も危ぶまれたが、手術は無事に成功し、メアリーは退院した。


 ぬいぐるみにルシーと名付けたときのことをメアリーは思い出せない。ルシーというと堕天使のルシフェルのことが思い浮かぶ。どうして父からの大切なプレゼントにそんな不吉な名前を付けようなどと考えたのか。

 真っ白な暗い朝がやってきた。日の光はとても弱くて、朝が来たことになかなか気が付かなかった。やかましく鳴り続ける目覚まし時計を何度か止めて、メアリーはようやく目を覚ました。彼女は何度も目をこすった。まだ薄暗い部屋に誰かがいる。

「パパ?」

「……いかにも」

 淡い陽光の中で低い声が応えた。その声には聞き覚えがある。だが、パパの声ではない。パパは怒っているときでもそんなに低い声にはならない。

 メアリーは目を見開いた。そこにいたのは異形の人だ。肌は青白いし、皺だらけだし、背中から蝙蝠の羽が生えている。鷲のような黄色い鋭い目をしており、あごは恐ろしく尖がっている。こんな時間にそんな仮装をした人が家にいるなんて。それも女の子の部屋にいるなんて。これはあきらかに恐るべき案件だった。それが仮装でないのなら尚更だ。

 ところが、メアリーはその人物に少しの恐怖も感じなかった。むしろ懐かしさすら感じた。

「いつまでも家に帰ってこないから心配したぞ、わが娘よ」

「あなたのことなんて知らない。あたしの家はここよ」

「かわいそうに。呪いを受けているんだな」

 そう言って異形の男はメアリーの小さな頭に手をかざす。青白い死人の指が彼女の柔らかなブロンドに触れた。その瞬間、電流のようなものが彼女の頭に走った。ミントを口にした時のように、霧が晴れて脳や視界がどんどんクリアになっていくのを感じた。

 彼女は思い出した。自分は、本当はどんな存在であったかを。

 ため息のような笑いがこぼれた。彼女は顔を手で覆い、うなだれた。

「サンタなんて、来るはずもないわ。あたしは世界一悪い女の子。サタンの娘だもの」

 泣き崩れる娘をサタンは抱きしめた。メアリーはその冷たい腕の中で泣いた。いや、彼女はメアリーではない。彼女はとうの昔に死んだ。彼女が殺した。

「さあ、帰ろう。ルシー。迎えが遅くて悪かった」

「いいえ、パパ。あたしの方こそ、何のお土産もなくてごめんなさい」

 彼女の名前はルシー。メアリーの肉体に詰まっている綿。

 メアリーのベッドには彼女の代わりにクマのぬいぐるみが眠っている。ルシーはそれを手に取り、大きなお腹を引き裂こうと考えたが思いなおし、元に戻した。

「でも少し待って。メアリーのパパに挨拶していかなくちゃ」

 サタンは笑った。

「そんな義理はないだろう」

「うん、わかってる。でもそうしなきゃいけない気がするの」

 そう言ってサタンの娘はパジャマのまま階段を下りていく。父親はそれを訝しげな顔で見送り、その後を付いて行った。

 1階にパパはいなかった。その代わり、またも異形の人がいた。それはメアリーが長年焦がれた人物である。白いファーのついた真っ赤なコート。羊の毛のような柔らかく豊かな白髭、まるまると太った腹には綿でも詰まっているのだろうか。

 ルシーは彼を殺意のこもった目で見つめたけれど、彼は優しげな眼もとの皺を深くしただけである。

「やあ、メアリー。大きくなったな。いい子にしているようだったから来てあげたよ」

「ずいぶん遅かったわね。あんたのせいでパパは過労でぶっ倒れる寸前よ」

「君のことが怖かったんだよ、メアリー」

 そう笑うサンタは少しも子供たちが憧れるようなサンタではない。その笑みがあまりに不快だったので、ルシーは人間離れした長い爪で彼の首元へと襲い掛かった。サンタはその図体に似合わないしなやかな動きでそれを避ける。

 彼女はサタンの娘。世界一悪い女の子。人様の苦しみや悲しみが大好物。だから、メアリーが死んだのは万歳。メアリーの父親が苦しむのは万々歳。この世のどんなキャンディーより甘くて美味しい。仮に「クリスマスに何が欲しい」とサンタが聞いてきたら、「それなら、子どもの死体を持ってきて」と頼むだろう。それなのに。

「お前はずいぶんと変わってしまった」

 地獄の底から響くような低い声。後ろを振り向くとサタンが寂しそうな顔をして立っていた。

「人の不幸が悲しいだなんて、お前はまるで人間みたいじゃないか」


 メアリーのお腹には大きな縫い目がある。

 手術後、彼女はぬいぐるみの縫い目をなぞりながら、「おそろいになっちゃったね」と言って笑った。

 手術後、メアリーはずいぶん子供っぽくなった。父親にいろんなものをねだった。父親は彼女のことが愛おしいから、それを叶えるためにたくさん働いた。彼女の欲は無限大だ。お金はすぐに消える。

 そして彼は過労で入院した。娘がねだってきても何も買ってやることが出来なかった。娘は怒るかと思いきや笑った。それはあまりに不気味で、彼は背筋が凍るのを覚えた。

 父親は娘に、サンタに手紙を書くように言った。娘は承諾した。メアリーが退院して最初のクリスマス。父親が娘の寝室に行くと彼女の目は開いていた。手にはなぜか果物ナイフを握っていた。青い瞳は父親の顔を見ると「サンタは?」と聞いた。「サンタさんは忙しいからパパが代わりに届けに来たんだ」と言うと、興醒めしたみたいにナイフを放り投げた。


「人間みたいですって? こんなしみったれた奴らと一緒にしないでよ、パパ。あたしはね、あなたにサンタの首をお土産にしようと思っていたのよ」

 サンタはおどけて首をすくめる。

「今のお前にそんなことができるとは思えない。ぬいぐるみの腹を裂くことすらできなかったお前が」

「長い間一緒に寝てたから愛着があっただけよ。ちょっと待っていてよ。すぐに奴を殺してみせるから」

 そう言って彼女はサンタの首をつかんだ。サンタはさっきまでの俊敏な動きが嘘のようにあっさり捕まった。そしてルシーはその鋭い爪を大きなお腹へと突き立てた。風船のようなお腹から血があふれた。ここに詰まっていたのは綿じゃなかったんだなあと思い、ルシーは少し笑った。白いファーも髭もべっとりと赤く濡れてしまっている。無残な死体が一つ出来上がった。

 ルシーはそれを無表情に見下ろした。勝手に涙があふれ出た。彼女は困惑して、父親を振り返った。

「ねえ、パパ。あたし、サンタを殺したよ。ねえ、すごいでしょう?」

 血を滴らせたまま、うわ言のようにつぶやく娘を、サタンは憐れむような目で見降ろしている。

「何か言ってよ、パパ。ねえ、あたしすごいでしょう? あたしは、悪くないよね? だってあたしは悪い子だもの。あんたがそんな風にあたしを作ったのよ。ねえ、パパ。あなたはあたしの誇りよ。あなたの娘に生まれて幸せなのよ。それなのに、それなのにさあ。悪いことをして、こんなに胸が痛いだなんて、一体どういうことなの」

 娘はヒステリックに喚き散らす。サタンは彼女を抱きしめようともせず、背を向けた。

「お前は変わってしまった。恐ろしい、呪いだ。とてもではないが、もう悪魔とは呼べない。だから、私とはもう生きられない」

 娘が泣きじゃくっているのに、彼は振り向かない。髪を撫でることも、頬にキスをすることもない。

 悪魔は未熟な娘を一人残して立ち去った。サンタの死体もいつの間にか消えていた。すべては悪い夢だったかのように。ただ、顔にべっとりとついた血の感触と匂いはかなりリアルだ。

 メアリーはパジャマの裾をめくってみた。ぺったんこの腹がある。そこにはルシーとおそろいの縫い目が。この中には綿が詰まっている。とても悪いものが。つまりは悪魔が。

 その本性を見破られないように、彼女は慎重にその傷口を隠す。いい子のふりをする。いい子のふりをする。サタンのパパはいい顔をしないが、メアリーのパパはそれをほめてくれる。

 その日、メアリーは一日中、ベッドに座って父親の帰りを待っていた。一人でベッドに座っていると寂しいから、ルシーを抱いていた。外には雪が降っている。しんしんと降っている。シャンシャンという鈴の音にも聞こえる。

 父親が帰ってきたのは夜がだいぶ更けてからだ。いい子は寝なくてはいけない時間だった。メアリーは父親を出迎えた。

父親は目を丸くして、「まだ起きていたのか。悪い子だ」と笑った。腕にはプレゼントをたくさん抱えていた。きれいに包装されたそれらを眺めながら、「そんなに無理をしなくていいのに」とメアリーがつぶやく。父親はまた驚いた顔をした。

「お前がとてもいい子だから、サンタさんもたくさんプレゼントをあげたくなったんだろうな」

「さっきは悪い子だって言ったのにね」

「そんなのはどっちでもいいのさ。私にとって大切な娘であることには違いがないんだから」




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