明日のために
もう一度カウンターの方を見やれば、店主がまたも「角の席の方ー、おまちどぉー!」と叫んで料理の載った皿を投げている。
これまた一定の高さに達したところでみるみるうちに動きが停滞、あとはベルトコンベアに乗っているがごとくふよふよゆっくり運ばれていき、テーブルに軟着地していた。
「頭目の言ってたこと、覚えてる?」
正面に顔を戻した俺に、カナンは身を乗り出しながら言う。頭目の言葉、ハテなんかあっただろうか?
「あいにくと雑魚の顔と言葉はあんま覚えてねぇや」
「あ、そう……じゃあ説明すると、あいつ『ガキでもできる《マナ循環》さえできてねぇのに』ってあなたのことを評したのよね」
「そういやそんなこと聞いたような。で、《マナ循環》とかいうのはあれか、肉体を強化する技なのか?」
「察しがいいね、その通りよ。私たち生きとし生ける者すべてに宿る《マナ》という力。それを体内で効率よく巡らして肉体を活性化させるのが《マナ循環》」
グラスをテーブルに置いたカナンは、ふううと息を吐くと目を閉じた。
途端にぐ、っと。カナンの方から密度が高まるような威圧感を覚えた。
あの頭目から感じた『体内へ煮えた鉄が満ちたような』気配に似ている。
「これをうまくできれば――ほっと」
テーブルの両端を左右の手でつかみ、
カナンは上に載るグラスを倒すこともなく、ひょいと床から五センチほど浮かせた。
「おいおいこんな分厚い木製のテーブルを、そんな発泡スチロールでできてるみたいに……」
「なんかわかんないけど軽い素材のこと話してる? とにかく、こんなとこよ。程度の差はあれ、この世界の人間は大抵これくらいできる。それからああやって」
テーブルを下ろした彼女はカウンターを指さす。
またしても店主はほいほいと料理の皿を投げており、ゆっくりと並行移動してきた皿は俺たちの眼前にふわっと降りた。
「ひとによっては、術式でマナを放出して魔術を使うこともできる。あのひとのは風の魔術ね」
「……なるほどな。んで、俺はマナがないから魔術もマナ循環も使えない、と」
「残念ながら、そういうことになる」
「ふーん。使えるって言われてもさほど興味ないからいいけどな」
俺はグラスにやっとこさ口を付けた。ん、うまい。柑橘系の香りが鼻に抜ける、エールっぽい感じだなこれ。
するとカナンがいやいや、と首を横に振った。
「いやいや。あなた自身に興味がなくても周囲にとっては重要なのよ、マナ!」
ぐびぐびとのど越しを楽しんでいると、また身を乗り出してきて真剣な顔をしている。一瞬『マナー』って聞こえて俺の飲み方に粗相があったかと思ってしまったぜ。
「重要って具体的にどう重要なんだ?」
「この世界、術師至上主義なのよ」
「出たな特権階級制度。マナを使えぬものは人に非ずか」
「近いところはあるかもね。だって戸籍も技術も知識も持ってない流れ者のあなただと、必然的に生活の糧は力仕事で稼ぐことになっちゃうけど……マナ循環できない時点で力仕事、苦手になるでしょ」
まあそりゃあな。
俺もかなり鍛えちゃいるけど、さっきのカナンみたいなパワーは出せん。そう思って首をすくめると、カナンはうんうんとひとりうなずいた。
「となると、大した仕事はできないと判断される。周辺の流れ者と厄介事を集めて仕事にしている組織――寄り合いにすら、普通の方法じゃ登録できないかも」
「それが問題か?」
「……いい、ジュン。あなたこの世界で戸籍もなにも持ってないのよ。それなのに流れ者の集いにすら参加できないとなると、居場所がないでしょ?」
「居場所なんざ要らねぇけど」
いただきまーすと口にして、俺は皿に添えられていた二又のフォークらしき食器を手に肉に狙いを定める。
一センチくらいの厚さに切られたでっかい肉は六切れ並んでおり、赤身の間に脂身が幾筋か入ってほかほかと湯気が出ていた。玉ねぎを煮詰めたような匂いのソースが掛かっており、なんともたまらん。
ぶずっと肉に二又を沈めると肉汁がふつふつと湧いた。ぶら下げるようにして大口でかじりつけば、振りかけてあった大粒の塩の味がまず舌を叩き起こし、ついで肉汁の甘さと香ばしさが流れ込む。
ぶつんと歯ごたえ抜群の感触で肉は脂身から綺麗にちぎれ、しばらく俺は口いっぱいに頬張った肉のうまみをもっちゃもっちゃとじっくり堪能した。空腹を一周回ったとか思ったけどやっぱ嘘だわ。めっちゃ腹空いてたわ俺。
「うまいわーこれなんつったっけ。ウロコウシ?」
「え、あ、うん。そうだけど……そうじゃなくて。居場所ないと困るでしょ?」
「べつに。さっきみたいに山賊狩って身ぐるみかっ剥ぐか、獣を罠にかけて食うさ。というわけでカナンさん明日以降はこの世界の食えるもの食えないものについてご教授願えますかね」
醸造酒飲むとまたこれが脂流してさっぱりしていいわ。運動したあとのメシは格別だぜ。
さてもう一切れいただき……おいなんだ。なに俺の二又を自分の二又で押さえ込んでんだ。まだ五切れあるだろ三切れはやるよお前に。だから放せや。
「いやいやいや。だからそういう生き方はよくないかなって思うのよ」
「よくなくても他に食う手立てないならしょうがないだろ。俺は自然と共に生きる」
「いいこと言ってる風だけど私有地か国有地で密猟してることになるのがほとんどだからね⁈」
「なんだと、その辺は法整備しっかりしてんのかよ……」
舐めてたわ異世界。
しかしなんだ、つまりは犯罪者として生きるしかないってこと……いやお前ほんといい加減放せや。ていうかさっきからマナ循環使ってるだろお前。俺が力受け流さないと皿割るぞ。
「食べてないで話聞いてってば……ってか全力なのになんで押さえきれないの……!?」
「力押しなんざ俺に通じるかよ」
だがまあ皿が台無しになると困るので、くるりと力の向きを反転させると俺は自分の二又とカナンの二又、両方を真上に弾き飛ばした。
落ちて来たのを左右の手でキャッチし、肩をすくめつつ俺は訊ねた。
「んじゃどうすんだよ。帰す方法を探してくれる方向性なのか?」
「そ、それは難しいけど。でもそんな、荒くれものみたいな生き方されちゃ」
「生き方されちゃ?」
「もしなにかの拍子にあなたを召喚したのが私だってバレたときに……困る!」
「保身かよ」
ずいぶんと親切丁寧だと思ったらカナンさん、自分を守るためであった。
まあべつにいいと思うがね。なんの裏もなく助けられたって方が違和感あるし。
そう考えている俺の前で彼女は「保身したくもなる」「強い奴が野放しって、法整備された近代以降の社会じゃ恐怖の対象なんだから」「責任は持ちたくない」と、小市民丸出しな意見をぶつぶつとつぶやきながら机に人差し指でのの字のようなものを書いていた。
「というかあなた、向こうの世界ではなにやってたのよ。無職って言ってたけど、どうせいま失業中というだけでしょう? 前職を活かして定職に就きましょうよ」
「いや、定職就いたことなんか一回もねぇよ」
「どうやって生きてたのよ」
「用心棒やるか傭兵やるか、強そうな奴に喧嘩ふっかけて有り金を奪ってた」
「……あれ? 私もしかして賊から賊に助けられた?」
「そこは観点次第だぜ。敵の敵は味方っていうように、な」
俺はまた肉を一切れぶっ刺し、もっちゃもちゃとかじる。カナンは頭を抱えていた。
「うううう……とんでもない人間を召喚しちゃった……私、平穏に暮らしていきたいだけなのに……」
「山賊出るようなとこで獣狩る日々は平穏じゃないと思うがなー」
「いっつもそんな仕事ばかりってわけじゃないの! 寄り合い所属だと、なんていうか請負業だから仕事選んでられないときがあるだけで」
「でも平穏がいいってんなら、もっとほかの仕事あるだろ。物つくるとか、作物育てるとか、畜産とか」
「そういう人員の入れ替わりがゆっくりな組織って、流れ者が参入するの難しいのよ」
おお、なんか一言で重たいぞ。お前の仕事が人員の増減激しい危険職ってことと俺が言ったあたりの産業が村社会の性質強いってこととがわかってしまった。
「つか、カナンも流れ者なのか」
「あなたほどぶっ飛んだとこからじゃないけどね。私もこの土地の人間じゃないの」
机に頬杖ついて、ぷいとそっぽを向く。
態度からしてどうもあまり突っ込まれたくない話題のようだったので、俺も詮索しない。ほれ、と二又を返してやって、ありがと、とつぶやいた彼女としばらくはもぐもぐ飯を食べ進める。
「しかし定職、ねえ」
「そう。私みたいに」
「いや請負業なんざほぼ自営みたいなもんだろ」
「たしかに、社会保障はうっすいけど」
「ほら見ろ」
「で、でも寄り合い自体は国に認可受けてる場所だから!」
「でもその下請けだろ? お前ら」
「……寄り合いの、幹部になりたいな……」
遠い目すんな。
「安定した収入もらって、机に突っ伏してお昼寝するだけの人生を送りたいな……」
世知辛い話ばっかすんな。飯がまずくなるだろ。
「ねぇとにかく、定職に就いてよ。安定してもらわないと私も困るの」
おいうつむき加減で深刻そうな顔でそういうこと言うのやめろ。周りから俺が働いてないヒモみたいに見えるだろ。
たしかに働いたことないけど。
「だがそうは言っても、俺は寄り合いとやらに登録できそうにないんだろ?」
「うん。……でもその言葉の前に『普通の方法じゃ』って言葉を付けたでしょ」
先ほどの言葉を思い返せば、そんなことを言っていたような。俺はうなずく。
「つまり?」
「『異常な方法』ならイケる」
頭目を倒したあとに俺が言ったことを引用して、カナンは顔を上げた。ふふんと笑って腕組みする。
「確実に犯罪者になるより、所属があって社会に参加できる方がいいでしょ」
「そりゃ、できるならそっちの方がいい。だが術師至上主義なんだろここ? マナがない俺がどうやって参加すんだよ」
「たしかに魔術は使えない。でもあなた……ほかに『術』持ってるじゃない」
にやっと笑い、俺を指さす。
ほほう。なるほど。
言わんとしているところを察して、俺も笑みを返した。
「なるほどな。あの頭目が見誤ってくれてたように、今度は」
「寄り合いの人間たちを――武術で騙す。マナが使えなくてもあなたの術なら魔術とかだと勘違いさせられる、寄り合いはきっと採る」
「術は術でも武術で売り込む、か。いい思いつきだ」
「ふふふ……じつはとっさの思いつきじゃなくて、あなたがあの山賊を倒したときからずっと考えてたんだけどね」
「なに、そうなのか?」
「あの力量を無駄にするのはいただけないでしょ」
けらけら陽気に笑う。なんだなかなかに強かじゃねぇか。
なんにせよ、手があるなら賭けてみるべきだ。
それに山賊が出るような治安で術師が優遇される社会ってんなら……凄腕とかもいて然るべきだよな?
強者に会えるかもしれない。俺は俄然やる気を出しはじめていた。
「いいぜ。やってやろう」
「そうこなくっちゃ!」
俺はもう一度グラスを持ち上げた。カナンも構える。
二人、縁を近づけてこつんと杯を交わし。
「さあ、あなたの『術』で寄り合いの連中の度肝を抜いてやるのよ!」
カナンが高らかに宣言した。
高度に発達した武術は魔術と見分けがつかない――ってか。
なんとなくパロっぽい文章を考えつつ、俺は醸造酒を飲んだ。二杯目いこうかな。
空になったグラスをことんと置くと、店主が気づいてくれたのかちょいちょいと手招きのようなポーズを取る。ふよふよ~とグラスは宙に浮いてカウンターへ戻っていった。
あ、んじゃ二杯目お願いします。へへ、すいませんねどうも。
「そういやぁよ。召喚術使えるってことはカナンも術師なんだよな。なにができるんだ?」
魔術便利そうだなーと思いながら見ていたので、雑談のつもりで話を振った。
するとカナンはグラスに口をつけたままぴたりと止まり、そのまま沈黙が数秒続いた。
「……カナンさん?」
「…………、」
ぴたりと止まったままのカナンは、紫紺の瞳だけをじーっと横に流していって、黙ったまんまだった。
なんだ? なんなの? 視線の先には彼女が道を歩くのに突いてきた棒切れがあったが、それ以上話題が広がる気配はない。
気まずかったので俺は「あーうまい。肉うめー」とその後は料理の感想をひとりごちるだけの存在と化した。
いやまあ、実際うまかったんだけどねホント。