日陰街道まっしぐら
とまあ、すげー奴を倒したところで。
すげー勢いで世が変わるかと言えば、別にそんなことはないのである。
俺は洞窟の薄暗がりを照らすランタンの元で新聞――といっても俺たちの世界のように安く売られている情報誌ではないらしく、識字率の高い貴族層で流通させるためのわりと格式ばった世事伝達紙――を開き、ロッキンチェアのようなものに座ってぎっこぎっこやりながら目を通していた。この三週間ほどで、簡単な単語は拾い読みできる程度に勉強したのである。
「おうカナン。竜の亡骸は、近くの街で謝肉祭のときに振る舞われたとさ」
「……へえ」
机を挟んで俺の対面に腰かけていたカナンさんが、暖色の光に照らされた銀髪をぼうと輝かせながら俺に返す。
紫紺の瞳は半目で、綺麗な面立ちはいつも通りなのだが表情に覇気がなく。目の下にはくまもある。
俺は努めて気にしないようにしながらページをめくった。
「お。こんなことも書いてあるぜ。えーと、近く通った《蛮勇者》が……竜の首の断面を見て『相当な使い手だ』と褒めたそうな」
「ほう。まあ悪い気はせんのぅ」
俺の左側にちょこんと立って紙面をのぞきこんでいたミカリが無い胸張ってくふふと笑う。
カナンさんはその間もずっと、死んだ目のままだ。
「んで、それから。……マチェーテの処遇について書いてある」
さすがにこれは気になるのか、カナンの髪の分かれ目でぴくりと耳が動いた。
気になるか。気になるのか。
でももったいぶると怒りだしそうだしさっさと教えてやろう。
えー、それでは発表いたします。
「マチェーテは……お咎め、ナーシ」
「っっなんでよぉぉ!!」
どっちにしても怒る運命だったようだ。
「どうどう、じゃ。カナン殿」
「ミカリの私への扱い雑くない?!」
「まあそんなもんだろ」
「この扱いが!?」
「じゃなくて。マチェーテの処遇」
「……~っ。どこが、そんなもん? どこが、妥当なの? だって自作自演よ? 地産地消よ? 一発裁かれて然るべきでしょ?」
この世界も地産地消って言葉あんのか。外からの流入に需要奪われて経済バランス崩すのは世の常なのかね。
思いながら、俺はちょいとかゆくなった左腕――添え木して包帯ぐるぐる巻きなのでこの季節だと蒸す――を掻きつつカナンに返した。
「そらまぁ人倫にもとる行いってのはそうだろうな。魔物の召喚でも多少なりと、人民に被害出してるのはまちがいねぇし」
「だったらなんで裁き受けないのよ」
「あー……国境線守る、かつての大戦の英雄だろ? 上の人間はきっと、あんまデカい不祥事で人民の不安掻き立てたくねぇんだろうな」
「そーそー。人員配置としても、下手に動かすと国境線の防衛が緩んだ、って敵国に思わせるかもしれないしねー。だからボクらの任務も、じつはあくまで交渉だったのさ。『自作自演の火付けと火消しで民衆の支持維持するにしても、もうちょこっと頭使ってうまくやってよ』っていう」
言いつつ、薄闇の向こうからガラガラと音がして奴が近づく。
青みがかったツインテール。青灰色に澄んだ瞳の、少女と見紛うばかりの男の娘。
ルゥシィが、車いすの車輪を回して俺の右側についた。車輪とは名ばかりでこれもまた大径のチャクラムで、どうも風魔術で回転させて動かしているらしい。ご苦労なこって。
俺が《白浮》で砕いた足は添え木をしており、俺の左腕と同じような状態だった。いえー、負傷仲間。
ルゥシィはお盆を机の上にスライドさせ、車いすより身を乗り出しながらお茶を配り始めた。
「はい、ジュンさん。お茶」
「ありがとよ」
「ミカリンもどうぞ」
「リンってなんじゃ。もらう」
「カナンちゃんも」
「あ、ども……じゃなくて! 飲まないから! ひとのことさらった奴の淹れたお茶なんて!」
「んな心狭いこと言うなよ。拷問も凌辱もない誘拐なんつー、貴族並の好待遇受けといて……ああ本物の貴族だったなお前」
「蒸し返さないでよ母親には絶縁食らってるんだから……じゃ、なくてっっ!! あなたたちその女……じゃない男か。男と! 馴染み過ぎじゃない?!」
死んでなかったんだから仲良くしたっていいだろ。俺の基準はいつだって死んでるか生きてるか、強そうか弱そうかだけに依拠する。
「べつにいま危害加えてこようとするわけじゃねぇし、加えられんならそれはそれで構わねぇし。馴染むのも道理だろ」
「ああ……ほんと理解に苦しむ……なんで争いとか揉め事を隣に置きたがるの? どうして平穏を求めてくれないの?」
「あん? んなもん平穏な生活を維持したいって言ってたマチェーテの現在を見りゃわかるだろ」
「悪事働いてたのに上にもみ消してもらって悠々自適人生に戻ってる」
「……そこだけ抜き出すと順風満帆っぽいな」
「でしょ」
「でも俺にとっては求める道じゃねえ。平穏退屈な日々なんざクソ食らえだよ」
「わからない! 結局あなたの内心がさっぱりわからない!」
「カナンさん美人だなーと思ってるぜ」
「……え、あ、そう……」
なにちょっと引いてんだ。
「楽しそうだねぇ。いい一団を引き込めてボクはうれしいよ」
にこにこしながらルゥシィはぼやく。
引き込めて、ねえ。
俺はいま読んでいた新聞の横に置いていた、もう少し前の新聞に目をやる。
その紙面には見慣れた顔が並んでいた。
俺、カナン、ミカリ。
三人でマチェーテを官憲に引き渡した直後。こちらでお待ちくださいと通された部屋でへらへらしていたときの顔を例の絵描きが描いてくれたものだ。
小一時間後に牢屋にぶちこまれたときの顔と、その日の夜明け前に合い鍵じゃらつかせてやってきたルゥシィに「食べるのにお困り?」と訊かれたときの顔も並べて描いてくれたらさぞ面白い図になったろうなと思う。
結局まあ、そういうこと。
倒しても倒さなくても変わらなかった。俺たちはマチェーテの罪をおっかぶせられ、人相書きの手配犯となった次第。
「はあ……私、いったいどこでまちがっちゃったんだろ……」
めそめそしはじめるカナン。
俺と出会って一か月経たないうちにいまや闇の寄り合い所属の身分になったことを、心の底から後悔しているようだった。
どこで、どこで……とぶつぶつ考え込んで、己の行動について省みている。
でもなぜかこの流れで「お前のせいだ!」って言ってこないのはすごいとこだなと思う。ほら魔界の住人って災難呼ぶらしいし。
「平穏が……平穏がほしい……」
机に突っ伏したカナンから恨めしい声が聞こえてくる。
あんまりそうしていられると可哀そうになってくるので、俺は手を伸ばしてぽんぽんと頭をなでてやった。
んーそうだな。
元気づけるために明るい展望でも話してあげようかね。
「なーにあと七人だ」
「はい?」
「あと七人倒せばこの国で俺たちに文句言う奴はいなくなるだろ」
「あ、あなたまさか残りの《八英傑》を……?!」
がばっと顔をあげたカナンは引き付け起こしそうな顔で言う。
そりゃぁね。この国最強の八人とか言われたらとりあえず倒しとかないと据わり悪いじゃん?
最強って座の据わりがさぁ。
「さて、腕治ったら一番近いとこの倒しにいくか。闇の寄り合いってくらいだ、情報網もしっかりしてんだろ」
「もちろんだよジュンさん」
「近いとこだと……《朱烏》の創設者たる《蛮勇者》かの。北にあるイサカの街じゃ」
「うっし、じゃあリハビリしつつ情報集めるぞ」
「もういやぁぁなんでこんな乗り気なのこの三人んんん!」
武術家なんてそんなもんだよ。
俺はポケットに右手を突っ込むと、からりと乾いた木片を取り出す。
あのマチェーテの槍。その柄から削り取ってきた、木片だ。
この世界にゃ看板とかがねーからな。
「あと七人。堪能させてもらうぜ、異世界の術ってやつをな」
ぴんと親指で弾いた木片はランタンの光をきらりと照り返し、伸ばした俺の手の中に落ちて来た。




