テンプレ山賊戦 その1
「おう」
ずしっと頭頂部に重みがかかり、いよいよ脳髄が完熟トマトみたいに弾けるのをスローで体験するのかと思いきや。
普通に俺は倒立していた。生きてる。生きてるよ。
頭の一点で身体を支え、ちょうどこう地面から生えてきたような感じだけど。
しっかしなんで無傷なんだ? 慣性どこいった。
思いながら俺は腕組みする。なにが起きたんだろ。
そしてちらっと視線を上げた、っつーか下げた。
「……ほう」
黒色、肌色、緑色、白色とが、順に目に入った。
地面から伸びる黒――すべやかな絹のような生地で、徐々に太ましさを増していく黒。
その終端はベルトらしきものが繋がっていて、吊り留め具の意味を成しているのがわかる。
次に目に入る肌色。ベルトと、緑の生地との間に確かに存在を主張している。
珠のようなと言えばいいのだろうか? ハリがあってつやつやしていた。
最後に白。
これは先の三色の隙間に、ちらりと一瞬のぞいただけだった。
生地はこちらも絹っぽかった。手触りがよさそうな、レース地で縁取られたデザインを見て取る。
そして、次に見えたのは茶色。
「ほっ、と」
下半身をうねらせ重心を移した俺は、倒立状態から瞬時に地面に足をつけ身を起こした。
見えた茶色こと革靴の爪先が、さっきまで俺の頭があった位置をそれこそトマト大爆発させそうな勢いでぎゅんと振り抜いている。
「~~~~っこの、変態‼」
着地してやっと人心地ついた俺。息を吸うと、さっきマンホール(偽)から感じた草いきれがそこにあった。
周囲を取り囲むのは、森。湿気。暑気。
大人四、五人でやっと幹を囲めるかってくらいの巨木がせめぎあうように生え並んでおり、ここはその根っこの海の隙間にぽっかりあいた空間のようだった。
見たこともない葉っぱが落ちている。嗅いだことのない土の匂いがする。
一体ここは、どこだ。
「ちょっと聞いてる⁈ ど変態!」
背後からの悪口雑言に、俺は一旦現状確認をやめて返した。
「なんだよさっきから」
「なんであなた上下逆さで『出て』くるの! 完全に下からっ、……のぞいてたでしょ!?」
ふむ、この言いよう。
やはりさっき見たのは脚からスカートの中身にかけてだったか。
「否定はしない。しない、けどなー。天橋立よろしく逆さにのぞくとイマイチなにを見たのか脳がうまく認識しねぇんだ」
「なに言ってるかよくわかんないけど……でも、見たんでしょう!」
「そうだそれがどうした」
ここでやっとこ振り返ることにする。
見たは見た。それは認めよう。
だがな、それを悪いことだったと判断するかどうかは……
お前の外見レベル次第だ!
くるっと振り向き俺は外見チェックに入った。
瞬時に――チェック項目が花丸の連打になった。
目元を覆って俺はうつむく。
言うべきことは、ひとつしかなかった。
「……悪かった、慰謝料として有り金全部払うわ。と言いたいとこだけど全部さっき落としたからまあなんとか働きかなんかで返すわ」
「なんなの?!」
動揺して引いたような声を出されるが、仕方ない。
振り向いた直後、俺を襲ったのはまばゆいばかりの閃光。
輝く銀糸の髪はハーフアップにして頭の後ろで一部を結い、華奢な撫で肩を覆うようにさらさらと流れている。
肩からは短いビリジアンのケープが伸び、中に着ているのは白いブラウスとそれを締め上げる革のコルセットベスト。背は低いがそれに比して出るところは出ていて、豊満とは言わないが量感がある。
動きやすさを重視したらしいアイビーグリーンのスカートは、艶やかに光を照り返し。太腿から先は吊り下げ式の長いソックスで覆って、革靴までの脚線美を締まった印象に変える。
彼女が、うつむき加減だった小さな顔をあげると、
濡れた輝きの長いまつげが震える下で、夜明け前の空を思わせる紫紺の瞳が開いたのだ。
「悪いことしたな……あと、もったいないことしたわ……もうちょいよく見ときゃよかった」
「本当になんなのあなた……こわ」
美人にこわがられた。
だがまあ、思わず俺が似合わない詩的表現を浮かべてしまう程度にはルックスすごい。
じつはもう死んでて天使に遭遇したのだと思ったほどだが、このドン引き対応が天国接待だとはさすがに思えないしまあ生きてんのかな俺。
「で、なんなのなんなのと連呼されてるが、俺の方も状況がまるでわからねぇ。なんなんだこの状きょ……ってかさっきから俺は何語を喋っててなんでお前の何語かわからん言葉が通じてんだ?」
「あ! そうよこんなことしてる場合ではないのよ……! 急いで!」
はっとした様子で銀髪美人は周囲を見回し、物騒な顔つきになると。どこからともなく取り出した身の丈ほどの棒切れを、手袋をはめた両手に握っていた。おいおいなんだ急に。
「なにを急ぐんだ?」
「敵、山賊が来るの! すぐに倒して!」
「だれが?」
「あなた!」
「なんで?」
「召喚獣でしょ!」
「いや知らんがなにそれ。って、ああ、うん……そういうこと」
ふっと目を落として、先ほど頭頂部一点倒立していたところを見やると。
なにやら俺が頭を置いていた位置を中心に、奇怪な紋様やら呪文やらが地面を這いまわり、
いわゆるひとつの『魔法陣』らしきものを描いていた。
――理屈もなにもよくわからんが。
どうやらあの穴は面白おかしいことに俺を呼びこんでくれたようだ。
『召喚』だかなんだか知らんが、妙な場所に妙な具合に移動させられたらしい。
「はやく準備して! いちかばちかで師匠の陣使って召喚び出したからあなたがどの系統の奴かわかんないけど、戦うための術はあるのよね⁈」
「術ぅ? まあ『術』ならあるけど」
「じゃあよかった! 奴らはすぐに来るから、ひとまず《マナ循環》して臨戦態勢入って!」
おっとよくわからない単語が飛び出したぞ。ねえ銀髪さんそれどうやるの?
などと訊いてる余裕はない、感じだ。ぴりっと、こめかみの辺りに疼痛を感じる。
戦場でもよくあった感覚だ。
袋小路に、すでに追い詰められてるときの感覚。
「……なあ銀髪さんよ。山賊ってのはどこにいる?」
「それは向こ、」「ここだぜぇ」
待っていたかのように声がかかる。いやタイミング良すぎだろ本当に待ってたんじゃあるまいな。
思いながら声の方向を見やれば、巨木の根が絡み合う彼方から近づいてくる影がある。
黄ばみ汚れたぼろいシャツの上から革製のコートをひっかけ、大柄な身を揺らしている。
脂ぎってぎらつく茶髪を掻き上げて、無精ひげの生えた強面でこっちを睨んだ。周囲には、似たような風貌の連中が七、八、九……十人。まあ完全に山賊だ。山賊というほかない。
どいつも似たような薄っぺらい笑みを張り付け、俺たち二人を見ていた。
対照的に、銀髪さんの顔が青ざめて無表情になる。
「追いかけっこは終わりかぁ? さーびしくなんぜぇ。時間稼いだぶんでなんかできたのかぁ、でくのぼうのお嬢ちゃん?」
「くっ……」
なにやらこの山賊の頭目と思しき男が、抜いた剣を右肩に担ぐようにしながらヘラヘラ笑って近づいてくる。
応じて、棒切れを構えたままあとずさる銀髪さん。
あの、間に挟まれた俺が楯みたいになってんだけど。
「銀髪さん、銀髪さん。俺このあとどうすればいいんだ」
振り返りながら言えば、彼女は神妙な顔でうなずいた。
「まずは時間稼ぎして。その間に……」
「うん」
「私は逃げるから」
「おい」
低い声でとがめるように言ってみたが、彼女の意思は固いらしく凛とした表情と目はわずかにも揺らぐことがなかった。わお。すげえ女だ。
しかしこれは彼女がひどい冷血女だったというわけではないらしく、注釈が入った。
「召喚獣ならマナが切れて還るまで刺されても斬られても血も出なけりゃ死にもしないでしょ」
「なんだと、そういう存在なのか……?」
「当たり前じゃない」
まずそのマナってのがよくわからないのだが、死なんと言われたのでちょっと試してみる。
俺は彼女が腰に差していたナイフをサッと拝借して、左手の人差し指で軽く撫でてみた。
すぐに血が出た。
とくに治るきざしもない。
ぼとぼとと血は流れ落ちていった。
「おい聞いてたのとちがうんだけど」俺はナイフを戻しながら言う。
「……え? なんで出血してるの……?」
「人間だもの」
「……え? 召喚獣じゃないの? 火を吐いたり凍結させたり雷電でしびれさせたりする魔術、使えるんじゃないの?」
「魔術て。んなもん一切使えんぞ」
銀髪さんの顔がまた一段と青くなった。
背後にいた山賊頭目っぽい男がその顔を見て堪えきれなくなったのか、哄笑をあげた。
「ぷっ、わははははあっはははは! なんだぁ? せっかく時間くれてやったのに、召喚獣ひとつ満足に呼べなかったってぇことか!? 傑作だ!」
笑いは伝播して、残る十人も男の後方でげらげら笑った。
笑ってもらうのは結構だが、なんだかね。そもそも火を吐いたりするようなケダモノが平然と存在する世界なのか、ここ。絶っっ対遭遇したくないなソレ。
そう考え込んでいる俺を後目に、連中の会話はつづく。
「ははははは、あー笑った笑ったァ。じゃあそろそろおしまいといこうや、お嬢ちゃん」
「よ、寄らないでよ……」
「ん? どしたぁ。震えっちまって《マナ循環》もまともにできてねぇじゃないか。それじゃもう逃げることもできんぞ?」
ざしざしと、身の丈ほどある木の根の下をくぐり抜け、十一人の一団は迫ってくる。
全員目つきがやばい。飢えてる。うわひとり上唇舐めた奴いたぞ最低だな。
「ここを通ろうとした不運を嘆け。んじゃぁ、身ぐるみ剥ぐとすっかぁ」
テンプレかよ。
ともあれ、状況はつかめないにしろなにが起こるかはだいたい読めてきた。
ちらっと銀髪さんの方を見る。
身の丈ほどの長さの棒切れを構えたまま、びくっとして俺を見つめ返す。
潤んだ瞳が、もうどうしようもない感じだった。
……そんな目されちゃしょうがないね。さっき悪いことしちゃったし。
ここはひとつ、助けてやっか。
「まあまあ旦那、ひとつ矛を収めて」
俺がゆるっと進路に割り込むと、頭目はわかりやすく不愉快そうな顔をした。わかる。俺も野郎に進路塞がれるとイラっとする。
でも俺はひとの嫌がることを進んでやるタイプだ。つーか、武術家ってそんな生き物だろ? 自分のやりたいことのために相手の行動妨害すんのが軸のひとつよ。
「なんだぁ、ポンコツ召喚獣。どいてろや」
「ポンコツとはひでぇな」
「ろくに魔術を使うことすらできねぇ奴をポンコツ以外のなんと呼べゃいいんだ?」
「さあ知らね。でもまあ一旦落ち着こうぜ」
「却下だ。そこどけ」
「でもどいたらあんたらその子にひどいことしそうだし」
「お前にゃ関係ねぇだろぉ?」
「いやその場にいたってだけでもほら、寝覚めが悪くなりそうでね」
「知らねぇよお前の都合なんざ。すっこんでろ」
「あの」
「邪、魔、だ」
おっと押しのけていくぞ。
うーん。
彫りが深くて明らかに日本人じゃないのを相手してんのに、どうしてこうも現代日本の路地裏とかで見覚えのある頭悪そうな会話になるんだ。謎だ。
とか思ってる間に進んでいきやがる。ささっと追いついて俺は頭目の肩に手をかけた。
「おーい。待てって」
「……邪魔だ、っつったよな?」
「まあ聞いたけど、俺それに従うとは言」
言葉を切った。
否、切らざるを得なかった。
俺は目の前にいたこの男から……密度の高まりのようなものを感じ、警戒した。
瞬時に奴の体内に煮えた鉄が満ちたような。そんな気配が膨らんだ。
そして感じた気配通りの、
重たい一撃を打ち込まれた。
「邪魔、だ。死ね」
風切る剛腕。
振り向きざまの右裏拳。
肩から手を離しこれを右掌で受けた俺は――――後方へと、凄まじい勢いでぶっ飛んだ。
山賊たちが一瞬で遠ざかる。衝撃に息が詰まる。
やがて重力に捕まって、足を接地し損ねて、俺はごろごろと転がった。
辺り一帯、土煙の中。
向こうの方からぎゃははと爆笑が生まれているのが聞こえた。「飛ばしすぎー」「腕粉々だろアレ」「いつ見てもさすがだよなぁお頭」「《マナ循環》の達人だもんな」「その辺の獣相手でも腕力なら負けねぇだろ」となにやら取り巻きと太鼓持ちのセリフがつづく。
さて、仰向けに倒れたまま、俺は右掌を見ていた。
ちょっと色は赤くなっていて、皮膚の表面がじんじんびりびり痛む。
他人の攻撃に痛みを感じたの久々だわ。というか威力完全に受け流したつもりだったのにこれかよ。
文脈から察するに、《マナ循環》とかいう技の効果か。肉体強化? すげーな。
なんてこと考えながら、よっと身を起こす。
湿度も温度も高いために暑くなってきた。ダウンジャケットを脱ぎ捨て、シャツについた砂ぼこりをはたきつつ、俺はすたすたと土煙の中から歩いていった。
ぎゃははぎゃははとまだ山賊たちは笑っていたので、こちらもフランクな感じで片手を挙げつつ笑顔で行く。コミュニケーションの基本は笑顔だぜ。
「よっ。ただいま」
そんで挨拶したら場が一瞬で凍った。
なんだよ。
俺が滑ったみたいな反応するのやめてくれる?