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人質カナン


 ひとことで述べると、雑魚ラッシュだった。


「お、おれたちは民衆のために蜂起を――」


 捨て台詞が耳に入ったが俺は無視して相手を窓から投げ飛ばした。雨戸みたいなつくりの木製の窓を突き破った男が声もなく落ちていく。

 事情がどうあれ俺らみたいな闖入者に止められてる時点でその程度の腕と決意だったってことよ。さようなら。

 俺がちぎっては投げちぎっては投げ、ミカリが切っては捨て切っては捨て。

 そうこうしていくうちに三階最奥の、一番豪華そうな構えの扉の前につく。

 一枚隔てた向こうからは、なんというかなみなみと水を湛えた貯水湖のような。強く重たい気配が漏れ出していた。


「どっちが先についた?」

「扉に手をついたのは儂が先」

「ちっ」


 ここは譲っておこう。俺が扉に手をかけ、ミカリへ道を開ける。彼女は剣を抜いて走った。

 部屋の中は、広く、内装も豪華であった。

 さっきの窓の様子からもわかるが、まだあまりこの国ではガラス製品というのが広まっていないらしい。

 にもかかわらず、ここにはガラスをふんだんに使ったシャンデリアが吊り下がり、俺の宿泊する部屋五室分はあろう広さの室内に柔らかな光を投げかけている。


 全体的に白とベージュで彩られた優しい色使いの空間。

 猫足のテーブルの上には陶磁器の花瓶に活けられた花束。

 一番奥に、天蓋付きのやたらでかいベッドがあった。

 そこからもぞり、と影が這い出てくる。


「…………ん? あれ、追加の女の子を呼んだ覚えはないのだが……しかもえらく幼いな。五年後くらいが楽しみな感じだが」


 這い出て来た男がミカリを見て言う。なんか意見が同じでちょっと親近感がわいた。

 そうだよな、五年くらい経ったの想像すると楽しみだよなこいつ。そのときまでコートの下は痴女でいてくれるだろうか。俺は未来を案じた。

 っていうか、あれ? 

 ミカリが言ってたマナ循環の巧い強者は……どこだ?


「……あやつじゃ」

「え」

「あやつが儂の感じた強者じゃ」


 すらり、と剣を納めてミカリはため息をつく。

 ん? 剣しまっていいのか? 俺はベッドから這い出て来た男――半裸だった――を見つつ思う。

 それから、納得した。

 長い黒髪。高い鼻梁。狭い額。太い眉。鋭い眼光。

 その瞳が宿す、深緑(・・)


「あっ」


 俺は思わず驚きの声をあげる。


「んっ」


 ベッドの向こうで嬌声があがる。

 ……ん? 嬌声?


「おっと。起きてしまったか。お帰りはあちらだお嬢さん、素敵な時間をありがとう」


 半裸男がベッドに戻り、天蓋から垂れ落ちるカーテンの向こうにいる人物に声をかけた。


「ああ……こちらこそ、領主様。お声がけ賜り光栄でございましたわ」

「またよろしく頼むよ、お嬢さん」


 男と、ベッドの嬌声の主――半裸で這い出してきた若い金髪の美女だ――の会話が短くも濃密な絡みつきで交わされ、彼らは半裸のまま互いに軽く抱き合うとどちらともなく口づけしていた。おお、外国の映画みたい。


「ひゃ」


 顔を赤くして後ろを向くミカリ。なんだお前可愛いな。一四だろ。そこまでウブなのかお前。

 で、まあ。

 それから。

 なんやかんやちょっと時間をおいて。銀貨をじゃらじゃらと支払い済ませて。

 ブロンド美女が服を――半裸の方が露出度は高いのに正直この衣裳着てる方がやらしく感じる――身にまとい、出て行った。

 去り際、彼女は俺にもウインクを欠かさない。

 熟練のスリのような手際でいつの間にか俺の手に握らされていたのは、さっき自室のキャビネットの上に置かれているのを見たあのチラシであった。

 なるほどね……やっぱりこれ部屋に女の子呼ぶ用の……。


「いやすまない。やっと落ち着きスッキリしたところだ」


 そして男の方も簡素なシャツとボトムスといった衣類を身にまといつつ、俺たちの方につかつかと歩み寄ってきた。

 スッキリってどこが? ねえなにが? とか思ってしまったが口には出さない俺。


「いやこちらこそ。お愉しみのところを失礼しました」


 だが遠回しな嫌味は口をついて出た。

 しょうがねぇだろ。こちとらカナンさんに部屋分けられて気ぃ立ってたとこなんだ。

 しかし半裸だった男はさほど気にした様子もなく、頭を掻きながらはははと笑っていた。


「私は、金色の長い髪が好みでね」


 いや知らんわお前の女の趣味なんか。


「俺は銀髪の方が好きですね」


 だが開示された性癖には性癖で以て返すのが男の流儀だ。俺の返答に男は笑みを強めていた。

 視線は、俺から逸れてミカリに向く。


「ふむ、ふむ。ではどうしたものか。私は赤髪も好きだし、若いのも悪くはないと思っているのだが……」

「せっかくのお声がけですがこいつぁ俺の身内なんで」

「冗談だ。そう真剣な声で脅しをかけてこなくともよい」


 べつにそんな力込めて言った覚えもないんだが。

 ともあれ、なんつーか。

 こんな奔放な人物だったんだな、あんた。


「えーと……とりあえず自己紹介を。お初にお目にかかります。寄り合い《止まり木》所属の召喚士カナンが召喚獣、ジュン・澄透スミスと言います。こっちは、ミカリ」


 さすがに護送中の人間ですとは言えないので簡潔に名前だけ教えておいた。


「これはどうも御親切に。私のことはご存知のようだが、一応名乗らせてもらおう」


 長い黒髪を掻き上げながら、長身の彼は俺を見下ろして名乗った。


「マチェーテ・モルダウン。このソルドとヤパドスの国境線預かる辺境伯の地位を戴く者だ。かつての二つ名は八英傑がひとり《理由殺し》」


 女を買って部屋に連れ込んでいた英雄は、そんな風に言って屈託なく笑った。


「どうも、助けられてしまったようだな。危うく寝込みを襲われるところだった」

「いえまあ。俺らの部屋の前をうろちょろしてた連中が寝るのに邪魔だっただけなんで。そんな気にせんでいいです」

「ほう。きみらの部屋の前で、か……それだけのことで三階まで上がってきてくれるとはきみもずいぶんなお人よしだな」


『上がってきてくれるとは』ね。

 こいつ、俺らが一階の人間だと気づいてるってことだ。俺やミカリが気配で察したの同様に、宿内の気配は読めていたんだろう。いや、そんなら自分で戦えや。

 そんなことを思ってしまったが顔には出さないようにして、俺はじいとマチェーテを観察した。

 掌のまめや掌紋のかすれ具合は、たしかに槍を扱う者であることを示唆している。術についてはよくわからないが、ざっと部屋の中を見渡したところ例の絵にも描かれていた白の鎧があり、返り血の痕跡がなかったあたりやはり凄腕なのだろうと思われた。

 さて。

 そうなるとあとは、どのようにしてこいつを戦いの場に誘い出すかだ。

 考えをめぐらしはじめた俺の思惑を知ってか知らずか、マチェーテは微笑みを浮かべつつ大仰に両手を広げ、俺たちに向かって言った。


「そんなお人よしに、なにか礼をさせてもらいたい。明日も私はまだここに逗留しているのですぐに決める必要はないが、もし希望があれば言ってくれたまえ。可能な範囲でかなえよう」


 お、マジで?

 思わぬところで収穫だ。まさか向こうから願いをかなえてくれるだなんて僥倖僥倖。

 しかしがっついて希望を言うのもなんだなと思ったので、俺は日本人的奥ゆかしさを発揮して「考えさせてもらいます」と一度引くことにした。

 ミカリはというと「《朱烏》所属なのじゃが、ちとやらかしがあっての。上長に口利きしてもらえぬか」とちゃっかり自分の処遇について根回しをしていた。

 マチェーテは「掛け合おう」と約束に近い物言いをし、ミカリはそれでほっとした様子である。なんだかんだで処罰食らうのビビってたんだなお前。


「さて、さて。では外に転がる者たちは手の者をよこして片付けてもらおう。ご苦労だったなきみたち」

「いえいえ。そんじゃまた」

「寛大な処置に感謝じゃ」


 うまい具合に話が転がり、俺とミカリはほくほく顔で階下へ降りていった。

 いやあ情けはひとのためならずってホントだな。雑魚ラッシュ倒してきただけでこんなお得なことがあるとは。


「うまくすればお前もほぼ無罪でどうにかなるんじゃねぇか」

「だといいのう」

「俺も戦う準備しとかないとなぁ」

「どこでやるんじゃ」

「槍相手なら向こうが動きやすい広いとこか。この辺どっかあるかね」


 ミカリと話しながら自室へ帰りつく。念のため逃がした次第だが、結局カナンを外に追いやらなくてもよかったかもしれないな。まあ宿になにも異変がないのを悟ればすぐ戻ってくるだろ。


「じゃ、とりあえずおやすみ。明日は予定通り《朱烏》向かう感じで」

「委細承知。おやすみ、ジュン殿」

「おう」


 言って、ひらひらとミカリに手を振り俺も自室に戻る。

 ないよりはマシかなと思って、蹴っ飛ばしたドアを立てかけるだけはしておいて。部屋の奥へ行き、手に持ったままだった女の子呼ぶ用のチラシにふと目をやった。

 くしゃっと丸めて捨て、ようとして、

 俺はうーんとうなる。

 ミカリにバレないように上に戻って、ちょっとマチェーテに感想聞いてみっかな……いやでもそれでいまの貸しのぶん使っちまうような流れにならんかな? どうしよ。でもこういうのに興味がないかといえばまあそりゃ男だし。

 悶々と悩むこと数秒、やっぱ捨てようかなーと思っていたところへ。


「ジュン殿!」

「おおおおわああぁぁなんだミカリ」


 ばーんとドアを叩き倒して奴が部屋に飛び込んできた。お前ちょっと待てよなんだこういう欲望をどう処理するか悩んでるときに。お前みたいなウブにはどうにもできん悩みなんだぞコレ。


「これを!」


 おいなんだよ紙を突きつけてくるな。なに? ひょっとしてそっちの部屋にも男の子呼ぶ用のチラシでもあったか? 呼びたいなら呼んでもいいと思うがいま金はカナンが持ってってるんだから支払いできねぇだろ。ひとりで寝れないとかそういう理由なら俺が付き添ってやるから我慢しろ。

 そんなことを思いながら、顔に押し付けられていた紙片に目を落とす。

 ふむ。とりあえず俺の部屋にあった奴のようにいかにもそういうのをにおわせるチラシではないようだ。

 というか殺風景だな。字しか書いてねぇしその字もなんかカックカクしてるし。


「ていうか俺字ィ読めねぇんだよ。押し付けられても困る」

「ああ、そういえばそうだったの。では内容を伝えるが……さらわれたぞ」

「だれが?」

「カナン殿」


 …………。

 ……………………ええー。

 俺は今日一番のめんどくさそうな顔をした、と思う。


        +


『お前が女を買って呼ぶようなことがなければこのような事態にはならなかった

 行いを省みるのであればひとりで山麓の月輪館まで来られたし』

 まとめるとそんな文章が、書かれていたらしい。

 うーん。

 これ、たぶん、そういうことだよな……。


「マチェーテが買った女、銀貨じゃらじゃら支払われて帰ってったよな……」

「平民は基本、銀貨か銅貨しか扱えんからの。信用されている商人や銀行ではごくごくまれに扱うが、基本的に金貨は貴族層より上の階級で互いの取引や資産確定のために用いられておるだけなのじゃ」

「ああ、そう」


 その辺の知識もうちょい早く仕入れておきたかった。銀本位制なのかと思ってぜんぜん考えてなかったぜ。

 ともあれ、そういうこと。

 どうもカナンさん、銀貨を大量に持ってたせいでマチェーテが買った娼婦と勘違いされたらしかった。


「どうする、ジュン殿」

「ほっとくわけにゃいかねぇだろ。こんな流れでとっ捕まったんじゃ、いまごろどういう目に遭わされてるか想像に難くねぇ」

「…………ひや」

「お前たまにウブな反応見せるのやめろ」


 なんてあほなことやってる場合じゃない。

 俺は三階までダダっと走ってマチェーテへいまの状態を伝え、また一階へ戻るとミカリを伴って表へ飛び出した。


「正面からはマチェーテが行って交渉のふりで引き付けてくれるそうだ」

「助力を願い出たのかの?」

「お願い一回分聞いてくれるっつってたんだから、断らせやしねぇさ」

「いやそういう意味ではなく。あやつと戦うのが目的であったろうに」

「さすがにその辺の優先順位はまちがえねぇ」


 つーか文字通りあの英雄さまが撒いたタネだ。お願い一回分とかそういう問題じゃないだろって話である。

 というわけで正面からはマチェーテ。

 奴が引き付けている間に俺たちが、裏から回り込んで賊の連中を排除することになった。



 こそっと山を迂回して、俺とミカリは月輪館とかいう名前の館を高台から見下ろしていた。

 セキィの街を見下ろす建物は周囲を鬱蒼とした森に囲まれており、道もほぼ一本だった。よって俺とミカリは道なき道を踏破してくる羽目になり、ここまで来るだけでもえらく消耗させられた。


「ぜはあ。あとはあの建物に忍び込むだけか……ミカリ、《尖鋭化》の準備はいいか?」

「整っておるが。どのように忍び込むんじゃ」

「力入れなくても切れるんだろ? その剣」


 だったら道なき道を行こうぜ、ここまでと同じに。

 館の裏庭を囲んでいた伏兵を俺は木の陰から視認する。

 月光のほかに明かりのない状況。俺は視線をめぐらし、見たいと思う位置から少しズレた位置を意識することで明瞭な視野を確保する。

 それから気配を絶って、地を這うように見張りに近づいた。

 アンダースローで真横に向かって石ころを投げ、茂みをガサつかせて注意を引き。

 緊張からくる硬直で死に体になった見張りの背後を取ると、首筋を掌底でブッ叩いて気絶させた。

 ずるずると引きずってこいつを茂みに隠し、上っ張りだけ奪って一応変装しておく。

 それから、建物の壁面をじっと眺めた。


「この辺頼むわ」

「ふむ」


 俺が示し、とんとん、と叩いた壁の一部。

 ミカリは音もない抜刀でそこを三角形に切り抜き、侵入経路を確保した。おお五右衛門。

 板張りと土壁で構成されていた壁をぱらぱらとどかして中に入ると、そこは廊下の中ほどだ。


「気配は……上の方に固まってるな。ミカリ、マナ循環が巧い強者はわかるか?」

「おるぞ。もう少し進んだ先で、じっと待ち受けておる。威圧感からして、おそらく最初から戦闘になることを想定した奴じゃな」


 向こうも覚悟はしてるってわけか。

 上等上等。

 俺が先行し、ミカリが後ろに影のようにつづく。

 するするっと階段を駆け上がり、闇が色濃い二階の廊下に出て。

 やわらかな絨毯らしきものが敷き詰められた廊下を、それでも音を消すよう意識して進んでいると。


「おやおや。迷いない進み方ですね」


 行く道の先から、こつりこつりと歩いてくる者があった。

 闇に溶けるシルエット。

 窓から差し込む月光によって浮き彫りになる、その姿は頭からくるぶしまでをだらりと長いローブで覆い、いかにも怪しい風体の小柄な男だった。


「ようこそ。この先にあなたがたがお求めの囚われの少女がございますよ」


 くつくつ笑って杖をつく。

 なんだろう……。

 いかにも変態さんな雰囲気だった。

 言葉選びといいなんかアダルトなものにかぶれすぎて痛々しくなった奴と同じ空気を感じる。

 だが言葉から察するに、


「お前が番兵ってわけね」

「左様で。守護を任されております」

「では斬り捨てる」


 ミカリが素早く抜いた剣を構え、男に向き合った。

 男は動じずくつくつくつくつ笑みをつづけ、ばさあとローブの隙間から一歩踏み出す。

 その足下。

 絨毯に覆われた床に、複雑な紋様が描かれているのを俺は見た。

 あっれー。

 なんか嫌な予感するぞ。


「……おいそれまさか」

「察しのよろしいことで。しかし少々遅かった」


 ぐ、っと男が手を握り、開くと、床の紋様に光が灯り始めた。

 じわじわと照度をあげていく光。真っ白な、周囲を照らし出し耀き抜ける光。それは俺にはひどく既視感のあるものだった。

 そうだ。それはカナンと最初に出会ったときに見た光。

 路地裏の穴に落下した俺を包み込み、陣の上へと導いた光!


「来たれ我が召喚獣。火焔マルフェマ蜥蜴フェアョロ


 いまどうやって発音した? って思わされる、まさに異界言語って感じの音が耳に届いた。

 光が消え去り、あとにはずんぐりむっくり。

 どろんと現れていたのは、バカでかい蜥蜴だった。開いた口はスイカとか丸のみにできそうな具合で、頭の位置は俺のちょうど腹あたり。突撃食らったらそのままハラワタむしゃむしゃされそうだ。

 一見した印象はコモドオオトカゲって感じ。頭から尻尾の先までで六、いや七メートルはあるけど……いやもうちょいあるか? 七・五メー……いやもうちょい?

 くっそ、変な関節構造で伸縮してんのか尻尾のリーチが微妙に読めねぇ。だから人外相手は嫌なんだ。


「さあ、遊んでおやり」


 男の指示で蜥蜴はギシュボアアアアアと怪獣じみたデスボイスをあげて突撃してきた。

 どずむどずむどずむどずむと短い脚が爪を立てて加速し、左右に波打つぶっとい体の揺れは尻尾をカウンターウエイトとして振るうことでバランスを取っている。

 思ったより速度は速い。とある国で富豪の家に忍び込んだ時、庭の池で放し飼いにされていたワニに追いかけられたときのことを思い出した。あいつら結構はえぇんだよ地上でも。

 落ち着け。落ち着くんだ俺。

 呼吸を測れ。

 タイミングを図れ。

 間合いを計――


「ガゥオゥ」


 間抜けた叫びと共に蜥蜴はボンと火焔を吐いた。

 本当に反射的に半身になったので避けられたが、俺の脇で火焔弾の直撃を食らったカーテンと窓は一瞬で消し炭になって大穴を晒していた。

 すうううう、と蜥蜴は息を吸いつつ走ってくる。

 間合い、間合いが……


「計れるかぁ!」


 ばっと身を翻して俺は退却した。

 横を通り過ぎた俺を見てため息をつきながら、ミカリは剣を八相に構えなおした。


「獣の相手は任せよ」

「すまん超助かる」


 ミカリの後ろに逃げ込んで、火焔弾を受けることがないよう素早く地面に四つん這い。

 俺の頭上でミカリはコートの裾を翻し、降りかかった火焔を一刀の下に切り伏せている。

 振り下ろす勢いで床に埋まった剣を、そのまま横倒しにした身体を錐揉みさせることで後方まで切り抜き、真上からの軌道で打ち下ろす。

《地摺り嘴》の一撃だった。

 しかし蜥蜴はかかとを絨毯に立てて大きく横っ飛びし、刃は皮膚をわずかにかすめる程度に終わる。


「やりなさい!」


 男の命令で蜥蜴は突進した。素早い切り返しでミカリは蜥蜴の首を狙い、剣を振るう。

 その剣筋に、蜥蜴はぐにゅんと首をめぐらした。

 がちん、と破滅的な、大時計の針を無理やり止めたような音がした。


「ぐ、」


 うめくミカリ。蜥蜴がにやっと笑ったように、見えた。

 噛みつきである。

 鋭くも短い牙列に、ミカリの剣が止められている。

 俺の蹴り足挟み殺しと同じ手か……。いかに鋭い切れ味の剣でも、側面に触れる分には問題ない上にミカリはその体躯からして(マナ循環による強化があるとはいえ)非力な方だ。万力のように刃を軋ませる牙にとらわれては、満足に剣を扱えない。


「引けミカリ!」

「わかってお、る……うぁ!」


 ぼぼぼッ、と刃を噛んだまま牙列の隙間より漏れ出るバーナーじみた焔。

 ミカリがわずかひるんだ隙に、蜥蜴は地面を蹴った。

 剣をつかんだままの彼女は大質量の獣の前進に耐えきれず、足が浮く。後方へぶっ飛ばされる。

 身動き取れない空中にいる獲物。

 蜥蜴がそれを逃すはずはなく、大口を開いた。


「消し炭に――」

「させっかよ!」


 男が命じる前に、俺は頭上に吹っ飛んできたミカリの足をつかんだ。

 四つん這いから右手を伸ばした姿勢で、俺は腰のひねりだけ駆使してミカリの吹っ飛ぶルートを捻じ曲げる。鎖分銅をぶん回すときの要領で、彼女の身体を火焔弾の射線から逸らした。

 直後、真っ赤な焔がミカリの残像を貫いた。


「あっぶね」


 言いつつ手を放すとくるんと空中で後転し、威力を受け流したミカリはずざざと俺の後方へ着地する。

 男、蜥蜴、俺、ミカリが廊下にて一直線上に並んだ。

 当然、俺は蜥蜴さんと目が合う。

 思ったよりつぶらな瞳をしていた。

 でも爬虫類特有のなに考えてるかわからない目だった。


「おおぉぉ怖っわああああぁぁ」


 奴が駆け出すフォームに入る前に、かかとを軸にすぐさま一八〇度反転しジグザグに走って逃げる。銃手とワニから逃げるときはこうしろって昔教わったのだ。いまワニが相手じゃないけど。

 俺は全力で駆け抜け、ミカリの横を通り過ぎざま片手をあげた。


「仕切り直しじゃ」


 ぱぁんと小気味よい音を立ててミカリはハイタッチしてくれた。

 地面にスライディング気味に身を伏せって振り返ると、駆けてきた蜥蜴は途中で方向転換している。おや、なぜ壁際に。

 すると、

 ずむんと壁に爪を突き刺し、

 あろうことかずりんずりんと尻尾を振って駆け上がっていく。お前、ヤモリかよ……ってうわああキモいキモい巨体の蜥蜴が壁から天井まで素早く這いまわって襲ってきやがる。


「おいミカリっ」「わかっておる」


 天井を移動しながら大口が開かれ、ボンッボンッと火焔弾が降り注ぐ。

 軽やかに膝を抜いて前進回避するミカリ、それと比して情けなくも転がり跳ねて火をかわす俺。

 そこへ追撃が来た。

 ミカリを通り過ぎずんずんと天井を駆けて俺の頭上に迫った蜥蜴が――太い尻尾で打ちかかる!


「させるものか」


 凛とした声が届いて。

 びゅおん、

 風切る刃。

 振り向きざまに手の内で柄を滑らせ、右片手で柄頭近くをつかむ最大限のリーチで放ったミカリの横薙ぎが、俺の顔面を打ち据える寸前だった尻尾をぶった切る。

 血が出ることはなく、断面から光の粉を噴き上げてギシュアアアアと叫び声をあげる蜥蜴。まるで年齢制限に配慮した演出のようだが、そういや召喚獣ってそういうもんだっけ。マナが切れるまでは血も出なけりゃ死にもしない、とか。

 そうして、一撃入ればあとはおしまいまで早かった。

 素早い切り上げ、からの刺突で蜥蜴は背中から胸部まで、ちょうど天井に標本として張り付けられたかのように貫かれた。

 ミカリが剣を引き抜いて俺の元に戻ったあと、ずどんと廊下に落ちてもう動かない。

 蜥蜴は、しばらくの間光の粉を巻き上げていたが次第に傷口をぐずぐずの血まみれに変じていき、最終的に死体としてその場に残った。死ぬとこうなるのか。


「ば、ばかな……! 火焔蜥蜴の外皮は生半な鎧より硬くかつ柔軟性を保つのですよ!?」


 自らの召喚獣がミカリによって容易く葬られたのを見て、男は取り乱した。

 彼女は右肩に剣を担ぐように構え、ふんと鼻を鳴らし男に近づいていく。


「よほどのなまくらで試斬した経験談じゃろうな。どの程度の切れ味ならばあのように外皮を断てるのか、あの世の土産話に経験をくれてやろう」


 そのまま迫り、剣を男に振り下ろした。

 頭からかぶっていたローブのフードが、すっぱりと縦に割れる。

 男が白目を剥いて倒れる。

 しかし彼の身に傷も血濡れもなく、

 濡れている箇所と言えば彼の股下くらいだった。


「斬らないのか」

「ふん。この後に手練れが待っている状況で、雑魚の血に剣を汚す余裕はないだけよの」


 さいですか。

 ともあれ、ミカリがいてよかった。助かった。


「危うく蜥蜴にやられて死ぬとこだったぜ」

「と言うわりには貴公、避けて逃げる程度はできておったな」

「人間が指示出してたからな。ある程度、指示のタイミングとかから先読みが発揮できたんだよ。つまり、一番ヤバいのはなんの指示もなく獣を暴れさせるタイプだ」

「なるほどの。……この先は召喚士ではないとよいが」

「まったくだぜ」


 廊下の最奥、大扉の前で俺たちは並び立つ。

 そこからは、重たい空気が流れ出している。

 この扉一枚隔てた向こうで、嵐が荒れ狂っているかのような。台風の日にふと外からの物音に危機感を抱いたときのような。そんな重圧が放たれている。


「マナ循環の達人がおる」

「カナンが捕らわれてるってときでなきゃ、もうちょい楽しもうと思えるんだがな」


 重圧の正体が凄腕のオーラだと示されて、ここがカナンを捕えている部屋だと確信を持つ。

 俺はぎいと扉を押し開いた。


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