八英傑についてのガイド
それから一日半かけて山道を制覇し、俺たちはセキィの街へ着いた。
「着いた!」
叫ぶカナンは森を抜けた断崖から彼方に見える目的地を見下ろす。
風の吹きあげてくる崖の向こう、盆地の中に街があった。
うっそうと茂る森に半ば侵食されるようなかたちで、人の営みが広がっている。
それなりに栄えているのか二階建ての建築も多くそのほとんどが石造りだ。
手前に来るにつれてぽつぽつと立つ木製の小屋や、先ごろの宿場町を思わせるちいさな通りが伸びてきているが、街の大部分は建物がぎゅっと密集している。
中でもひときわ高い塔のような建物から、ガラぁンと低い鐘の音が響いてきた。
「あとは寄り合い《朱烏》にミカリを送り届けたらおしまい、と!」
「そうじゃの」
後ろからすたすたと歩いてきたミカリは一瞬、拘束を断ち切った枷に目を留めたがすぐに視線をふいと正す。
う、と息の詰まった声をあげたカナンは逃亡ほう助に問われないかと心配しているようだった。俺の方を見上げてね、ね、と袖を引っ張る。
「だ、大丈夫よね?」
「なぁに、実際逃がしてねぇんだからべつにそこまでお咎めないんじゃねぇの」
「そうよね。そうよね。うん」
俺の楽観的な意見――いざとなれば暴れて脱出すればいいや、という思考による――へと同意のうなずきを返すカナンを見つつ、俺はゆるやかな坂道を下っていった。
ずるずると、黒い塊を引きずりながら。
「それにしても、二日半かかってなんとか山越えたけど。中級以上の寄り合い人員って、いつもこんな無茶してるのかしらね……」
同じく引きずるものを片手に、もう片手を召喚した棒切れをつくのに使うカナンは、ぶつぶつ言った。
「無茶ねぇ。どうなんだろな、ミカリにとっちゃアレも日常なんだろ」
俺は引きずっていたものに目を落とす。
ずいぶん擦ったし価値は落ちたろうが……引きずってきたのは、マダラブチグマの毛皮であった。
この暑い季節にこんなのあっても買い手がつくのか? と訊いたところ「火除けの祭具としてまあまあ売れるのでな」とのミカリの回答である。
その毛皮がカナンの引きずるものと合わせて、計六枚もあった。
「アレが日常? クマと連戦するのが?」
「んなこと言ったら俺だって剣士やら殺し屋やらと連戦するのが日常だったぜ」
「……じゃああなたも相手の皮を剥いで、」
「魔界っぽい設定を付けるのをやめろ」
えぐすぎるだろ人皮コレクション。
ともあれ、熊皮は売れて路銀の足しになればそれでいい。金には困っていないが、ありすぎて困るということもない。少なくとも俺はそうだ。
というわけで毛皮をずーるずる。
その後も道を歩いていくと、先ほど下方へ見えていた宿場町にたどり着く。
ぽつぽつ人影も目にするようになり、すれちがいも増えた。俺は毛皮を担ぎつつ「こんちはー」と声をかける。
相手はぎょっとした顔で俺を見て、それから俺の後ろを歩いていたカナンを見て、二度ビックリしていた。
「なんか妙に驚かれるな」
「妙ってことはないでしょ。私だって、こんな格好の奴見たら近づこうとは思わないもの」
ため息をつきながら、カナンはすれちがった相手を振り返っていた。
向こうも気になったのかこっちを顧みており、目が合ってしまったからか慌てて山の方に走っていった。
「んん? でも中級以上なら山越えするんだろ?」
「そういうときは腕の立つ魔術師を呼んで遠距離攻撃で獣の相手することが多いの」
「あ、そう。つまり」
「こんなに返り血は浴びないってこと」
はあとため息をついたカナン。
耀く銀髪を戴く頭からキュッと締まった腰まで。そして黒いニーソみたいな吊りソックスにも……なにからなにまで真っ赤に染まり、かぴかぴに乾いた恐ろしい風貌であった。俺もひとのこと言えないくらいヤバい恰好だがな。
なにせ敵をぶった切って仕留めるミカリとずっと行動していたのである。こうなるのも致し方ないというかなんというか。
ため息をつくカナンは自分の真っ赤な衣裳を眺め、かつかつと棒切れをついて歩みを再開する。
「うう、街に入る前に湯あみしたい」
「同感だな」
「……のぞく気でしょ」
「そんなことしねぇよ」
女しかいないお風呂空間で気ぃ抜いてだらけて女捨ててるとこ、俺は見たくないしお前らも見られたかないだろう。
「風呂は風呂だけ楽しむもんだ。熱い湯でじんわり芯まであったまって、くつろぎながらゆったり時間を過ごす。そういうもんであるべきだ」
「なぁに、意外にこだわりがあるのね」
「俺のいた国の人間は妙に入浴にこだわる民族だったんだよ」
「いい国ね。……でも私は湯殿だけ楽しむ、って感じじゃないかな」
お、なんだ。ここに来て価値観の相違でやり合う羽目になるのか俺たちは。
思いながら横を歩いていると、カナンは棒切れをシュッと召喚解除して片手を掲げる。
なにかつかんでいるジェスチャーのように見えた。
「お湯であったまって汗をかいて、まず湯上りに……一杯。お水飲んで身体落ち着かせて、外の風で涼んでから中に戻って。それからあらためて」
「醸造酒を一杯」
「そうそれ!」
「塩気のあるものかじりながら、な」
「なんでわかるの?!」
わかるさ。
風呂上りの一杯はいいもんだよな。身体にはあんま良くなさそうだが。
「あー、言ってたら飲みたくなってきたな。湯あみできるとこはないもんかね」
「ううん。セキィの街は温泉湧いてるわけじゃないから……」
「ん、湯殿くらいはあるようじゃが」
先を行っていたミカリが、見え始めた小屋群を見てふんふんと鼻を鳴らしていた。
見れば一軒の平屋から、ほわほわと風に流される湯気があがっている。
囲いのある雰囲気といい、あれは風呂じゃないだろうか? 俺はすたかた近づいて、軒下でなにやらボードゲームらしきものを遊んでいた初老のおっさんに声をかけた。
「ごめんくーださい、と」
「はーいよ……っておいおい、えらく血まみれだな兄ちゃん。湯ぅ頂いてき、湯」
「そうさせてもらえると助かります。ちなみにおじさん、入浴はおいくら?」
「ひとりあたり銅貨五枚だよ」
「カナン。報奨金の袋貸してくれ」
「わあぁ、こんなとこで開けないでよこわいでしょ! いいから、私払っとくから!」
慌てて支払いを済ませて、カナンは背負っていた報奨金の革袋(クソ重いのでマナ循環できる彼女が持ってくれてた)をひしと前に回して抱きしめる。
実際どんくらいの価値なんだろな、銀貨二千枚て。まあ先日のどんちゃん騒ぎで百枚くらい減ってんだけど。
「そんじゃ、荷物の見張りもあるし交代で入るとしようぜ。カナンとミカリ、先にいいぞ」
「いいの? じゃあお湯頂いてくるね」
「ふむ。ではお先に」
二人から荷の革袋やら食料詰めたカバンやらを受け取り、俺はボードゲームを睨んでいる初老のおっさんの近くにあった椅子へ腰かけた。
夏と思しき季節感のある空。じわじわと熱い。濃密な雲がもくもくと流れていく先で、日はまだまだ高かった。
「旅の人かい」
視線だけちらっとこちらを見上げ、おっさんはぱちっと音を立て駒を進めた。
ルールはわからないが二者に陣営が別れているのでチェスか将棋に近い性質のゲームなんだろうなと思いながら俺は「ええ、まあ」と返した。
「向こうの方の宿場町からここに来たとこでしてね。《朱烏》の寄り合いに行くんすよ」
「《朱烏》に? あんたらあすこの寄り合いの組員かね」
「いや別のとこ所属ですが。ちと野暮用で」
「ふぅん。まあ《朱烏》に行くってんなら、この整備されてない街道をまっすぐ行って突き当りにある大きな水汲み広場。そこを鐘楼の方に曲がっていけば、すぐわからぁ」
「水汲み広場から鐘楼の方、ですか。助かります」
「今日は混雑しとるかもしらんからね。行くなら早めにな」
「なにか催しでも?」
「なーに、ちと有名人がやってきとるのさ」
あまり愉快そうではない口調で、おっさんはまた駒を進めた。
「《八英傑》のひとりである《理由殺し》のマチェーテ辺境伯。奴が魔物の討伐から城に帰る途中で、いま《朱烏》に立ち寄っとるのさ」
「八英傑?」
「知らんのか?」
おやこの反応。どうもこの世界では常識らしいなその存在。
「ちょっと離れた土地の出身でしてね、俺」
「言われてみりゃ、おたく顔立ちがこの辺の者じゃないな。どこの出身だ」
「どこと言われると、ここではないとこっすね。俺、さっきの銀髪さんの召喚獣です」
「なに、召喚獣? ……あまりそうは見えんがね。威圧感もさほどないし、マナを隠すのが巧い種族かい? ああ、他人の切り札をあまり深く知ろうとしちゃいかんな」
すすっとおっさんは引いてくれた。
召喚、難易度高いって話だったしやっぱ術師からしたら切り札的なもんなのかね。突っ込んでいろいろ聞かれない立場ってのは便利だから助かるけども。
「で、《八英傑》ってのは?」
「うん、おたくがいつ頃からこっちに現界してるか知らんが……七年前の大戦はご存じかい? 知らないか。このソルドの国、七年前まで隣国のヤパドスと戦争をしとってね。その際に立ち上がって大戦果をあげた四名の英雄の一団と四名の傑物の一団。それを合わせた八名が、《八英傑》として有名なのさ」
おっさんが語るに、その八名がこの国の最強戦力であるらしい。
四名の英雄。
竜をも刺し殺す一番槍《理由殺し》。
斬れぬものをこそ斬る《仙人切り》。
夢幻の虚空を掌握する《亜空間払い》。
数百の魔物操る召喚士《魔女駆り》。
四名の傑物。
防衛を忘れた狂戦士《蛮勇者》。
捕虜のふりした地獄《獄潰し》。
誰ひとり悟れぬ手癖《無盗取り》。
深淵も二度見する謀《数奇卿》。
これら八名をして《八英傑》。
七年前の大戦で、国の危急を救い平和をもたらした勇者の称号なのだという。
「でまあ、彼らは戦後……《仙人切り》は軍の指南役になったり、《魔女駆り》は爵位授かり国の治安守る相談役になったりしとるそうだが。《理由殺し》のマチェーテ・モルダウン辺境伯はこの先の国境線近くに城を構え一帯を統治しとる。奴が、いまこのセキィに逗留しとるのさ」
「なるほど」
それはそれは。
国境線を任されてる奴ってことか。
つまり……そんな強い奴が、この近くにいるのかぁ。
にへらと俺は笑い、いい情報をくれたおっさんに感謝する。
「いや、こっちの世界の事情に疎いんで助かります。ありがとうございました」
「礼には及ばんが……なんかおたく、いますごい顔で笑ったね」
「そうです?」
「獲物を見つけた猛獣みたいな」
「まっさかぁ」
適当に返して俺は笑みを薄め、そこからはボードゲームについて訊ねたり暇つぶしの雑談に興じた。
ただ、ほこほこしながらあがってきたカナンとミカリからも「なんかいいことあった?」と訊ねられたので、笑みを隠しきれてはいなかったらしい。
いやまあ仕方ねぇよな。
国内最強、とか言われたら期待せざるを得ない。
俺はなんとかして情報を集め、その《理由殺し》とやらに挑むことができないか考えながら、カナンたちと交代して風呂に向かったのだった。




