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E:黒一色

 しかし、面白くなってきた。そう思ってひとり笑う俺は、まだ見ぬ敵の強さを想像しながらがぷりと肉を頬張るのであった。

 それを見てカナンは顔を曇らせる。


「やめてよね。セキィの街から先は国境線付近になるし、へんないざこざ起こしたら相当に重いお尋ね者になりかねないのよ」

「ふへへ、お尋ね者になりゃ戦う相手には困らねぇな……冗談だよ、問題起こす前にここで始末しとくか、みたいな顔で見るなよ」

「そりゃそういう顔にもなるでしょ、あなたホント本気と冗談の境目がわからないもの!」

「悪ぃな。こうやって感情とか口調の拍子をずらすのも、武術の一環なんだよ。相手の土俵、もとい舞台に立たないようにして流れや場の調子をつかませないための技法なんだ」

「そ、そんなまじめな理由があったの?」

「いやいま適当にこしらえた嘘」

「……もうあなたとは事務的な手続き以外でお話するのやめていいかしら」

「はっはっは。さみしいこと言うなよ」


 ――などと、馬鹿な話をするうちに食事は終わった。

 山の道のりは長いので、今日はここで野営である。もうあと一日二日歩けばつくだろうか。歩くのだるいが仕方ない。


「満腹まんぷく」


 俺は地面に身を横たえ、棒切れ(カナンが薪として召喚した。「召喚、たまには役に立つのよね」とうつろな目をしていたので俺とミカリはなにも言わなかった)で火の根元をぐじぐじといじくり倒して勢いを弱め、大あくびをかます。


「ふぁーあ。しかし蒸すな、どうも」


 火が弱まると、すぐに森に満ちていたあの草の匂いと湿気が戻ってくる。もともと高めの気温と相まって、非常にムシムシした。

 無言だが俺と同じことを思っているのか、カナンもビリジアンのケープの中へ着ていた丸襟シャツの襟元をぱたぱたとして、胸元に風を送り込んでいる。

 灰色を基調としたダブルのコルセットベストによって固定され押し上げられた胸が、ちょっとだけ上下して存在を主張した。


 ふむ……まじまじと見たとこ、トップ八六、アンダー六五か。間違いない。

 なぜ断言できるかというと、俺は得物の長さだろうが相手の身長だろうが胸囲だろうが、見た瞬間に誤差三ミリ以内で数値化できるように訓練を積んでいるからだ。

 素手で戦う都合上、俺は相手の間合い深くへ入ることが多い。そこでは本当にわずかな目測の狂いが死につながる。

 故に手にした技術がこれだ。

 それをさび付かせないためには、こうした鍛錬も致し方ないのだ。などとまたしても心中にて適当なでっちあげをのたまう俺である。


「……なにか言いたそうねジュン」


 この場によどむ湿気よりなお湿度の高い目で、カナンはこちらを見た。


「なにか発言したいのか、ジュン殿」


 ミカリもじいっとこちらを見ている。

 だが奴はだぶつき毛羽立ったロングコートで体型がすっかり隠されている上に中身見えても大したことないのが昨日の動きや歩き方で読めている。


「ミカリには言うことない。カナンについては、いい眺めだと思ってただけだ」

「眺……すっ、少しはそういう発言自重しようとか思わないの?!」

「思ったこと言いたいことは言えるときに言っとく主義なんだ」


 でもまあ、あんまじろじろ見るのは不躾ぶしつけだろうしやめとくぜ。

 俺は目を閉じ、虫のささやきやら風の音やらに耳を澄ました。

 腹が膨らんでいたのですぐに眠気がやってきた。



 ――なんて言ってもこの俺が周囲に対して警戒を怠ることなどない。

 眠りに落ちていても、なにかしら『察するべき』事柄があればすぐに俺は意識を浮上させる。

 そしてこのときも例にもれず、俺は察するべきときにすべてを察した。


「…………寝た、よね」

「おそらくはの」

「ふう。じゃあ、ちょっとミカリ。ジュンと私の間に座って」

「なんじゃ」

「……身体拭くから。獣が出るとこじゃ危ないし水浴びもできないけど、拭くくらいはね」

「ああ。承知」


 目を閉じたまま目を覚ましていた俺は、二人の間で短くかわされた会話にフ、と笑みを浮かべそうになるのをこらえた。

 真っ暗なまぶたの裏を眺めながら俺はそのときを待つ。

 ごそ、じゃり、じゃ、じゃし。

 膝でにじりよってきたらしいミカリが俺の前に座ったのを、砂利を擦る音と焚火の光が遮られたこととで感じた。


 腕を枕に狸寝入りキメこんだ俺の前でミカリの静かな呼吸がつづく。

 その向こうで焚火がぱチ、ばジ、と、爆ぜる。

 さらにその向こうで、

 しゅる、ぱさ。と、

 衣擦れの音がゆっくりと聞こえた。

 ふむ。

 音からしてコルセットベストが落ちたのだ。

 つづけて、こそ、もそ、と音とも呼べない音がする。

 ボタンを外している音。

 俺の聴覚は鋭敏にそれを察する。


 ……ふ。

 俺の脳裏にはカナンが着用していた丸襟の白シャツ、その布地が内側から主張する双丘に押し上げられていた様が浮かぶ。

 いま、その衣服の戒めが解かれたということだ。

 しゅ……、

 と。

 やわらかに撫でる音。

 濡らした布で身体をぬぐっているのだろう。カナンからはちいさくかすれるように、「ふぅ」と人心地ついたような声が漏れている。


 うーむ。これは。

 なかなかにたまらない状況である。

 小柄な――身長は一五八ってとこだ――わりに大層なものをお持ちのカナンが、銀髪耀かすすげえ美人のカナンさんが、すぐそばで衣服をはだけて身体をぬぐっている。

 あやうく、生唾をのみそうになった。

 いかんいかん。寝てるときってのはよだれを飲むことはないのである。ミカリが見ている以上、下手な動きは起きてるとバレる。


 しかしこのままなんの行動にも出ないでいいのか?

 なんのために寝てると見せかけたんだ?

 こういう局面が来ると、そう判断してのことだろう?

 俺は心中で良心や常識その他有象無象との会議を終わらせた。

 賛成多数、『目を開く』に行動は決まった。

 いやあくまで事故を装ってね。

 うつらうつらしてたらこう落下する夢を見てビクンと目覚めた風を装って、ミカリの影から飛び出し心のシャッターを切る。責め立てられたら「起きたら自分に影が覆いかぶさっていたので危険だと判じてバッと動いてしまった」これでいく。

 よし。カウントはじめるぞ。


 三……二……一……、


「――はぁっっ!」


 わざとらしく掛け声をあげ、俺は目を開けた。

 〇・一秒。目をまぶたの裏の闇から光に慣らした。

 〇・二秒。カナンの艶姿を目撃すべく腕枕を崩した。

 〇・三秒。自分の眼前にある影を視認した。

 〇・四秒。並んだちいさな膝小僧一対を目にした。

 〇・五秒。その膝の主が、横に垂れて地面に広がる黒コートの裾によりミカリだと認めた。

 〇・六秒。


 あまり揃えられていなかった両膝の奥が、目に入った。


 おう。

 なんだ。

 ミカリ、お前あれか。

 全身一色で――固めるタイプか。


「……む。はしたなかった。すまぬ」


 そそ、と膝を揃えてミカリはあさっての方を見た。

 あれ、焚火のせいか? 若干頬、赤くない?

 お、おう。

 なんだお前、そういう反応するタイプか。

 ちょっとドキっとした。俺ロリコンじゃないけど。


「……なにやってるのよ、あなたは!」


 そうこうしているうちにカナンがこちらに気づき、ボタンが外れ乱れていた着衣をあせあせと慌てて直しつつ背中を向けてしまった。ちぃ、残念。


「こ、この、のぞき魔! ミカリみたいな子相手に! へんたい!」

「ちがう。未必の故意だ」

「なにそれ!」

「結果としてはそういう風に捉えられる事態になるかもしれないとは思っていたかもしれないが能動的に俺が採った行動はあくまでも『目覚めようと』しただけであってつまりとにかく、これは事故だ」


 早口でけむに巻く言動をでっち上げると、処理が追いつかないのかカナンはゆっくりと首をかしげた。


「……どこがどう、事故なのよ?」

「俺があわよくば見てやろうと思ってた本命は、お前の方だったって点だな」

「あわよくば……ってやっぱり自分から見ようとしてるじゃない!」

「あっはっは。隙を見せる方が悪い」

「うむ。以後気をつける」


 会話に割り込んできたミカリはそそくさと身だしなみを整えて、ぼやいた。

 いや、そうウブな反応されるとこっちもちょっと罪悪感湧くんだが。


「なんか、ごめんな」

「気にしなくともよい。……少し、恥ずかしくはあったが」

「あー、ごめん。ホントすまねぇ。できることならなんでもやって詫びる」

「……ふむ。ではいずれ貸しを返してもらう手を、考えておこう」

「頼むよ」

「なんか私とミカリの扱いに差がありすぎない?!」


 悪いな。なんとなくそういう流れだったから。

 はっはっはと笑って俺は流した。



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