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獣メシ

 しかし、ピンチはピンチだ。じつに窮地。

 別段俺たち、獣道に入ったわけでもなく普通に舗装された道歩いてたんだがな。

 これってつまり、こうやって追われるのも日常茶飯事で対処するのが普通ってことかね? いやだなぁ。


「獣相手にするときは、罠仕掛けて捕まえるとか、なんか道具使って追い返すってのが俺の山での生き方だったからな。それに対して真っ向から対処できるのが山道歩く条件たぁ、ハードな世界だなここ」

「どうするのよどうするのよ、こ、このままじゃ」

「おい振り向くな。距離詰まってるのは足音でわかってんだろ、後ろ見てる間につまずくと死ぬぞ」

「なんであなたそんな冷静なのよぉぉ!」

「いやあ、このままだと死ぬかもなとは思ってるぜ」


 まいったなぁって感じ。

 だが打開策(・・・)は任務を受けた時点で少し、考えてあった。


「死ぬかもなぁ。俺」


 ちらりと視線をやる。

 相手? 決まってるだろ。

 この場で状況を打開できそうなやつだ。

 カナンに担がれたミカリは、俺の視線に気づくとうっとうしそうに半目で見つめ返してきた。


「……死ぬのか、貴公。死期を悟ったか」

「『かも』っつってるだろ。それに昨日言った通り、俺は運命って言葉が安易なもんだと思ってる。死期だなんだって自分の道をあきらめるなんてのはごめんだ」

「ならばどうするというのじゃ」

「助けろ。そしたら、お前に再戦の機会をやるよ」


 上から目線に言ってやった。

 ミカリはむすっとした顔のままでますます眉間にしわを寄せる。

 俺はまるで意にせず、さらに煽った。


「俺に負けっぱなしで終わっていいってんなら、いいけどな」

「……ち。嫌な男じゃ」


 ほれ、とミカリは両手を伸ばしてくる。担がれた状態でそういうポーズされるとなんか子供っぽくて愛らしくはあるな。状況が状況だから緩んでられんが。

 俺は、羽織っていた外套の前を開くと、腰に提げていたミカリの剣を手に取った。

 ちいさな彼女の手に、剣を渡す。


「十全に剣を振るため枷は斬る。逃亡ほう助と見られても儂は知らんからの」

「ええっ、それは困、」「そんときゃそん時だ」


 カナンの常識的な物言いを封殺し、俺は許可した。

 ミカリはふー、と息を吐き、

 鞘に納まった剣を手に、にぃっと薄く笑んだ。


「しっッ」


 鋭い発声で右逆手に剣を抜き、己の両手を拘束していた枷を真っ二つにする。

 左右の手が自由になった彼女は身を翻してカナンの腕の中から飛び立ち、俺たちが駆け抜けてきた道へすとんと着地した。


 もう、マダラブチグマはすぐそこまで迫っていた。

 熊に似た頭部だが、上半身が異様に膨れ上がった逆三角形を示す、三メートル近い巨体。

 腕は長く、二足歩行すると地面に指先が届くほど。

 短く太い足は地面を蹴りつけて方向転換をする際に動かす程度で、もっぱら奴は両腕を前方に叩きつけ、地に爪を立てクロールするような感じで進む生き物だった。


 その両腕。

 しなる丸太と呼びたくなるような太さを持った腕。

 それが、ミカリを粉みじんにせんと真上に掲げられる。


「《地摺り――――」


 振り下ろされる。

 腕が地面をどォんと叩く。

 つづけて。

 ぼどん、ともう片方の腕も地面を叩く。

 ……否、

 叩いたのではない。

 能動的な、熊の意思によるものではない。

 落ちただけだ。

 断ち切られ、

 肩口から地面へ落ちただけ。


「――嘴》」


 双腕の重撃を転がりかわして抜刀していたミカリは、血振りすると納刀した。

 待っていたかのように、熊は崩れ落ちる。

 左腕は肩から持っていかれ、左足も膝から下を失い、加えて胸からも噴き上げるような出血。おそらくは背後からの一刺しで心臓を貫かれていた。

 瞬間三撃で熊の命を奪ったミカリは、ごどんと倒れ伏して動かないそれを感慨なさげに見つめ、ロングコートのベルトに剣を戻していた。


 ……やはり、熊でも狩れるか。読み通りにことが進み俺は安堵した。

 受付嬢はミカリについて『王都で任務を行っていた』と語り、ミカリ自身は山賊に拾われたことについて『山で迷っていて飯をもらった』と語った。

 つまりあの宿場町より先の道を単独でぶらつける腕があったということで、それはおそらく級位の高いマダラブチグマでも狩れることを意味する。

 俺はそう判断し、いざこういう状況になったら先のような煽りでミカリを動かす策を織り込み済みでこの任務を受けたのだった。成功してよかったぜ。


「……や、やったの?」

「おいやめろカナン。俺の世界ではそれ口にした奴はまだ生きてた獲物に反撃食らって死ぬっつー常識がある」

「安心せよ。脊髄ごと心臓を穿った故、どうあっても動かん」

「ん、そうなのか」


 そら安心だ。思って俺はちょっと近づき屈んだ。

 するとでろん、と熊の口許から紫色のデカい舌がこぼれ落ちる。

 同時にげぽ、とげっぷのような音がして――ボンっと歯の隙間から真っ赤な炎が噴き上がって俺の前髪を焦がしかけた。


「どわああああ?!」

「っぷ、くははは。マダラブチグマは死んで喉奥の筋肉が緩むと、火吹きの気を溜めた臓器も緩む。ゆめ、今度からは忘るるなかれ」


 ころころと笑って腹を抱えてやがる。

 ……可燃性ガス溜めた器官が緩んで、外気に触れると発火するって感じか。こいつめ、俺に顎で使われた意趣返しかよ。

 今度は俺がむすっとする番だったが、対照的にミカリは楽しそうである。


「ははは……ああ、愉快であった。気が晴れた」

「あーそうかい」

「しかし獣相手には戦えぬとは、難儀な者じゃの貴公。漏れ聞こえた会話から察するに……貴公、本当に武の術の他はなにも使えぬのじゃな」

「ああ。だから獣とは戦えねぇ」

「ふむ。では街までの道中は儂が守ろう」


 唐突な申し出に、カナンがはい? とつぶやいた。

 こほんと咳払いし、ミカリはとんとんと腰に差した剣の柄頭を指で叩いた。


「二度言わすな。……再戦の機会を、くれるのであろう? ならばそれまで死なれては困る。貴公に死なれては、儂の剣がこの畜生に劣ったことになる」


 それは許せん、と強く言い切り、俺に向かって右手を出した。

 左手は右の前腕に添え、武装を解除したことを示すポーズ。


「そのために守るだけじゃ。勘違いするでないぞ」


 口を尖らせ、ミカリはあさっての方を見つめながら言う。

 その筋の人間なら涎を垂らして喜ぶ光景なんだろうが、あいにくと俺はロリコンではなかったのでさほどうれしくはなかった。

 だが強者が仲間になって安全に道を進めるのはありがたい。こちらも手を出し、ぎゅっと握手した。


「よろしくな、ミカリ」

「ふん。儂が腕を上げるまで、その首いましばし預けておくだけよ」


 多少腕上げた程度じゃまだまだ届かんと思うがね。五、六年後くらいに期待しよう。

 素材は悪くないから女性的にもそれくらいでいい感じになる気がするし。


「……なんかいま一瞬、いやな目しなかった? ジュン」

「気のせいだろ俺少女趣味じゃないし」

「いやいま少女趣味の話してないし」


 おっと墓穴ぅ。

 なにはともあれ、ミカリが仲間になった。


        +


「魔界の住人――か。只者ではあるまいと思っていたが、まさかそのような経歴を持つとはの」

「べつに魔界っつっても、そんな変なとこじゃないぜ」

「でも足があるものは机と椅子以外みんな食べるひとばっかの世界なんでしょ?」

「…………貴公、」

「おいやめろこの流れ二度目だぞ。人間は食わねえよ」


 それから。

 俺とカナンとミカリは三人で火を囲んでいた。

 ミカリが刀で解体した熊肉の一部を持ってきての、バーベキューである。歩き始めて半日経過していたので、ちょうどいいタイミングだったのだ。

 洗った木の枝に刺して焼いた肉をはふはふと頬張り、革袋から水を飲み、俺たちはしばしの歓談に移っていた。


「ふむ、魔界。術師のおらぬ世界ということは、皆貴公のように武術に長けておるのか?」

「いや俺は向こうでも特殊だし特別だな。武術なんてそもそもあんま流行ってない、だれでも社会的な地位とか立場を求める時代に、俺は個人としての強さを求め過ぎだった。加えてその道を進める程度に才能があった」

「自分で才能あったとか言っちゃうのね……」

「そう思ってねぇとこんな道選ばないっての」


 戦いにすべて賭す、とかそんな考えずるずる引きずってハタチ過ぎまで生きてしまった。

 たぶんミカリも目を見た感じ俺と同じ考えのまま生きてくタイプだろう。あ、同意してるのかこくこくうなずいた。やっぱな。


「自身の強さに足りなさ至らなさを感じつつも、しかしいまが人生で最も強く才能に溢れておりきっと目の前の奴より自分は強い。そう信じておらねば武術など身に付けぬ」

「だよなー。そういや、ここに至るまでまだあんま深く聞いてなかったが。術と言えばこっちの魔術やら召喚術やらの『術』ってのはどういう感じなんだ? 流行ってるもんなのか?」

「流行り廃りというものではないと思うがの」

「ある程度環境がないと学べない『技術』だからね。戦うために、生活のために、用途はそれぞれだけど必要としたひとが身につける技よ」


 言いつつカナンはもぐもぐと頬張っていた肉を飲み込み、肉を刺していた木の枝で地面に絵を描いた。

 棒人間が二人、直線の地面の上に立っていて、頭上に太陽。その上になにやら波線が描かれている。


「術には大きく分けて四つの系統があるの。頭目の使った『魔術』私の『召喚術』ミカリの『錬金術』それから『呪術』の四つ」


 カナンは人間の周りに小さな丸をいくつか描いた。


「『魔術』は頭目や飯屋の主人がやってたように、空間に満ちたマナに自分の放出したマナで属性を付けて操る術。属性は火、水、風、雷に分かれてて、水を発展させたのがあいつの使った氷の魔術《青の凍手》ね。ほかに火なら《緋の矢》、雷なら《紫電箭》、風なら《空弓》という遠距離から攻撃する術が基本」


 カナンは小さな丸になにやらトゲトゲを生やしたり四角で囲んだりしているが、たぶんあれで属性を表しているんだろう。


「『召喚術』はこの世界にマナを送り込んでる近くて遠い場所(アリアモンド)にいる精霊の影をよび出す術。空間に満ちるマナの出どころを探り、自分の放出したマナで入り口をこじ開けて向こう側の存在を召喚して操る」


 太陽の上にあった波線の一部をがしがしと切り開き、そこから落ちて来てる棒人間を描いた。要するに、あれが俺ね。

 ……小声で「あるいは、指定した対象物を召喚する」とカナンは付け足したが、まあ深くそこは聞かない。ひのきのぼうの話になるだろうから。


「で……『錬金術』は物体の中に満ちるマナを操作して質量や性質に変化を加える術。《軽量化》《尖鋭化》のほかにも《軟化》とか《伸縮》とかいろいろあるの。生産業で使われる術ね」


 棒人間に剣を持たせて、その刀身になにやら字を書いた。

 ミカリがぼそっと「《尖鋭化》じゃ」と言ったのでどうやら絵で描くのをあきらめ説明文を書いたらしいことを察した。


「最後の『呪術』は人間の体内のマナに作用するもの。マナの循環を乱して弱体化させる、感覚を惑わす、といった用途と、逆に流れを正し強めて回復させる、感覚を研ぎ澄ますといった術にもなる」


 棒人間の間に矢印を向け合い、右側の人間の周りには天へ向くちいさな矢印をいっぱい書いた。左側の人間の周りには地面へ向く矢印をいっぱい。


「とまあこんなところ。千年を超える昔から、私たちはマナと共に生きその操作技術を発展させて、繁栄してきたのよ。とりあえずなんらかの術を――有用かはさておき――使える人間を術師と呼ぶのなら、たぶんこの世の人口の半分は術師になると思う」

「ははぁ。ずいぶん多いな」


 魔術、召喚術、錬金術、呪術ね……遠距離攻撃、傭員増加、物質操作、デバフとバフ。

 一言で表すならそれぞれ、そんなとこだろ。

 なるほど。なるほどな。

 ミカリのように、これらを併用しつつの強者がまだまだいそうってわけだ。

 楽しみだぜ。


「……いまなに考えてたか当ててみましょうか」

「えっ、マジで。まだ一緒に行動しはじめて三日目だってのにもう俺の表情の把握を」

「わかりやすいのよあなた」

「うむ。それは儂も思った」


 ねえ、と顔を見合わせて言うカナンとミカリである。変に息合わせるのやめろよ疎外感が強くなるだろ。


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