路地裏から異世界へ
食費がそろそろ足りなくなってきた。
というわけで俺はスマホを取り出すと電源を入れ、SNSのアプリを開いてつぶやいた。
『腕に覚えある奴来い いまは上間歓楽街のカラオケわをん! の近くの路地』
これでよし。俺は闇に落ちた路地の壁に背を預けるとダウンジャケットのポケットへスマホと手を入れ、中の物をじゃらじゃらと鳴らした。
それから、カラオケより流れてくるヘッタクソなアニソンに合わせて口笛を吹くこと三分。
夜の口笛はやはり良くないものを運んできてくれる。
「……本当に、居たか」
「マジかぁ」「マジだー」
路地にいる俺を挟んで左から一人、右から二人。
薄暗がりでもわかる程度には人相のよろしくないのが、ずかずかと間合いを詰めてきていた。
左から来るスキンヘッドの大男は、両手に黒革のグローブをはめながら進む。
俺よりも頭ひとつ背が高い威圧感はなかなかのもので、
両手に込められた殺意は激しい。
「津無流の武術家……例の道場潰し、だな。恨みはないが、お前の首を欲しがる者は多い。ここで死んでもらう」
「律儀だな、ちゃんと戦う理由を説明してくれるなんて」
「俺の流儀だ」
「ふうん。素手なのも流儀? 銃は使わんのか?」
「回数も速度もモーションも一定かつ音は大きく整備は手間で信用が置けん代物だ。故、大抵の本職は素手か、得物を用いた――『武術』に行き着く。よくご存じだろう」
俺の軽口に淡々と低い声で返す。
嫌いじゃないぜそういうの。
一方で右の二人、某配管工兄弟よろしくのっぽとチビのコンビは、ジャケットの前を開き腹の前に差した鞘から大振りのナイフを抜いていた。
ぶつぶつと二人で言葉を交わしている。
「津無流、強いのかなぁ。どっちから出る?」
「俺が先でお前が後」
「マジかぁ」
「マジだ」
チビが右順手に、のっぽが左逆手に構えたナイフは暗所用に表面をつや消しの黒で塗りつぶされた品だ。二人して閉所でのナイフ術に卓越したご様子。
どっからどう見ても、本職だ。
状況は構築された。
開戦が、迫る。
俺は壁際から離れると、道幅三メートルもない路地の中央に位置取った。
ポケットの隙間にスマホをチラ見して、十九時十秒前なのを確認。
「さーて。空腹も限界だし……手早くはじめて終わらせよう。目標は五秒」
冷えた指の関節をぱきぱきと鳴らし、ごきごきと首をめぐらし。
俺は「来い」と左右に向かっておいでおいでした。
途端、
三人はいま出くわしたばかりとは思えないレベルで呼吸を合わせた。
戦闘経験の豊富さがものを言ったのだろう。わずかにタイミングをずらしてバラけ、三方向から同時に襲い来た。
肉薄する黒革の手、黒い双刃。
寒風の中、棒立ち状態でこれを待つ俺は――
「遅ぇよ。この俺に武術で挑むならもっと先を読め」
身を翻すと三人の間を滑り抜けた。
瞬きの間に双つの刃は斬道を絡ませ火花を散らし、
配管工兄弟(仮)の腕を大男の両手が握る状況となっている。
「な……」「なにが、」「起きた?!」
わけがわからないという顔で、三人がぶわっと冷や汗をかくのが見えた、気がした。
でもモブの顔面覚えとくなんて記憶の無駄遣いにもほどがあるのですぐに忘れた。
というか見えなくなった。
「ほい一人目」
滑り抜けた先である背後から、大男の左膝裏を踏み蹴って体を崩す。
頭一つ俺より低くなり、叩きやすくなった首筋に右掌底を打ち下ろす。大男が落ちた。
「はい二人目」
次に刃を絡ませ動きが止まっていたのっぽへ近づき、ナイフを突き出した左腕の下をくぐらせるように左の掌底を伸ばす。
顎を下から打ち上げてのけぞらせ、のっぽも落ちた。
「これで終いの三人目」
硬直が解けて動き出したチビ。俺は袈裟掛けに振るわれたナイフの間合いに入り込んでチビの手首を左掌で受け止めた。
そのまま右手は奥襟をつかみ、相手の前進する力を利用して後方へぶん投げる。
狭い路地だ、当然のように背中から壁にぶつかりバウンド、チビはゴハッと息を漏らす。
間髪入れずに離した右手で額に掌底を放ち、跳ね返って浮いた後頭部を再度壁に打ち込んだ。
「で……、ジャスト五秒っと。おつかれさん」
十九時。夕飯にはいい頃合いだ。
襲い来た刺客三名にねぎらいの言葉をかけて、俺はおもむろに奴らの懐を探る。
目の前が真っ暗になったひとのお決まりとして有り金のきっちり半分をいただき、チビのスマホを取り出すと緊急通報で一一〇にかけた。警察に繋がったままのスマホを放り出し、俺は路地をあとにする。
さてとりあえず食費はできた。なにを食べたもんだか。
……考えたが、特になにも出てこない。
いまの戦いで金に余裕はあるので、食べようと思えばそれこそ回らない寿司だろうがお高い肉の店だろうがどこでもいけるのだが。
気が乗らないのだった。
「……はあ」
なーんか。
さいきんいつもこうである。
ただただ、タスクを処理しただけって感じ。
こんな状態で飯食ってもそりゃ、うまいわけがないんだよな。
「なんか面白いこと転がってねぇかな……強い奴と、戦いてぇなぁ」
俺はぼやく。
歩きながらポケットに手を入れ、じゃらじゃらと中の物をもてあそぶ。
そのうちのひとつを取り出して眺める。
木片だ。
この色は、長野の山奥で倒した流派のやつ。
ほかの木片もざらざらと取り出す。
これは岐阜の。これは山梨の。これは少し飛んで和歌山の……武術流派じゃなくて、なんか事務所の奴。
ざらざらと手の中で遊ばせる。
いままで奪ってきたあらゆる道場(と事務所)の看板のかけらを、遊ばせる。
「つまんねぇ……」
もっとこう、あれだ。
互いに練り上げてきた術の極致を出し合って、血沸き肉躍る戦いがしたい。
最後にそんな戦いができたの何年前だろ? いま俺ハタチだったはずだが……。
……だめだ、数年山籠もりしてた期間とか海外に密入国してた時期があるせいで『何年』って時間感覚があいまいなんだ俺。思い出せん。
とにもかくにも、つまんねぇ。
なんで世間はこんなに平和なんだろう。
「面白いことねぇかなぁ」
ぼやきながら路地の角を曲がる。
曲がってすぐのところになぜか開きっぱなしのマンホールがあったのでひょいと飛び越える。
あーあ。
面白いことねぇかな……
……いやなぜマンホール開いてんだ。
フタはどこ?
思って周囲を見回したが、それらしきものは見当たらない。アレ六十キロくらいあるのでどこか転がってったってことはないと思うんだが。
んん?
「つーかこれ、マンホールか……?」
普通こんなとこに配置しないぜ。
なんとなく気になって、俺は穴の脇に立つ。
底は見えないし、水の流れる音もしない。
小石をひとつ放ってみたが、底に当たった音もしない。……星新一のアレかよ。おーいって叫んでみるか。
そんなことを考えていると、ひゅごぉぉぉぉ、と穴が深呼吸した。
なに? 外との気圧差で生じるなんらかの自然現象?
いやそういう感じじゃない気がするなぁ。つーかなんだろ、下水の悪臭じゃなくて真夏みたいな草いきれが噴き出してきたぞいま。
うーん。
とりあえずどっか連絡すりゃいいのかな。マンホールなら水道局? 番号わかんねぇな。
腕組みしていたらまた、ひゅゅゅゅごおおおおおと穴が深呼吸。
俺はちょっとよろめく。さっきのよりだいぶ音が大きくなっていた。
……なまあったかい草いきれがもはやその辺を埋め尽くしている。
「この真冬にこんな匂い嗅がされると気がヘンになりそうだな」
薄気味悪い。
嫌な感じがする。
放置安定かな……と思う俺。
だがちょっとだけ、
判断が遅かった。
「あ」
ひゅっ、
と、
音が切れる。
ごおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、
と音に包まれる。
やべえ。
真っ暗な穴に、
吸い込まれた。
「待て待てまてまてまてまて待てって待ってくれっておいちょちょちょちょっ!」
叫んでも喚いても声も音もどんどん頭上へ流れていく。頭の毛が荒れ狂う風に逆立ちダウンジャケットの裾がちぎれんばかりにバタバタ舞う。
あ、いま横でじゃらじゃらっつった!
木片! 木片が飛んでいく……! あとスマホと金!
「うわあマジかっおいこんな終わり方ってあるのか待てまて待てまて止まって止まってくれって頼むからおい頼むよなんだよこれ!」
言い続ける間も体は落ちる。落ちる。落ちる。
スカイダイビングでもかつて経験したことのない長時間落下で、俺はもうこれ着地の瞬間お陀仏だなと覚悟した。受け身でなんとかなるのは三階か四階の高さが限度よ。
うわー。こんなことならせめて空腹くらいは満たしておけばよかったか?
んー。
でも戦いに飢えたまま死ぬのは変わらんもんな。結局。
「あーあ……まーじかー……」
落胆と失意のうちに、俺は大の字になった。
無駄な抵抗、やめます。人生諦めが肝心。
あ、でもせめて楽に死ねるように、頭を下にしておくべきだろうか。
俺はすいすいと空中で身をよじり、天地を逆さにした。これでよし。
手はどうしよう? 別に神仏信じちゃいないけどとりあえず胸の前で組んでおこうか。
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」
神様、御恨み申し上げます。
言ってるうちに頭上(さっきまでの足元)に光が見え始めた。
ようやくか。なんて言ってはみるけどやっぱ少し怖いな。
死ぬのはすごい冒険だ、とはだれの言葉だったか。
さて今生ともこれでお別れ。
長いようで短いようで地獄のようで地獄じみた人生だった。
さよーならー……いま、会いに行くよー……
なんて。
色々覚悟したのに、どっこい俺は、生きていた。