第四話「月明かりの下で」
「あ、あ……」
ジョロロロ……ウメは屈みこんだまま、恐怖のあまり生理現象のそれは一気に放出され、地面に染みこんでいく。
「失礼するぜー! おらぁー!」
叫ぶや否や素早い身のこなしで大きく跳躍すると、大きなクマの顔面にクウは膝蹴りを食らわせていた。鈍い音が響き渡る。
ドスーン。
大きな音をたてながらクマは仰向けに倒れた。
ウメの目の前にはクウの背中。そして振り向くクウと視線が合う。
「大丈夫かよ、お姫さん?」
「あ……」
「あ、わりっ」
ようやくウメは今ある自分の状況を再認識する。
着物を捲り上げ、下着を下ろし、あられもない姿であることを。
その目の前には成人男性が立っていることに。
すぐにクウは視線を逸らしたが――。
「イヤアアアアアアアア――」
ウメの絶叫が周囲に響き渡り、鳥たちが驚いて一斉にどこかへ羽ばたいていった。
―その後―
「信じられない信じられない信じられない――!! もうイヤぁ……」
ひとしきり泣き終えるとウメはブツブツと呪いの呪文のように呟いていた。
「悪かったって姫! しょうがねーだろ? 緊急事態だったんだからよ」
「うう……もうお嫁にいけない……」
「いやー残念だが、影になっててよく見えなかったぜ。だからノーカン。な?」
「……ところで何をしてるんですか?」
ウメはまだショックを受けていたが、先ほどからなにやらガサゴトしているクウが気になったのもあり様子を尋ねた。
「あぁ当分の食糧にいいだろ。さっきのクマ。ま、全部はもっていけねーけど」
「え、食べるんですかそれ……」
「意外と美味いぜ~?」
「は、ハァ……」
いきなりの長距離の旅。徒歩だけでなく、トイレ問題。当然、お風呂は無し。食事はクマ……といったウメは明らかにストレスの貯まったげんなりとした顔をする。気が休まる暇もないのだ、無理もないのかもしれない。
「日も暮れるし疲れたろ? ここらで今日は休むべ」
手慣れたようにクウは野宿の準備を始めた。
まっすぐと伸びた道の先。左手側は森林。右手側には川のせせらぎが見える。
空は夕闇色を染め始めていた。
「おーい、姫こっち」
「? ていうかなんですかその呼び方……」
「いやー姫とウメって似てんだろ?」
「姫じゃないもん……」
お構いなしに川の岩陰のほうへ歩いていく。ふくれっ面でついていくウメ。
「ほら、ここ。どーよ?」
「え? どーよって……」
視線の先には岩壁に囲まれた川があるだけだった。意味がわからずに再びウメが疑問を口にしようとしたとき、クウがニッと笑う。
「風呂はねーが、水浴びならできっだろ?」
クウの顔と川を交互に見るウメだったが、意味を理解して慌てる。
「こんなところで!? 無理無理むりぃーー」
「だいじょーぶだって、ここなら見えないし、俺は晩飯の準備しとくからごゆっくりどうぞ」
返答を待たずにクウは食事の準備で森のほうへ歩いていってしまった。
あのクマを調理するのだろう。
「えぇー……でも……くんくん」
着物の上から身体の匂いを嗅いだりするウメ。沢山歩いて汗も掻いたわけで。ゴクリと喉を鳴らすと周囲を警戒しながら岩陰に滑り込んだ。
「たしかにここなら見えないかな……よし」
誘惑には勝てず意を決して、ウメは着物を脱ぎ始めた。
「冷たっ、でも入れないこともないか……」
着物を綺麗に畳んで岩の上に置いてから、生まれたままの姿になったウメは川に入った。
「はぁ~……なんだか不思議……」
汗を流せることに喜びを感じながら物思いに耽った。色々あったけど、ここは夢でも現実世界でもなく、どこか違う世界なんだと、月明かりで明るい夜空を見上げながら目を細めた。