スキタイの起源
ハプロによって得た知見で歴史を整理したい。今思ってるのは、スキタイは騎馬民族としてモンゴルに来たわけじゃなくて、モンゴルで騎馬民族として完成してバイカル湖集団とともに東へ向かったのではないか?この時期中国の歴史に出てくる赤狄の拡大とスキタイの西進は重なる。
赤狄がスキタイだったのじゃないか?それは無いと見てる多分言語が違う。良くある別言語遊牧民集団はありうる。全く混血してないベタなC2系がスキタイの集団に居たので、この辺り奇妙な集団だったと見ている。
狄が何者か?はすごく怪しい。見たところモンゴル集団にも見える。狄は印欧語集団疑惑も出ていてかなり怪しいグループ。とりあえずトルコの祖先かも程度で良いと思う。それに対して丁零は中々良い。私が述べた言語的基盤はNのC集団って仮説と合う。N系がベースだと見ていたバイカル湖周辺の集団だから。当然当時スキタイが去ったすぐ後なのでコーカソイドの血を引いてるだろう。ただし、初期に来た狩猟採取集団とは違うので、それらが遊牧民化?したのか?モンゴル高原から流れてきたのか?は良く分からない。アジア系言語の混血集団だと思う。
まずスキタイの古い墓はバイカル湖西部にある、アルタイ地域のモンゴル高原の上になる。スキタイという民族が西からやってきたのは間違い。騎乗放牧を西部で発達させたイラン系文化圏からやってきた民族がモンゴル高原やバイカル湖に侵入して混血(その後西に向かう集団はあまりしてない)した民族になる。
そこで、どうして今まで黒海起源だと思われていたか?でコーカソイド色が強かったから。だが、これはおそらくスキタイはある程度幅のある領域グループであるのと、別の騎乗放牧民族と合体したグループだと見てて、初期言語が違うだろう月氏がその典型だと見ている。(後々同化した可能性がある。欧州でも系統が違うイラン系と古欧州系は影響しあって妙な変化をしてるから)
おそらくスキタイの西進はコーカソイド色が強い西の集団の移動が多かったと考えられる。ただ文化的なネットワークはかなり発達してて、おそらく洗練された騎馬戦闘集団になったのはモンゴル高原だと思われる。モンゴル高原が印欧語にならなかったのが不思議なぐらい互いに影響を与え合ってる。
中国人からしたらトハラ語に近いので多分アジア系の言語とは区別が付く。モンゴル高原系で歴史に残っているもので印欧語の支配民族は居ない。
スキタイは鞍を発明して、騎馬民族として台頭しただけで、この鞍が問題で、今知られる硬質な鞍ではない、座布団のような軟式な鞍らしい。この鞍の発明がとにかく画期的だった。鐙もこの鞍に取り付けるので、鞍から騎乗戦闘は始まったというぐらい。ただし歴史上騎乗戦闘はスキタイと戦っていたアッシリアが発明したもの。
ただしそれは2人乗りの片方が弓を打つもので、1人騎乗のスキタイとは全く違う。アッシリアの発展か?なら多分違う。モンゴル高原で発達後に西に向かったと見ている。元々、モンゴルに向かって東に向かっていた時すでにスキタイらしい民族性があったのか?は分からない。西から騎乗遊牧をモンゴル高原に持ち込んだのは事実。
やや時代を前にする赤狄は騎乗遊牧民族ではなかった。そういった記述は一切無い。中央アジアやモンゴル高原での馬使った放牧に適していた部分だろう。そんなのコーカサスでも出来たのでは?だが、スキタイの使っていた馬って多分蒙古馬。スキタイの騎乗絵にしたものがスキタイの遺跡に残っていて、正確な絵じゃないのかもしれないが、足の位置が地面にちかいらしい。モンゴル人に較べればそりゃ足が長いだろうが、それより馬が多分小さい。
騎馬民族はその後もおそらくあまり大型化してないと思う。生活の中に馬産が組み入れられて多分安上がりな馬の維持費を実現してたと思う。と言うか軍馬じゃなくて、遊牧の土台だったので安上がりどころか馬が必需品だったと思う。
そういえばスキタイが言語を変えてない証拠として、同じ印欧系の月氏が言語をアジア言語に変えてない。おそらく混血してるが、スキタイはスキタイのままだったと思う。その語中東に現れるスキタイはここから来たのか?なら、ちょっとどうかな?と思う。スキタイはかなり大きな地区に広がる部族連合なので、別にそこまでは戻ってないと思う。
別種スキタイと呼ばれるものたちが居て、東のグループはスキタイだが、王には従ってないと言う関係だったらしい。元々、匈奴と被る時代のスキタイが月氏になる。彼らは確かに別種なので多分かれらだと思う。モンゴル高原のは多分サカ族。多分まとめて王に従わなかったスキタイ族かと見ている。R1AとR1Bで、モンゴル高原とバイカル湖西のパジリク遺跡のスキタイはおそらく元々は別部族。
スキタイってのが緩い部族連合って分かるのが、サカ族と月氏は後で争ってる。匈奴の拡大による月氏の敗走と重なる。これでバイカル湖の西方グループと、モンゴル高原の東のグループが何故ハプロが違うのか?分かる。多分同じスキタイだが部族が違う。
おそらく王族は東から来たものと思われる。アルタイとバイカル湖の間ぐらいにある地域に王家の墓が見つかったというのがあって、月氏のような別部族の王族とも違う可能性がある。その起源が古いから。スキタイとしてまとまったグループだったけど、多分東方に残ったグループ従わなくなった。
過去に騎馬遊牧民としてモンゴル高原に侵入したグループは、完全に別部族だったか?これが違うと思ってる。トハラ人のパジリク遺跡はかなり後の時代になる。入れ替わるように住み着いたかと。
これだけ激しいコーカソイドの流入が合ったならやはりトルコはコーカソイドだろう?だが、まあ混血なのでそれは置いておいて、じゃ何故後に文字を残すようになった突厥は印欧語じゃないんだ?ここがキーなんだ。そこでもっと古い時代になるが、N系はトカラ人の先祖が居た地まで侵入して、混血してる。モンゴロイドがコーカソイドと混血するって流れをかなり初期から持ってる。だからNを土台としながらも、モンゴロイド側の中心はやがてN系と同様の言語を使っていたC2系に変わって言ったんだろうと見てる。
トルコがコーカソイドだコーカソイドだという見方は多いけど、混血民族にコンナ事言っても意味が無い。それよりも起源は西方じゃないってのが重要。初期の騎馬遊牧民は印欧語系に偏ってる。彼らがトルコ語に変えるのは余程の事が無いと無い。おそらくモンゴロイドだとはいえないが、起源は北東アジアだと言える。匈奴の様に中央アジアっぽい集団もいるけど、だから彼らはややトルコ語からずれた集団なんだと見てる。
勘違いしてはいけないが、フン族国家はハンガリーにおいて滅亡している。フン族の後継者と自称するだけのおそらくテュルク系のマージャル人(おそらく混血でNが言語的土台のウラル系)やブルガール人が東欧のアジア騎馬民族国家の末裔だから。N系の言語とはなんなのか?となる。これ困る。Nの最大の国家はヤクートになる。フィンランドとかも当てにならん。
トルコはCによって変化してると見てる。ウラルもより強いコーカソイド色で変化してると見てる。血族的にはサモエードは純粋だが、それでもウラル語の完成には当時の周りの部族との係わり合いが大きいのでかなりウラル語は崩れてしまった言語だと見てる。Nが祖語みたいのを使ってたと思うがもう分からない。中国語も本来なら文明を開いたNの言語の末裔のはずなんだ。それがアジアの中でかなり南方よりの土台に発音だけ北方にって変な言語になってしまってる。
Nが元々話してた言語が分からないと中央アジアのアルタイ系といわれる言語は良く分からないと思う。民族の成立的にツングース的だったモンゴル系はまた違うと思う。中国語と同じようにC2が主要な言語の土台になってしまってる気もしてしまう。早くからコーカソイドと交流した民族の間で離されていた言語だと見てるのだけど。ウラルと成立が似てると思ってる。Cはそれに乗っただけだと見てるのが、やがて突厥を創るC2が置き換えてしまったのだろうか?
トルコは突厥まで時代が進まないとC2がたくさん出てくるってのが無い。早くから中央アジアでスキタイと関わっていたN系の言語だと見てるのだが、Qも可能性としてはあるが、Nに較べると特殊すぎる。それに中央アジアのQなら今でも残ってるので、比較されてると思うのだが、ウラルには影響があるらしいが。
歴史的にかなり早くから西方のコーカソイド集団と関わっていたNがそこからスキタイと行動をともにした可能性がある。印欧語にならずに。ただ数体の遺体ですべて決めれないが、スキタイの同化西進後のモンゴル高原からはC2だけしか見つかってない。その前はQ、C、N3つそろっていたのにである。
その点引っかかりもある。しかもこのQは東方系か?中央アジア系か?で大きく意味合いが異なる。中央アジア系なら匈奴の流れになるから。場所的に赤狄の登場はスキタイはありえないし、かつ初期最大の特徴である騎馬戦闘をやってない。赤狄はいつの間にか歴史から消えてしまう。文献に残ってるのか分からないが、匈奴に末裔が服属したようにあるので、それがテュルク系だと見てる。
そうなるとC2集団だとなる。単純にコーカソイドって簡単に言うけど、中国のコーカソイドの大半は中央アジアから南下してきたもので、モンゴル高原からじゃない。モンゴル高原にコーカソイドがこの時期入るのはイラン系のスキタイしかない。時期が明らかにずれてる。スキタイに近い習俗としては匈奴の登場までまたないと行けない。
何故アルタイ語が統一できないか?の鍵に言語に詳しく無い私からはおそらく、違いすぎるからだと見てる。同じ北方アジアからやってきた民族がどうしてここまで違うのか?で早くからモンゴル高原に進出したグループが方言の枠を超えた進化させてしまったからだと見ている。モンゴルが何故違うか?で明らかに後発過ぎるからと見てる。
先に登場して文明を広げたNの方だと見てるし、騎馬遊牧と言う土台を創った印欧語系との接触が多かったNの言語を土台にしてるんじゃないか?と見てる。言語を変えてしまったか?ならありうると見ている。狩猟採取とステップ遊牧じゃ生活が多分全く違う。何故こうもNがリードするのか?で最大の特徴は後にトナカイの放牧をする家畜の扱いだと見てる。
狩猟採取と決定的に違う牧畜を最初にやり始めたのこの集団だと見てる。馬には至らなかったけど、とにかく動物の家畜化の先達だと分かる。中国においては農耕も始めてるけど。中国文明が、西方からの移入ばかりじゃなくて、オリジナリティが高かったのはすべてこのN系のおかげだと思ってる。
ただ本命N対抗C2とはしてる。Qはさすがに無い…。匈奴は出自からウラル系言語だった可能性もある。今となっては分からないから、中央アジアのQ系なら印欧語じゃないのだけ確か程度。
シルクロードから来た流れの研究は全てに近く失敗してて、大半良く調べるとステップロードだったって結果になってる。酷いのは青銅器で、ウイグルの西にむかっていくほど発掘される青銅器の年代が新しくなってしまう。方向が逆。ステップロードは古い道だといわれていて、多分その通りじゃないか?と見てる。
今までいろいろ解けなかった謎がステップロードから来たとするとサクサク解ける。小麦もおそらくそう。何故かウイグルから発見されるが、それがステップロードから来てる。普通考えたらシルクロードで来たと思う。これで解けなかった。多くの遊牧民はウイグルにステップロードから来てたまる。おそらく遊牧民が移動するルートとしてはシルクロードはふさわしくないんだろうと見てる。
何が分かりにくいか?と言うとウイグルに溜まる事が分かりにくさの元になってる。そのまま中国に行けば良いから。実は行ってる。選択肢として2つあるだけで、かなりの確率で中央アジアの西方集団はウイグルに行く。特に騎馬遊牧になってからはこの傾向が強い。鉄器もおそらくこれ。中央アジア側の天山山脈でかなり早くに鉄器がポツンと存在してて、ほとんどは見つかってない。それゆえステップロードは対象外だったが、騎馬遊牧の流れがあるなら話は違う。多分定住拠点が無く、移動が以前と違って早かった可能性がある。
もちろん確実な証拠は無い。唐突にポツンと天山山脈の北部から鉄器が歴史に登場する。その前となるとポツンと突然ウイグルに鉄器が現れる。これはシルクロードだと思えるが、そうじゃなくて、中央アジアをつなぐステップロードだと見るのがよいと見ている。ただし青銅器は途中に遺跡が残ってるので多分間違いない。
鉄器はこの騎馬遊牧によって全く違う遺跡の残り方になってると見てる。青銅器が中国発じゃないのが分かるのは、最古の青銅器が過去は中国じゃないから。甘粛省から出ている。秦の時代になってもまだ月氏の領域だったらしくて、夏前には多分話しにならない。ここでBC2500辺りに出てきて、2000年から中原で青銅器製造が始まる。これが何を意味するか?で中央から伝わったのと全く逆ってのを意味してる。
どうしても車輪だけは見つけられなかった。どう考えても西方で、遊牧民がもってきたものだと思ってる。
農業は多分違う。これはオリジナルで良いとおもう。中国の特徴は西方からやってくるとやたらと完成度の高い技術をいきなり使ってるから。発展段階が無い。それに対して粟きびからスタートしてて、多分原始的農業に近いんだと思う。他にも西方との家畜化の種類が違いすぎる。これは米がオリジナルだというのに似ている。シンプルでポピュラーなものなので気が付かないが、逆にそこがオリジナル。当時進んでいた西方からこんな後れた農業を持って来るはず無いから。
逆に中国の農業発展には西方からの影響があるかもしれない。特に羊は決定的だと思う。羊と言えばきょう族だけど、きょう族は2度も大きな印欧語の遊牧集団と接触している。1度はインドへの移動でチベットに向かったグループ。占領されなかったのは?何故か分からない。2度目はタリム盆地付近に進出してからのトカラ系との接触。チベット族の遊牧は西方の影響を受けてると見ている。
初期に中国に羊はやっぱり居ないようで、チベットもそれは同様らしい。遺伝的におそらく中東起源。ただ歴史的には分からない。それに起源的には中央アジアの羊の起源もあるらしくこの辺り良く分からない。割合的には圧倒的だが、他の地域もある事はあるらしい。だが独自に発展したのはなさそうだ。多分中東からの遊牧に伴う混血。チベットはおそらく印欧語族の移動で遊牧を身に着けたと思う。中国も同様に西方からの流入だと思う。
コーカソイドと言う幻想はおそらくハプロを知らない人の言葉だと思う。遊牧=コーカソイドに結びつきやすいが、ハプロを見れば、なんでもかんでも中国の外側をコーカソイドにしてる部分がある。私の目的はそこにあると思う。スキタイというのはとてもややこしい。さすがに匈奴はスキタイじゃない。ただモンゴル高原に流入した印欧語系によってモンゴル高原の遊牧民はスキタイ化してしまっている。
後世のトルコ化と決定的に違うのは言語は変えてない。次に、スキタイ集団に属してない。月氏はあくまで離反したのであって、最初は属していたとなっている。サカ族や月氏が従ってないのに、匈奴がスキタイなわけがない。その意味でイラン系印欧語族が残した混血以外スキタイが中国北方の遊牧民だというのは多分的外れだと思う。
中国のコーカソイドはおそらくもっと前に入り込んでいる。そういった流入の傍証としてタリム盆地へのトカラ人の祖先集団の流入になる。後1つはっきりとした謎の集団で昆吾氏と言う氏族が居る。この集団河南に居住したとあり、まさにぴったしの人達になる。正直夏は分からないが、Qの可能性が高い殷と周はハプロ的には違うし、かつ、東方系のハプロで、コーカソイドと混血は考えにくい。
人骨から分かってるが、最初に中央アジアに進出したのはN系で、これがじわじわと西からやってくる集団と混血する。おそらくR1Bのタリム盆地に入ってくる集団。せいぜいモンゴル高原までしか行って無いだろう東方のQ系が何故コーカソイドなのか?初期王朝=遊牧民=コーカソイドの幻想に囚われると見ている。根本的に匈奴のQ系と起源が全く違うんだ。異色なのですぐにアジア人らしくないと思うと思う。だがこれ逆にアジアに偏った集団で、殷が東夷かモンゴル系かも?って指摘と一致すると見ている。
これらの集団に匹敵するのが、この昆吾氏になる。この集団金属精錬の高度な技術を持っていたらしい。とても怪しい。楚の祖先や、いつもの中国の意味不明な祖先の子孫だといわれてるが、あまり信用できない。ひょっとしたらこの人達西方の人じゃないかな?と見てる。なんともはっきりはし無いけど。何か重要な勢力としてコーカソイド集団がいたのは間違いない。
それが誰か?は分からないけど。楚の祖先は出鱈目っぽいけど、どうやら南方には西方集団が居たとの話が合って、これで楚は昆吾氏を名乗った可能性がある。確かに江蘇省に何故か山東省にはRが少ないのに突然高くなる。南方はほとんどRが出ない。だが、江蘇省だけ山東省が低いのにポツンと高くなる。
これを見て山東省の住人が入れ替わったと単純に見た。だが南方は何故か他所物集団が集まりやすかった地域だと分かってくると、あれは河南の影響じゃなくて、全く別の集団かもと思えてきた。
スキタイの話しで何故楚?だけど、なんでもかんでもコーカソイドって話が嫌で話してる。私にとって重要なのは起源で、形質は重要じゃない。どーせ中国に同化してモンゴロイドになるのは目に見えてるんだから。後の時代でも意味が出るのは起源と関係するハプロだけなんだ。南方にコーカソイドってのはかなり奇妙な説で書いてる。
今まで知らなかったけど、南方の異族って事で劉邦って江蘇省の出だと始めてしった。これで劉邦が中国の主流ハプロと全く違う理由が分かってしまった。南方にはO2a2b1以外のハプロが集まりやすい。その1つだと思う。南方は製鉄技術が優れていたのだけど、それがずっと謎だった。でもこれで紐解けてくる。
西方の金属精錬集団がおそらく南方に入ってきてる。Rが低いから無視してたけど、確かに江蘇省だけたいした事は無いが南方にしては高かった。
血族人種、言語では良く分からない、中央アジア騎馬民族連合ってスキタイがモデルケースだと思う。ちなみに現在王家の墓があるトゥバは、トルコ言語になってる。これスキタイが印欧語を変えたわけじゃないから。それにスキタイの西方の子孫はきちんと印欧語のスラブ語だから。長い時代の流れでC2の流入と文化支配で変わったんでしょ。元はスキタイ人だったと思う。
ただなんとなく感じるのはステップロードが古い道になったのはスキタイ登場と武帝による匈奴討伐と重なると見てる。どうして今までステップロードが注目されなかったか?でスキタイ後に騎馬民族帝国の文化圏になったからだと思う。これから以後大体統一帝国が誕生する事になる。それによって、何か自由にポイポイ中国に入ってきてた西方の集団の流れがやや変化する。次に武帝による中国と西方を繋ぐシルクロードの交易ルート確保かと見ている。
ステップロードはこの後も存在するけど、どうも意味合いが代わってしまったと思う。その意味合いで後世の人は見てしまっている。それを多分ハプロは無視してしまう新たな何か?が見えてきてる気がしている。
前半と言ってる事が焦点ボケしてると思う。それはちとややこしくなったからになる。スキタイの起源はシベリア南部のバイカル湖のすぐ上だと思う。ただ問題はそこから西に行ったヘロドトスの歴史に出てくるスキタイ集団と東方のスキタイ集団は支配構造で言えば全くの無関係。どういう事かと言えば例えばこの王が東向かったらとしたら当然協力するのが支配構造になるが、多分逆に敵対する。
だけどスキタイ。それは何故か?と言うと、後世の人間がスキタイって集団と同じ習俗だと見たから。それに明らかに元々は同じ支配構造の中にはいる集団だろう。支配ってのが元々部族連合でモンゴル帝国ほどはっきりとしたジンギスカンって中心じゃなかったと見てるし、モンゴル帝国でさえそういう面がある。ただモンゴル帝国がそれまでの集団と違ったのは、トルコは言語で縛られるけど、ジンギスカンの血筋を神聖視するような集団は一度も無かったと思う。アッティラでさえポストスキタイ的にフンって集団名だけは利用されただけだと見てる。
ただ後世の人が勝手につけたからスキタイは正しくないは違う。黒海のスキタイ王の集団と利害が対立しただけで、スキタイ的であるすべてを捨てたわけじゃないから。この辺りは宗教の改宗とかは全く違う。どうみても東の集団はスキタイだと思う。より古い時代におそらく西に徐々に移動したけど、その東に住み着いた集団とは疎遠になったという事かと。
もっと言うと、おそらく当時クルガン文化の中で、騎馬遊牧を行っていたグループの中で東に行っておそらくモンゴロイドと混血したグループがスキタイのルーツだと見ている。ゆえに、クルガン文化の中心地であるコーカサスに戻ってきた場合に回りの騎馬遊牧民と同族関係になると見ている。これが東スキタイと西スキタイが疎遠になった元じゃないか?と見てる。
ヘロドトスの歴史に出てくるスキタイとは西スキタイ、東スキタイとして分けたほうが私は良いと思う。必ずしもルーツとなる場所からの繋がった集団にならないと思うし、そもそも故地は騎馬遊牧のルーツであるコーカサスにあるのがスキタイを複雑にしてる部分だと見てる。




