成り上がれ、魔王様!3
修行発言の翌日。
俺は城の中を普段の半分くらいのスピードで歩いている。
昨日、修行すると決断した瞬間、オミソはようやく魔王様が決めてくれたと、手に顔を埋めて喜んでいた。喜びすぎてそのまま倒れてしまい、医療室送りになってしまったくらいだ。
俺は決断した熱量そのままに、悪魔の部下に二つの命令を下した。
一つ目は『魔王城の入り口を封鎖すること』。強くなり魔王と呼べるくらい強くなるまでは、魔王城に勇者を立ち入れさせないと決めた。入り口を塞ぐということは、人間の土地への侵略を中断することを意味する。他の魔王に叱られるだろうし、長く侵略をしなければ魔王の座を降ろされる可能性もある。魔王として侵略を中断出来るタイムリミットは半年くらいだろう。
しかし時間制限を設けなければ、俺はいつまでも修行を先延ばしにしてしまう。苦肉の索だが仕方がない。
二つ目は『三ヶ月後の闘技大会への参加表明を行うこと』。闘技大会とは、魔王未満上級以上の悪魔達が自分の強さをアピールするために参加する大会を指す。大会では一枠魔王の参加枠が設けられており、魔王を倒した上級悪魔は魔王の座を奪うことが出来る。魔王にとってメリットはないが、基本的に魔王という存在は顕示欲が強く、魔王は皆こぞって参加する。そして参加の優先順位はランキングが下の者が優先される。
俺が参加表明を出せば間違いなく参加可能で、今の実力では間違いなく魔王の座を奪われる。まさに背水の陣だ。
昨日この二つの命令を部下に告げ、俺は意気揚々と自室に戻った。
明日から俺は変わる。辛い修行に励み、経験を重ね、闘技大会で優勝し、昨日の勇者達を倒し、最終的には大魔王の座についてやる。明日から本気出すぞと、意気込んで眠りについたのだ。
ーーんで、朝。
眠りというのは怖いものだ。昨日はなかなか寝付けないほど気持ちが滾っていて、飛び起きて今からでも修行しようかと考えていたのに。修行をしたらどれくらい強くなれるだろうと夢見て胸を高鳴らせていたというのに。
起きてから今まで、後悔と反省しかしていない。
ギャンブル依存症の知り合いの悪魔の台詞が思い返される。
「ギャンブルで大敗して、ああもう二度とギャンブルはしない、更正しようと考えてもな。次の日にはまた賭博場に行ってしまうんだよ。連日いくら負け続けても、尻の毛までやられても、寝ちまえば忘れちまうのさ。覚えてるのは、勝ちの感覚だけよ。勝ちよりも遥かに負けの回数が多いはずなのに、不思議だよな。悪魔も人間も、遊びやサボりの習慣っつうのはなかなかやめられない。だから俺は行ってしまうさ、戦場に」
そう言って悪魔は賭博場に向かった。その時はこいつ馬鹿じゃねえのかと心の中で笑っていたが、もう二度と馬鹿に出来ない。
睡眠を挟むだけでここまでガラリと変わってしまうとは、習慣とは恐ろしいものだ。
「しっかし、昨日は面白かったねっ! 魔王様のアレっ!」
隣を歩いていたコンタクトが愉快そうに話す。俺の周りをくるくる周りながら、昨日の話をし続けている。
話すのに夢中で、今の俺の心は読んでいないようだ。読んでいたら絶対馬鹿にしてくる。
「遠くからみんなの心読んでたけど、最高だったねっ! 魔王様は魔王様で心の中で謝りながら勇者に頭下げてるし、勇者は勇者で辛い道のりを思い出して『何のために俺はこの十五年間を修行に費やしたんだ』て後悔してたしっ! シュールすぎて傑作だよっ!」
昨日こいつは地下にいたまま、心読の能力を最大限に使い全員の心を読んでいたらしい。普通の目の悪魔なら二人の心を読むだけでも疲弊しきってしまうというのに。相変わらず自分が楽しめることに関しては全力を尽くす奴だ。
ちなみにコンタクトと一緒に歩いているのは俺がこいつを呼び出したから。別にこいつが必要だからとかじゃなく、ほっといたら昨日の話を城中に広めてしまうという理由だ。
昨日コンタクトは力を使いすぎて、オミソと同様に倒れてしまった。そして先程目を覚まし、起きた瞬間俺が直々に連れ出したというわけだ。オミソがまだ眠っていたため、なんなく拉致ることに成功した。
「なあコンタクト、何回その話するつもりだよ。もう分かったから、俺の心の傷をこれ以上抉らないでくれ」
「だって面白いんだもんっ!ははっ!」
笑いながら前を走り、俺より数メートル進んだ所でコンタクトは急に立ち止まった。振り返り、口元をニヤつかせて話し出す。
さっきまでの笑顔と違い、悪巧みを思いついたガキのような、邪悪な笑みを浮かべている。
「そういえばねっ。昨日勇者のパーティ全員の心読してて、気づいたんだけどね。勇者以外も相当な手練れだったよっ! 中でも魔法使いは凄いね、別種の凄さだけどっ」
「そういやパーティが幹部達を倒して、その度に回復魔法や援護魔法を使っていたんだよな。俺と戦った時もまだまだ余力がありそうだったし、何者なんだあの魔法使い」
「近いうち分かると思うよっ!」
「……ん? どういうことだ?」
「心読してて気付いたんだけど、あの魔法使いどうやらーー」
コンタクトの台詞が途中で途切れる。勿論わざと台詞を止めたわけではない。その原因はコンタクトの足元にある。
コンタクトの足元は半透明なガラスのようなもので覆われていた。それに気づき、台詞を止めたのだろう。
「コンタクトたーん、久しぶりねーぇ」
みるみる内にコンタクトの表情から血の気が引いていく。常にニヤケ面のコンタクトが青ざめる機会などそうそうない。
たまにヘマをしてオミソに怒られる時か、『こいつ』と出会った時くらいだろう。
周囲の気温が一気に下がり、壁や窓が凍りつく。そしてコンタクトの足元の氷が少しずつ体の方へ登っている。俺が何も言わなければ、コンタクトは氷漬けになってしまうことだろう。
しばらくコンタクトを監禁して、昨日の話を広めないようにしようと思っていたくらいなので、ちょうどいいのかもしれない。今回は目を瞑ってやるか。
「ちょっ、魔王様! 助けてよ、ねぇっ!」
既に氷は胸の下あたりまで侵食していた。あと二十秒もあれば全身氷漬けになってしまう。悪魔の生命力があれば死ぬことはないが、一度氷漬けになってしまえば一週間はそのままだろう。
あぁ、残念だ。もし昨日の話を絶対に広めないと誓うのなら、俺の一声で簡単に助けてやれるというのに。
「魔王様っ! もしかしなくても、このために僕をここに連れてきたねっ!」
コンタクトが約束し、俺が助けなければ、次にコンタクトに会うのは一週間後だろう。それまでにこいつの精神が崩壊していなければいいのだが、心配だ。
「わかった、わかったよっ! 誓います、昨日の話は絶対広めないって、誓いますからぁっ!」
「よし、そこまでだ。フローズン」
既に首元まで届いていた氷の侵略が止まる。
「あーらー、残念ー」
コンタクトの背中側に女の体つきをした悪魔が現れる。コンタクトの二倍弱の大きさで、長髪を腰辺りまで伸ばしている。白目の部分が黒く、肌が真っ青である。魚の悪魔であり、手足には水かきがある。
フローズンはゆっくりと右手を持ち上げ、コンタクトの頭に置いた。そして宝石を取り扱うように、愛おしそうに頭を撫でる。
「ひっ……」
コンタクトが言葉にならない声をあげる。極寒の海に飛び込んだようにコンタクトは震えている。
「今日こそー、コンタクトたんをコレクションに出来ると思ったのにー」
「すまんな、また今度にしてくれ」
「今度ねーん」
「こ、今度とかないからっ!」
フローズンは氷雪系に特化した悪魔で、俺の幹部の一体である。緑に覆われた山を一瞬で氷山に変えるほどの爆発的な能力を持っている。詠唱をして一度凍らせた物は、自分の意思で溶かさない限り溶けない。
またフローズンは可愛いもの好きで、気に入ったものを自分の能力で氷漬けにして、部屋にコレクションする趣味がある。一度部屋に立ち入ったことがあるが、人間界のぬいぐるみや宝石だけではなく、生きた花や動物も保管されている。生き物は俺が保管期限を一週間と決めているため、死ぬことはない。ゆえにコレクションを減らさないように、フローズンは常に新しい可愛いものを探している。
そしてこの城の中で最もお気に入りの悪魔が、コンタクトというわけだ。隙あらばコンタクトを氷漬けにしてコレクションに加えようとしている。
「というか魔王様っ! 早く溶かすようにフローズンに言ってよっ!」
「今お前を氷漬けにしたほうがいいか、助けた方がいいか考えてる」
「流石の僕も、悪魔だから契約は守るよっ! なんなら氷漬けにされた方が魔王様にとっても都合悪いはずだよっ!」
「都合が悪い? どういうことだ?」
うるさいコンタクトの声を一週間聞かなくていいだけで、俺は幸せである。噂を広めることが出来ないというメリットがあるし、契約に関しては後で生き物の保管期間を延ばすぞと脅せばいいだけの話だ。
「僕がどれだけ魔王様の秘密を知っていると思うのさっ!」
「フローズン、氷拘束を解け!」
完全に忘れていた。こいつはこういう時のために、定期的に俺の心を読み、弱みを握っていることを。
オミソとは違う意味で、絶対に逆らえない。
「むーん」
フローズンは名残惜しそうにコンタクトを見つめる。すぐには氷を解かず、頭を撫で続けている。
久々の氷漬けチャンスだったためか、簡単には手放したくないのだろう。
「しょーがないかー」
ようやく諦めたようで、コンタクトを拘束していた氷が少しずつ溶けていく。薄氷になり動けるようになった瞬間、コンタクトは飛ぶように拘束から抜けて、俺の後ろ側に回り込んだ。
俺の背中を掴み肩を鳴らして息をする。上級悪魔がこの短時間で息を切らすなどよっぽどのことだ。どうやら氷に怯えながら必死に俺とフローズンの心を読んでいたらしい。
ともかくここに来た一つの目的はこれで無事に終えた。
「ところで魔王様ー? 今日はどうしてこんな所へー?」
フローズンは魔王城の北側を守っている。幹部達の部屋は城の隅っこにあるため、俺が出向くことは滅多にない。
「ああそうだった、そっちの目的を忘れるとこだった」
最初の目的が上手く、気持ちよく完遂出来すぎたせいで、本来の目的を忘れる所だった。
「……その力、意のままに暴れ回り、意のままに食らい尽くせーー」
「ーーおいやめろ! やりすぎて悪かった、謝るから! 俺の背中でゼロ距離で魔法を放とうとするんじゃない!」
コンタクトが炎系魔法の詠唱を止め、舌打ちする。
コンタクトにとっては専門外とはいえ、上級悪魔の魔法を食らえばリスポーンは確定だ。ここまで来て勇者も修行も関係ない所でリスポーンはしたくない。
「目的ってー?」
「修行して貰おうと思ってな」
「魔王様がー?私にー?」
「うむ」
フローズンが口に手を当て、黒目を少しだけ見開く。
「あらまーぁ。魔王様は強くなりたいとかー、そういうタイプじゃないと思ってたわー」
「事情が変わってな」
「じゃーぁ、入り口が閉鎖されたのも、そのせいかしらー?」
「うむ、向こう半年は閉鎖するつもりだ」
「うーん、半年もねーぇ」
驚きつつも、何も詮索して来ない。頭の中で状況を整理しているのだろう。俺が幹部の中でフローズンを修行相手に選んだ理由の一つが、この理解の良さだ。
どんな悩みや問題を相談しても、表情を変えることなくそつなく対応してくれる。幹部の中で一番長く生きているということもあり、無駄な押し問答の必要がない。
「幹部の中というか、城の中でだけどねっ」
ぼそっと、コンタクトがつぶやく。それを聞き、俺は冷たいものが背中を流れるのを感じた。周りの空気が一気に冷え込んだのが分かる。
「城の中ってー、何の話ー?」
フローズンはかわいい物好きで、自身も美しくあり続けようと努力している。人間界の美容品で自分に合うものを探し回り、人に会う時以外は薄氷で自分の肌を冷凍保存し、美をキープし続けている。
フローズンは時間の経過でほぼ劣化しないぬいぐるみや宝石のような物まで氷漬けにしている。その理由は、時の流れで劣化してしまうことを必要以上に恐れているからだ。
昔とある賭博中毒の上級悪魔がいた。そいつは年齢をどこかで聞いたのか、『年の割には綺麗ですね』とフローズンに言ってしまった。
その時のフローズンの表情は今でも忘れない。
黒目と肌が赤く染まり、溢れる魔力で城は厚い氷で覆われてしまった。そして愚かな発言をした魔王は一瞬で氷漬けにされ、近くの山に捨てられてしまった。
その事件を受けて、すぐさま俺は城中に注意勧告を出した。年齢の話をする時は、フローズンが周りにいないことを確認しろと。
つまり俺が年齢のことを考えていたような、コンタクトの発言は非常にまずい。氷漬けのまま修行期間を終えてしまう可能性もある。
「し、城の中で……いや、その……アレだ。美貌がね? そう、美に関して言えば、城の中でも圧倒的だなあて思ってさ、うん」
「……ふーん、とりあえずお礼は言っとくわー」
なんとかやり過ごせたか。もし目の前にフローズンがいなければ、盛大に深呼吸して落ち着きを取り戻そうとするところだ。
「魔王様、老けてるは言い過ぎじゃないかなっ?」
ピシッと、ガラスの割れる音がした。空気が冷え込みすぎて、窓ガラスが割れてしまったらしい。
振り返ると、コンタクトがフローズンに見えない位置でニヤニヤ笑っている。
俺はこいつを氷漬けにしておけばよかったと、本気で後悔した。
「魔王さーまー?」
「いや待て、フローズン! 今のは違う! コンタクトが」
さっきの復讐で、俺の心を読んだふりをしただけなんだ!
……ん?
声が出ない……?
「魔王様はーよっぽどスパルタな修行をお望みのようねーぇ」
いつの間にか俺は氷の中にいた。体は動かせることから察するに、顔面だけ氷漬けになっているらしい。
「お望み通りこれから修行に入るけどー、嫌なこととか見たくないこととかあったら、目と耳は塞いでしまって大丈夫よー。あと、本当にやりたくないことがあったらちゃんと言ってねー。沈黙はイエスと捉えるからー」
コンタクトが走り去るのが音で分かる。そしてすっかり赤く充血したフローズンが舌なめずりをしながら、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「覚悟はー、いいかしらーん?」
それから1週間。
俺は無茶苦茶な修行をしたーー。