橘紅音編④
ELS内の時間は、紅音の家に手伝いに行ってから2週間が経過しており、クラス内も文化祭の話題で持ちきりだった。
文化祭の有志団体のライブで、俺たち軽音部はライブをすることになっている。そのライブの完成度と、その後の入部希望者次第で、軽音部が部室を維持できるかどうかが決まるのだ。
ドラムセットが無いために練習に参加できないドラムの鷺沼さん以外のメンバーで、各演奏を合わせている段階にまできている。
「問題ないわね。ほとんど完璧じゃない!」
部長の紅音も拍手をして素直な感想を述べた。
「実は文化祭の前に、ライブハウスのイベントに出ることにしたの」
「イベントに?」
「そう。文化祭で緊張したりとかしないように人前で演奏する経験を積んでおくのよ」
「いいと思います! いつあるんですか?」
「次のの日曜日、この学校から少し行ったところにあるライブハウスよ」
「あれ? それって……」
「知ってるの? 優?」
問われた鷺沼さんは言いにくそうに口を開く。
「たしか『L.C.』が主催でやるイベントですよね……?」
紅音が中学時代に所属していたバンド、「L.C.」。
「もしかして意識してるのか?」
「そうね。例え技術が足りなくても、楽しんでバンドをやってるんだってことを見せつけてやろうと思ってるわ」
紅音なりに考えはあるようだ。
「とりあえず、あたしたちがやる曲は文化祭でやる予定のと同じ2曲。特にアレンジの予定もないわ」
次の日曜日ということは、今現在が木曜日だからあまり時間はなさそうだ。
「土曜日とかに練習しに行くか?」
「そうね、行っておきましょうか」
放課後の練習ではそんなに長くはできないし、何よりドラムがない。資金的にはかなり苦しいがスタジオ練習をする必要があるだろう。
「あ、でも……文化祭直前にもスタジオ練習をすることを考えるとここでの出費はちょっと……」
鷺沼さんが申し訳なさそうにそういうと、他のメンバーも同じなのか少しだけ頷いている。
「ならぶっつけ本番でいくしかないわね。明日の放課後と、土曜日も学校でやりましょう」
メンバー意見をちゃんと取り入れる紅音は、バンドのまとめ役としてはかなりピッタリだ。そんな紅音がなぜかつてのバンドメンバーと不仲になったのか。その理由が気になっている自分が、確かにここにいた。
金曜日の放課後、イベント前の放課後と練習はこれが最後だが、すでに完成している状態では最終確認でしかない。
「……みんなよくできてるし、疲れを取る意味で明日は休みにしましょうか。イベントの出番は1番最初だからチューニングをする時間くらいしか当日はないけど」
「いいんじゃないか? 無理して練習して逆に負担になるかもしれないしな」
「おお! ツンちゃんもユッキーもいいこというねー!」
「紅音さんがそう言うなら……」
「私も喉を休めておきたいですし、それでいいと思いますよ」
全員賛同してくれた。
その日はそれで解散し、校舎から出た俺は紅音を呼び止めた。
「紅音、明日予定とかあるか?」
「べ、別にないけど?」
「だったらさ……その……」
「何よ、男ならはっきりしなさいよ!」
「デート……してくれないか?」
「……いい、わよ」
「ホントか! よしっっ!」
「ずいぶん嬉しそうにするのね……」
「嬉しいに決まってるだろ!」
「そ、そう……」
紅音をデートに誘った俺は、夜遅くまでデートプランを練るのだった。
「そりゃあこうなるよな!」
睡眠の感覚を味わった直後に目を覚ますと、紅音との待ち合わせ時間までそんなに時間がなかった。
プレイヤーに睡眠の感覚とかを体験させるこのゲームすごいなぁとか、そんな感覚が吹き飛ぶくらい焦って準備して紅音との待ち合わせ場所に急ぐ。
紅音は可愛らしいベージュのカーディガンと、そこそこ短めの濃い赤のスカート、そしてベージュ系のヒールの高いブーツ。髪はいつものサイドテールではなく、ポニーテールだった。
「ま、待ったか……?」
「当たり前じゃない! 15分の遅刻でメールのひとつもないとかどういう神経してんのよあんた!」
「わ、悪かったって、ごめん」
「ふ、ふん。デートでちゃんと埋め合わせしてもらうから」
そう言って紅音は俺の左腕に自分の右腕を組んでくる。華奢なのに柔らかい感触に思わずドキッとしながらも、なんとか平静を装って歩き始めた。
このデートで紅音を落とす。
まず二人でやって来たのはアクセサリーショップだ。デートの記念にプレゼントを買おうとやってきたわけだが、毎回毎回このゲーム内のショップの価格には驚かされる。桁がひとつは多いんじゃないだろうか?
「それは使ってる素材が高いからよ。普通の鉄じゃなくてそれはシルバーだからね」
どうやら俺の思惑は読まれていたどころか財布の中身までお見通しらしい。
「あたしは、これかしらね」
柔らかい微笑みを浮かべて紅音が手に取ったのは、エレキギターの形をしたネックレス。ダイヤモンドに模したガラス玉がいくつかつけてあるもので、お値段もかなりリーズナブルだ。
「もう少し高くてもいいんだぞ?」
「……金額じゃないのよ。こういうのは」
紅音は笑顔で俺をレジまで引っ張っていく。
次にやってきたのは楽器店だ。これは紅音のリクエストだったが、別に楽器を買うわけではないらしい。
「ギターを好きな人と一緒に見るのも、デートなのかなって思って」
「え?」
サラッと俺のことを好きと言ったのか!?
「ち、違うわよ! あんたがあたしを好きってことで、別にあたしがあんたを好きなわけじゃないんだから!」
「そっかー、俺、嫌われてるのか……」
俺がわざとらしく落ち込んで見せると、少し唇を噛んで横を向く紅音。
「別に……嫌いじゃないわよ」
……可愛い。
ギターの話をし終わって楽器店を出た時には既に日が真上に昇っていた。
「昼飯食べるか。何がいい?」
「安いところ」
「どれくらい?」
「500円以下」
「別に俺が出すけど?」
「それでもよ」
「わかった、オーケー。探してみよう」
とは言ってもそんな価格帯のところでデートらしいところなんてあるはずもなく……。
「結局ファミレスか……」
「ファミレスでも十分贅沢なほうよ。高校生のデートにレストランなんてナンセンス」
「少し疲れたか?」
「あたしは別に。……あんたこそ疲れてない?」
「ああ、少しも」
「ね、ねぇ……『あんた』って呼ぶのやめてさ、名前で呼んでも、いい?」
「お、おう……」
「ゆ……ゆき、と」
「なんかくすぐったいな」
「す、すぐ慣れるわよ」
「ん? もしかして紅音か?」
運ばれてきた食事に手をつけ始めたころ、少し離れたところから紅音の名前を呼ぶ声が聞こえた。
見るとワックスで髪を立たせたロックな見た目をした女性がこっちを見返していた。
「優愛!?」
「なんだ、やっぱ紅音か!」
この高身長な女性には見覚えがある。確か……。
「お前がリーナの言ってた彼氏だな? 俺は『L.C.』でドラムをやってる鷺沼優愛。通称ユーアだ。ヨロシク!」
「は?」
「え?」
俺と紅音が揃ってまぬけな声を出した。
鷺沼……? しかもドラマー? もしかして……。
「もしかして優っていう妹いる?」
「おう、いるぜ。確かお前と同じ年だったと思うけどな」
鷺沼さんのお姉さんがどうやらこの人。紅音の2つ上ということは俺の1つ上ということである。
「あれ? 言わなかったっけ?」
「聞いてないわよ! というか名字も今初めて知ったくらいよ!」
「だってお前は前から音楽一筋で、周りには興味も示さなかっただろ?」
「当たり前よ! あたしにはこれしかないんだから」
「でもよ、会えてよかった。ずっと言いたいことがあったんだ」
優愛さんは紅音に頭を下げた。
「すまなかった、紅音」
「な、なんで優愛が謝るのよ……! 謝るのはあいつらのはずでしょ!」
「俺があいつらをちゃんとまとめられていれば、お前を追い出すこともなく続けられたかもしれなかったんだ」
「優愛は他のメンバーと違ってちゃんとあたしの音楽を純粋に聴いてくれてた! だから謝らないでよ」
「……ありがとう。なあ紅音。明日のイベントにお前も出るんだったよな?」
「優に聞いたの?」
「ああ、あと里奈にも」
「それで?」
「期待してる。俺も含めて、お前の想いと熱い音楽で全員を痺れさせてくれ!」
優愛さんはボーイッシュな笑顔を浮かべて右の親指を立てると、レジで会計を済ませて出ていった。
「今のがドラマーの人か。いい人そうだな」
「あのバンド内で唯一あたしの味方をしてくれた人。唯一、純粋にあたしの夢と音楽を受け止めてくれた人だから」
紅音は決意したように笑う。
「明日、絶対に大成功させて、文化祭もそれ以上に盛り上げて、部員を獲得するわよ!」
「そろそろ帰らないと…秋穂に怒られちゃう」
「そっか、今日は本当にありがとな。楽しかった」
俺の素直な気持ちに、紅音も優しく微笑んでくれる。
「あたしも楽しかったわよ。まぁ、幸人にしては頑張ったほうね」
「なんだよそれ」
二人で笑いながら帰り道を歩く。
「明日は夕方の6時からだからね、ちゃんと来なさいよ?」
「当たり前だろ? すごくワクワクしてるよ」
「最高の音楽を!」
実は俺はギターを大勢の人の前で弾くのは初めてだ。でも、小春は教えてくれた。この世界には現実にはないサクセスストーリーがあることを。
ライブイベントの出番直前、各々の楽器の調整をしているところに「L.C.」のメンバーが近づいてきた。
「最初なんだからしっかり盛り上げてよね?」
「里奈、あたしを誰だと思ってんのよ」
里奈さんはよくわからない笑みを浮かべる。
「紅音のギターは、好きだったよ。……任せた」
かつて親友だった、そして同じ音楽を目指した二人は、やはりどこかで繋がっているのかもしれない。
紅音はギターの弦を2度鳴らして応える。
「大丈夫。1番最初なんだからミスっても印象に残らないから」
俺のフォローに妹の鷺沼さんが怪訝な顔をする。
「先輩、後ろ向きすぎじゃないですか?」
「そうですよね……」
「こういうときは『やるぞー!』って感じがいいんだよー!」
皆も絶好調らしい。
「そうね、あたしたちの完璧なパフォーマンスで主催者含めて全部霞ませてやるわよ!」
「期待してるぜ、紅音」
「優愛!」
「お姉ちゃん!」
鷺沼姉妹の関係を知らない紗雪と七海を放置したまま、話は続く。
「二人とも、応援してる。とびきり熱い燃えるようなのを期待してるぜ!」
相変わらず男勝りな雰囲気で言うことがかっこいい優愛さん。
そんな会話をしていると、いよいよ出番がやって来た。
「じゃあ……いくわよ!」
イベント参加が決まってから、俺たちはバンド名を皆で考えていた。
「トップバッターは、かつて『L.C.』でギターヴォーカルだったスカーレッドを有する新生バンド『スクールフレンズ』です!」
そう、学校の友達。学校の軽音部に集まり、友達になってできたバンドにふさわしい、高校生らしいバンド名だ。
「初めまして皆さん、『スクールフレンズ』です。今日はトップバッターとして、最初からいきなり飛ばしていきます! ……それじゃあ観客たち、痺れさせてあげるわっ!」
トークを終えてお決まりらしいフレーズを言うと、それだけで観客は軽い熱狂を見せている。そして、そのトークの終わりから少しだけ間を置いて優さんがスティックを鳴らして合図して曲が始まる。
俺も合わせてギターを弾くと、紅音が頷きながらウィンクをしてくれた。
「よくできた」
口パクで俺にそう言って、紅音はさらに激しくギターを弾き鳴らして観客の熱気を煽る。
紗雪の綺麗な歌声が全体に調和を与え、優さんのドラムと七海のベースが皆を導いてくれる。紅音も紗雪の歌声を邪魔しないようにハモり、サビの盛り上がりは秋とは思えない熱さを感じるほとだ。
バンドはやはり人を熱中させる何かがある。メンバーの全員が楽しそうな笑顔を浮かべてくれているのが、俺は嬉しかった。
俺たちは無事に予定の2曲を終了して、舞台袖へと引っ込んだ。
「完璧だったな紅音!」
思わず紅音にそう言うと、紅音も心底嬉しそうに頷いてくれる。
「これで文化祭もばっちりよ!」
そう、来週にはいよいよ文化祭が待っているのだ。
「紅音! 最高だったぜお前の音楽!」
優愛さんが豪快に笑いながら紅音を抱き締める。そして、その少し後ろに無表情で立つ紅音のかつての親友、里奈さん。
「紅音、よかったと思う。……それだけ」
「待って里奈!」
紅音の声に里奈さんの足が止まる。
「ごめん」
「……」
「昔のあたしは皆あたしと同じ夢、音楽を目指してくれてると思って走ってた。でも実は皆が似てたってだけで、それは別物だった。ひとりで勝手に思い込んで、あたしの夢を皆に押し付けてただけだって、当時のあたしはそれに気付けなかった。それでも今のあたしは夢が違っててもこうして仲間と一緒にやることを楽しいと思えるようになった」
だから……と言って紅音は里奈さんに握手を求めるように手を差し出した。
「またいつか、一緒に音楽をやろう里奈。皆で!」
「……考えておいてあげる」
二人の笑顔での握手に、なぜか紗雪も涙を流しながら感動している。
紅音たちの友情はこれで再び昔のように戻るのかもしれない。
さて、あっという間に金曜日へと時は流れ、文化祭本番を日曜日に控えた軽音部は残り少ない放課後練習の時間を、紅茶とスイーツで過ごしていた。
「だからこれじゃダメだって言ってるでしょーがっ!!」
「でも、息抜きは大切だと思いますよ?」
「日曜日にライブしてから月、火、水、木とこの調子のまま時間を浪費してるじゃないのよ!」
「そ、そうです! いくらライブでできたからって練習をしないというのは……」
「優、はい、あーん」
「あ、ありがとうございます。あーん……」
練習のしなさを怒っていた優さんも七海が差し出したクッキーをつい食べてしまっている。
「なるほどな。放課後のティータイムはこんな気分なのか……癖になるな」
「……あれはアニメの中だけよ。あり得るわけないじゃない」
紅音はそう言いながらも二つ目のケーキを食べ始めている。
「でもなんでこんなにお菓子が?」
紅茶を紗雪が持ってきてくれているのは知っているが、お菓子はたまに紗雪が持ってくる程度だったはずだ。
「お姉ちゃんが、『軽音部ならこうするべきだー!』って言ってお菓子をいっぱい持たせてくれまして……」
どうやら優愛さんも放課後でティータイムな思考の持ち主らしい。
「ったくどいつもこいつも……!」
「ま、まあ落ち着け?」
「落ち着いてるわよっ!」
「あ、あと紅音さん。これよかったら妹さんたちに」
優さんが紅音にケーキの箱のようなものを差し出す。
「あ、ありがとう……なんか気を遣わせたみたいで悪いわね」
「いえいえ……それで練習どうします?」
「別に無理にやろうとは思わないわよ。各自がちゃんと練習してくれてるのはわかってるつもり」
なんだか紅音の雰囲気から軽音部存続とか部室がなくなる話をしていた時の危機感とか焦りがきれいに消えている。
「紅音、部員集めはなんとかなりそうなのか?」
同好会なら3人、部活なら5人必要で、部室を得るには最低で8人の部員が必要なのだ。
「現状が5人。あと3人なら文化祭の影響で入ってくれるかもしれないでしょ?」
それに……と紅音は楽しげな笑顔を浮かべて続ける。
「たとえ部室がなくなったって、このメンバーならどうにでもなるわよ!」
紅音にとって俺たちは……いや、俺たち全員にとってこの軽音部はとても大切なかけがえないものだ。
この場にいる誰もがそのことを感じていた。
ELS内での港総合高校の文化祭は、現実のそれをそっくりそのまま再現したような忠実さである。
現実での文化祭は去年経験したから覚えているが、俺はまさしくそれと同じ空間に立っていた。
「ほら、行くわよ!」
そしてなぜか紅音と文化祭を見て回っているのだ。
「と、とりあえず飲み物とかよね……」
「そ、そうだな」
……しっかりしないといけないとわかってはいても、どうしても落ち着かない。
「あ、3年生がスイーツ喫茶やってるみたい。行く?」
「あ、ああ」
スイーツ喫茶という名前でこそあるが、飲食は各学年ひとつつずつしか出せず、扱う飲食物も市販されている飲み物以外は1種類しか出せない制約がある。
3年生の店で出しているスイーツは二段パンケーキ500円だった。
「利益を出すことも考慮した価格設定よね」
確かにパンケーキなんてそんなに原価もかからないだろうし、水道光熱費は学校持ちなわけだから材料費くらいしかお金はかかっていないだろう。
「1年生はどうなんだ?」
「あたしのクラスは真面目だから共同研究レポートの展示よ。飲食は焼きそばだったかしら?」
「なんか真面目だな」
「2年生はラーメンだっけ? 変わってるわね」
現実でもそうだが、1年生が真面目な焼きそば、たこ焼きなどの定番フード、3年生がスイーツ、そして2年生が奇想天外なメニューを出すのが恒例というか、伝統になりつつある。
……そんな部分までよく再現したものだ。ちなみに現実での去年の2年生の飲食店は麻婆豆腐の四川風味付けであった。
「あとでラーメンも食べに行く?」
「そうだな、行ってみるか」
「あらあら~。仲がよさそうで何よりです~」
飲み物を運んできてくれた陽美先輩は学校指定のカーディガンの上からフリフリしたメイドさんのようなエプロンを身に着けた格好だ。
「頼んでませんけど?」
「この後のステージに向けての差し入れです~」
陽美先輩はいつもどおりのぽわぽわフェイスで仕事をこなしている。
「接客業には向いてるのかもな」
「あの先輩の動き、ぽわぽわしてるのに無駄がないわ……」
確かに、ぽわぽわしている雰囲気とは裏腹に足運びなどの所作は少しも無駄がない。
「3年になるとあんな感じなのかな……」
「かもしれないわね」
パンケーキを食べて、無駄にこだわった本格豚骨ラーメン870円を食した俺たちは、有志のイベントまであと少しということで、学校本館の最上階にあるホールに移動していた。
「出場の順番って何番目だ?」
「15番目、最後ね」
「今のうちに練習とかできないのか?」
「音楽室でならできるわよ」
「なら最後に通して練習しておかないか?」
「もちろんそのつもりよ。でもまだ音楽室の準備が整ってないのよ」
「準備?」
「すぐにわかるわ」
結局、練習のために音楽室に移動したのはイベントの最初の5組が終わったタイミングだった。
「移動時間も考えたら1回か2回くらいしかできなそうだぞ?」
「それで大丈夫よ。あたしたちなら」
軽音部の扉を開くと、すでに他のメンバーたちがスタンバイしていた。
「あれ? 電子ドラム……」
今までこの音楽室にドラムはおろか電子ドラムすらあったことはなかったのに、なぜか今日は電子ドラム装備だった。
「お姉ちゃんが、本番前に使えって持ってきてくれたんですよ。本番に使うドラムも運んできてくれました」
「今は?」
「本館のホールの準備室に置いてあります」
すごいな……。
「でもこれで練習はバッチリできるわ!」
俺もギターを肩からさげるとチューニングを確かめる。
「それじゃあ始めますよ!」
1曲目の「YOU'RE MY LOVE FRIENDS」、そして2曲目の「私の革命」。
どちらも明るく早めのテンポの曲である。
練習では少しのミスもなくベストなパフォーマンスができたし、人前での演奏もこの前のイベントのおかげで耐性がついているに違いない。
紗雪は緊張を楽しむように笑い、優さんは真面目に段取りの再確認を行い、七海はベースの弦を弾きながら体でリズムを刻んでいる。
そして紅音は2曲目のギターソロを笑顔で練習している。
「文化祭が終わったら皆で打ち上げに行くわよ、絶対!」
「おおーー!打ち上げだー!」
「紅音さんがいるならもちろん行きます!」
「わ、私打ち上げって初めてです……」
「幸人ももちろん行くわよね?」
「あ、ああ。もちろん」
「じゃあ決まりね!」
「……紅音さん、そろそろ移動しないと」
「そうね、行くわよ!」
さて、いよいよ本番だ。
ホールの控室は張り詰めた緊張感で俺たちまで緊張してきてしまうほどだ。
「『スクールフレンズ』、準備お願いします~」
俺たちを呼びに来てくれた陽美先輩に続いて舞台袖に行き、スタンバイする。
隣を見るとあの紅音が細かく震えていた。
「緊張、してるのか?」
「あ、あたしが? 冗談でしょ」
「でも震えてるぞ?」
「……そうね、軽音部の存続って考えてから急に恐くなったわ」
「紅音らしくないな。俺はそういうことを全部忘れて大好きな音楽を楽しんでる紅音が好きだぞ!」
文化祭の雰囲気とは不思議なもので、こういう恥ずかしいことを普通に言える何かがあるのだ。
そうだ、このままの流れで紅音のギターソロの部分をかっこよく弾いて紅音を勇気づけよう!
こんな時のためにこっそり練習していたのだ。
アンプに繋がっていない状態ではあるが、それでも俺は左手で弦を押さえ、かっこよくギターを弾く。
ただし、超低速で。
「っあははははは! 何よそれ~」
「ま、まだ練習の途中だったんだよ……」
「でもありがとう幸人、もう……大丈夫!」
そこには音楽を楽しもうとする紅音の真剣で純粋な笑顔だけがあった。
「それでは本校の軽音部のバンド、『スクールフレンズ』によるバンド演奏をお楽しみください」
司会進行役の生徒の紹介が終わると同時にそこそこの拍手が起こる。ホールは全校生徒のほとんどが入れる大きさではあるものの、出演者との距離を離すためか、客席が若干狭く感じれられる。
それでも、一般のお客さんと生徒たちで満席。立ち見までいるほどだ。
「私たちは港総合高校軽音部、『スクールフレンズ』です! 演奏させていただく曲は『YOU'RE MY LOVE FRIENDS』、そして『私の革命』の2曲です!」
再び起こる拍手、すると紅音はマイクから少し離れて俺の近くに寄ってくる。その紅音がいたポジションに紗雪が移動した。
「そういえば、幸人にちゃんと言ってなかったわね……」
拍手が収まってきてまもなく演奏が始まろうというタイミングで、紅音は俺に小声で告げた。
「あたしも幸人のこと、好き……だからね!」
結論から言えば、文化祭ライブは大成功。新入部員こそ入ることはなく、部室を失ってしまったが部としては存続している。文化祭での評判のおかげで予算配分が少しだけ増えた軽音部『スクールフレンズ』は、優さんと優愛さんの厚意で、鷺沼家の自宅にある防音の部屋を借りて練習していた。
「紅音、あの時言ってたのってやっぱり……告白、なのか?」
そう、情けないことにライブの緊張のせいで紅音が直前に言ってくれた言葉を、俺はちゃんと理解できなかったのだ。そしてその記憶もぼんやりとしか残っていない。
「さあ? なんのことかしら?」
いくら聞いてもこの調子ではぐらかされてしまう。もし本当に告白であったならば、ちゃんと聞いて記憶に留めておきたかった。そう考えると自然とため息が漏れた。
「ったくしょうがないわねぇ~」
紅音はギターを肩から提げたままマイクの電源を入れる。
「あたしは幸人のことが好き! 幸人があたしを嫌いになるなんて、絶対に許さないんだからね!」
「おめでとうございます。橘紅音さんの攻略は完了です! ようやく2人目攻略完了ですね幸人様」
攻略完了の文字とともに小動物系人工知能小春が現れた。
「1人のヒロイン攻略にえらく時間かかるよな……」
「短すぎると感情移入できないじゃないですか」
「さすがに時間かかりすぎじゃないか?」
「……本当ならもっと早く終わりますよ? 的確な選択と行動をすればですけど」
「く……反論できない」
「でも大丈夫です。次のストーリーはもっとわかりやすいので、うまくやれば紗雪さんや紅音さんのパートより早く終わりますから!」
「ここまで季節を逆行してるってことは次は夏か?」
「その通りです!」
「それってヒロインたちは疑問に思ったりしないのか?」
「別に時系列に従ってストーリーが進んでいるわけではありませんからね~。各パートごとにヒロインに設定を与えているだけですから」
「でも過去に攻略したヒロインのストーリーでの出来事も引き継がれるんだろ?」
「そうなりますね。でもご安心を。不都合は私が全力でもみ消します!」
「そんな自信満々言われてもなぁ……」
「それでは次のヒロインも、自分に自信を持って思い切り恋愛してくださいね!」
俺は確かな自信とともに次の物語へと飛び込むのであった。




