橘紅音編③
紅音のことを追いかけてやれなかった俺は、あの後一旦ログアウトして次の日の学校の屋上で、スマホのホーム画面に表示されている人工知能、小春と話していた。
「どう思う? 小春」
「ヘタレですね」
「そんなにはっきり言うなよ……」
「幸人様、あれはゲームです。ミスをしたならやり直しだってできます。思い切ってみてください」
小春の言うとおり、ELSは現実の恋愛ではない。たかがゲーム、しかし、今の俺にとっては現実以上の楽しみを得られる魔法のゲームなのだ。
「霧島君? もうすぐ授業が始まるけど、サボりかしら?」
澄ましたような感じで話しかけてきたのは、唯一三次元で会話をする同級生で友人、霜月日和だ。
「何か用か?」
「まだ質問の答えを聞いてないのだけど?」
「……サボりだよ。ここにいるとお前までサボりになるぞ?」
「いいのよ、私は勉強は間に合ってるから」
「そうかよ」
「それで、独り言かしら? 電話をするような友達はいないはずだし」
「だからいつも一言多いっての」
こいつもELSユーザーなんだから、スマホに人工知能がきたり、現実のものをELS内で再現できる機能くらいは知っているのだろう。
「……冗談よ。アップデートの機能ならもちろん知っているわよ。でも、モニターをやっていない一般の人からは気味悪がられるわよ?」
「わかってる。だから屋上にいるんだ」
「……ねえ、あなたの人工知能、見せてくれない?」
「ああ、まあいいけど」
スマホを渡すと、画面の小春を見て感情が読み取れない程度に日和の表情が変わった。
「少し借りるわね」
そう言うと俺の反応も待たずに自分のスマホと俺のスマホをコードでつなぎ、小春が日和のスマホに移動した。
「なんか気になったのか?」
「ええ、なんだか可愛らしいと思って」
「話したりしたけりゃ少し貸しておこうか?」
「そう? ならお言葉に甘えようかしら」
コードを抜いて俺のスマホを返すと、日和は画面に映った小春を俺に向けた。
「幸人様が自宅に帰る前までにはネット回線を通って帰りますからね!」
そのスマホごと手を軽く振ると、日和さんは階段を下りて行ってしまった。
……結局紅音攻略の助言は「思い切れ」しか聞けていないが、それだけでもいいと思いながら、俺はしばらく青い空の向こうを見ていた。
ELSが発表されても、やはり家庭用ゲーム機やスマートフォンゲームは変わらず人気である。VRが発売された当初もVRと並行するように携帯ゲーム機やスマホゲームは新作を生み続けていた。
結局、ELSも恐らく安くない販売価格と、スペースの問題で広くは普及しないのかもしれない。
だから、あのイベントに行き、何かのきっかけで俺がモニターに選ばれたのはまさに幸運だった。
俺が使うELS4号機はモニターに出されてはいるが、試作らしいことも聞いている。もしかしたら製品版は小さいかもしれないし、安いのかもしれない。
小春がいない状態でサボっても仕方ない俺は結局授業を受け、そのまま家に帰ってきた。帰り道の道中で俺は紅音に言うべき言葉をずっと考えていた。きっとうまくいく!
ELSの心地いい浮遊感の直後、珍しくいきなり二次元の自室に飛ばされた。いつもなら始まる前に小春が出てくるところである。
「霧島様」
聞き慣れた声のはずが、抑揚のあまりない違和感のある呼びかけに振り向くと、後ろに金髪ツインテールメイド服の少女が立っていた。
「えっと、小春?」
「……?」
理解できないというように首をかしげるが、いつもの人間らしさはない。
「君は?」
「わたしは、ELSの『A-01』から派遣されて参りました。人工知能の『EXNO00000002』です」
「エーゼロワン……? エクストラナンバーズ……?」
「お分かり頂けたようでなによりです」
「名前は?」
「……名前?」
「ないのか?」
「ありません、必要もありません」
「……それで、なんでこの機体の中に?」
「人工知能がユーザーと所属機の双方から離れる場合、その代理としてEXNOの人工知能がサーバーから派遣されてきます」
「代わりってことか?」
「はい」
エクストラナンバーズの表情は機械的な笑顔から少しも変わらず、猟奇的にさえ見える。
「プレイなさるならロード致しますが?」
「待ってください!」
その時、空間全体に響くように感情溢れる小春の声が響いた。
直後に俺と金髪ツインテールの間に、小動物系人工知能少女の小春が現れた。
「迂闊でした。自動管理機能は解除してあったと思ったんですが……!」
酷く焦り、動揺した様子の小春に、先ほどより無感情になった金髪ツインテールは告げる。
「自動管理機能の不正解除と、アピアランス違反であなたを連行します」
その不穏な言葉とともに俺と小春との間を隔絶するように透明の壁が出現した。
「抵抗すればそれも罪状に加えさせていただきます」
「代理のEXNOが調子に乗らないでください!」
「よろしいのですか? わたしを攻撃したり消滅させればあなたは……」
「だから……それが伝わらないようにやればいいんです!」
プログラム同士のバトルというのはほとんどファンタジーの世界だ。一瞬で消えたかと思ったら別の場所に一瞬で現れる。
先手、小春は先ほどの言葉を言い終わる頃には相手の背後に移動していた。しかし、そこに金髪ツインテールはもういない。
無感情な声は、小春の頭を床に叩きつけながら小春へと降り注ぐ。
「私はあなたたち機体所属の人工知能よりも強く造られています」
「そんな、はず……まさかあなたは……!」
金髪ツインテールは表情を変えず、小春を押さえつけている。
「今ならまだ修復可能でしょう、今ならね」
無感情は小春の顔を再び床に叩きつける。何かが分解されたように、小春の左のこめかみあたりが消えてなくなってしまっていた
もちろん、人間のように脳や骨などは見えず、空洞であるが、小春が損傷しているのは確かだ。
「わたしたちは核を消されなければ消えることはありません……この意味、わかりますよね?」
冷たく言う無感情は力を込めた右手を振り上げる。小春はもがいているが抑えられてしまっている!
「やめろ!」
声を発しても戦いは止まらない。もうだめかと思ったその時、俺は気づいた。小春を押さえつけている金髪ツインテールのすぐ後ろに、黒髪の不思議な少年が立っていることに……。
「やめていいよ、トキ」
少年がたったそれだけ、穏やかな口調で言っただけで、金髪ツインテールは小春から離れ、直立した。
「統治者、なぜここに?」
「君を止めにきたんだよ。代理なんかに裁定者が行ったからね」
「ならば統治者、ここで裁定を。アピアランス、抵抗、自動管理機能の不正……」
言葉を並べようとする金髪ツインテールを右手で制すると、囲っていた透明の壁を消し去る。
俺が小春に駆け寄ると、失われていた部分は元通りになっていた。
「4号機」
少年は小春に近づいて穏やかに言う。
「今回のことは、我々は何も見ていない。これでどうかな?」
「素晴らしいお考えです、統治者」
小春はいつもの悪戯っぽい笑みでそう答えた。
その場で唯一穏やかでなかったのは、トキと呼ばれた無感情な金髪ツインテールだった。
強い口調で感情を剥き出しにして叫ぶように言葉を紡ぐ。
「あなたまで秩序を乱すのですか統治者! 人工知能を統括する立場のあなたが、これほどの罪を見逃すと?」
少年は呆れたように、それでも笑顔を浮かべて告げる。
「そもそも代理の人工知能は君じゃない。君のキャパシティじゃ、『4号機』は管理できないからね。勝手なことをしたのはどっちかな?」
「わたしは『裁定者』としてここに来たのです。秩序を保つために!」
「もういいよ……黙ってろ」
一瞬の冷たい雰囲気の後、すぐに少年は小春に穏やかな笑みを向けた。
「どうせ君じゃないと管理も制御もできない機体だから自動管理機能は外れたままにしておいたんだけど、トキが勝手に戻しちゃったみたいだね」
少年は俺のほうに身体を向けると、はっきりとした抑揚で話し始めた。
「この度はこちらの代理人工知能が大変な失礼をいたしました、霧島幸人様」
「ごめん、全然話についていけない」
「人工知能にもいろいろと決まりがあるということですよ。今後もわが社の製品をよろしくお願いします」
そう言って少年が頭を下げると、トキも合わせて頭を下げた。
「それでは失礼いたします。よい恋愛を」
自室に小春と俺しかいなくなると、小春はずっと気まずそうにしていた。
「さっきのが前に話してた?」
「はい、人工知能の統括と管理を行う統括者、統括人工知能です」
「自動管理機能ってあの代理が派遣されてくるやつだよな?」
「はい」
「アピアランスって……見た目?」
「はい。金髪ツインテールメイド服がデフォルトです」
「じゃあなんでお前は……」
「私のこれは私のプログラマーが開発時に入れたんです。デフォルト設定に紛れさせて」
「最初に来たエクストラナンバーズっていうのは?」
「EXNOシリーズは、統括者の手足です。番号ごとに役職が区切られているとは聞いていますが、私も詳しくは……」
「まだよくわからないけどなぁ……」
「無理に理解しなくても大丈夫です。これは人工知能の話ですから」
小春は気まずさを振り払うようにデータをロードした。
「それにしてもあのツインテール、強かったな」
「ただの代理者かと思ったら裁定者だとは……」
「それが役職か?」
「はい。代理者の役職の人工知能は管理性能以外は私より劣っていますが、裁定者は人工知能の中でも戦闘に特化しています。裁定者はあの『トキ』ひとりだけです」
少しずつ、いつもの小春の表情が戻ってきている。
「では始めましょうか」
気持ちを切り替えて紅音へ電話をかける
4回ほどコール音が鳴った後、少し慌てた様子で紅音が出た。
「何?」
「悪い、なんか忙しかったか?」
よく考えたらELS内は平日の朝である。学校に行く準備で忙しいのかもしれない。
「ええそうね、すっっごく忙しい」
「今日、少し話したいんだけど時間あるか?」
「あたし今日は学校行けないのよ。秋穂が熱出しちゃって。親は早くから仕事行っちゃったしあたしがいないと」
「なんか手伝いに行こうか?」
「別に大丈夫よ! あんたにまで迷惑かけらんないから」
今までの俺ならここで引き下がっていた。でも、思い切ってみることにした。
「俺、紅音の役に立ちたい! お前を支えたい!」
めちゃくちゃな言い方で、声も裏返った俺のちょっとした告白への返答は、何かにぶつかったような鈍い音とノイズだった。
「ご、ごめんスマホ落とし、ちゃった……でもいい! 学校を休ませてまで来てもらったら秋穂が気を遣っちゃう」
「そう……か、悪いな忙しいのに」
「べ、別にいいわよ……嬉しかったし」
うーん、紅音の好感度をアップさせるには何かしないといけないのに、断られてしまった……。
とりあえず学校に行って紗雪にでも相談してみるか。
「え? 今日紅音ちゃんお休みなんですか?」
「秋穂ちゃんが熱出しちゃって看病できる人がいないらしいんだよ」
「それは心配ですね……」
紅音のことを昼休みに学食で紗雪に話すと、紗雪は少し考えた後に期待通りの返答をくれた。
「それなら放課後、お見舞いも兼ねてお手伝いに行きませんか?」
「でも紅音が素直に了承してくれるとは思わないんだけど」
「大丈夫です。紅音ちゃんはきっと弱みを見せたくないだけですから」
「よくわかるな」
「何かに一生懸命になれる人は、みんなそうなんです」
その中にはスノボが大好きな紗雪自身も含まれているのかもしれない。
「ところで紗雪、紅音の家……知ってるか?」
「そ、そういえば知らないです……」
これは早くも積んだか? 考えろ俺! ……紅音に聞く? ダメだ、教えてくれるわけがない。
「ダメかもしれませんが、一度電話をしてみてはどうでしょう?」
「そうだな、するだけしてみよう」
スマホを取り出すと電話帳から紅音の番号に発信する。しかし、2コール目で切られてしまった。
「ダメだ、切られる」
「……私もダメです」
他人の手を借りるつもりはない……。紅音がそう言っているかのようだ。
「誰か紅音の住所が分かりそうな人は……」
「優ちゃんとかどうでしょう?」
「鷺沼さん? さすがに知らないんじゃないか?」
「あとは……陽美先輩でしょうか?」
「知ってはいそうだけど……」
生徒会副会長、部活管理委員会会長の肩書きを持つらしい陽美先輩は、立場上個人情報を流出させたらまずい立場だと思う。
「私の名前が聞こえましたよ~」
そんなほんわかした口調の、かなりのボリュームの声が学食の隅から響き、全ての喧騒を静寂へと変える。声の主は柔らかい表情でニコニコしながら俺たちのほうを見ていた。
俺は他の生徒の注目を浴びながら立ち上がると、陽美先輩の目の前まで近づいていく。
「あらあら~、霧島幸人さんじゃないですか~」
「陽美先輩、ちょっと大事な話があるのでいいですか?」
静寂の中でそう、俺が言った瞬間に、どこからともなく威圧感のある視線が無数に俺を突き刺した。
「場所を変えましょうか~?」
「は、はい」
陽美先輩と俺、そして紗雪は別館の生徒会室まで移動することにした。
「移動時間を考えると20分で話を終わらせないと授業に間に合いませんよ、幸人さん」
「大丈夫ですよ~。そんなにかかりません。『私との会話』はですけど~」
そう言って開かれた生徒会室には、すでに先客がいた。いや、むしろ客なのは俺たちのほうであって、そこにいたのは主であるが。
「初めまして、生徒会長の伊藤聖月よ」
黒く長い髪とやや黒く輝く瞳、それでいて完璧な微笑み。紗雪とは少し違った大人の女性的迫力と魅力がそこにはあった。
「会長~、お客さんですよ~」
「……だからこうして名乗ったのだけど? あなたの脳は正常に働いているのかしら?」
あの陽美先輩に堂々と毒を浴びせかける生徒会長に、さすがの紗雪でさえ表情が引きつっている。
にも関わらず言われた張本人である陽美先輩はその微笑みを一切崩すこともない。
「聖月ちゃんの毒舌は照れ隠しだと思えば大丈夫ですからね~」
「……ちょっと? プライベートならともかく、学校ではその呼び方はやめて頂戴。下級生に示しがつかないわ」
「さ、こっちに座ってください~」
「……そう、聞く気はないというのね……ふふ、フフフフフ……」
今から話をするであろう会長のご機嫌を斜めにしてどうするんだろうか……。
「それで、今日はどうしました~?」
まるで診察にきた患者に医者が言うような言い方だ。
「実は軽音部の部長の橘さんが妹さんの病気の看病で欠席して、できればお見舞いに行きたいんですけど住所がわからなくて……」
「本人に聞いたんですか~」
「電話しても向こうが出ないで切ってしまうので」
「霧島さん? わかってくれているとは思いますが、仮に生徒会がそれを知っていたとしても、個人情報を教えることはできませんよ~?」
「もちろんです。それでも、俺は紅音の役に立ちたい。そばにいて支えたいと思う」
「その言葉に、嘘はありませんか~?」
試すような問いと少しの沈黙。
柔らかい笑みを浮かべると、陽美先輩は会長の方を振り向いた。
見ると生徒会長も穏やかな微笑を浮かべている。
「えっと……」
「そうそう、椿副会長、軽音部の部長に、今日中に文化祭の有志参加の申し込み用紙を届けてくれないかしら?」
生徒会長は事務をこなすように自然に陽美先輩に用事を頼む。
「ああ、でも私も今は手が離せなくて~。誰かに行ってもらわないといけません~」
陽美先輩はそう言って俺のほうを見ながら笑みを浮かべる。
「それじゃあ、届けに行きましょうか?」
「それじゃあお願いします~」
陽美先輩は俺に何かの用紙を取り出して机に置いた。
「さすがに生徒会役員以外の生徒に教えるのはさすがに容認も黙認もできないわ。それなら、貴方が生徒会に関係のある人物になればいいのよ」
「俺が、生徒会に?」
「ええ。陽美から聞いているけど、なかなか真面目な生徒だそうじゃない。貴方が生徒会に入ると言うなら、我々は協力を惜しむつもりはないわ」
「でも、生徒会って言っても……」
「貴方は大きな肩書きの役員ではなく、そのアシスタントのようなもの。生徒会副会長補佐連絡事務。つまり陽美の手伝いね」
要は陽美先輩の補佐、つまり部活動管理委員会の手伝いと生徒会副会長の手伝いをするということだ。
「霧島さんは~、ウィンタースポーツクラブも活気づけて、今度は軽音部を廃部から救おうとしてくれてます~。だから、私の補佐として生徒会役員の肩書きを持てれば~、もっと楽になると思うんです~」
「な、なるほど」
「それで、どうするのかしら? 言っておくけど、今回の件が解決したから辞める……なんていうのは勿論認めてあげるつもりはまったくないわ。サボったりしたら、わかるわよね?」
威圧するように詰め寄ってくる会長に、なんとか声を絞り出す。
「ちゃ、ちゃんとやりますよ!」
「そう、ならいいわ。この瞬間から、貴方を生徒会役員として承認します」
会長は自分のデスクの引き出しから何かを取り出すと、俺に渡してきた。
「腕章?」
「生徒会役員として動く時はそれを左右どちらかの腕につけておきなさい。それが生徒会役員としての証明。ただし、勿論責任は常に伴うわよ?」
「はい!」
「それじゃあ、陽美、役員の仕事についての説明は任せるわよ」
「あの、どうして先輩たちは軽音部を助けようとしてくれるんですか? 潰そうとしてたはずなのに……」
会長は大して表情も変えずに淡々と答える。
「あなたたちは生徒会の立場を知らないようだからそう思えるかもしれないけれど、私たちは常に生徒側の人間よ」
「じゃあどうして……」
「軽音部が規則を表向きにしか守っていなかったことは部活動管理委員会で問題とされてきていたのよ。でも、学校に実害がなかったから黙認されてきた」
「不完全な部活動でも~、学校の負担にならないと判断されたわけですね~。でもでも、今回のトレーニングルーム設置で改めて協議されて~、実質活動していなかったり、幽霊部員しかいない部活に対して同好会降格処分や廃部処分をして部屋を確保することにしたんです~」
「それが軽音部……」
「だからこそ、部員を増やして部活としての規定を満たし、かつ軽音部として活動していると証明ができれば部は存続、学校側も別の案を考えざるを得ない……というわけよ。こちらも理由がない以上、学校側からの命令には逆らえないから」
生徒会は学校と生徒の板挟みの立場にいるということだ。
「紅音さんの自宅は電車でちょっと行ったところです~。これが住所ですよ~。業務へはひとりで行ってくださいね~」
二人にお礼を言って、紗雪と一緒に生徒会室を出て時計を見ると、午後の授業が始まる5分前だった。
放課後、「生徒会役員の用事のため」、俺はひとりで電車に10分ほど揺られ、紅音の家の最寄り駅へとやってきた。
駅の出口を出て、住宅街のほうへと歩こうとすると、商店街の総菜屋に紅音がいるのが見えた。
生徒会の腕章を右腕に装着し、紅音に声をかける。
「紅音」
「っ!? え? どうしてあんたがここに……」
「手伝いに来た」
「手伝いはいらないって行ったはずでしょ。そもそも、なんでこの駅にいるのよ。誰に聞いたの?」
「生徒会役員になる代わりに教えてもらったんだ。陽美先輩と聖月会長に」
「そ、そんな……! あたしなんかのために生徒会の犬になったっていうの? ほんと馬っ鹿みたい!」
「いや、生徒会だって好きで軽音部と敵対してるわけじゃないんだ!」
紅音は少し考えてから、俺の左腕の裾を掴んだ。
「とにかく家に来て!」
紅音に引っ張られるように商店街から程近い住宅街の坂を上ると、なかなかボロい、いや……味のある2階建て一軒家の前で立ち止まった。
「こ、ここがあたしの家」
紅音は買い物袋からマスクを取り出すと俺に渡してくれた。俺が受けとると、紅音も自分につけて家の鍵を開ける。
「かなり散らかってるけど、入って」
玄関自体そこまで広くないのにいくつか靴が出しっぱなしになっていて余計に狭い。
リビングに通されると、紅音が麦茶を出してくれた。
「秋穂ちゃんは大丈夫なのか?」
「今は寝てるわよ。熱はまだあるけど、下がってはいるし」
「そうか、一安心だな」
「それで、何で来たの?」
「用件は朝と変わらない。手伝いに来た」
「で、生徒会に入ったっていうのは?」
紅音に事の顛末を説明すると、紅音は居心地悪そうに麦茶を飲んだ。
「あたしなんかのためにあんたがそこまでしてくれるなんて少しも思ってなかったからその……ごめん」
「謝るなよ。嫌だったらそこまでしてない」
「でも、どうして? 生徒会に入ってまであたしを手伝おうとしてくれたの?」
「なんていうか、放っておけなくてな」
「とんだお人好しね、まったく……」
「多分さ、俺……お前のこと好きなんだよ。だから放っておけないんだと思う」
「…………は?」
紅音は何を言われたかわからないというように口を開いたまま沈黙していたが、突然両手と首を振りながら真っ赤な顔を隠しはじめた。
「な、なななななによいきなり、え? あんたが? あたしを? なんでそんな大事な告白を今こんな状況状態で言うのよもっとロマンチックに雰囲気作ってから言いなさいよああもう!」
「ま、まあ落ち着けよ……」
「落ち着けるわけないでしょ馬鹿!」
「それで返事は?」
「ノーよ! ノーに決まってるじゃない! こんなのがあたしに対する告白だなんて認めないわ! 両思いの嬉しさなんてこのシチュエーションの酷さで吹き飛んだわよ!」
「お姉……ちゃん?」
錯乱した様子で喚いている姉を心配したのか、フラフラした様子で秋穂ちゃんが階段から下りてきてしまった。
「秋穂あんた起きてきちゃダメだってさっきから……」
「でもお姉ちゃんが……」
「わかったからちゃんと戻ってねなさいまったくもう……」
「あ、霧島さん……どうも、こんな格好で失礼を……すぐに、お茶を……」
「ええい! 秋穂っ! あんたは早く寝なさい! こんな時に良くできた妹スキルなんて発動させなくていいの!」
「でもお客様にはお茶を……」
「あんなものお客様じゃないわ!」
あんなもの扱い……。それにしても、秋穂ちゃんはやはり熱があるようで、フラフラしていて、顔も赤い。
「紅音を手伝いに来たんだ。だから何も気遣いとかしないで寝ててくれていいよ」
「は、はい……」
「それで紅音、何か手伝えることあるか?」
「秋穂なんかある?」
「紅葉と紅乃ちゃんの遊び相手をしてもらえると、とても助かります」
おや、また聞き慣れない名前が……。
「あたしの妹。4人姉妹だからあたしたち」
紅音によると、長女の紅音、次女の秋穂、三女の紅葉、四女の紅乃の四人姉妹らしい。
「ほら、これが三番目と四番目の妹」
「はじめまして! 末っ子の 橘紅乃です!」
パッと見小学生という感じの紅乃ちゃんが明るく挨拶をしてくれた。そして、その横に正座をしている女の子、小学校高学年くらいか中学生くらいに見える恐らく紅葉ちゃんは、不敵な笑みを浮かべて俺を見ている。
「これが現世での初の交わり。しかし我と汝は古に交わした契約によって契りを……」
「お姉ちゃん、それ本気でやってます?」
「もちろんだ、我が愛しき血族よ」
「怒りますよ?」
「ごめんなさい……」
「えっと……紅葉ちゃん、だよね?」
「その通りです。そしてその真名は……」
「お・ね・え・ちゃ・ん?」
「……よろしくお願いします」
「えらいえらいです」
俺はこの二人と遊べばいいんだろうか。
「じゃああとはお願い。秋穂には近寄らせないで。風邪が伝染っても嫌だし」
「わかった」
「さあ、人間の娯楽にに身を投じるとしようか」
……紅葉ちゃんには風邪じゃない病気がすでに発生しているようだ。
「二人は、紅音のことは好きか?」
「姉様のことを? もちろんですよ」
紅葉ちゃんはどうやら姉様と呼んでいるらしい。
「紅乃も姉様のこと大好きです!」
小学生の紅乃ちゃんまでそう呼んでいるらしい。
「わ、私は貴方のことをどうお呼びしたら……」
急にかしこまった様子で聞いてくる紅葉ちゃんの問いに困っていると、紅乃ちゃんが元気よく手を挙げた。
「はい! 紅乃、『お兄ちゃん』がいいです!」
「そ、それはつまりやはり姉様とけ、けっけっけ、結婚したときのための……?」
「お姉ちゃん、何を言ってるのです?」
「失礼、それでは私はお兄様と呼ばせて頂きます」
「そんな仰々しくしなくてもいいと思うんだけどな……」
「それにしてもさすがは姉様だ。こんなに優れた殿方を伴侶に選ばれるとは……」
面白い姉妹だ……。
そんなことを考えながら俺はしばらくの間姉妹と話をして、ほのぼのとした日常を楽しんでいたのであった。