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橘紅音編②

 二次元世界こっちでの文化祭まであと1ヶ月。俺を含めた新生軽音部の面々は楽器店を訪れていた。

理由は簡単で、七海なみのベースを探しに来たのである。

「ちなみにこだわりとかあるの?」

「ないよー? あ、でもチューニングが狂わないやつで」

だとすると安価ブランドはやめておいたほうがいいだろう。チューニングを含めて狂いやすく、パーツの質も落ちるからここはそこそこのものが望ましい。

「あたし、ベースはよくわからないからちょっとギター見てくるわね」

紅音あかねは早々にギターコーナーに移動し、それに紅音ファンの鷺沼さぎぬまさんもついていった。

「幸人さん、楽器店って初めてなんですけど、何をしていればいいんでしょう?」

紗雪は完全に手持ちぶさたな様子でギターの値段を見ている。

「ねえねえユッキー、これなんてどうかな?」

「ああ、……まあまあするな」

価格にして約9万円である。

「決まったの? いいじゃない! 少し高いけど」

そもそも七海の楽器代はどこから出るのかと思っていたら紅音は店員を呼びつけた。

「この9万のベース、どのくらいまで下がるかしら?」

「いえ、当店では値下げは行っておりません」

「マニュアルのことなんて聞いてないわよ。いくらまで下がるの?」

「ですからお客様、商品の販売価格を割り引きさせていただくことはできません」

強気に攻める紅音と、見事な作り笑顔の女性店員さん。

「なんでよ! こういう場合、アニメとかでは大幅に値下げして売るものじゃない!」

あれは特殊だと思うぞ紅音……。

「ちなみに七海、ベースの金ってどこから出るんだ?」

「私が出すんだよー!」

「いいのか? 成り行きで入ってもらったのに楽器なんて買っちゃって……」

「大丈夫だよー!」

「で、上限金は?」

「上限金ー?」

「いくらまで出せるの?」

「4万円!」

安価ブランドであれば買えるというような金額だ。

「中古なら買えるんじゃないかしら?」

「あ、じゃあ今度探してくるよー!」

「ひとりで大丈夫か?」

「それなら私が行きますよ」

鷺沼さんが控えめに手を挙げて笑みを浮かべた、

「じゃあ今日はとりあえず解散にしましょうか?」

紗雪からの提案には全員が頷いた。


 帰宅したものの、二次元こっちでは特にすることもない俺は、一度ゲームを終わらせようと思っていた。しかし、何度呼び掛けても小春こはるが現れてくれない。

「おかしいな……」

「お待たせしました!」

慌てた様子で現れたせいだろう。

俺の真上に現れた小春がそのまま俺の顔にダイブしてくる形になってしまったのは、きっとそうだ。

……二次元なのに、なんだかいい匂い。

「い、い、いやあああああああああ!」

人工知能であってもスカートの中は禁断の領域らしく、一気に飛び上がった。

「幸人様! そういう破廉恥エッチなことをするなら強制ログアウトさせますよ!?!?」

「全面的にお前のせいだろー!!」


およそ10分。ようやく落ち着いた小動物系少女小春は、頬を赤く染めながら俺の前に正座していた。

「こほん、失礼しました。それで、私を呼んでいたみたいですがどうかしました?」

「一回終了しようかと思ったんだけど何かあったのか? 呼んでも全然出てこなかったし」

「すいません、少し寝てました」

申し訳なさそうに笑いながら軽く頭を下げる姿はなんだか可愛い。

「……お前が攻略対象だったらいいのにな」

「欲張りなユーザーですねまったく。でも、嬉しいです。考えておきましょう」

小春はあの悪戯っぽい笑みでそう微笑んだ。

「ではログアウトしますか?」

「ああ」

「私は今回、三次元スマートフォンにはご同行しませんのでお待ちしています」

「ついてこないのか?」

「ええ。報告書を書いてサーバーに送信しなきゃいけないので」

なんだかんだ言っても真面目な人工知能である。


 一度ELSから出て軽く伸びをする。わざわざ外の空気を吸いに行ったりはしないが、軽く食べ物を漁ってみて気付いてしまった。

「夜飯のカップ麺が無い……」

買い物に行かなければいけないわけだが、時間はすでに夜の8時。

「プレイ時間はかなりかかるな……」

やむを得ず財布とスマホだけ持って家を出ると、狙ったかのようなタイミングで高級車が家の前に止まった。

後部座席のドアが開き、眼鏡をかけたキャリアウーマンが降りて資料に目を通す。

「失礼、霧島きりしま幸人ゆきと様でしょうか?」

「あなたは?」

「私、『めーぷるふぁくとりぃ』の開発担当主任をしております、長崎ながさきと申します」

「ELSのことですか?」

「はい。このような時間に失礼かとも思いましたが、学校の時間もあることと思いましたので」

「はあ、まあいいですけど……」

「少しお時間をいただいてもよろしいですか?」

「はい、構いません」

「お食事はお済みですか?」

「いや、これから買いに行くところです」

「それでしたら本社にご招待いたします。社員食堂がありますから」

「近いんですか?」

「はい。車で15分ほどのところに」

高級車に可能な限り指紋をつけないように乗り込むと、運転手が車を発進させる。

「ELSのモニター調査の件で、ユーザーからの直接の聞き取り調査を行っているんです」

「でもモニターなら人工知能がしてるんじゃ?」

「それでも、満足度を正確に把握することはできません。そこで、人工知能と私どもの両方からそのアプローチを」


 そこそこのオフィスビルの5階と4階が会社のフロアらしい。

「まずはお食事にしましょうか?」

「いや、先に聞き取り調査をお願いします」

「では5階に参ります」

フロアそのものが事務所のようにたくさんのデスクが並び、それぞれの技術者用の部屋があるようだ。

「ここはプログラムやシナリオ設定、マーケティングなどの事務的作業を行うオフィスです。どうぞ、私の作業部屋へ」

作業部屋というわりにはソファーとテーブル、本棚とパソコンの乗ったデスク。なんともきれいで上品な空間だった。

「あなたがELSのプログラムを?」

「……ええ。人工知能も含めてプログラマー達が結託して作成しました。私もその一人です」

ボールペンとバインダーを持って俺の前に座ると、事務員のような女性が紅茶を2つ運んできてくれた。

「ではまずはELS本体に関する質問です。本体の大きさはどうでしょう?」

「もう少し小さければな。置ける家が限られると思います」

「なるほど、他に不満な点などはございますか?」

「電気代が高い、色が白で地味、やっぱり邪魔ってところですね」

「なるほどなるほど。では次はソフトウェアの話を……。ストーリー展開はどうでしょう?」

「少し奔放な人工知能で、ストーリーが安定しないこともあるけど、王道なストーリーで面白いです」

自由遊戯フリープレイモードはどうですか?」

「普通にヒロインとか人工知能と話したりできるのはいいアイディアだと思います。でもやっぱり奔放な人工知能に振り回されるのは大変ですね」

「人工知能はそんなに奔放なのでしょうか?」

「まあ、ちょっと悪戯好きというか、面白いやつだと思うけど……。他の人工知能もそんな感じなんですよね?」

長崎さんは眼鏡の位置を右手の人さし指で調整すると、どことなく冷たく答えた。

「いえ、ほかの皆さんは大人しくて従順ですよ。さて、それでは人工知能についての質問です。人工知能の性能についてはどのようにお考えですか?」

「すごい性能だと思います。すごく人間に近いところが特に。創り出すヒロインとかもそれに近いキャラクターですし」

「……なるほど、貴重な意見をありがとうございます」

質問が終わり、俺は作業部屋を改めて見回してみる。


「これって?」

「ああ、それはELSを管理しているサーバーですよ」

サーバーというわりには端末はELSの機体そのままだ。

「これもプレイとかできるんですか?」

「まあ、可能ではあります。残念ながら一般の方は利用できませんけど」

「他のモニターの皆さんの経過も良好でして、今回の霧島さんのお話を聞いてこちらも安心しております」

「役に立てたならよかったです」

「また少ししたらこちらからアンケートなどをお願いしたいと思いますがよろしいでしょうか?」

「はい、別にいいですよ」

「それでは遅くなりましたが食堂に向かいましょうか」

俺はその後、食堂で日替わりランチを食って自宅へと送り届けてもらい、二次元へと飛んだ。


 「お待ちしてました、幸人様」

「この後のシナリオってどんな感じなんだ?」

「いきなりネタバレ希望ですか……」

「やっぱダメかな?」

「幸人様って、恋愛シミュレーションとかやってても重要な選択肢とかエッチなイベントシーンだけ見てそれ以外はスキップするタイプですか?」

「正解! よくわかったな」

「はぁ……全然わかってないですね。いいですか? 恋愛シミュレーションというのは、各イベントや選択肢だけでなく、ヒロインや友人との会話や駆け引きも重要な魅力なのです! 実は何気ない会話の中に、ヒロイン攻略に必要なキーワードや伏線が隠れているかもしれません」

「お前恋愛シミュレーションのことになるとすごい喋るな……」

普段からお喋りではあるのだが。

「それはそうですよ。私を誰だと思ってるんですか?」

そう言ってあまりない胸を張りながら、悪戯っぽく笑う。

「それじゃあゲームを再開しますね。前回のプレイの日から次の休日までスキップしてあります」

「わかった」


 浮遊感とともに景色が変わる。

まだ午前中の自宅で、俺はスマホを握ってベッドに座っていた。

画面は受信メールが開かれた状態。

「今日12時に高校の前に楽器持って集合。遅れたら許さないから」

部長様からの呼び出しの一斉送信のメールだった。

ちなみに現在時刻は11時45分。

……遅刻は確定だな。


 遅れることも込みでシナリオを創っているのだとしたらいい迷惑だ。

待ち合わせ場所の桜木町駅に着いてそうそう紅音あかねに「遅れたら許さないからって言ったわよねぇ?」と怒られたり、鷺沼さぎぬまさんには「怒られたくて遅れたんじゃないですか?」とか散々言われたのだ。

……美少女からの罵倒は我々の業界ではご褒美です。

「今日は何をするんですか?」

特に何も持っていない紗雪さゆきが不思議そうな表情で呟く。

「今日はスタジオで練習するわよ!」

その質問を待ってたのか、得意顔でどことなくテンション高めに紅音は言い放った。

「スタジオで練習!?」

それを聞いて紅音以上にテンションが上がっているのは鷺沼さんだ。

「ようやくバンドらしくなりましたね!」

「音楽室でいいんじゃないのか?」

「無理よ。残念ながらベース用のアンプはないしドラムセットもないから」

「そういえばそうだな……」

音楽用のスタジオならドラムセットは貸してくれるし、必要に応じて楽器や周辺機器も貸してくれる。

「とにかく行くわよ! ここから近いところに行きつけがあるから」


 紅音の行きつけは抑えめの価格設定の小さめのスタジオだった。

「こんにちわー」

「ああ、橘さん。久しぶりですね! 半年ぶりくらいですかね?」

紅音は常連らしく、顔を見ただけで女性店員は親しげに笑顔で話しかけてきた。

「今、空いてますか?」

「大丈夫ですよ。そういえば妹さんも今日来てますよ!」

「え? 秋穂あきほが?」

「6番の部屋にいます」

紅音の妹の秋穂ちゃんもどうやら同じタイミングで借りているらしい。

「じゃあ橘さんたちは5番の部屋です。時間になったらカウンターに来てくださいね」


「秋穂さんって、紅音ちゃんの妹さんですか?」

紗雪と七海なみは秋穂ちゃんに会ったことがないんだったな。

「そうよ。私のひとつ下の妹」

「すごいですよねー、中学生なのに客を引き込むような歌と演奏ができるなんて」

鷺沼さぎぬまさんがドラムセットを調整しながらそう言った。心からうらやんでいるようだ。

「でも秋穂ちゃん、この前見たときひとりで弾き語りしてなかったか?」

「基本はソロよ。でも、最近は学校の友達とバンド組んだみたい」

「きっとツンちゃんに憧れてるんだよー!」

「そのあだ名でもう確定なのね……」

七海は中古で買ったベースのチューニングを合わせて、紅音はギター用のエフェクターを繋いでいる。

「エフェクター持ってきたのか」

「エレキギターといったらまずはオーバードライブとディストーション。これは外せないわ!」

紅音が挙げた二種類はロックバンドのギターではよく聞くようなエフェクターである。

幸人ゆきとさん、私は何をしたらいいんでしょうか?」

「機材は紅音がセッティングしてくれるから、発声練習とかじゃないか?」

俺もヴォーカルをやったことがないから知らないんだが。

「紗雪はどうせなんでもできる完璧人間なんだからウォーミングアップなんていらないでしょ」

紅音はあっという間に自分のセッティングを終えたのか、紗雪のマイクなんかの機材のセッティングをしながらいつも通りツンとして言ったが、その紅音の表情は楽しそうだ。

「じゃあこれが演奏する曲のスコアね。とりあえず2曲」

バンドスコア、いわゆる楽譜を俺たちに手渡すと、紅音はギターを持ったまま扉に向かう。

「それじゃあ、あたしは『お隣さん』にあいさつしてくるから、あんたたちはスコアに軽く目を通しておいて。歌とか曲の音源はそこのプレーヤーに入ってるから聴いてもいいわよ」

紅音が出ていくと、スタジオの個室内は静寂に包まれた。

「紅音さんの妹さんって似てるんですか?」

「中身は似てないと思うけど外見はかなりそっくりだったな。話し方と声くらいでしか判断できないと思う」

ちょっと見てみたい。そんな表情で扉を見つめる紗雪に、俺は苦笑しながら「行ってみるか?」と声をかけてみた。

「い、いえ……曲を聴いて覚えないといけないので」

こういうところはやはり真面目な女の子だった。


 曲を聴いて各自のパートを練習して最も早く覚えたのは意外にも紗雪だった。

七海や鷺沼さんはスコアを見ながらであればできるレベルに達しているが、紗雪は歌詞とメロディをすでに暗記しているのか、音源通りに歌っている。

「いくら楽器使ってないからって早すぎませんか!?」

「まだ20分しか経ってないよー?」

鷺沼さんと七海もこの驚きぶりである。

「逆に先輩、遅くないですか? スコア見ながらなのにすごく遅いし覚えられないなんてちょっと……」

「う、うるせぇ! 人にはそれぞれの成長速度があってだな……」

鷺沼さんは何やら確信めいた表情を浮かべる。

「……もしかして先輩、指コピですか?」

指コピ、動画などで他人の指の動きを見て真似ることだ。

「おかしいと思ってたんですよ。『俺、ギター弾けるよ』とか言っといて弾く曲はいつも同じ2、3曲ですし!」

「い、いや指コピであってもギターは弾けてるだろ……」

「こういうときに弾けてなくてどうするんですか!」

……ごもっともです。

そんな言葉すら出なくなってしまった。

「先輩、指コピだとしたらどのくらいでいけます?」

「え? ああ、多分……1ヶ月くらい?」

「長すぎですね。1週間でやってください」

心から呆れたとでも言いたそうに俺のギターのストラップを肩にかけると、6本のげんをすべて鳴らす。

「……チューニングずれてるし」

「ごめん」

鷺沼さんはさっさとチューニングを合わせると、少しスコアを見てから左手で弦を抑える。

「……なんがギターがネチョネチョしてる気がする」

「お前そんなに俺のこと嫌いか!?」

「はい」

「……しかも即答しやがった」

「それじゃあ紗雪先輩、これで私が弾いてるギターを録画してください」

紗雪が俺のスマホを録画画面にして椅子に座る。

「2番は1番の繰り返しなので、1番のAメロとBメロ、サビを弾いてそれからCメロ、最後のサビとラストを弾いて終わりにしますね」

指の具合を確かめながら一度息を吸って紗雪に頷く。

ピロッという間抜けな音で録画が始まると、鷺沼さんは途端に真剣な表情で弦をはじき始めた。Aメロが終わるあたりで横合いから七海がベースを弾き始めた。ドラムがなくて難しいリズムキープを助けているようだ。見ると紗雪も声こそ出していないが、唇を動かして歌詞をつむいでいる。

……みんな結構できるんだな。

そんなことを考えている間に演奏は終了した。


「……どうやら先輩のやるリズムギターのパートは紅音さんが簡単になるようにアレンジしてくれたみたいですね。コードも簡単なものばっかりです」

「だって幸人こいつ明らかに指コピだったもの。だから簡単なコードだけにアレンジしたの」

いつの間に戻ってきていたのか、紅音あかねはギターをアンプとエフェクターに繋ぎながら笑顔で言った。

「気づいてたのか」

「だってあんたがいつも弾いてたアニソン、ネットで話題の投稿者さんのアレンジそのままだったし」

「さすが紅音さん!」

「まさか簡単なコード弾きすらできないとは思わなかったけど、ありがとねゆう

紅音は鷺沼さぎぬまさんの肩を叩いてギターを構える。

「ていうか鷺沼さんってギター弾けたんだな」

「そりゃあ紅音さんの大ファンですから」

「じゃあなんでドラムできるんだ?」

「それは私のお姉ちゃんがドラムやってるからですよ」

「それで、どうします? 合わせてみようにも幸人さんはまだできないみたいですし」

「あ、ちょっと待ってて」

紅音は1度部屋を出た。予想できる展開だからおそらくやって来るのは……。

「と、どうも皆さん、妹のたちばな秋穂あきほです」

やはり紅音の妹の秋穂ちゃんだ。しかもこの前とは違い、ポニーテール姿だった。

「ほんとそっくりだー!」

「双子じゃないんですか……?」

幸人こいつのパートは秋穂に弾いてもらうから合わせてみましょう」

秋穂ちゃんはその小柄な体に似合わない大きめのギターを持って、簡単にスコアに目を通す。

「オッケーだよ、お姉ちゃん」


「ワンツースリー!」

ドラムスティックを叩いた音と鷺沼さんのかけ声を合図に紗雪以外の楽器組の演奏が始まる。

1曲目の曲は「YOU'RE MY LOVE FRIENDS」という、友達から恋人へと変わっていく過程とその心境を表したラブソングで、明るめなハイテンポな曲だ。

紗雪は完璧に歌えているし、七海も間違いはあるが、リズムはキープしている。

紅音と秋穂ちゃんも当然のように弾けているし、鷺沼さんも問題なく汗を流しながらドラムを叩いている。

あとは微調整をするだけで皆バンドとして曲を披露できる、そんなレベルだった。

「ふぅ、ありがとね、秋穂」

「ううん、大丈夫だよ。皆さん、ありがとうございました」

秋穂ちゃんは少し話した後、部屋から出ていった。

「そろそろ時間だしあたし達も出るわよ」

残念ながら1曲合わせた合わせただけで退室して、割り勘で料金を支払うと、紅音も時間を気にしていた。

「何かあるのか?」

「この後用事があるのよ」

まだ夕方前の時間なのに退室したのはそれのせいでもあるらしい。


 紅音編なのにデートらしいデートもない。このままでいいのだろうか?

紗雪の時は紗雪のほうから俺に話しかけてきてくれたし、デートにも誘ってくれた。

……ずっと、俺は受け身だった。

変わるんだ。このゲームで俺は!

皆が解散してそれぞれの方向に歩き出す中、俺は近くにいた紅音に自分から声をかけることにした。

紅音あかね!」

「な、なによ……」

「その用事って、どうしても外せないものか?」

「そ、そうよ。そのためにちゃんと準備もしてきたんだから!」

そういって紅音は俺に何かのチケットを手渡してきた。

「……バンドのライブ?」

「そう! あたしがバンドを始めるきっかけになったガールズバンド『えもおしょんず!』の地元ライブがこの後近くのライブハウスでやるの! それに行くわよ!」

「今から?」

「も、もしかして何か予定入れちゃった……?」

紅音にしては珍しく申し訳なさそうにモジモジしていてなんだか可愛い。

せっかく勇気を出して自分から誘おうと思っていたのに、紅音に先を越されたなーとか考えていると、いつの間にか紅音は少し瞳を潤ませながら俺の顔を見上げていた。

「もしかして……あたしと二人じゃ、嫌?」

聞いたことがないくらい寂しげな声色に、俺はあわてて否定する。

「全然! むしろ嬉しいよ!」

「そ、そう……それなら即答で『はい』か『イエス』で答えなさいよね! 心配、したじゃない」

ああ! まさしく王道! 普段のツンツンな態度もご褒美だが、時折見せる優しさも男心を容赦なく刺激してくれる!

「そ、それじゃ行くわよ!」


ライブハウスは俺たちが練習していたスタジオから歩いてすぐの建物だった。

そこまで大きくもないライブハウスにはすでに多くのファンが集まっている。

「……あたしが前にやってたバンドもね、『えもおしょんず!』のライブを友達と見に行って感動して始めたのよ」

少しだけ懐かしそうに、それでもどこか楽しそうに紅音は語る。

「ライブ終わりに私たちは、同じ夢を持って、バンドを組むことに決めた。最初は一緒にライブに行ったベースの親友と、その子の知り合いの2つ上の先輩のドラマーの3人だけだった。そのあと後輩2人も入って皆で楽しく、夢に向かって頑張ってた……はずだったのに」

紅音は流れ落ちる涙の雫を指で拭うと、寂しげな笑顔で言った。


「あたしたちの夢は、どうしてバラバラになっちゃったのかな……?」


 激しく響くギターの音色も、綺麗で力のあるヴォーカルの声も、強く胸を打つドラムの音も、バンドに調和をもたらすベースのリズムも、今の紅音あかねには届かない。お目当てのバンドの曲が数曲終わったところで、ヴォーカルは水分補給をしながらトークに入った」

「今日は私たちのライブに来てくれて皆ありがとー! やっぱり地元サイコ―! 私たちは、後半戦に向けて調整してくるからその間、今私たちが注目しているバンドに繋ぎ役をお願いしちゃいまーす! カモン『L.C.(エル・シー)』!」

繋ぎ役で呼ばれたバンド名だけが紅音と俺の心に鋭く突き刺さる。

大人しそうなベースの女の子と高身長でクールそうなギターの女子2人、そして可愛らしいキーボードの女の子と、負けず嫌いそうなドラムの女性。

そのバンドを見て紅音が忌々しげにつぶやいた。

「なんで……? なんであいつらがあそこに立ってんのよ!」

「どうも皆さん、『L.C.』です! 私たちが『えもおしょんず!』さんと同じステージに立てること、本当に嬉しいです! それでは聴いてください……」

俺たちの驚愕と動揺を余所に、かつて紅音がいたガールズバンドはなかなかの熱狂ぶりで2曲を演奏し、場を大きく盛り上げた。


 ライブが終わった後、俺と紅音は廊下にいた。

「幸人、ちょっとここで待ってて」

俺は慌てて紅音の手を掴む。

「何するのよ! 放して!」

「行くつもりなんだろ? 行ってどうする? 傷つくだけかもしれないだろ!」

「うるさい!」

ほぼ反射的に手が出たというような感じで平手打ちがおれの右頬を襲った。

紅音も申し訳なさそうにしている。

「いいんだ、紅音。……我々の業界ではご褒美です!」

親指を立ててニカッと笑うと、紅音は「キモッ!」と言いながらつま先を踏んできた。

「我々の業界ではゲハッ!?」

見事な体重移動から無駄のない動きで繰り出された重いボディーブローによって俺はノックアウトされることになった。

しかし、どうやら紅音も元バンドメンバーに会いに行くのはやめるようだ。

これで危険は回避できた。

……そう思っていた。


「あれ? 紅音あかねじゃん」

先ほどステージでベースを弾いていた女の子が、ケースに入ったベースを背負いながら駆け寄ってきたのだ。

明らかに作った声色で、友人らしく紅音に話しかける

「久しぶり、元気だった?」

里奈リーナ……」

「ねえ、まだ音楽やってるんでしょ?」

「う、うん」

「バンドとか組んでるの?」

「うん……」

「ちょうどよかった! 今度私たちが出るライブハウスのイベントがあってね、出場のバンド募集してるの。どうかな?」

紅音はなぜかいつもの勢いがない。ここは俺が……。

「すみません、こっちのバンドも忙しくて」

「え!? 嘘!? 紅音のカレシ? どうもー私、『L.C.』でベースやってる斉藤さいとう里奈りなでーす。もう紅音、カレシできたなら言ってよー、お祝いしてあげるのに」

「うっさいわね! 裏切り者!」

紅音が相手のマシンガントークに耐えかねたように、大声で遮った。

「何言ってるの? 私が紅音のこと裏切るわけないよ。親友だもんね?」

「あんたなんか、親友じゃないわよ!」

「……ホント変わってない。そうやってはっきりしすぎてるから嫌われるってわかんないかなー?」

アニメ声のような作った声から、落ち着いた冷たい声色で、し潰すようにいった。

紅音の声とは違い、聞く相手の心を震え上がらせるような冷たさだ。優しさや温かさなんて少しも感じられない。

「あたしはあんたたちみたいには死んでもなりたくないだけよ!」

そういって背を向けて、紅音はライブハウスから出て行ってしまった。


寂しさと怒り、そんな紅音の背中を、俺は追いかけることができなかった。

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