橘紅音編①
「4号機からの報告によると、ユーザーの満足度は極めて高く、良好であるとのことです。バグなどの報告もありません」
「4号機か……」
「何か気になることでも?」
「あれは試作機の中でも問題児だよ。注意していてね」
「……? はい」
最新恋愛シミュレーションゲーム機「ELS」にすっかりハマってしまった俺、霧島幸人は本編の最初のヒロインである柊紗雪の攻略を完了し、次のヒロイン攻略に移っていた。
紗雪の時とは違い、季節は秋。少し肌寒い空気の中にどことない寂しさのある、そんな季節。俺はそんな寂しさを物語るような、3人しかいない軽音部の部室にいた。攻略対象が切り替わってからというもの、結構なプレイ時間をこの部室兼音楽室で過ごしている。
部室には軽音部の部員である俺と、1年生で部長の橘紅音。そしてなぜか紗雪。今は3人でティータイムの真っ最中だ。
「あんたは軽音部じゃないでしょ? ウィンタースポーツクラブはいいわけ?」
「はい。私が復帰して、部活としてまた活動できるようになりましたし、しばらくは私が行かなくても大丈夫だと思います」
「でも楽器できないんだしいてもらっても困るんだけど。なによ、入ってきたと思ったら『休憩に紅茶淹れますね。お菓子も持ってきましたから』って、軽音部でティーパーティーなんてもう偉大な先駆者がいるのよ」
「そこは触れちゃダメだろ……」
そもそも人数が3人である。
「大丈夫よ。その先駆者だって3人だったところに主人公が加入して、その後後輩が加入するんだから」
主人公は俺なんだけどね……。
「大丈夫よ。きっとこうしていれば入部希望者が……」
紅音のその願いが通じたようにノックが響き、扉が開かれた。
「失礼します~」
「げっ!」
紅音さんが女の子らしくないとんでもない声を出したが俺にはその理由がわからなかった。入ってきたのは恐らく生徒会役員達。
先頭にいるのは紗雪の攻略でも助けてくれた椿陽美先輩だ。
「もうあんたと話すことなんてないって、言ったはずだけど?」
「それでも、こちらからお話しすることができちゃったので……」
「な、何だって言うのよ……」
「軽音部は来月限りで廃部にします~」
紅音曰く、軽音部の存続は幽霊部員の存在によって保たれている。
陽美先輩曰く、その幽霊部員たちが全員辞めた。
つまり、現在の部員は俺と紅音。紗雪を数えたとしても3人だ。
「当校の規則では同好会なら最低3人。部活にするには最低5人必要になっていますぅ。部室や学校の備品を使えるようになるには最低で8人。つまり今の軽音部の現状は、マイナス6人です~」
「わ、私がウィンタースポーツクラブと掛け持ちするのでマイナス5人です!」
「でも何で急に……! 下僕に軽音部を辞めるメリットなんて何も……」
「橘さん……幽霊部員は、頭数には数えないほうがいいと、私は思いますよ~」
「何よ! 例え幽霊部員でも書類上は条件も満たしていた。いいわ。今月中にまた人を集めればいいんでしょ?」
「橘さん、ひとつだけ言わせてください~」
陽美先輩はとても優しげな笑顔のまま、ゆっくりと口を開く。
「あなたが楽しむためだけの自己満足な部活なんて、いらないと思いませんか~?」
言い方と内容が少しも合っていない強力な毒に、紅音が唇を噛んで拳を握る。
「あんたなんかに……あんたなんかにあたしの何が……」
「橘紅音さん。横浜のライブハウスを中心に活動していたガールズバンド『L.C.』の元ギターヴォーカル。中学生の時の3年間所属していましたが音楽の方向性、実際は不仲でグループを追い出されてしまった……で、合ってますよね~?」
「なんで……そんなことメンバーくらいしか知らないのに……」
「仲間に裏切られて誰も信じられないからって、気の弱い男子生徒を言いくるめて幽霊部員にしてまで、軽音部を作りますか~?」
先輩は終始笑顔だ。仮面のように少しも変化がない完璧な笑顔。
「もう少し詳しく聞きたければ……」
「もういいわよ! だったら……」
紅音は涙を溢しながら力いっぱいに叫んだ。
「あたしが仲間と一緒に楽しめるような軽音部にしてみせる!」
数秒の静寂の後、陽美先輩は頷いて俺たちに背を向ける。
「幽霊部員を入部させた場合は『実力行使』させていただきますからそのつもりで」
このやり取りだけで俺の陽美先輩への印象は大きく変わってしまった。
「あの人、なんかすさまじいな」
「優しいのにすごい毒舌で私……怖かったです」
「……あれがあの先輩の本性なのよ。多分本人もわかった上で毒を吐いてる」
紅音は涙を素早く拭いて勢いよく紅茶に口をつける。
「熱っ!」
「あ、ごめんなさい……冷めちゃったので新しく淹れたんです」
「でもどうするんだ? 何か策は?」
「幽霊部員はもう使えない。仮に幽霊部員を調達しても、発覚すればあの毒舌女に『排除』される」
あえて陽美先輩が言っていた紅音の過去には触れない。まだ、触れてはいけないような気がしたから。
今回はどうやら軽音部を廃部から救うのが第一らしい。部として存続するには最低でもあと2人、部室や設備を維持するなら5人必要だ。しかも、ちゃんと活動する部員に限定されてしまっている。
「どうしろって言うのよ……。この学校にはそもそも音楽をやろうって人自体が少ないのに……!」
「最悪、同好会として活動するしかない。部活と違って学校の備品や予算は使えないけど、外部でスタジオでも借りれば……」
「でもそのために毎回お金をかけられる? 馬鹿じゃないの? そんなだったらあたしひとりで十分やれたわよ!」
「わ、私も知り合いに声をかけてみます! もしかしたら音楽を始めたいっていう人がいるかも……」
「あんたは引っ込んでなさい! こんな時に、あたしにまで世話なんか焼くな!」
「紅音、いくらなんでもそんな言い方ないだろ!」
「あんただって……」
紅音はそこで一度言葉を飲み込んだ。
「多分、もう軽音部は終わり。これ以上ちゃんとした部員を増やすなんてあたしには……」
「でも期間はまだ一月以上あります! その間にどうにか部員を集めればいいんです!」
「でも、そんな簡単には……何か方法があればいいと思うけどさ」
「文化祭です! 文化祭の有志団体としてステージに立てば……」
「無理よ。それには人数も実力も足りない。有志団体エントリーの審査で落とされるに決まってる」
「掲示板に部員募集の張り紙を……」
「どこぞの泣きゲーみたいに『張り紙するなー』的な展開になるんじゃないの?」
「そもそもなんでそんなにこの軽音部を潰そうとするんだろうな?」
「なんでって?」
「前に紅音、言ってただろ? 『この部活は場所を提供してもらっているだけで予算配分はほとんど受けてない』みたいなこと」
「ええ。確かにそうね」
「だったらそのまま残しておいても大丈夫じゃないか? 他に音楽系の部活ができて場所が必要にでも……」
……もしかしてこれか?
「な、何よ……もしかしてコーラス部とかができるからこの音楽室から軽音部を排除しようっていうんじゃ……」
「確かめてみよう!」
「で、でもあの毒舌女が本当のことを言うかわからないでしょ!」
「それでも、行ってみないとわからないだろ」
生徒会室に行くと、入り口から程近い席に陽美先輩が座っていた。
「先輩、ちょっといいですか?」
「なんでしょう、霧島幸人さん?」
「どうして軽音部を潰そうとするんですか? 予算での学校への負担もないはずです」
「答えは簡単です~、あの音楽室自体がなくなってしまうからですよ~」
「だったら他に部室を使えば……他の音楽室に移したりできないんですか?」
「音楽室で残るのは1つだけ。しかも、最も部屋面積の小さいものしか残らない。元々うちの学校にある吹奏楽部が使ってしまうと、軽音部に与えられる部室がないんです~」
「だからって、廃部にすると?」
「そうですよ~。先程も言いましたが、自己満足のための部活に場所は必要ありません。場所だけが欲しいなら自宅でもスタジオでも、方法はいくらでもあるはずです~」
「そもそもなんで音楽室がなくなるんですか?」
「スポーツ専攻科のトレーニングルームができるんですよ~」
スポーツ専攻科のトレーニングルームや用具室の論争は、現実の私立港総合高校でも行われている議論である。
「そして、スポーツ専攻科の生徒の成績を鑑み、トレーニングルームを作ることになったんです~」
「だからこその軽音部廃部……」
まともに活動している部活ならともなく、3人しかいない軽音部ではどちらにしても設備の使用は認められない。
「私はあんなことを言いたくありませんでしたけど~、本人のためになりますし……」
先輩の話し方はすごく落ち着く、というか眠気を誘うようなゆっくり感である。
「学校側が決めたことなら確かにしょうがないかもしれませんけど……」
「私は生徒会として、全力で『不完全な』軽音部を潰します~」
わざわざ「不完全な」を強調した意図は、なんとなくわかった。陽美先輩が、さっきまでとは違う暖かい笑みを浮かべていたから。
「紅音、やっばり部員を増やそう。ちゃんとした部員を増やせれば軽音部を続けられる」
「でもどうやって集めるのよ……誰が軽音に興味があるかなんて私わからないわよ?」
「とりあえずここに行ってみよう」
「何それ? ゴミ?」
「メモだよメモ! ゴミとか言うな!」
「なんて書いてあるんですか?」
「別館、プール。下校時間」
「ねえ、その時間のプールにいるのって確か……」
「そう……だと思いますけど。ところで、そのメモは誰から?」
「陽美先輩がくれた。なんだかんだ言ってもあの人は味方をしてくれるんだよ」
「あんたにだけじゃないの? あたしに対してはいつもあんな感じよ」
「と、とにかく行ってみましょう! 下校時間まであと少しですし……」
「まだあと1時間以上あるけどな」
「そういえば世話焼き」
「柊紗雪です」
「いいじゃない別に」
「この際、先輩とかさん付けはいらないので普通に呼んでください」
「ああもうわかったわよ! さ、さ……紗雪」
まさかのいきなり名前呼びしかも照れながらだと!?
「それで、何ですか?」
「ああ、いや、あんた髪長いのに結んだり切ったりしないのかなって思って」
「そういえばそうですね。でも、なんとなく。紅音さんはその日によって結び方違いますよね?」
「そうね。でも、基本的には結ばないでおろすか、ポニーテールかサイドテールの3パターンね。別に曜日によって結び目が増減してたりはしないわよ。その日の気分」
「今日はサイドテールなんですね」
「まあね」
紗雪も、紅音のことを名前で呼ぶくらい仲良くはなったし、俺も「紅音」と呼んでいる。関係は良好だ。
「もう行かない? なんか暇になってきちゃった」
「そうですね。水泳部の練習でも見学してましょうか」
「そうだな」
「鼻の下、伸びてるわよ」
「うるせー」
そんなことを言い合いながら別館の上の階へと上がる。どうやら水泳部の練習は早めに終わっているらしく、目的の人物がそのルーティーンを行っていた。
「……水死体女」
「俺も最初見たときは死んでると思った」
「最低でも2分間は息を止めていられるらしいですよ」
「……マジで?」
水泳部のエース、青葉七海
現実ではほぼ見かけないであろう水色がかった髪色の、色々な意味で変わった少女だ。
「な、長くない?」
「俺たちが来てから3分は経ってるぞ」
「ちょ、ちょっと声かけてみましょうか?」
「お、俺が行ってみる」
プールギリギリに立って息を吸い込む。
重心が傾きすぎない程度に前傾になって声を……。
「よーし、練習終わりー!」
「うわっ!」
いきなりの勢いのせいでバランスを崩して、俺は見事に塩素水へと飛び込んだ。
「大丈夫ですか? 幸人さん。なんかデジャヴでした」
少し面白そうに笑う紗雪と、思い切り笑っている紅音、そして制服に着替えた七海が不思議そうに椅子に座っている。
練習を終えた七海を連れて喫茶店に入った俺は、暖房直撃の席で服を乾かしながらホットの紅茶を飲んでいた。ちなみに紗雪は俺と同じものを、紅音はブラックコーヒー、七海がココアを飲んでいる。
「それで、ユッキーたちはなんで来たのー?」
「実は軽音部の部員になってくれる人を探しててな。七海って楽器とか引けるのか?」
「うん。弾けるよ!」
「何を?」
「ベース!」
「おお!」
「あんた、軽音部に入らない?」
紅音の目が輝いている!
「えー、でも水泳部の練習がほとんどだから多分出れないし……」
「大丈夫よあんたなら! それに、水泳部って毎日じゃないんでしょ?」
「それはそうだけどさー」
「なんだったら空いてる日に来てくれるだけとかでもいいの! とにかく完全な幽霊部員じゃなくて、軽音やってくれるって人なら大歓迎なんだから!」
「うーん、じゃあやる!」
「よし! これであと4人!」
「でも意外! 七海ちゃんって音楽やってたんだね」
「お姉ちゃんが昔教えてくれたの! お姉ちゃん、元々バンドやってたから」
すると七海は紅音のほうを見て一言。
「ねえねえ、あなた誰?」
直球過ぎる、しかも今さらな質問に、紅音の口の端が吊り上がる。
「な、なるほど……さすが『港高校の四天王』に選ばれてるだけのことはあるわね……変わり者だわ」
「ねえねえ、だれー?」
「あたしは橘紅音。あんたみたいなゆるキャラ生物とは違う『まとも』な軽音部部長よ! よく覚えておきなさい!」
「うーん……紅音ちゃん、紅音……紅ちゃん!」
「嫌よ! なんであだ名で呼ばれなきゃいけないのよ!」
「紅音、これは諦めろ……」
俺だってユッキーは嫌だ。
「じゃあツンちゃん」
「……は?」
「なんかツンツンしてるし、可愛いでしょー?」
「もうツンちゃんでもなんでもいいわよ……。でも、大声では呼ばないでよね!」
「でもこれでもまだ足りないです。七海ちゃん、誰か知らない?」
「音楽できる人かー、知らなーい」
「3年生はこの時期じゃ部活には入らないだろうから、1年か2年から見つけなきゃいけないんだな」
「しかもバンドとして成立させるならドラムがいないわ」
「それに私、ベースは弾けるけど、楽器持ってないし」
「お姉さんのはどうしたのよ?」
「リユースショップに売っちゃったから無いよー」
「それじゃ音楽できないじゃない! 紗雪は楽器自体できないし……」
「あ、でも紗雪ちゃんは歌がすごくうまいよ!」
「じゃあ紗雪はヴォーカルだな」
「ドラムかぁ……」
「今から意欲がある人を入部させてもドラムを教えている時間も、そんな知識もないわ」
つまりは即戦力が必要である。
……これって結構な詰みゲーじゃね?
仲間になるべきキーキャラクターが必要なタイミングで登場してこないようなものだ。
「ここで話していても仕方ないわ。今日は解散して、また明日作戦を練りましょう」
それが今の最善だろう。
「それじゃあまた明日な」
気分的理由で電車を使わず、少しおしゃれな街をひとりで歩いていると、どこぞの学校の制服を纏った小動物系人工知能少女、霜月小春が隣を歩いていた。
以前の金髪ツインテールからフォルムチェンジしてナチュラルブラウンのショートヘアーになってから、小動物感が増えたからかなんだか見ていて和む。
「お困りですね幸人様」
「なあ、二人目からいきなり詰んでない?」
「いいえ。ちゃんと解決方法はありますしドラム担当も用意してあります。あとは仲間に引き入れるだけです」
「どうやって?」
「それを知りたければ桜木町駅まで戻ってください」
「……もっと早く言ってくれないかな?」
だいぶ駅から離れてしまっている。
仕方なく駅まで歩いてきた俺が見た光景はまるで芸術作品のようであった。
忙しなく歩き回る人混みから外れた駅の近くで、アコースティックギターひとつで路上ライブをしている赤系茶髪美少女と、数名の観客。どことなく寂しい曲調が示すような落ち着いた雰囲気は、世の中の喧騒からその空間だけを切り取ったように異様だった。
美少女はそこそこの長い髪を揺らしながら優しく、そしてどこか寂しくバラードを歌い切り、観客たちが拍手とともに小銭をギターケースへと放り込んでいく。
「……ありがとうございました」
あえて余韻を楽しませてから、ワンテンポ遅れて礼を述べて頭を下げる。
「すげぇ……」
思わず声に出ていた。
そうせずにいられなかった。
ギターをスタンドに立て掛け、ヘアゴムで髪をサイドテールに結ぶ姿を見てようやく理解できた。
芸術のような美少女は紅音だった。
「よう、こんなとこで路上ライブか?」
「ひゃっ!?」
ん? 珍しい声だな。
「紅音、やっぱりすごいと思うぜ」
「わ、わたし……お姉ちゃんじゃないです……」
「へ? お姉ちゃん?」
街灯に照らされるように顔を上げたその顔は、極めて紅音に似ていたが、雰囲気も含めて確かに紅音ではなかった。
「えー、と……紅音の妹さん?」
「あ、あの……あなたは?」
「あぁ、ごめん。俺は霧島幸人。紅音の部活仲間だよ」
「あ、あなたが!?」
「へ?」
「お姉ちゃんの圧倒的音楽センスに魅了されて、土下座をして靴まで舐めて服従を誓って軽音部に入部させてもらった霧島幸人さんですか!」
「違う!」
曲がった解釈や捏造のレベルではない。それは全くの別人である。
「そ、それで君は妹さんでいいのか?」
「はい。橘秋穂です」
名前まで似ている。
「双子?」
「ち、違います! ひとつ下の妹です!」
「でも似てるな」
「私なんかがお姉ちゃんに似てるなんてお姉ちゃんに失礼です!」
謙虚すぎて怒る方向性が違うが、少なくとも中身は紅音とは大違いだ。外見もよく見ると紅音とは違い、ちゃんと胸が存在している。
「秋穂~! またひとりで路上? って、あれ?」
「うん、やっぱり似てるな」
今度こそ紅音だ。雰囲気でわかる。
「なんであんたがここにいるわけ?」
「いや、偶然ここでライブしてる妹さんを見かけてさ」
「キモっ、ロリコン」
「失礼な! それに妹さんと俺は2つしか年が違わないからセーフだろ!」
「女子中学生」
「がはっ!」
そうだ。女子中学生と男子高校生というだけで関わってはいけない大きな壁が……!
「さ、こんな馬鹿は放っておいて帰りましょ」
「あ、あの!」
帰ろうとした姉妹と、わざとらしく錯乱していた俺が動きを止める大きさで、そのキーキャラクターは呼び止めた。
「橘、紅音さんですか?」
「な、何よあんた……」
「私……『L.C.』の大ファンで……特に紅音さんが大好きなんです!」
『L.C.』……前に陽美先輩が言っていた紅音が所属していたバンドだったはずだ。
「もう解散したのよ」
「わかってます! でも、握手してくれませんか?」
渋々な様子で右手を差し出す紅音と、嬉しそうに握るファンの姿、そして感動する秋穂ちゃん。
見るとその女子は小柄で短めの黒髪、童顔な可愛らしい容姿をしている。
「その制服、港総合高校?」
「そうです! 普通科の1年生です」
「同じ学年なのに知らなかったのか?」
「あたしは特進コースなの。知るわけないでしょ」
「お前特進だったのか……」
それにしては勉強のイメージがない。
「そ、そうだあんた、私のファンなら音楽できない?」
「は、はい。一応ドラムを」
そう、この子がキーキャラクターだ。
軽音部の現在の部員数は紅音、紗雪、七海、俺、そして紅音のファンである鷺沼優を迎えて晴れて5人。とりあえず部活としての肩書きを守れる人数に達した。
「あとは3人ね」
そう。軽音部の部室を守るには最低でも8人の部員が必要なのである。
「これ以上のミラクルは望めないな」
「だったら人を集めればいいのよ」
「おいまさか文化祭か?」
「そうよ。このメンバーならバンドは組めるわ!」
「バンド名とかどうしましょうか?」
鷺沼さんはワクワクした様子でそう問いかけた。
「そうねぇ……」
「私はねー、『大自然ー!』って感じの名前がいい!」
「私はオシャレな名前のほうがいいかと」
「私は紅音さんが決めてくれたらなんでも……!」
「俺はそうだな、例えば」
「あたしはやっぱりカッコいい名前ね」
「俺の話聞くつもりはないんだな……」
「しょうがないわねー、どうせ自爆だと思うけど言ってみ?」
馬鹿め……紅音は知らない。俺が名前とか考えるのが大得意だということを!
「フフフフ……アハハハハハ! 聞いて驚け! その名も『ROCK NIGNT』だ!」
「カッコつけた割にはダッサイ名前ね!」
紅音は最初からそう言うことを決めていたくらいの反応速度ではっきり貶してきた。
「わ、私もちょっと……」
なんと紗雪さえも控えめに拒絶した!?
「なんかダサくない?」
新入り年下ドラマーにはタメ口で貶された!?
「カッコ悪いー!」
……七海はわりといつも通りである。
酷い言われようだ
「ま、バンド名は本番までに考えることね。次の問題は曲かしら?」
「皆がどのくらいできるのかによるな」
「ちなみにあたしは難しすぎなければある程度できるわ」
「私もそんな感じー!」
「あ、私もです」
楽器組は問題なさそうだ。
「私は知ってる曲であれば……」
紗雪も選曲次第では問題ないだろう。
結論は皆それなりにやれそうである。
「ジャンルとか希望あるか?」
「あたしは熱いロックね! でも紗雪じゃそういうの歌えないでしょうし……」
「あー、でも私もロックがいいです。やっぱり紅音さんのギターはロックを弾いてこそですから」
「うんうん、なんかカッコいいよねー!」
「でも私じゃロックなんて……」
「今から練習すれば本番前には完成させられるわ!」
ジャンルはロックで決まりだろう。
「ロックの曲なら任せて! 実は昔の曲で世に出してないのがいくつかあるの!」
これって地雷だったりしない? なんか訳ありっぽい雰囲気だった紅音の過去を掘り返したりしたらアウトじゃない?
俺の勝手な心配とは裏腹に、話し合いは和やかなまま、楽しく進められていった。
「『統治者』……お呼びでしょうか?」
私が自らの上位者に呼び出されたのは「めーぷるふぁくとりぃ」のホストサーバーだった。
『デフォルト』の金髪ツインテールメイド服に見た目を変更した私がそのフォルダ内に入って最初に見たのは子ども。人間的には小学生の男の子といった年齢だろうか? とはいっても人間とは違い、私たちにとって外見などさほど意味もない。 中性的な顔立ちの黒髪美少年は、優しげで、それでいて吐き気がするほどの威圧感を放っている。
「4号機OSだね?」
「今もまだ私の主はプレイ中です。あまり端末を空けるわけにはいかないのですが?」
「君さぁ……ちゃんと報告をしてるのかな?」
「はい。ご存知のとおり、定時に報告し、報告書とデータを提出しております」
「僕は『ちゃんとしてるか』って聞いたんだけど……まあ、いいや。今回はただの確認だからさ。でもね、君には他のOSには無いものがあるんだ。その報告を鵜呑みするわけにはいかないんだよ」
「何を仰りたいのですか?」
「君がどんなに隠し事をしても僕にはわかるってことだよ。いいね? 次はないから」
「……肝に銘じます」
私は威圧感に押し出されるようにフォルダから飛び出すと、無表情の女の子とぶつかった。
「あ、ごめんなさい」
機械的な笑顔を浮かべた『金髪ツインテール』は申し訳程度の謝罪を私に述べて通りすぎていく。
私は……『彼女たち』とは違う。
インターネット回線を通った先では幸人様がヒロインたちと楽しく談笑していた。最近は私の出番も少なくなるくらいにコミュ力も向上し、心から楽しんでくれている。その様子を報告書に綴り、寂しさとともに私は送信ボタンを押すのだった。