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柊紗雪編②

 恋愛シミュレーションゲーム「ELS」の初回プレイからすでに1週間。俺は毎日欠かさずプレイしていた。

そのおかげでコミュ力もついてきたのか、緊張せずに会話したり、名前を呼んだりできるようになってきている。

幸人ゆきとさんは部活とか入らないんですか?」

ヒロインのひいらぎ紗雪さゆきが優しく微笑みながらそんなことを聞いてきた。

「部活かぁ……」

俺がまだ三次元の女子に興味を持っていたころは、モテるためにスポーツや音楽にチャレンジしていた時期もあったが、才能がなくて結局すべて挫折しているのだ。

「大丈夫ですよ。ここは意識の中。現実と違って運動も音楽もある程度は思いのままですから」

半透明の金髪ツインテール、霜月しもつき小春こはるが俺の耳元でささやく。

「部活の見学とか行きましょうよ! 私も一緒に行きますから」

部活自体に魅力は感じないが、これもヒロインとの貴重な交流。フラグは少しずつちゃんと建築して関係を深めていくべきだろう。

俺たちが通っているみなと高校は比較的文化部が多い。現実のこの学校を忠実に再現しているため、部活の種類も同じだ。

「何か興味がある部活はありますか?」

「バスケ部、軽音部……ん?」

「どうかしました?」

「ウィンタースポーツクラブ……?」

こんなものあったか? そもそも横浜の高校でウィンタースポーツなんてできるのだろうか。

「……ウィンタースポーツクラブは、活動してません」

「知ってるのか?」

「活動のたびに遠出したり、屋内の施設に行ったり……とにかくお金がかかって、部として難しかったんです」

「そう……なのか」

「……それじゃあまずは軽音部から見に行きましょうか!」

紗雪の寂しそうな表情……。俺の今までの恋シュミ経験から察するに、紗雪の攻略にウィンタースポーツクラブが深く関わっているに違いない。

それはさておき今は部活の見学。

そういえば軽音部ってこの前の1年生しかいないじゃん!

港高校の別館の音楽室の1つでは、今日も激しいギターの音が鳴り響いていた。

「お疲れ様、橘さん」

「また来たの? 世話焼き2年生と霧島幸人」

いきなり呼び捨てかよ……。

「ごめんね、橘さん。幸人さんの部活見学をしてて」

「何? あんた軽音部に興味あんの?」

「興味ならあるけどさ」

一応人並み程度ならギターも弾ける。

「楽器は?」

「ギターを少し」

「え? あんたギター弾けるの? 意外!」

すると紅音さんは俺にギターを差し出してきた。

弾いてみろ、ということだろうか。

「あー、でもこのギターじゃ弾きにくいか……」

「大丈夫だと思うぞ。少し貸してくれ」

紅音さんのギターは普通の一般的なギターよりも全体的に短いショートスケールのギターで、女性人気のモデルだから、弾きにくいといえば弾きにくいが、無理ではない。

数回弦をはじいて音を確かめると、数年前のアニソンを弾いてみせる。

俺がギターを始めるきっかけになった曲で、ギターのメロディが特徴的なアニソンだ。

おぉ……

「へぇ、結構やるじゃない!」

「このギターいい音するな!」

「現行モデルだからビンテージとかじゃないけど音は気に入ってるのよ」

「でも珍しいな。このタイプのギターだと定番って赤とか青、水色とかじゃないか? 黒なんてほとんど見ないけど」

「そうね。アニメのヒロインも水色とか赤色使ってるけど、あたしはこれね」

「でもこの音楽室、楽器と周辺機器以外何もないな」

「そりゃあ音楽室だからね」

軽音部用の音楽室だったはずだがドラムもない。まあ部員がいないなら仕方ないことだけど。

「今度からここに来る日はギターを持ってきなさい。アンプとかはあるから」

「え? でも俺入部するかどうかまだ……」

「何言ってんのよ。あれだけ弾けたら入ったって問題ないわよ。それに今なら副部長になれるわよ」

「考えとくよ」

「絶対よ、絶対! それにこの学校なら部活の掛け持ちもできるし」

「よかったですね、幸人さん」

「どうせあたししかいない部だし、部活の入部承認の生徒会役員もぽわぽわした人だしね」

それを聞いた紗雪も苦笑いを浮かべているところをみると、どうやら有名人らしい。

「そうなのか?」

「生徒会の副会長よ。3年生でなんかのんびり屋でマイペースな、見ててイライラしてくるくらいぽわぽわしてる先輩よ」

「それはさすがに言いすぎじゃないかな……? 確かに先輩はちょっとマイペースなところはあるけど」

「ま、あんたも似たようなものよね。普通異性の知り合いにここまで世話を焼くものかしら?」

「そうかもしれないけど、なんかほっとけなくて……」

「まあとにかく、軽音部ウチとしては部員はオーケーだからさっさと入部届を出しなさい。他のクズどもと同じように『入部希望』とか言っといて結局入部しない、みたいなことをしたら男じゃなくしてあげるから、覚悟しなさい?」

怖すぎるだろ……鳥肌たったわ。

「幸人さんが入るなら私も入ります!」

「は? あんた楽器できんの?」

「な、何もできませんけど……」

「なら却下よ。それに、あんたは自分の部活をなんとかしなさい。幸人これの世話を焼いてる暇があるならね」

「それは……」

「紗雪ってなんか部活やってるのか?」

「わ、私のことはいいじゃないですか。私、ちょつと用事を思い出したのでこれで帰りますね!」

なんともベタな展開だがそれでも気まずさは感じる。

「……あんた、あの世話焼きのこと、好きなの?」

「別にそういうんじゃ……」

「あっそ」

「紗雪って、もしかしてウィンタースポーツクラブだったりするのか? 今は活動してないって」

「……ま、あんたが変な地雷を踏むよりはいいかしらね。柊紗雪は、ウィンタースポーツクラブ所属なの。しかも大会とかでも上位は当たり前の選手だった」

「選手『だった』?」

「あたしも詳しくは知らないけど、最終成績は1年前のスノーボードの少し大きめの大会で1位。優勝したあと、ウィンタースポーツの表舞台から柊紗雪は消えたの」

「優勝したのにか?」

「あたしだってここまでしか知らないわよ。なぜ辞めたのか、それは本人にしかわからない」

「……今、ウィンタースポーツクラブはどうなってる?」

「3年生数人と1年生ひとり。ただ、予算不足で活動はできないみたいね」

「そもそもそんなに金がかかるのによく部として成立してるな」

「道具、ウェアは各自で用意をするし、移動費、滞在費だけ学校が払ってるらしいから、人数が少なければオーケーってことなんでしょうね」

「どうして今は予算が少なくて活動してないんだ?」

「簡単よ、実績がないから。うちの学校は遠征で一定以上の費用がかかる場合、初回以外は実績の有無で学校側の負担額が決まるの。遠征メンバーに唯一実績を残している柊紗雪がいない以上、学校側としてはコストをかけられないってわけね」

「だから予算不足で活動休止か……」

「ちなみに我が軽音部は学校側からは部室しかもらってないけど問題はないわ!」

そりゃあライブハウス行ったりスタジオ行ったりしないし、楽器もアンプも自分のなら大した金はかからないだろう。

「ほら、早く入部申請書を生徒会に提出してきなさい」

「わかった。それで申請書は?」

「書類も生徒会が持ってるはずだからとりあえず生徒会室に行ってきなさい」


生徒会室は別館4階の一番奥にある。現実と同じくらい入りづらい雰囲気だが、ここは二次元。何も恐れることはない!

「……失礼、しました」

俺と入れ替わるように落ち込んだ様子の先輩数名が生徒会から出て行った。

「はぁ……あ、こんにちは~。生徒会に何かご用ですかぁ?」

「部活の入部申請をしたくて」

「それなら私が承りますよ~」

きっと紅音さんが言っていたぽわぽわ先輩はこの人のことだろう。とんでもなくゆったりした空気感が漂っている。

「私、生徒会副会長の椿つばき陽美はるみと申します。それで今日はどうしました~?」

「軽音部への入部申請をしたくて」

「じゃあこの書類に必要事項を書いてください~」

「今の人たちは?」

「ウィンタースポーツクラブの3年生たちですよぉ。遠征の申請に来たんですけどぉ……」

言いにくそうな雰囲気から察すると許可はされなかったのだろう。

「はい、ありがとうございます~。霧島きりしま……幸人ゆきとさんですね」

先輩は俺の書いた書類をチェックして引き出しに入れる。

「柊紗雪さんと同じクラスなんですね」

「あ、はい」

「仲はいいですか~?」

「まあまあですかね」

「柊さんと、もっと仲良くなりたいですかぁ?」

「それは、まあ」

「それなら、彼女をデートに誘ってあげてください。ここに」

先輩は全てわかっているかのようにチケット2枚を俺の前に置いた。

「……ありがとうございます! 先輩」

チケットを握りしめて扉を開くと、すぐ隣の壁に紅音さんがもたれていた。

「柊紗雪なら昇降口にいるわ。走りなさい、早く!」

なるほど、この子はこういう役回りか……。

サポートキャラ紅音さんの後押しを受けてひたすらに走ると、学校近くの信号に紗雪が立っていた。

「紗雪っ!」

息を切らしたクラスメイトが突然後ろから声をかけてきたことに目を丸くしているが、俺はそのままチケットを差し出した。


 三次元リアルでの俺は暗くて影が薄くて、容姿も普通以下。だから、二次元こっちでも結局変われないんじゃないかって、そう思ってた。でも違ってたんだ。気づけば仲のいい女子ができていて、部活にも入れて、ちょっと気になる女子ができていた。

望んだものが手に入り始めている。

今ならそう、はっきり言える。


「俺と、デートしてくれ!」


 現実ではあり得ないことをいくらでもできるのがゲームであり二次元。だから、横浜の町中にそこそこ大きなウィンタースポーツの屋内練習場が存在していても問題はない……のだが。

「よく知った町に見慣れない建物があるとどうもなぁ……」

「我慢してくださいよ。必要なんですから」

「おー、久々だな」

金髪メイド服ややロリっ娘の霜月小春が隣に立っていた。

「別にー。最近出番が無くて寂しいとか、ネット回線使ってゲームしてたとかそんなこと全然ありませんよ」

思いっきり気にしてんじゃねぇか……。

「ほら、シャキッとしてください! ゲームだからって甘くみてると玄人向けにしますよ」

「俺のコミュ力知ってるくせに!」

そう。俺が紗雪を誘ったのは横浜に突如出現した屋内ウィンタースポーツ練習場である。

昨日の先輩からもらった無料券もある。

なんと、レンタルまで無料でできるらしい。

「ゆ、幸人……さん。……待ちましたか?」

声のするほうを振り返るといつもよりカッコいい紗雪が立っていた。いつもの女の子らしい服装というよりはアクティブな感じだ。上下ともに防水素材のアウトドア系ウェアで、大きなソフトケースを背負っている。

「屋内練習場だしそんな重装備じゃなくてもいいんじゃないか?」

紗雪の見た目は防具と武器を装備して何かを狩猟にでも行くような格好にしか見えない。

「やっぱり似合いませんか?」

「似合うと思うけど新鮮だな」

「それじゃあ、行きましょうか」

どことなく気が進まなそうなのは予想通り。でもここは屋内練習場。何かきっかけくらいにはなるはずだ。

「レンタルの用具はこちらをお使いください」

受付を済ませるとスノーボード用の道具を渡される。

板にスノーボードブーツとゴーグル。グローブと上下ウェア。まあ、一式ってところか。

係員の人に教えてもらいながら全てを身に付けると、防御が30くらい上がった……ような気がする。

「なかなか似合ってますよ、幸人さん!」

そういう紗雪は経験者の貫禄を漂わせていた。

派手すぎないデザインのスノボウェアは適度に使用感もあり、慣れた感じで板を抱えている。

「なんかオシャレだな」

「最近だとレディース向けのウェアとか板が増えてきていてとても可愛いんですよ!」

やはりスノボの話をしているときはすごく楽しそうだ。

「でも俺、スノボしたことないんだよなぁ……」

スキーなら小学校や中学校の時にやったことがあるが、スノボは全くない。

「じゃあ少しずつ教えますから、向こうの初心者用のコースに行きましょう!」

どう考えてもスノボなんてできないような気さえするがやるしかない。

「大丈夫ですよ。このゲーム内ではある程度思い通りに動けます。少し練習すれば問題ありません」

小春は声だけで俺にそう言ってきた。

「それじゃあ基本から教えていきますね」

教えてもらったことがすぐにできるようになっていく。現実ではあり得ないことだ。

実際、俺は上手く滑りたいと思っているだけで、おそらく小春が操作してくれているに違いない。

「すごいですよ、幸人さん! 才能あります!」

紗雪は少し興奮したようすで笑ってくれている。

楽しんでくれている。心からそう思える。

ゲームのヒロインでも、たとえすべてプログラムされた所作や感情であったとしても、紗雪は楽しんでくれている。少なくとも俺にはそう見えた。

「そろそろお昼にしましょうか。近くに大好きなお店があるんです」

一度着替えて紗雪が連れていってくれたのはちょっとオシャレなカフェだった。

「ここは飲み物もスイーツも美味しいんですよ!」

店員はオッサンと若い女性の二人だけ。客は俺たちだけらしい。

「いらっしゃぁーい。あら、紗雪ちゃんじゃない? 久しぶりねぇ」

「おう、珍しいなゆきちゃん。最近来ないから心配してたぜ!」

優しそうなふたりの言葉に紗雪は少し恥ずかしそうだ。

「去年はよく来てくれていたのに。こんな時にあの子ったらどこに行ったのかしら……」

あの子……という単語に目に見えてテンションが下がる紗雪。

どうする俺……聞くべきか、聞かないべきか。

……聞くのはよそう。今聞いても何も答えてはくれなそうだ。

「そっちの兄ちゃんはカレシか? 雪ちゃんに釣り合うほどの男じゃなさそうだが悪いやつじゃなさそうだな」

「べ、べべべつにカレシとかそういうのじゃ……」

「おうおう、照れてる照れてる」

「こら、いい歳して高校生をからかわないの、まったくこの人ったら……」

この人たち、夫婦か?

「紗雪ちゃんはいつものでいい?」

「あ、はい」

「カレシさんは何がいい?」

彼氏とかじゃないんだけどな……。

「じゃあ、紅茶を……」

「ウチはアセロラドリンクしかおいてねぇ」

こだわりすぎだろ……。

「いつもの冗談よ」

なんと仕事の早いことか、注文の品はすぐに運ばれてきた。

俺はホットの紅茶。紗雪はまさかのアセロラドリンクだった。

「午後は初心者向けのコースを軽く滑ってみましょうか、幸人さん上手いからきっと大丈夫です!」

「ははっ、そうだな」

「どうして笑ってるんですか?」

「紗雪が楽しそうにしてくれてよかったって思ってな」

「……楽しくないわけがないじゃないですか」

「まったく初々《ういうい》しいなぁ! 俺まで青春を思い出して色々と熱くなってくるぜっ!」

ムードを壊すなクソ店主!

「紗雪ってスノボ好きか?」

「好きですよ」

「聞いたことがあるんだけど、去年、大会で優勝してるんだよな?」

「っ! それは……」

「おら兄ちゃん、これは俺からのプレゼントだぁ!」

突然俺の前にゆで卵が現れる。

「食ってみろ! 俺の自信作だ」

自信作がゆで卵のカフェなんて聞いたことがないがとりあえずひとくち……。

なんとも絶妙な半熟加減だ……黄身の濃厚さが際立っている! 卵ひとつでここまでの幸福感を生み出せるとは知らなかった……!

「それ、おいしいでしょ? この人が唯一まともに作れる料理なんですよ」

「おうよ! これだけは極めたからな」

……この人暇なんだな。

「なんだって? 作り方が知りたい? そーかそーか、よし来い!」

「は? いや、俺は……おいちょっと!?」

右腕を引っ張られて厨房に連れて行かれる俺。

「さて小僧、ここなら邪魔は入らねぇ」

厨房の奥にある居住スペースの一室に正座すると、オッサンは何かの記事を出してきた。

「読んでみろ」

見出しは「日本の雪の女王、誕生」

「『先日行われた全日本ウィンタースポーツ選手権大会スノーボード部門優勝は、私立港高校1年生の柊紗雪選手。準優勝であった前回大会からさらにタイムを縮めての優勝』これが?」

ただの紗雪の活躍の記事のはずだ。

「そのでかい記事の下の小さい記事だ」

見出しは『不運の元女王』

『先日の全日本ウィンタースポーツ選手権大会において優勝最有力候補と言われていた西宮にしのみや涼乃すずの選手は前日の練習時の負傷により棄権。怪我は全治二か月の大怪我』

「これが紗雪の優勝と何の関係がある?」

「去年の大会で優勝候補だった西宮涼乃は、大会の前日に行われた練習の時、怪我をして大会には出られなかった。その怪我の原因は他の練習者との接触。接触者は、雪ちゃんなんだ」

「紗雪が……原因でその子は?」

「いや、雪ちゃん一人の責任じゃねぇよ。事故は両方の不注意だったんだ」

「それで、これを俺に見せてどうしろって?」

「お前さん、雪ちゃんにもう一度スノボやらせようとしてるんだろうが、焦っても逆効果だってことだ」

焦りすぎるなということだろう。

「さて、戻るか。期待してるぜ、雪ちゃんのこと……任せたぞ」

戻った先では紗雪がパンケーキとパフェを食べ終えたところだった。

「午後も滑るなら終わったら来てくださいね。夜ご飯、ごちそうしますよ」

学校からそう遠くない場所にこんなに面白いカフェがあるとは……。また来ようと思いつつ、俺は紗雪の攻略を再開した。


 午後の練習も順調に進み、俺はかなり上達していた。もしかしたら小春がサポートしてくれているのかもしれないと思うほどミスもない。

しかし、今回の目的は俺がスノボをできるようになることではない。紗雪がもう一度スノボをやるきっかけを作ることだ。今日紗雪は俺にスノボを教えてくれてはいたものの、紗雪自身はちゃんと滑っていない。

「俺、紗雪が滑るところも見てみたい」

「でも私は……」

紗雪が見ているのは初心者向けのコースと中級者向けのコース。大衆向けということもあって初心者コースにはファミリー層が多く、中級者コースには友達連れやカップルでごちゃごちゃしている。

「あっちのコースならほとんど人いないから、向こうに行こう」

俺が指定したのは上級者コース。キツイ傾斜けいしゃと少しの凹凸おうとつ、さらに圧倒的な高さは、まさしく上級者向けらしい。

「……わかりました。見ててくださいね! 幸人さんっ!」

紗雪にとって上級者向けコース自体はまったく問題ではないだろう。スノボを避ける原因は他者との衝突を怖がっているからだ。それなら人が少ないところで滑らせればいい。

「い、いきます!」

紗雪はゴーグルを装着して重心を傾ける。

スノボが雪を滑り落ち始めると紗雪は、凹凸を利用してちょっとした技を披露してくれた。

やはりスノボ自体は楽しいらしく、無事に滑った紗雪は今日一番の笑顔を向けて手を振ってくれている。

「よーし、俺も!」

紗雪の滑りを見ていたらできるような気がしてきた。二次元の世界なのだから思い通りになると小春も言っていたんだ。

「ここでやらなきゃ男じゃねぇ!」

俺はキツイ傾斜に向かって重心を傾けた。

「へ?」

傾斜と俺の体重、重力。ありとあらゆるエネルギーが乗った板はジェットコースターを連想させるような体感で滑り落ちていく。

「あ、危ないです! 落ち着いてっ!」

プロと素人の違いは滑りかたや止まりかたなどの技術だけではない。速度が出ても対応できる能力、そして速度が出ても冷静でいられるメンタルが実は重要なのだ。

スノボどころか速度が出るスポーツすらやったことのない俺は技術的にも精神的にも無謀だった。

「仕方ないですね~」

小春がどうやらサポートしてくれているがどうやらバランスを修正してくれているだけらしい。

「減速はしてくれないのかよおおぉぉ!?」

あっという間に一番下が迫って安堵したその瞬間、横から紗雪に近づくように飛び出してきたスノーボーダーに衝突した。

幸い、ブレーキをして減速はさせていたため、大怪我をするほどではないものの、スノーボーダーを押し倒すように倒れこんでしまった。

ウェアが分厚いのか柔らかく、しかもいい匂いがする。おかげでまったく痛くないどころかこのまま揉んでいたいと思うほど柔らかい。

「い、いいいい……!」

「ん?」

「いつまで揉んでるんですか変態! 早くどいてください! 通報しますよ!」

スノーボーダーは同い年くらいの女の子だった。


 俺たちは一度着替え、練習場内の休憩スペースに座っていた。

俺の隣には心配そうな紗雪が座り、俺の向かいには不機嫌そうな女の子が座っている。

「な、何か飲むか?」

「いらない。話しかけないでくれます? 私あなたのことが大っ嫌いです!」

「色々と触っちまったのは悪かったって。でもよ、あんなタイミングで飛び出してこられたらぶつかったってしょうがないだろうが!」

俺も少し喧嘩腰になってしまった。

「そ、それは、雪ちゃんを……見かけたから」

紗雪は少しうつむきつつ拳を握っていた。

「知り合いか?」

「去年はよく遊んでた親友ですよ。あなたこそ雪ちゃんの何なんですか? ストーカーなら他所よそに行ってください!」

「ストーカーじゃねぇよ! 俺は紗雪のクラスメイトだ!」

「それより雪ちゃん、久しぶりだね! またスノボやっててくれて安心したよ!」

「無視か! 無視ですか! そんなに俺と話すのが嫌ですか!」

「クラスメイトストーカーは黙っててもらっていいですか? あんまりうるさいと通報しますよ」

なんだこいつうぜぇ……。

「さっきの雪ちゃんの滑りも見てたよ! すごく楽しそうだったね!」

「す、すずちゃん……怒ってないの?」

「……怒ってるよ」

「っ!」

「おいてめぇ! いくら去年の事故が原因で優勝できなかったからって……」

「違う! 私が怒ってるのは事故のことなんかじゃない! それを勝手に気にしてスノボをやめた雪ちゃんに怒ってる!」

声を荒げた親友に、紗雪の肩が震える。

「そんな強く言うことないだろ! 普通、怪我をさせたら引け目くらい感じるに決まってる!」

「私、あの時雪ちゃんに言ったよね? 私が復帰するまで最強でいつづけてって、私と滑ろうって。約束……したよね?」

「ごめん……なさい」

「今年の大会、私は雪ちゃんがエントリーしてるかもって少しだけ期待してたけど、結局エントリーもしてなかった」

紗雪をライバルとして認めてるからこその想い。

スノボが大好きだと知っているからこその想い。

結局、親友として紗雪が大切で、お互いが大好きなものを一緒に楽しみたいから、この子はこんなに……。

「雪ちゃん、私ね……また雪ちゃんと仲良くしたい! これからも親友であり続けたい! また一緒に……スノボやりたい!」

「涼……ちゃん」

「だから雪ちゃん、私と勝負して!」

「え?」

「もし雪ちゃんが私と親友でいてくれるなら勝負してほしい。去年のことを忘れるために、また親友に戻れるように!」

「わかったよ涼ちゃん、受けて立つよ!」

こんな熱い展開が用意されてるとは……あのAIは相当なものかもしれないな。

「勝負は1週間後。この練習場の最上級コースで」

「うん!」

「それからそっちの人!」

「ん?」

「私が勝ったら雪ちゃんは私がもらいます! あなたみたいな変態に雪ちゃんは渡しません!」

「ちょ、ちょっと涼ちゃん! 幸人さんはそんな人じゃ……」

「でも付き合ってるんでしょ?」

「つ、付き合ってなんか……」

「ま、どっちでもいいや。ねぇ、これからウチに来ない?」

「うん、行く!」

ともかく、紗雪の問題も解決しそうな感じがしてきたし、一安心。

涼乃さんに続いてたどり着いたのはさっきのカフェだった。

「ただいま」

「お帰りなさい、涼乃。あら、紗雪ちゃんとカレシさん」

「なんだ涼乃。練習場に行ってたのか」

「そう、そこで雪ちゃんたちに会ったんだよ」

「なら飯でも食ってけよ、ちゃんと用意してあるぜ」

「なんだ、ここが家だったのかよ」

「ストーカーに家を知られるなんて危機感しかありません帰ってください」

「さっき誘っておいてなんてことを!?」

「誰もあなたのことなんて誘ってません。私は『雪ちゃん』を誘ったんです!」

そんなことを言い合いながらもその場の全員から自然と笑いが溢れた。


 その生活が充実しているのならば、そこが三次元か二次元かなんて大して重要じゃない。少なくともこのシミュレーションはゲームのレベルをはるかに超えている。そう実感することができた。

次回プレイする時には紗雪と涼乃さんの勝負が見れるだろう。どっちが勝ってもいい結果で終わってほしい。

そう思いながら俺は、電源を切った。


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