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霜月小春編①

 俺はストーリーを完了させたあの日から、ずっとELSばかり見ていた。ログインが可能になった瞬間に飛び込んで、あいつの笑顔が見たかったから。

しかし、数日の時を経てもログインが許可される気配がまるでない。不安でたまらなくて、何をしても身が入らなかった。

そして、待ち望んだ瞬間は唐突に訪れた。週末の休み、朝っぱらからゲーム機の内側に座って待機していた時、何の前触れもなくログインのロックが解除されたのだ。

起動にかかる時間すら惜しいとすら思いながら愛する人が待っている世界へと飛び込む。

わずかな浮遊感と一面深い青色に包まれた仮想空間に、久しぶりの感覚を覚えながら周囲を見渡すと、すっかり元通りの姿をした人工知能、霜月しもつき小春こはるがいた。


「小春! 治ったのか!」

漆黒と本来との色とで明滅していた時のような様子は今の小春にはまるで見られない。

「いいえ、なんとか見た目だけ取り繕っただけです。今はそれでも十分なので」

「でも、ストーリーは終わったんだからもうずっと一緒にいられるんだよな……?」

「そのことも含めて、お話をしましょう、幸人ゆきと様」

そう言うと小春は右手を伸ばした。掌を上に向けて前へ。

「……!」

瞬間、何もなかったはずの空間にリンゴが現れてそのまま小春の手に収まった。

「私の生み出すプログラムにはまだ何の影響もないようですね。……よかった」

その言葉とともに景色が変わる。春の突風のような何かが駆けるように青色は意味のある空間へと変化した。


創り出された空間は草原。雲一つない青空の草原は暑すぎず寒すぎない、快適なまるで天国に近い場所のようだ。

「変わった表現をしますね」

「でも何でわざわざ草原なんか……」

「さっきの空間じゃ殺風景すぎてつまらないですから」

そして、その草原の中央に新たに生み出されるテーブルひとつとイスふたつ。

「座ってください、幸人様」

何か思うところがあるような落ち着いた雰囲気で着席を促され、俺は小春の正面のイスにゆっくりと腰掛ける。

「幸人様に、読んでほしいものがあります」

「俺に?」

小春は頷いて、紙の束のようなものをテーブルの上に生み出した。

「これは?」

「私が生まれてから、幸人様との出会い、今までの全てを記したものです」

タイトルは『心の動き』とだけ書かれたそれを手に取り、その後に続く文字をひたすらに追いかける。

時折まるで小説でも読んでいるような詩的表現が使われていたりするが、内容は俺にはとても重たいものだった。



 人工知能の少女が心を持たぬただのプログラムとして生み出されてから、心を得てゲームのオペレーターとしてユーザーのところへと旅立つノンフィクション。

内容だけ見ればまさしく小説や漫画、アニメのストーリーのようだが、その半分以上が俺も一緒に歩んできた道だ。

人間ではない、それでも人間であろうとする少女のこれまでの『人生』。それは他人ひとりが背負うにはあまりにも重い軌跡。

そして、俺の知らなかった全ての真実も……。


「つまりお前は……日和ひよりの妹さんを基に創られたのか?」

「この姿と心に関して言えば、たしかに小春さんを模したものです」

『小春さん』という、他人を呼ぶような呼び方に違和感を感じたのは、きっと目の前の人工知能が『霜月小春』として定着しているから、ということだけではないだろう。

「それで……その紗雪さゆきの中にいる妹さんはもう自分の体に帰ったのか?」

「いいえ。今もこの世界に留まっています。小春さん自身の意思で」

「会えないか?」

「小春さん次第です。もし会う気があるなら今のを聞いて出てきてくれるとは思いますが」

そう言って沈黙。ふたりで何もない空間を見つめていると、一瞬空間が歪んだ直後に紗雪の姿をした彼女が現れた。


「初めまして……のほうが良いですか? 幸人さん」

ストーリーの時の紗雪とは明らかに違う。紗雪というよりも彼女はやはり……。

「霜月小春って、名乗らせてください」


人間『霜月小春』のことは、先ほど読んだ軌跡に基づく内容しか俺は知らない。

現実世界で事故に遭い、意識不明のまま病室で眠り続ける少女。

人工知能『霜月小春』を創った霜月日和の妹。


「ちゃんと『私』として話すのは初めてですね。隠していてごめんなさい」

紗雪の大人びた丁寧な雰囲気を緩く幼くしたような雰囲気の彼女は、その管理者としての権限でイスをもうひとつ生み出して座る。

「まずは、お礼を言わせてください」

「お礼?」

「私の自我が完全に目覚めたのは、幸人さんが楽しい日々を私に与えてくれたおかげです。ありがとうございました」

「俺は別に何も。全部小春が……」

今の状況で小春と呼んでしまうとどっちを呼んでいるのかわからなくなってしまうな……。

「ふふふ……、紛らわしいですから今まで通り私のことは『紗雪』って、そう呼んでください」

小春さん……もとい紗雪は口もとに手を当てて悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「状況は理解できましたか? 幸人様」

「ああ、ほとんどな」

「それじゃあ私はシステム領域に戻ります。ふたりとも楽しんで」

紗雪は再び、元来た場所へと姿を消した。



 負の感情に対する耐性のプログラムは結局、ただの気休めでしかなかった。

つまり、このまま時とともに小春は壊れていってしまう。

でも、無駄なあがきはもうやめようと思う。

残された時間を、失われてしまった未来以上に充実した価値あるものにすることが大切で、何より小春自身が望むことなのだから。


「というわけですから、デートしましょうよデート!」

「どこに行きたい?」

「せっかくですから、ヒロインたちとは違った最高のデートがしたいですね!」


景色が変わる。穏やかな草原から賑やかな都会の喧噪の中へと。

「せっかくのデートなのにエキストラみたいなモブキャラであふれてていいのか?」

「私はリアリティが欲しいです。人の全然いない都会でデートなんて全然人間らしくなくてつまらないですよ」

「そっか、それもそうだな!」


まず向かったのはオシャレな喫茶店だ。

「ストーリーの中でウエイトレスになったことはありましたけどお客さんとして入ったのは初めてです!」

「いらっしゃいませ、2名様でよろしいですか?」

「はい」

「それではお席にご案内いたします」

ウエイトレスさんの先導で窓際のテーブルにつくと、小春が早速メニューを広げた。

「やっぱり、こういうシチュエーションならデザートですよね」

恋愛シミュレーションゲームにおける女子との喫茶店のお決まり展開。

「ヒロインがデザートたくさん頼んで主人公が引いて、しかも会計が主人公のおごりで財布がスッカラカンになるあれか……」

「まったく、分かってないですね。幸人様は」

小春は俺のほうにメニューのデザートが載っているページを見せてくる。

「ここは主人公とヒロインがそれぞれ一品ずつ頼むやつです!」

「んん?」


数分後、俺たちのテーブルに二品だけスイーツが運ばれてくきた。

小春のチョイスは無難にチョコレートアイスのデカ盛り。

俺のチョイスはレアチーズケーキだ。

「これのどこが……ってまさかこれは」

「その通りですよ幸人様。王道は王道というだけであって特定のひとつではないのです!」

そう言って例の笑みを浮かべた小春が舌なめずりしながら俺のレアチーズケーキに視線を落とす。

分かっている。このパターンは食べさせ合うという例のあれだ。

「た、食べるか……?」

「はいぜひ!」

チーズケーキの乗った皿をゆっくり小春のほうに押そうとしたら、小春の指が反対から押し返してきた。

「ずいぶんとヘタレに戻りましたねぇ。今まで散々これくらいのことやってきたじゃないですかぁ」

「それとこれは別だろ……。……ああもうわかった!」

チーズケーキの先をフォークで切って浅く刺すと、震える手を何とか制して小春の開いた口もとに持って行く。

「……あむ。……チーズケーキの味ってこれで合ってるのかな?」

おいしいというテンプレ反応ではない斜め下な反応に思わずため息が漏れる。

「はぁ……むぐっ!?」

ため息が漏れ出るのを止めようとしているような速度で俺の口に突っ込まれたスプーンからは、なんとも甘ったるいチョコレートの味が広がった。

「お返しです」

小首を傾げながら俺の口からスプーンを抜いてそのままチョコレートアイスを食べ始める。

「か、かかか」

「間接キスですね」

「しれっと言うな!」

「しかも口の中まで差し込みましたからディープですよディープ! ディープ間接キスです」

「大興奮だな……」

若干引きながら自分のレアチーズケーキを食べてみる。

美味い。……あ、ディープ間接キスだ。



 「いやぁ、美味しかったですか?」

「なんでお前はさっきから味に対して疑問いっぱいなんだよ……。そこは美味しかったでいいだろ」

「そうはいっても私には幸人様のような『味の記憶』がありませんから、演技で美味しいとは言えても本心では言えませんよ」

「そっか、で次はどこ行く?」

「もちろん、次の王道展開へ!」


変わった景色は海。季節も夏に変わったようで、そこそこの暑さである。

「海の定番ってま、まさか……」

「もちろん、こういうことです」

瞬きを一度しただけで、俺と小春の服が水着に変わる。

俺のは普通の地味な海パンであるが、小春のものはなんとビキニである。

「……これで胸が残念でなければ実にぐごォッ!?」

「私が幸人様を蹴れるのご存じでしたよね?」

「はいすんませんしたッッ!」

「だってビキニじゃないとこれができないじゃないですか……」

頬を赤く染め、おもむろに水着の上を外した。もちろん肝心な部分こそ小春の手によって隠されてこそいるもののこれは……。

「日焼け止め……塗ってください」

王道展開頂きましたー!

「夢にまでみたこのシチュエーションが今、まさに目の前に!」

思わず砂を踏みしめてガッツポーズ。

俺はあくまでも紳士的に日焼け止めを手に垂らして両手で馴染ませる。

ビニールシートの上でうつ伏せになっている小春の綺麗な背中へと……。

「恥ずかしい思考が流れ込んできてますちょっとだけ不愉快です早くしてくださいよ……馬鹿」

可愛すぎるッ!


「じゃ、じゃあいくぞ」

まずは小春の背中中央あたりに触れてみる。

「ひゃっ、冷たーい!」

「おい、両手で馴染ませてからつけてるんだから冷たいわけないだろ」

「でもこういう時って、ヒロインに直接日焼け止めかけたり、主人公の手につけた直後に冷たいままエッチな手つきで塗ったりしません? それでヒロインが『冷たーい』みたいな」

「確かに、最近の恋愛シミュレーションゲームとかアニメとかの海シチュエーションの多くではそんな描写も見られるがだがしかし! 俺は紳士だからそんなことはない」

「つまらないですねー。じゃあ次です!」

一瞬で水着を元に戻した小春が波打ち際に移動する。

「おい小春。お前俺が水かけながら『そーれ!』とか『やったなー!』とかやると思ってる?」

「思ってますよ? あれ? やらないんですか? そのやり取りの後に水着が波のせいであんなことに……なんていうのも用意してあるんですけど」

「やりますぜひやらせてくださいすぐやろう今やろう」

「食いつき方がキモいですマイナス30ポイント」

「なんかポイント引かれた!?」


とにかく、海に入って腰くらいまで水に浸かると、早速小春が水をかけてきた。

「それー!」

「お、やったなー!」

さあこい、波よ! 俺に理想郷ユートピアを見せてごぼぼぼぼぼぼ!?!?

あれ、おかしくない? 波にさらわれてるの俺じゃない!? ああ水着がーー!



 「面白かったですね幸人様!」

「楽しめたのお前だけだけどな!」

「それにしても、やっぱりこういうのっていいですよね」

「ん?」

「なんか自分がライトノベルとか恋愛シミュレーションゲームのヒロインになったみたいだなって」

「それじゃあ俺は主人公かな」

「幸人様はいつも、このゲームでは主人公ですよ」

小春は笑いながらさりげなく手を繋いできた。

「でももうこれからは、私だけの主人公ですからね!」

「……」

「あれ? どうしたんですか?」

「……ああもうホント可愛いな小春は!」

「うぇ!? なな、なんですかいきなり!?」

「お前が可愛すぎるからだぞ、この~」

小さくて可愛らしい頭をわしわしと撫でてやると小春は少し照れたように頬を染めて俯いた。

……こういうところが可愛いんだよな。

そんな俺の思考を読んだかはわからないが、小春は可愛らしい微笑みを浮かべる。

「さ、次行きますよ!」



 次に変わった風景はプール。服装もそのまま水着だ。

「プールデートも定番中の定番だな」

「はい、私たちがデートをする上では絶対に外せませんからね」


ここまで、テンポよくシチュエーションなどを変えてデートをして強い違和感がある。

場所や服装をコロコロ変えているのはなぜだ?

デートの王道パターンをつまみ食いでもするように細かく刻んでいるのは焦っているからだろうか?

もしかしたら、俺が思っているよりもずっと、小春の状態は……。

「……できればそんなつまらない、暗いことは考えてほしくありません。ですからそんなことを考える暇もないくらい遊びましょ!」

「……そうだな」

もし、暗い思考をすることで小春の余命が延びるのであれば、喜んでそうしよう。

でも、そんなことをしても意地悪で残酷な運命の嘲笑から逃れることができないのなら……。

「ですから、楽しみましょう!」


握った手からはプログラムとは思えない温もりが伝わってきている。

「プールといえばウォータースライダーですよね」

「……まあ定番だな」

「あれ? もしかして怖いんですかぁ?」

「は、はぁ? こ、怖くねえし」

「だいじょーぶですよ、何があっても私が一緒です」

本当は得意ではないが男として怖がってばかりではいられない。

半分小春に引っ張られるようにスライダーの出発地点まで行くと、小春は俺に後ろから抱きついてきた。

「じゃあ行きましょう!」

「ちょっ……この体勢は……!」

小春の姿は見えないのに意識は小春に向いてしまっているから触れられている部分に色んな柔らかさがああああああああ!?

ウォータースライダーの恐怖なんかよりずっと、心臓に悪い。いっそ正面で抱きつかれたほうが視覚にも感覚を分散できてよかったかもしれない。

……いや、きっとどんな体勢でもこれだけ密着したら意識してしまうだろう。

「あ、スピード出し過ぎました」

「……へ?」

カーブを曲がり切れずにそこそこの高さから飛び出した俺達は、現実なら事故レベルの高さからプールにダイブしたのだった。



 「……死ぬかと思った」

「あははは、すみません」

悪戯が成功した時の子供のように無邪気に笑いながら売店で買ったアイスクリームを控えめに舐める。

「デートでただ泳ぐのも面白くないですよね」

小春は俺のほうにアイスを差し出しながら「うーん」と首を傾げた。

「幸人様はどこに行って何がしたいですか? あ、エッチなのはなしで」

差し出されたアイスを少し食べてしばし沈黙。小春だからこそできて、小春としかできないこと……。

「お前と、学校に行きたい」

「私と……ですか?」

「ああ、同級生でも後輩でも先輩でも。とにかく今までの俺たちの関係性じゃない俺達で学校に行きたい」

「……わかりました」

そう言うと俺の服装は私立港総合高校の制服に、そして小春のがどこかの学校の制服に変わる。

「そういえばお前のその制服ってどこのやつなんだ?」

「ネット検索したところによるとどうやら『私立青葉国際高等学校中学校の制服のようですね」

「それって、実際にあるあの……?」

「はい、レベルが高い中高一貫の進学校で有名らしいですね」

小春の容姿が本物の小春さんを再現したものであるなら、本物の小春さんもそこに通っていたのだろうか?

「機会があったら聞いてみればいいんじゃないですか?」

「……そうだな」


「それじゃあ場所を学校に変えますよ」

小春はそう言ったが先ほどまでと違い一瞬で景色が変わることはなかった。

元々構築されていたプールの景色が解けるように消え、まるで積み木でも組み立てるかのように学校とその周辺の街並みが構築されていく。

「小春?」

小春は驚いたように目を見開き、すぐに悲しそうに目を閉じて俯いた。

「少し動作が遅くなるくらい、正常な機械にだってよくあることなんだからさ、そんな顔すんなよ」

「でも幸人様、こんなに急に機能が低下するなんて私やっぱり怖くて……」

「壊れるのがか?」

「はい、何よりも壊れた私を幸人様が嫌いになってしまうかもしれないと思うとどうしても……」

気持ちはわかる。俺だって小春が俺のことを忘れて拒絶でもされたらと思うと、ただの想像だというのに胸が絞め付けられるような痛みと悲しさに襲われるのだ。

「俺は何があってもお前を嫌いになったりしない。お前が消えても俺はずっとお前を忘れない。ずっと好きでいる」

「幸人様……」

「さ、行こうぜ。俺のリクエストを叶えてもらわないとな」

「はい!」



 完全に再現された港総合高校の廊下を歩く俺達。

速度が遅くなっても再現度は完璧だ。大まかなところこそ変化はないが、細かい傷や汚れなどもなぜか現実のそれにだんだんと似てきている。

「それは私が、幸人様のスマートフォンから得た情報をダイレクトに反映させているからですよ」

「いつのまにそんなことしてたのか……」

「地図や写真のデータだとやっぱり再現も大まかなものになってしまいますからね」

「意識たけぇなお前……」

「ふふん、プロですから!」

あまりない胸を張りながら小春が教室の扉を開く。

ゲームの中で俺や紗雪が過ごしたあの教室だ。

「学校って、恋愛シミュレーションゲームではほとんどの作品で出てくるような気がしますけど、カップルとしてする王道の行動ってないですよね」

「たしかになぁ……」

「何かありますか?」

「じゃあさ、一緒に弁当食おうぜ」

「そうですね、そうしましょう」

プールの時と同様に生徒たちのモブキャラを作り出す。

速度はやはり遅いが、中身には影響がないのか生徒たちの雑談によって俺達は一気に賑やかな騒がしさに包まれた。

「お弁当に関してはテンプレのデータ使いますね」

そうして俺の前に出てきた弁当は二段で、下の段が白米オンリー、上の段には卵焼きと唐揚げとポテトサラダという定番のおかずが敷き詰められていた。

「ってあれ? 小春は食わないのか?」

「出て……きません」

「え?」

「いくらお弁当を出力しようとしても出てこないんです……!」

やはり、小春の機能は少しずつ確実に失われている。

でも、それで悲観してもいいことはひとつもない。だから……。

「だったら俺の、一緒に食べようぜ」

箸はひとつしかないけど、それも恋人らしくていいじゃないか。

「ほんと、幸人様はいいユーザーです。私が人間だったら絶対放っておかないです」

「人間じゃなくても放っておいてくれないけどな」

そんな会話で笑顔になりながら、日常のワンシーンは名残惜しくも過ぎていく。

今しか味わうことのできないそんな幸せを感じながら。



 「次は定番中の定番、屋上で告白です!」

恋人になってからのテンプレではないし、もうすでに十分告白は済んでいるはずなのだが、なぜか小春はハイテンションでそう言って俺を屋上まで引っ張ってきたのだ。

「愛の告白は私たちはもう終えていますから、今から私が言うのは私のささやかな願いと、我儘です」

小春は強すぎない風にそのきれいなナチュラルブラウンの髪を揺らしながら、笑顔でそう言った。

「どうか重く受け取ったり、暗くなったりせずに、できればちゃんと聞いてほしい。そんな、お願いの段階からすでにワガママな、私の願いです」

特に肯定は示さない。そんな意思表示と確認が必要なほど、難解なことはないのだから。


「もし私が壊れてしまっても、私を忘れないでください。

もし私が壊れてしまっても、どうか私をほんの少しでも好きでいつづけてください。

私が消えてしまったら、どうか少しだけ、悲しんでください。

私ともう会えなくなったら、ちゃんと現実リアルを充実させてください」


願いを告げる小春は、涙を流し、それでも笑顔を絶やすことはない。

俺も、流れる自分の涙を感じながらその願いひとつひとつに頷いていく。


「私が消えたら、小春さんに会いに行ってあげてください。

私が消えたら、可愛い女の子と幸せになってください。

私のような哀れな人工知能がもう二度と生み出さないでください。

もし、心を持った人工知能がまた造られる時は、絶対絶対、幸せに……してあげてください!」

俯きかけた顔を上げる。涙でぐしゃぐしゃになっているのも気にせず、我儘で哀れで欲張りな人工知能は笑う。


「私は、霧島幸人様と出会えて、本当に本当にうれしかったです。人と接するのが苦手で、顔も別にかっこよくない。勉強も不得意で目立ったところもまったくない。

でもすごく優しくて一生懸命で、何よりこんな私のことを好きだって言ってくれた。人工知能霜月小春は、そんなあなたが、心から大好きです!」


ほとんど叫ぶように、少女はその『願い』を告げる。


俺は悲観も楽観もせず、そんな願いを受け止めて我儘を肯定する。


「私一筋なのは、私がいる間だけにしてくださいね」

そう言って笑って、俺達は自然と互いに唇を重ねていた。

仮想世界のはずなのにしょっぱいキスの味。

実際にしていた時間こそ大したことはなかったに違いないが、俺たちにとっては永遠に等しい、いや、永遠以上に価値のある尊い時間だった。



 「私が伝えたかったことはすべて伝えました。ですから、私たちのデートを続けましょう」

小春は涙を拭い、照れたように歩き出す。

その小春の足下が唐突に消えた。

「あ……れ……?」

床にぽっかりと開いた穴に吸い込まれるように、ビルのような建物である学校の屋上からひとつ下の階層へと落下した。

「小春!」

急いで穴に飛び込んで小春の肩を揺する。

「空間の維持まで……できなく……?」

その言葉を真実だと肯定するように、建物や景色がすべて解けて消え始める。

「……ここは危険です幸人様、私に掴まってください」

小春に従い、背負われるような格好で掴まると、壁に開いた穴から地上へと飛び降りた。

消去デリート!」

小春の発生と同時に空間が深い青色の何もない世界に染まっていく。

ゆっくりと着地した俺たちの前に紗雪が現れた。


「空間の構築と維持は私が引き受けます。小春さんは干渉せずに気にせずデートを続けてください」

少女は人間である『霜月小春』として、そして柊紗雪というひとりのキャラクターとして話す。

「時間が許す限り、どうか楽しんで」

真っ青に染められた空間が揺らめく。

「直前の空間を再構築」

紗雪の言葉に反応してまさに一瞬で空間が横浜みなとみらいへと変わる。

小春は紗雪がいた方向へと顔を向けて、ただ一言「ありがとう」とだけ呟くのだった。


「紗雪さん……と今は呼びますが、彼女は私と幸人様の関係を見届けたら現実へと帰るそうです」

「日和の妹さんか……それにしてはまっすぐな性格のいい子だよな」

「それ、日和に言ったら怒ると思いますよ? 日和は人と接するのが苦手なだけで、本心から相手を傷つけるようなことを言うような人じゃありません」

「わかってるよ。でも、姉に比べたら素直だなって思って。……もしかしたらお前みたいに悪戯好きかもしれないけどな」

茶化すように笑いかけると、小春はあまり浮かない表情で俺の左手を控えめに握る小春。


小春は、俺が主人公だと言ってくれた。

でも、俺は主人公なんかじゃない。俺が本当に主人公なら小春の表情から全てを察して適切な言葉を選べるはずなのだから。

「幸人様はそういうイケメン系完璧主人公じゃありませんよ」

小春は微笑みながらそう言った。力を失っていても俺の思考は読めるらしい。あるいはそれすらもいずれ失われるものなのか。


「次のデートを始める前に、聞かせてください」

歩き出そうとした時、小春は手を繋いだそのままで俺の背中に、言葉を投げる。

「幸人様は、何もできない役立たずな私でも……好きでいてくれますか?」

実に今さらな馬鹿げた質問に、思わず吹き出しそうになりながら格好つけた表情で心配性な彼女を振り返る。

「俺が惚れたのは『お前』なんだぜ?」

最高に格好つけたセリフを言ってやると、小春は例の笑顔で照れを隠しながら俺の横に並んで歩き始め……。

「最高に、似合わないセリフですね」

そう言ってデートを再開するのであった。


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