柊紗雪編①
二次元のキャラクターとの次元を超えた恋を叶えてくれる夢のゲーム機「ELS」。
楕円形のカプセル型のそれに入って、俺は今、意識の奥底で二次元キャラクターとの夢のような生活を始めようとしていた。
今は二次元の世界に生み出された私立港総合高校の教室で、このゲームを制御する人工知能、霜月小春と話している。
「さあ、幸人様! 最初のヒロインは幸人様のほうから話しかけないと攻略できないようにしてあります! さっそく話しかけてみてください」
「普通のギャルゲーだと転校生の主人公がヒロインに話しかけられたり、助けられたりするんじゃないのか……?」
「まあまあ、これも幸人様のコミュニケーション能力向上のためです。今後のヒロイン攻略にもコミュ力は必要になってきますから頑張ってください!」
なんとひどい仕様だろうか! 人見知りが標準装備の俺はたとえ相手がプログラムであっても緊張してしまうのだ。仮に何をしても拒絶されたり罵倒されたりしないのだとしても、緊張して挙動不審になってしまう。人見知りとはそういうものなのだ。
「いっそのこと選択肢でも出てくれればなぁ」
「なぜ幸人様はこのゲーム買ったんですか……」
「少なくともコミュ力向上が一番の目標じゃない!」
「わかりましたよ~。そこまで言うなら私がセリフを提示してあげますから」
小春は俺の前に半透明な文字列を浮かび上がらせた。
『そこのカノジョ~、これから一緒に授業サボって屋上で二人の将来について語り合わないかい?』
『ねえ、前にどこかで会ったことないかな? 俺、霧島幸人!』
『君カワイイね! 名前教えてよ! それから連絡先と住所も!』
「ほとんどナンパじゃん! しかも最後の選択肢に至っては逮捕されても文句言えないレベルだからな!?」
「はぁ、めんどくさ……」
そ、その態度おかしくね? そりゃあ選択肢提示しろって言ったのは俺だし、自分から話しかける勇気もないヘタレだけどさ……。
「じゃあもういいです。今回はヒロインの紗雪ちゃんのほうから話しかけてもらいましょう。何かリクエストは?」
「じゃあ、道がわからない俺を助けてくれるシチュエーションがいい」
「わおっ! 王道ですね! 王道過ぎてつまらないですけど了解しました!」
「一言多い」
「それじゃ幸人様はお昼休みにどこか行こうとしてくださいね。アクション起こしますから」
「え? 一気に昼休みに飛ぶんじゃないのか?」
「リアリティ追及のために幸人様には授業を受けてもらおうかと。一応一般高校レベルの学問はすべて標準装備されてますし」
「でもそんなことしてたら時間なくなるぞ!」
「大丈夫です。授業時間自体は10分から20分程度。必要に応じて私がスキップしたりしますし」
「なら今がその時だ!」
「……わかりました。今回は幸人様のお願いを優先するとしましょう」
小春がため息を吐くと、時間が昼になり、昼休み開始のチャイムが鳴った。
なんかすごい腹が減ってきた。おかしい、ゲームの外はまだ夕飯時には早い時間だ。いくらなんでもこんな急激に腹が減るわけがない。
「ご安心を、幸人様。その空腹感は感覚のみですから、実際に空腹なわけではありません。また、当製品にはメディカルチェック機能も装備されていますから、何かあった場合はこちらでお知らせします」
「ってことは、俺が感じてる空腹感は錯覚ってことか?」
「はい。基本的にゲーム内で感じる感覚はほとんどが脳に錯覚させることで引き起こされています」
すげえ高性能だな……。しかし、謎は解けた。昼休みに校内の配置がわからない空腹な転校生ということは……。
「が、学食か……」
そう。「学食案内しましょうか?」という王道展開! そしてそのまま一緒に昼飯を食べる最高の昼イベント!
「あの、霧島さん!」
「え?」
突然話しかけられて背後を振り向くと、そこにはヒロインの柊紗雪さんが立っていた。手にはピンクの小さいお弁当箱を持っている。
港高校の制服は、男子は紺色のブレザーに、灰色の
ズボンにネクタイ。女子は赤系のブレザーに緑色のスカート、紺のソックスにリボン。男子のネクタイと女子のネクタイは学年ごとに色が違い、今は1年生が赤。2年生が青、3年生が濃いめの緑色である。
柊さんは腰に届かないくらいの黒髪と、程よい肉付きで出るところも出ている。性格はまだわからないが声の感じからすると優しそうだ。
「あの、お弁当持ってきてますか?」
「いや、学食に……」
……言葉の後半が消滅した。今俺は「いや、学食に行こうと思ってるんだけど場所がわからなくて」と言おうとしたのだが、緊張のせいで学食までしか言えなかった。
「場所、わかります?」
「いや、わからない……」
「じゃあ案内しますから、一緒に行きましょう?」
「あ、ああ」
一緒に学食までやって来たものの、望んだ王道展開だというのに俺のコミュ力ではまともに会話すらできない。
「べ、弁当持ってるんじゃ……」
「ああ、これですか? 大丈夫です。学食で食べるので」
「でも、どうしてわざわざ?」
そう。この理由は重要である。俺の知るゲームなら、「主人公に一目惚れしたから」とか「実は過去に会っていた」という裏があったりするのだ。
「私、クラスの学級委員をしていて……もしかして、ご迷惑でしたか?」
「い、いや、別に……」
「よかったです……。私、昔から世話焼きで、お節介なんです。だから、もしかしたら迷惑なんじゃないかなって」
「全然! う、嬉しかった」
そう言った直後、今日一番の柊さんの笑顔を見た。
「ここが学食です。建物の3階が全部飲食フロアになってるんですよ」
知ってはいるが二次元の世界での俺は転校生。とりあえず頷いておく。
「私、席取っておきますね!」
柊さんが離れると、俺は落ち着いてカレーを注文。お盆にカレーを乗せて柊さんの向かいに座る。
「私、2年C組の学級委員の柊紗雪です。えっと……霧島、幸人さんですよね?」
「ああ」
「幸人さん、って呼んでもいいですか?」
「別に……」
いきなり名前呼びとか現実では絶対にありえないが、ここは二次元である。
「幸人さん、この学校で分からないこととか困ったことがあったらいつでも私に言ってくださいね! 私、力になりますから!」
す、すごい! これが二次元の力か! 現実にこんなことを言う女子がいたら俺は絶対に裏を探りにいってしまう……。だがここは二次元である!
「あ、ありがとう」
「そうだ! お近づきの印に、連絡先交換しませんか?」
素晴らしいコミュ力である。俺とはまさしく桁違い。
俺はスマホを取り出してアドレスと、電話番号、そしてアプリも友達追加をした。
「それじゃあ、何かあったら連絡、お願いしますね?」
「ああ、わかった」
淡白な返ししかできない自分が悲しくなってくる。いっそコミュ力の低いヒロイン出てこないかな?
いや、そんなもの出されても終始無言で終わるだけだしいいか……。
それにしても、さすがはギャルゲー。ヒロインはプレイヤーに不快感を与えることなく、プレイヤーとの関係を深めてくる。
「だから言ったじゃないですか。拒絶されたりしないって」
いつの間にか向かいには半透明じゃなく実体のある小春が座っていた
「でもどうしてなんだ? 前に言ってたよな? ヒロインたちには自我があるって……」
「そうですね。私のような人工知能ほどではないにしても感情や思考はあります。でも、あくまでも私が彼女たちの管理者ですから、大まかに決められた範疇での自我でしかありません」
「つまり、お前が『俺を拒絶するな』って決めたら、ヒロインたちは俺を拒絶しないように動くってことか?」
「はい。もちろん、幸人様があまりにも酷いこと、キモいこと、変態的発言をした場合は除きますが」
まあ、全年齢対象版だしそれは仕方ないか。
「なるほどね。それじゃあ柊さんには拒絶しないってプログラムされてるのか?」
「いえ、何も。自我と設定と過去の記憶を与えた以外は何も。だから、あの王道ヒロインっぽさは完全に偶然です。自我があそこまで天使に育つとは私もびっくりです」
……少なくとも生み出した主が言うセリフじゃないな。
「まあ、いいじゃないですか。裏がありそうなほど可愛らしいヒロインなんですから、ガンガンアタックしてください」
「さっきまでの俺の会話見てなかったのか?」
「まあ、そんなものはその内治りますよ。どうしても治らなければ痛みを伴うDEAD ENDに放り込むだけですし」
「よし、死ぬ気でコミュ力つけるわ!」
「ちなみに攻略の難易度的にはかなり低い部類ですね。好感度も最初から高め、平均以上の数値です。『ガンガンいこうぜ!』ですよ!」
「どちらかというと『いのちだいじに!』だよ……」
「とりあえず、デートに誘ってみてはどうでしょう?」
「つ、付き合ってもないのにか!?」
「デートといってもラブラブなカップルみたいなものじゃないですよ。一緒に買い物に行ったり、一緒に帰ったり。そういうほのぼのした日常を過ごしてこその恋愛じゃないですか!」
「まあ、わかるんだけどさ」
誘うのは話しかける以上の精神力が必要になる。
「向こうから誘ってくれるかどうかもわかりませんし……」
「ちょ、ちょっと待って。メッセージきた」
このスマホに入っている連絡先は柊さんだけ。
つまり彼女からのメッセージということになる。
『今日の放課後、時間ありますか?』
「き、きた!」
「ずいぶんと積極的なヒロインですね~?」
お前が生み出しておいてなんで首傾げてるんだ……?
とにかく、早く返事しないと!
「大丈夫です……と」
メッセージを送った俺は午後の授業をスキップしてもらい、一気に放課後を迎えた。
「いきなりお誘いしてしまってすみません、幸人さん」
「別に、暇だったから……」
「実は、お買い物に付き合ってほしくて」
「買い物?」
「最近一気に冷え込んだので、上着を買いたいんです。でも、私一人で買ってちゃんと似合ってるのかがわからないので……」
「でも俺も服のセンスとか微妙だし……」
「似合ってるかどうかだけでもいいんです。男の人の意見も聞きたいですし」
「俺でいいんだったら、別に」
俺さっきから「別に」しか言ってないんだけどこれでいいのか?
「それじゃあさっそく行きましょう!」
……楽しそうだし、いいか。
レディース服のセレクトショップへとやってきた俺と柊さんは、どこか緊張した雰囲気で店の中に入った。
「な、なんかすごいな」
店の中にはきれいにレイアウトされた服が並び、それぞれの値札も4桁とか5桁の数字が並んで……って高っ!?
一着の服で5桁とか一体何がどうなってるんだ!?
「どうか、したんですか?」
「こ、これ……高くないか?」
「え? ああ……これは素材が高いんです。それにメーカーも高額ブランドですから。でも、あっちの棚のお洋服ならそれほど高くないみたいですよ!」
確かにさっきの服の半額くらいの値段だ。
「いらっしゃいませ~。何かお探しですかぁ?」
なんかコミュ力高そうな店員が来たぞ……。
「あ、おねーさんが持ってるそれ、今すごい人気なんですよ! 特におねーさんみたいな美人さんに似合うんですよ~。試着室はこちらです」
「恐ろしい販売術……」
「おや、おにーさんもなかなか……まあ私の好みではないですけどぉ。どう思いますか? 彼女さんにはちょっと大人っぽいコートとか似合うと思うんですよ~」
「か、か、彼女とかじゃ……」
「あれれ~? 違うんですか? 私の見た感じお似合いな感じですよ!」
「そ、そうですか?」
「ど、どうでしょうか……?」
黒系のダッフルコートは、柊さんの大人っぽさをより一層引き立たせていてとても似合っている。
「す、すごく似合ってる……」
「そ、そうですか……。ありがとうございます! じゃあ、これにします」
照れながらの笑顔&お礼は反則級の可愛さで、しっかり身構えていないと危うく萌え死にしてしまうほどの破壊力がある。
「はいはーい。お買い上げありがとうございまーす。それじゃあ、お会計こちらでーす」
「ほら、早くしないと!」
実は柊さんが試着している間に俺は半透明の小春からひとつの策を授かっていた。
「こうなったらこのままDEAD ENDに……」
「行く! 行くから!」
俺は財布を取り出し、柊さんの横に並ぶ。
そして無言で一万円札をレジに出した。
「えっ? だ、ダメですよ幸人さん! これは私のお買い物なんですから」
「お、俺に払わせてくれないかな?」
「そんな……幸人さんに悪いですよ!」
「じゃあさ、今度俺と……その」
頑張れ俺たった一言じゃないか!
「で、デート……してくれないか?」
柊さんが顔を赤く染めて俯いた。
「い、いい……ですよ」
こ、これだ! 俺が求めていた恋愛とはこれだったんだ! やっと……見つけた。
理想のヒロインを見つけた俺は少しだけニヤけた顔で小春と話していた。
「幸人様、ちなみにそろそろ夜中ですが」
「あれ? アラームは?」
「本来ならユーザー様と私がプレイ中に話すことはほとんどないので時計に集中できるんですが……」
つまり俺が頼りないからということか!? そうなのか!?
「なので、今は夜中の3時ごろです」
「もっと早く気付けえぇぇぇぇぇ!」
「ログアウトしますか?」
「ああ!」
「わかりました。それじゃあ現状でホールドにしておきますね」
三次元は実に残酷である。二次元のように好意的に接してくれる人間は極めて少ない。間違えて話しかけてしまえば一瞬で傷つけられてしまう。
実際の高校には柊さんのような女子はいないし、俺みたいな人間にわざわざ話しかけてくる人間もいない。だから、二次元は天国なのだ。
帰宅した俺はインスタントで食事を済まし、ELSにログインした。
「お待ちしてました、幸人様」
今日の小春はいつもと違っていた。
「なんていうか……、普通の服だな」
金髪ツインテールはそのままだが、白系のワンピース姿でとても人間らしい服装になっている。
「まあ、あのメイド服はイベント対応用だったので。もしあれが好みなら着替えますよ?」
「いや、別にメイド属性じゃないし」
「それじゃあ、続きやります? 一応スタンバイ状態にしてありますが」
「そうだな。やるよ」
「じゃあ始めますね」
空間が俺の部屋に変わる。
「何で俺の部屋がゲーム内に忠実に再現されてるんだ?」
「少し特殊な方法を使いまして」
「っていうか何で俺の部屋スタートなんだ?」
「いえ、少しでもリアリティーを出すために登校のところからやってもらおうかと。今回からは私もあまり出てこないようにするので頑張ってくださいね!」
面倒だけど仕方ない。さっさと学校行こう。
俺の家から学校までは電車で1つ隣の駅の近くだ。
だから電車に乗らなきゃいけないのだが……。
「わざわざゲームでも電車待たなくてよくないか……?」
これもリアリティーというやつなんだろうか。
電車で3分。桜木町駅から少し歩いたところにある港高校の入口を通ると、ちょうど楽器を背負ったちっちゃい女の子にぶつかった。
「痛ったぁ! ちょっとあんた、気を付けなさいよね!」
何これ言い方がすごいキツい。こんなリアリティーいらない!
「ご、ごめんなさい」
普通ゲームの中なら「大丈夫?」とか相手が声をかけてきて、俺が「そっちこそ平気?」とか言う流れじゃないのか!?
「もう、楽器落としちゃったじゃない! 壊れてたらどうしてくれるのよ!」
「え? いや、そんなこと言われたって……」
「あんたがボーッと歩いてるのが悪いんでしょ。壊れてたら弁償してもらうから、名前教えなさい」
俺、知ってる! こういう時は……逃げる!
「ちょっと! 待ちなさいよっ!」
女の子の制止を無視してひたすら走ってエレベーターに乗り込む。
「ふぅ、ヤバかった……」
「……最低ですね」
いつの間にか半透明の小春が隣にいた。
「いや、普通逃げるだろ。楽器ってすごい高いんだぞ!」
「ゲームの中なのに金額の心配してるとかホントに残念な人ですね」
「ゲームでもなんでも高い金は可能な限り払いたくないわ!」
そうこうしてる内に11階にたどり着いた。
息切れしながら教室に入ると天使のようなヒロイン、柊紗雪さんが微笑んで近づいてきてくれた。
「幸人さん、昨日はありがとうございました。お礼に今日の放課後、この学校を案内したいんですけど、いいですか?」
「あ、ああ。頼むよ」
お、少し自然に返答できた。
「じゃあ放課後に!」
二次元はやはりいい。ヒロインはやっぱりこうだよな!
「ご満足いただけてるようで何よりです。さて、今日は授業を受けてもらいますよ? 最初は数学からです」
「思ったんだけどさ、なんで勉強する機能ついてるの……?」
「ゲームだけやってたらユーザー様がバカになっちゃうじゃないですか」
「……そういう理由なのね」
なぜか俺は、恋愛シミュレーションだというのに勉強をさせられ、ようやく放課後になった。
「それじゃあ案内しますね。私たち普通科の教室がこの11階から9階までです。最上階の12階が多目的ホール、8階から6階までが特進コースの学生の教室があります。5階と4階は国際コースとスポーツ専攻科の教室があります。3階が学食。2階は職員室です」
「へ、へえ、結構でかいんだな」
「歩いて2分くらいのところに別館があって、屋内プールと体育館、音楽室と各部室があります」
すべて現実に忠実である。
「それじゃあ少し見て回ってみましょうか?」
「あ、ああ。よろしく」
まずは12階。大きさはそれなりの大きさで、現実では学年集会とか学園祭の出し物なんかが行われるような大きな多目的ホールになっている。
そして一気に下りて3階の学食。
「ここは昨日も来ましたよね」
「そうだな」
「それじゃあ別館のほうに行きましょうか? 私たちも体育とか音楽の授業とかで使いますし」
外に出て信号を渡ったところにある別館は、全体的に少し大きめの建物である。
5階建ての建物の2階が体育館。3階が音楽室。4階が部室の集まる階。5階が屋内プールになっている。
「まずは2階に行きましょうか」
2階の体育館では女子バスケ部が練習をしていた。
「あ、紗雪じゃん! どうしたの?」
「転校生の幸人さんに学校の案内をしてて」
「でもちょうどいいところに来た! ちょっと手伝って」
「え?」
「今日集まり悪くて、人が足りないの」
「でも私、体操着持ってないし……」
「私、ジャージなら持ってるよ!」
少し小柄な女子生徒がジャージを柊さんに渡すと、気まずそうに俺のほうを見てきた。
「俺のことは気にしないでいいから」
「じゃあ、少しだけね」
柊さんがジャージに着替えて戻ってくると、バスケ部のゲームが始まった。
柊さんの運動神経はずば抜けている。
現役バスケ部の女子たちを華麗にかわして綺麗なフォームでボールを放ると、ボールがゴールに吸い込まれていった。
その後もまるでバスケ部員であるかのように大活躍で、柊さんが助っ人に入ったチームの圧勝で終わった。
「お待たせしてごめんなさい」
「いや、別に」
俺たちはそのまま上の階に向かった。
「ここが音楽室の階です。音楽室の数は全部で4つ。その1つは軽音部の練習場所になってます」
ちょうどその軽音部の部室から、強烈なギターの音が響いてきていた。
「軽音部?」
「部活の時間ですからね。幸人さんは何か楽器とか弾くんですか?」
「まあ、それなりには」
「そうなんですか」
「何? なんか用?」
「げっ!」
「ん? ……あーーっ! 今朝の前方不注意最低男!」
軽音部の練習場所から出てきたのは今朝の女の子だった。
赤に近い茶髪で、俺の胸くらいの背丈しかない小さな女の子は、肩からギターをさげて俺を睨んでいる。
「あんた、よくも逃げてくれたわね……!」
「い、いや……もしギター壊れてたりしても俺弁償とか……無理だし」
「なんでキョドってんのよ……キモッ!」
そう言うと女の子はその黒いギターのボディ部分を軽く撫でてみせる。
「大丈夫よ。さっきから弾いてるけど『傷がついてた』以外は何も問題ないから」
傷がついていた、を強調してくるあたりかなり根にもってるんじゃないかと思う。
「そっちの方は世話焼き2年生じゃない。何してんの?」
「幸人さん、転入してきたばかりでこの学校のことまだわからないから案内してるんです」
「へぇ、あんた転入生だったんだ」
「まあ、一応」
「名前、教えなさい」
「霧島、幸人」
「あたしは橘紅音。軽音部の部長」
部長という割に橘さんのリボンの色は赤色。つまり1年生だ。
「橘さんは1年生なのに部長なのか?」
「名前」
「は? いや、名前はさっき……」
「違うわよ。名前で呼びなさい! 名字で呼ばれるのあまり好きじゃないの」
「えー、と……紅音さん?」
「……まあ、それでいいわ。軽音部はあたし以外幽霊部員なのよ」
「だから部長?」
「そうよ」
「部員いないのに?」
「いいのよ。やる気のないやつとバンドやるより、自分のギターの音色を聴いてるほうがずっと楽しいわ」
「そういうもんか」
人生ソロプレイがモットーの俺にはなんとなくわかる気がする。
それだけ言うと紅音さんは軽音部の活動に戻った。
「それじゃあ最後はプールに行きましょうか。この時間だと水泳部も練習終わって皆帰ってるでしょうし」
時間はいつの間にか6時を示していた。
エレベーターを下りてプールへとやって来た俺たちが見たものは、あまりにも衝撃的なものだった。
水泳部が遅くまで練習を続けていたとか、カップルがイチャイチャしていたとか、そういうものではない。
人が、女の子がプールに浮かんでいた。
「プールに、人が……」
いつからこんな状態なのかはわからないが、まるでサスペンスを見ているかのようだ。
「た、助けないと!」
とりあえず靴とブレザーだけ脱いでプールに向かって走る。
「ちょっ……幸人さん! 待っ……」
待ってなんていられない。俺は誰かが死ぬような恋愛シミュレーションなんてごめんだ!
飛び込んだプールは温水だった。
服が張り付くような感覚はすごく不快だが、必死に水をかく。
「よぉーし! 今日の練習終わりー!」
超元気な超明るい声を出しながら、浮かんでいた女の子が立ち上がった。
「はあっ!?」
「ん? どうかしたの? 君」
溺れてたわけでも死んでいたわけでもない……だと!?
「幸人さん、大丈夫ですか?」
とりあえず心配顔の柊さんのところに戻ってプールから出る。
「あ、紗雪ちゃん! やっほー!」
「七海ちゃん、また遅くまで練習?」
「そうだよ! 紗雪ちゃんはどうしてプールに?」
「転入生の幸人さんに施設の案内をしてたんだよ」
「転入生なんだー! 私、青葉七海。スポーツ専攻科で水泳部の2年生だよ。よろしく!」
青葉さんは水色っぽい髪色のショートカット。話し方と声の大きさから察するに、おそらく元気が取り柄の活発なタイプなのだろう。
「よろしく。それで、プールの真ん中に浮かんで何してたの?」
「水の音を感じてたんだよ! やってみる?」
「やらねえよ!」
なんだ水の音を感じるって。そういうスピリチュアルなキャラなのか?
「なんかねー、水の中って神秘的ですごい何かがあるんだよ!」
うん、やっぱりスピリチュアルな人らしい。
「青葉さんってもしかして少し変わってる?」
「別にそんなことないんじゃないかな? それから、私のことは七海って呼んで。できれば呼び捨てで」
「なんで?」
「うーん……呼ばれ慣れてないからかな? あと敬語も嫌いなんだ。君は大丈夫そうだけど」
「なるほどな。俺は霧島幸人。2年の普通科に転入してきた」
「じゃあ名前で呼んでいい?」
「別に好きに呼んでくれていいよ」
「じゃあ……ユッキーがいい!」
まさかの名前呼びを飛び越えてあだ名呼び……。
「それでもいいや」
「じゃあユッキー、私もう帰るからまたね!」
「七海っていつもあんな感じなのか?」
「はい。それに通常の水泳部の練習が終わった後も下校時間ギリギリまで1人で自主練習してるんです。それで、練習が終わるとさっきみたいにプールに浮かぶんです」
「七海と柊さんは仲がいいのか?」
「……」
「えっと……柊さん?」
「私も」
「え?」
「私も名前で呼んでください! 『紗雪』って」
「え? で、でも……」
「嫌……ですか? 他の2人のことは名前で呼んでいるのに」
そんな露骨に悲しそうな顔とかされると断れないに決まってるじゃないか……!
「紗雪……さん?」
「呼び捨てで呼んでください!
「さ、さ、紗雪……」
「ありがとうございます! これからよろしくお願いしますね、幸人さん!」
過去一番の天使スマイルは、俺をしばらくの間行動不能にするほどの破壊力であった。