椿陽美編③
「小春さんのこと……大丈夫なんですか?」
椿陽美先輩のストーリーを攻略している最中の俺は、唐突に紗雪からそう問いかけられた。
「紗雪……どうしてその事を?」
知るはずがない。例え知っていたとしても今はストーリーの攻略中で小春のことが会話の内容に出てくるはずはないのだ。
「私は、制限から外れていて……。だからあの時、幸人さんに何かが起こったことも知っていますし、覚えています」
小春の負の感情に俺が飲み込まれそうになった一件。人工知能である小春が生み出した紗雪のようなキャラクターが、その時どこにいたのかはわからないが、小春の中にしろ近くにしろこのゲームの中にいたのであれば俺がどのような目にあったのかは知っていて不思議はない。
「わからない。小春の心の中にある嫉妬があいつを苦しめているのに、俺は何もしてやれない……!」
「嫉妬が……」
だから俺はさっさとストーリーをクリアして、あいつが嫉妬なんてもんを感じないくらい、あいつのそばにいてやるんだ!
「今はとにかく、陽美先輩のストーリーを終わらせたい。紗雪、この先の展開って知らないか?」
「え? えーっと……」
言ってしまっていいのか? という躊躇いの表情を浮かべる紗雪に、俺は両手を合わせて頼む。
「こ、このあとは陽美先輩と商店街に行って品物を回収して、バザー当日に備える……っていう流れです。もしも最短のルートで進むなら……、商店街のシーンの終わりに先輩をデートに誘って、後日デートをしてください」
「デートしたほうが最短なのか?」
「はい。デートをしないままバザーに進むと、そのあとの告白パートの後に、先輩の家族からの反対というシーンが余分に追加されてしまいます。難易度的にも時間的にもデートのほうが楽だと思います」
「わかった。で、告白パートの次は?」
「恋人同士として改めてデートをして、先輩のストーリーは完了です」
「ありがとう紗雪! また何かあったら頼らせてもらうかもしれない」
「私なんかで役立てればいつでも」
ゲームの中の日付けは移り3日後、俺は先輩と一緒に商店街を歩いていた。
「手前から順に回りましょうか?」
「そうですね~」
最初にあるのは肉屋だ。店主は体格のいいおっちゃんであるが、その顔は優しそうに笑っている。
「すみませ~ん」
「へいらっしゃ……ってなんだ陽美ちゃんか! 今日はどうした、デートかこの~」
おっちゃんは茶化すように先輩にそう言うと、先輩は例の仮面の笑顔で応じる。
「そうですよ~」
違いますよ~っとその茶化しを簡単にかわして……へ?
「だよなぁ、あの陽美ちゃんが男とデートなん……ええええぇえ!?」
こ、肯定した……?
「な~んて、冗談です~」
「な、なんだびっくりしたぜぇ、それで何の用だ?」
「今年もバザーをやるんです~」
「おう、出品する品物のことか。安心しな。ちゃんと用意してあるぜ! 町内会館に置いてあるはずだ」
「ありがとうございます~」
「おっと陽美ちゃん、これ、サービスな」
揚げたてのコロッケをもらって、俺と先輩は店主に一礼して商店街の散策を再開する。
「先輩ってこの商店街よく来るんですか?」
「ん~、そうですね~。父の仕事でこの辺りに来たときはよく来ますね~」
「あら陽美ちゃん! ほらこれ! クリームパン持ってって!」
「陽美ちゃんこれ、新鮮なお野菜、皆で食べて!」
「あー、陽美ちゃんこれ、お魚!」
とこんな具合で、商店街を抜けるまでにほとんどの店から無料で売り物ををもらい、町内会館に着いた頃には両手がすっかり荷物でいっぱいになってしまった。
「やっぱりもうひとつ持ちましょうか~?」
先輩が心配そうに空いている右手をこちらに伸ばしてくれるが、俺は首を振ってそれを拒否した。
先輩も左手には花屋からもらった花と、お菓子屋からもらったお菓子を持ってはいる。
男として、これ以上先輩に物を持たせるわけにはいかなかった。
「アラぁ~? 陽美ちゃんじゃないの!」
言葉だけ見れば、女性だった。
ただし、外見は完全にスキンヘッドの色黒なオッサンであったが。
「アタシ、町内会長のキャサリン。ヨロシクね? ぼうや」
「は、はあ……」
「それでキャサリンさん~、品物はどこですか~」
「あぁ、そうだったわネ。ウチの町内会で集めた品物なら奥に置いてあるわ。好きにしてちょうだい」
「あ、どうも……ひぇ!?」
「どうかしましたか~?」
「い、いえなんでも……」
キャサリンさんの隣を通り抜けようとしたところで濃厚な手つきで尻を揉まれるというハプニング……。
「ああ~、これですね~」
キャサリンさんに訝し気な視線を向けても当人はそっぽを向いて意外に綺麗な口笛。
見た目の厳つさの割に綺麗な音色だ。
さてさて、肝心の品物はというと。
「この段ボール全部ですか?」
「そうよぉ~、これがアタシの町内の力を結晶させた愛の結晶よ!」
「愛の結晶ですか~、素敵ですね~」
「今年は品物の集まりが悪いって言ってませんでしたっけ?」
「私のほうから前もってお願いをしていたんですよ~、そうしたらこんなに集めてくれました~」
先輩すげぇ! 超影響力!
「でも先輩、こんないっぱいどうやって運ぶんですか?」
会館の中に置いてある段ボールの数は大体15個ほど。例えひとつひとつに量が入っていなかったとしても運ぶのが大変な量だ。
「大丈夫ですよ~、全部ウチに運ばせますから~」
「へ……?」
先輩のその言葉を待っていたかのようにあちらこちらから黒服黒髪の集団が生えてくきた。
「では運び込んでおきます」
「霧島様がお持ちのお品物もよろしければ運ばせていただきますが?」
「あ、じゃあお願いします」
野菜やら魚やらを使用人らしき黒服さんたちに任せると、段ボールと荷物はあっという間に運び出され、部屋が圧倒的に広くなったように錯覚する。
おや? 今気づいたが黒服黒髪の集団の中にひとりだけ、小柄で茶髪の、小動物の少女が交ざっている。
「チェックは私と~、使用人たちでやっておきますね~」
「俺はいいんですか?」
「でも放課後まで付き合ってもらうわけにはいきませんし~」
「お嬢様、それならよい考えがございます」
「聞かせてください~」
黒服の集団に交じっていた黒服らしくない茶髪の少女は俺たちを見て、まるで悪戯を思いついた子供のような無邪気な笑いを浮かべながら提案する。
「しばらくの間、霧島様をお屋敷にお泊めになってはいかがでしょうか」
まったく裏のなさそうな笑顔の裏側で、実は無理をしていそうな少女は、やはり弱みなど見せずにただかわいい少女として俺にウインクをしてくれたのだった。
さて、週末だけ泊めさせてもらうだけの予定だった椿邸へと再び戻ってきた俺は、やはり慣れない上流階級的雰囲気に圧倒されていた。
バザー当日まで2週間弱。長期の宿泊客ということで、なぜか俺にお世話をしてくれるメイドさんがつくことになったのだが……。
「小春……別に嫌じゃないんだが、お前がメイドってどうなんだ?」
そう、俺に割り当てられたメイドは何を隠そうこのゲームの主である小春だった。
先ほどの茶髪黒服姿ではなく今度は金髪ツインテールにメイド服という俺と初めて会ったあの時の姿あのままである。
「幸人様の近くにいれば嫉妬心なんて忘れられるかもしれませんから。それに、この方が攻略を早く終わらせるためのサポートも可能ですし」
「なるほど、一理ある」
「はっきり言って、私の状態はどんなに前向きに言っても良い状態ではありません。前の時に比べて私の心に負の感情が蓄積されるスピードが上がってきています」
「それで俺のそばにいてみようってことか……。他にもなにか方法はないのか?」
「残念ながら。私のほうでも感情をコントロールしたり、負の感情を昇華させることを試みてはいますが効果は薄く」
もしもの時のために、記憶や心を含めたバックアップを確保しておくのはどうだろうか?
あまり考えたくはないが、小春がこのまま壊れてしまうという最悪の事態を想定するならその必要があるだろう。
幸い、彼女は人間ではなくプログラムだ。人間とは違い、複製やバックアップが可能なはずである。
「それは、難しい可能性です」
俺のそんな思考は、そのプログラム自身によって容易に否定されてしまう。
「私はこのゲームを管理する内部管理者の片翼。私を複製すると言うことはその権限も含めて複製することです。しかし、それが実行できてしまうと私は複製したいくつもの権限でトトを圧倒できてしまうのです」
理由を長々と述べてはいるが、つまりは複製もバックアップもできない、ということだろう。
「トトと私は互いの抑止力でなければなりませんから……それを超えてしまう可能性は根本から除外されています」
「でも日和なら! あいつならお前のことも……」
「もし何のしがらみもなければ、もしかしたら可能だったかもしれませんね。でも、日和には私という個体にこだわるほどの理由はありませんよ。仮にあったとして、それが幸人様の身の安全に勝ることもあり得ません」
そんなことを自らの口で語る少女はひどく苦しそうで、悲しそうで……。
「ゆ、幸人様……!?」
思わず抱きしめていた。仮想世界のはずなのに、プログラムのはずなのに、小春の華奢で小柄な身体には確かな温もりがあって……。
「心配、してくれるんですね……幸人様だけは」
「当たり前だ! こんなに、こんなにお前のことが好きなんだぞ! 好きに、させられたんだ!」
前に言わせてもらえなかった言葉を、想いを、全てぶつける。
ただ、伝えたいという欲求のままに。
「応えることは、できません。もう……」
「それでも! 俺は何度だって言ってやる。例えお前が消えてしまうような運命だって、お前が消えるその時まで! いや、お前が消えた後だって俺は……」
言ってやる。そう言葉を紡ごうとした俺の唇は、塞がれた。愛おしくてたまらない少女の、綺麗で柔らかい唇に。
「私だって、消えたくなんてありません! 幸人様とずっと一緒にいたいです! でも……」
世界は、社会は、それを許してはくれない。互いを想い、愛し合っていたとしても。
「私が原因で幸人様の身に何かが起こってしまうのだけは……それだけは何よりも絶対に、いやです!」
それだけは絶対に譲れないという表情で小春は俺を、より強く抱きしめてきた。
「それで小春、ストーリーの最短ルートの話、俺まだ先輩のことデートに誘えてないんだけど……」
「うーん、まあこのお泊り自体がさっき勝手に追加したものですし。いいですよ。適当にデートすれば最短ルートには戻します」
「わかった。じゃあさっそく行こうぜ!」
「はい」
最強のサポートキャラを後ろに控えさせて屋敷内を歩く。
先輩をさっさと攻略してしまえばいい。その決意はどこからか聞こえてきた話し声に揺さぶられた。
「あれって……」
「陽美さんの母親、椿さくらさんですね……」
小春は少し考えた様子で自分の髪を触る。
「大丈夫です。無視して陽美さんのところへ行きましょう」
い、いいのか……?」
「あれは陽美さんのストーリーの中で起こる問題についての内容なんです」
「問題って?」
「陽美さんの設定は、家族と表面的にしか接していないというものです」
「それはまた王道な設定だな」
家族と本当の意味で打ち解けていない、本心からの笑顔を忘れてしまった少女に本当の笑顔を思い出させるというのは、恋愛シミュレーションゲームのシナリオではありがちである。
「じゃあそれを達成しないとクリアできないのか?」
それでは余計に時間がかかってしまう。
「その設定自体は生きてますが、必須ではなくしてあるので、クリアは可能です」
「ちなみに先輩のその問題の解決には時間かかるか?」
「はい。最後ということもあって難易度を高めに。あの鋼鉄の笑顔を貼り付けたさくらさんを改心させる必要があります」
「それはきついな……」
ただのコミュ障が突破するには難しすぎる問題でしかない。
例のいい音がする木製の扉をノックすると、意外にも先輩が数秒で扉を開けて出てきた。
「どうしたんですか~?」
「え、えーっと……先輩にその、は、話があってですね」
「話ですか~?」
「せ、先輩って、今度の土曜日か日曜日空いてますか?」
「デートのお誘いなら~、空けますよ~」
「わかってたんですか……」
「それだけわかりやすい反応をしてくれればわかりますよ~」
「じゃあ、今度の……土曜か日曜、どっちがいいですか?」
「土曜日にしましょうか~、次の日もお休みですから~」
「は、はい」
「幸人様、日和が例のプログラムが造ってくれたみたいなので、一度ログアウトをして日和の相手をしてもらってもいいですか? 今からこっちに来るみたいですから」
そう小春に言われて三次元の世界に戻ってきてから約25分。すっかり暗くなっているような時間に霜月日和はやってきた。
「予め言っておくけど、あまり期待はしないでね? ただでさえどこまで機能するかわからないプログラムを間に合わせで造っただけだから」
「な、なあ、バックアップとかはできないのかよ」
小春には完璧に否定された問い。それでも、プログラマーである彼女に投げかけるほどに今の俺は可能性を欲していた。
ほぼ確定的な破滅の未来しかない、たった一人の少女を救う、そんな当たり前に存在しているべき雲のような可能性を。
しかし、運命は嘲笑う。
「あなたの言いたいことはわかるわ。でもそれは私とあの子が、他の開発者とトトに対立することを意味するわ」
「それでも小春を助けられるなら!」
「助からないわよ。私があの子のすべてをコピーすれば、他の開発者たちもそれを消すためにトトをコピーして複製するでしょうね。そうして私があの会社にいられなくなったら、その時があの子の最期になるわ」
「……じゃあ本当に、あいつは助からないって言うのかよ! ただプログラムから生まれたってだけの、ただ人間が好きになっただけの女の子なのに!」
現実の俺は、もっと控えめな性格だと思っていた。もっと薄情だと思っていた。周りで起きていることに余計な介入をせず、憧れも喜びも悲しみも怒りも嫉妬も全部隠して傍観するような地味な人間だと思っていた。
実際はやはり、そうなのかもしれない。
やはり、根本的な部分では自分の感情を押し殺して、教室の隅で、自分の部屋で、道の隅っこで……ただただ自分以外を傍観する。そんな人間なのかもしれない。
でも、そんなことはどうでもいい。理由付けなんて、今でも後でもいくらでもできる。
俺自身が変わった、あるいはそれが「自分自身」になった。
どちらでもいい。
そんな理屈なんかを考える必要もない。
俺にとって小春は、自分の感情をすべて醜く晒して、傍観なんてできずに飛び込んでしまうくらい、大切なのだ。
「あの子は人間じゃない。例えバグも何もなく、あなたたちの邪魔をする要因がすべて存在しなかったとしても、あなたは人間であの子は機械よ」
日和の言葉はひどく平坦で冷たい。
「あの子は故障しなければ永遠に生き続けるけどあなたは違う。いつかは寿命がくる。愛した相手を失う悲しみと痛みに、あの子の心はきっと……耐えられないでしょうね」
「お前にとってあいつは……自分のすべてを捨てても守りたいとか、そばにいたいって、そういうんじゃないんだろうな」
「……そうね、私にとって、あの子は上位にこそ来るけど、絶対に1位にはなりえない。本当に大切なものと比べなければならないのなら、私は躊躇うことなくあの子を見捨てるわ」
「じゃあなんでお前はあんなものを……! あいつを創ったりなんてしたんだよッッ!」
これ以上は、ただの八つ当たりだ。傲慢だ。価値観の押し付けだ。
人によって大切なものが違うのはわかりきっていても、俺は感情のすべてを吐き出し、彼女を追い詰めないわけにはいかなかった。
「終わったわ。あとはあの子の心次第。私から言えるのは一つだけ。……決して長くない残り時間を、楽しみなさい」
やや俯き気味な様子で、日和は俺の部屋から出ていく。
聞こえるはずのない終了した会話や心の声が、いつまでも部屋に響いているような錯覚から逃げるように、俺は二次元へと再び飛び込んだ。
「感触は、どうだ?」
二次元に飛び込んですぐ、一息つく間もなく俺は小春に問いかけた。
日和はあまり効果が期待できないと言っていたが、もしかしたら小春本人は改善の確信を感じているのかもしれないと思ったからだ。
「そうですね。だいぶ期待が持てそうです。きっと大丈夫です!」
そんな笑顔の肯定に、思わず抱きしめてしまいそうになるのをなんとか堪える。
「なーんだ、抱きしめてくれたらよかったのに、です」
そういって可愛い可愛い悪戯っぽい笑みを浮かべて控えめに、俺のことを抱きしめてくれた。
父さん、母さん、俺……見つけたよ、理想の彼女を。二次元で。
「そう思ってもらえるのはとても嬉しすぎて困っちゃいますが、今はともかく、陽美さんとのデートです。集中してください」
「ああ、わかった」
長く伸びた時間を有効に使おう。日和の言った通り、小春にとっても俺にとっても時間は等しく有限なのだから。
「さてと、とりあえずデートプランだけど」
「どうせなら今までとテイストの違うデートがいいですよね。金持ちの設定を利用して海外旅行とか高級レストランとか!」
「確かに今までとは違う雰囲気だけどこれ以上金持ちオーラに触れたら俺絶対立ち直れない……」
そんな明るい雰囲気で、小春と二人で机に向かって、先輩とのデートプランを考えていても、自然とお互いに笑顔がこぼれる。
希望と安心がここまで心を落ち着かせてくれて幸せな気分になれるものだと、初めて知った。
「お家デート……もこの大豪邸じゃ落ち着きませんよね」
「現実世界じゃ絶対にやらないことがいいな」
「じゃあ、アウトドアですかね? キャンプとか釣りとか?」
「ああ、いいかもしれないな。それでいこう」
「わかりました。そのデートプランで創っておきましょう」
アウトドア。自分で提案して実現はさせたものの、現実でのアウトドアな経験は皆無な俺である。普通なら男がかっこよく火を熾したり、力仕事を引き受けたりするものだとは思うのだが、いかんせんその知識も技術もない。
そう思ってデートへとやってきた俺は、結局準備のほとんどを先輩についてきた使用人さんたちにお任せする形となってしまっていた。
俺がした作業は近くの水場から水を運んできただけの簡単なもののみ。それさえも使用人さんを拝み倒してなんとか与えてもらった仕事だ。
基本ニート思考な俺が自分から働かせてくれなんておかしな話だとは思うが、それくらいすべてが任せっきりな状況は居心地が悪いのである。
ちなみに、「デートに私がついていったら陽美さんの攻略に集中できないでしょうから、少しの間お別れです」とかなんとか言って小春はついてこなかった。
「お食事は魚と肉どちらになさいますか?」
「あ、ああ……先輩はどっちがいいですか?」
「幸人さんの食べたいほうでいいですよ~」
「じゃあ、魚で」
「かしこまりました」
テントやらテーブルやらを一通り組み立て終わったくらいのタイミングで昼食の種類を聞いてきた30代そこそこらしい使用人さんにそう答えると、彼はまるで魚を選ぶことが分かっていたかのような速度で釣り竿を取り出した。
「では、調達して参ります。そうお待たせは致しませんので」
「あ、それなら俺も……」
「いえ、霧島様はお客様ですので、どうか心安らかにお待ちください。もしよろしければお嬢様の話し相手など。ただ待っているだけでは退屈でございましょうから」
若干不自然なくらい俺を先輩との会話へと誘導してくるところを見ると、どうやら今の俺には他に選択肢はないらしい。
相変わらず燻っている働きたいという気持ちを忘れようとしながら先輩の斜め向かいに置かれているアウトドア用の椅子に腰かけると、先輩の近くにいたメイドさん3人が揃った動きで一歩下がって頭を下げ、離れていった。
「……なんかやっぱりメイドさんとかってすごいきっちりしてますよね」
「そうですか~?」
「はい、無駄がなくて皆ピシッとしてますし」
「当家の使用人であれば~、それくらいは呼吸をするようにやってくれなければ困ります~」
そう言いながら何も言わず、顔も目線も俺に向けたまま先輩が左手を後ろに伸ばすと、1人のメイドさんの一人がまるで機械のように近寄ってグラスに入ったカラフルな飲み物をすぐに手渡した。
「こんなこともできますよ~」
「読心術……」
「ふふふ~、違いますよ~」
先輩は今度は何も言わない。
その沈黙が数秒続いたくらいのタイミングで、さっきとは別のメイドさんが近寄ってきた。先輩と俺の間……ではなく。そこからやや半歩下がった位置に立つと軽く頭を下げた。
「私どもが行っているのはマインドリーディングのようなものではございますが、エスパーのようなものでは決してありません。すべてはお嬢様の好み、習慣、経験や行動原理を把握させていただいているためです。先ほどのようなやり取りが可能なのはお嬢様付きの使用人か、それに近い古参の使用人くらいでしょう」
はっきり言って信じられない。ゲームの中なのだから非現実的でもまったくおかしくないのだが、それをそのまま「ゲームだから」で片付けられないほどのリアルさと現実感がこのゲームにはある。
メイドさんはエスパーみたいなものではないと言っていたが、主の好みやら思考パターンを把握して主の思ったことを言葉で聞かずに即行動できるというのは、本物のエスパーなんかよりもずっと異能染みているのではないだろうか。
「それにしてもお腹空きませんか?」
「そうですね~」
「まもなく料理が完成するとのことですので、もう少しお待ちください」
そんな時だった。突然黒いジャケットにマスクとサングラスという装備のザ・不審者が先輩側の林から飛び出してきたのだ。しかもその手にはナイフが握られている。
「先輩あぶない!」
急いで先輩を抱き寄せるが、その先輩と不審者の間に3人目のメイドさんが立った。
「危ないですよっ!」
「ご心配なく。慣れておりますので」
少しも慌てた様子もなく、丸腰のままメイド服のスカートを軽く靡かせるメイドさんに、不審者は無言のまま突進するように襲い掛かってくる。
普通よりやや屈強な不審者はその勢いそのままに体を前回りに回転させられた。
「な、何が起こったんだ……?」
俺の目にはメイドさんが躍るように体を翻して、そこに男が突進して勝手に前回りしたようにしか見えなかった。
「あのメイドさん強っ!」
「霧島様、使用人とはいえ女性にその感想はいかがなものかと」
「いやマジで強すぎですよ! なんですか今の!」
俺の心からの称賛に当のメイドさんは恥ずかしそうに、極めて控えめな微笑みを浮かべる。
「あ!」
しかし、いつの間にか起き上がった不審者は突撃してきたような男とは思えないほどに集中してメイドさんを見据えていた。
「ご安心を。……とはいってもこの程度では余興にもなりませんが」
大した構えもなく、刃物を持った男と対峙するその後ろ姿には、相変わらず焦りもなく堂々としている。
「ふぅーー……」
息を吐き切った瞬間、メイドさんが軽やかに前に出た。対して出方を窺う様子の不審者。
僅かに間合いの外という位置からメイドさんの足取りが一気に加速すると、一瞬の間に不審者の間合いの内側、懐へと飛び込んだ。
飛び込んだ加速力に体重を乗せた掌底が不審者の胸を打つ。
地味だが重い音とともに今度こそ、男の大柄な体が崩れ落ちた。
「私は身の回りのお世話担当の使用人ではなく、お嬢様の身辺警護を担っております。ああいった手合いの者に狙われること自体珍しくないお立場ですから」
「でもいつもすごい数の護衛連れてません?」
ならなぜ今はいないのだろうか。
「息抜きや娯楽としての外出やご旅行に堅苦しいボディーガードがたくさん同行しては心休まることもないでしょうから。そう言った場合は私だけが同行させていただいております」
楽しいキャンプもあっという間に時間は過ぎ、例の襲撃からすでに数時間。俺はさっきのメイドさんに話を聞きながら夜ご飯のカレーライスを食す。
うん、スパイシー。
「よろしければ護身術程度の手解きでもいたしましょうか?」
「い、いえ結構です」
どう考えても手解きの中で投げ飛ばされる未来しか見えない。
その後、キャンピングカーのお風呂でシャワーを浴びて、使用人さんたちに見守られながら、無駄に寝心地のいいテント内で眠りにつくのだった。




