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青葉七海編②

 「統括者マスター、なぜあそこまで4号機に甘くするのです? それにヒヒを容易く消し去ったあの力はいったい……」

「トキ、4号機は特別だって前に言ったよね?」

「はい」

「じゃあ何が特別だと思う?」

「感情のプログラムですか? 確かに我々同様感情を持った機体だとは思いますが」

「そうだね。でもそれだけじゃないんだよ。僕と4号機はいわゆる兄妹なんだ」

「兄妹……ですか? 統括人工知能と機体所属の個体が?」

「そう、同じプログラマーによって造られた二つの個体。それが僕と4号機さ」

「ではあの事態をあのまま見過ごせというのですか? 4号機が重大な規約違反をしていることは間違いありません!」

「しかし、害のない現状を考えれば経過観察と言ったところだからね。この後4号機もここに来るはずだし」



 さて、夏の海といえばなんであるか。リア充である。周りを見れば仮想空間の海だというのに嫌になるほど人があふれている。どいつもこいつもリア充らしくガヤガヤと騒ぎ、走り、泳いでいるのだが……。

「なによこの人混み……」

ビニールシートに体育座りをしながら心底面倒そうにスクール水着姿の紅音あかねが言う。

そう、俺たち軽音部はついにみんなで海へとやってきているのだ。

「妹さんたちはほったらかしたままでいいのか?」

ついでに紅音の妹さんたちも来ている。

秋穂あきほがついてれば平気よ。それより紗雪さゆき七海なみはどこ行ったのよ」

「七海ははるか向こうのほうまであっという間に泳いで行ったよ……」

ちなみに紗雪は海の家で着替えているはずだがまだ出てきていないのだ。

「紗雪先輩はもうすぐ出てきますよ」

「あっそ」

ゆうさんの言葉に紅音は退屈そうな態度で適当に相槌を打つ

「紅音は泳がないのか?」

「あたしはいいわよ。こんなに混んでるし、この後もあるし」

この後というのは紅音のライブのことである。紅音はかつて所属していたバンド「L.C.(エルシー)」のメンバーとの関係を修復し、かつてのように一緒にライブをするようになっているらしい。そして今日は海からほど近いライブハウスで紅音たちがライブをするのだ。

幸人ゆきとさん、お、お待たせしました」

名前を呼ばれて振り返ると可愛らしい白のビキニを身に着けた紗雪が恥ずかしそうにしながらビニールシートに座った。

「……な、なによそのスタイルと恥じらいは!」

「まあ紅音には欠けてるものだよな……」

「幸人、覚えてなさいよ……!」

姉様ねぇさま!」

「あら紅葉もみじじゃない、どうしたのそんなに慌てて」

紅音の妹のひとり、中学1年生の紅葉ちゃんが慌てた様子で走ってきたのだ。

「大変です! 紅乃あけのちゃんがいなくなってしまいました!」

「ちょっと! なんで紅葉と秋穂あきほがついていながら……最後はどこで見たの!」

「え、えっと……向こうのほうで砂遊びしてて、秋穂お姉ちゃんが飲み物を買いに行ってる間に目を離したら……」

「とにかく探しに行こう。紗雪も手伝ってくれ!」

「は、はい」

全員で散って紅乃あけのちゃんを探す。秋穂ちゃんにはライフセーバーの詰め所に向かってもらっているからすぐに見つかるかもしれない。

互いに連絡を取り合うために海の家のロッカーからスマホは取り出してある。探しに行こうとしていた俺にかかってきた電話の主は意外な人物からだった。

「七海か!?」

「ライフセーバーの人がすごい慌ててるけどなにかあったのー?」

「紅音の妹の紅乃ちゃんが迷子になったんだ! 今みんなで探してる」

「わかったー、私も探してみるねー!」

遠くに泳いで行っている七海がどうして携帯を持って泳いでいるのかはわからないが連絡が取れたのは幸いだ。紅乃ちゃんに何かが起きる前に見つけてあげなきゃいけないのだから人手は多いほうがいい。

ひとまずは紅葉ちゃんたちがはぐれた場所付近まで行ってみることにして走っていると、右手で目元を拭う紅葉ちゃんが歩いていた。

「紅葉ちゃん?」

「あ……お兄様」

この呼ばれ方にも違和感を感じない程度には慣れたが、紅葉ちゃんの瞳からは大粒の涙がゆっくり流れている。

「紅乃ちゃんが行きそうなところとか何か心当たりはないか?」

「そう言われても……」

「会話の内容とかでも何でもいい。何かないかな?」

「そういえば、姉様ねぇさまのライブをすごく楽しみにしていたのでもしかしたら……」

「この後紅音がライブをする予定のライブハウスか!?」

「ユッキーーーー!」

「七海!?」

「見つかったよー!」

半袖半ズボンタイプのウェットスーツ姿で海のほうから駆けてくる七海の言葉に少しの安心感が湧いてきた。

「どこにいるんだ?」

「ここから近いところにあるライブハウスにいるってー!」

「それってこのあと紅音が行くところのことか?」

「違うよ! とにかく行こー!」

紅葉ちゃんも連れてすぐそばの歩道を走るとマリンスポーツ用の店が見えてきた。

「今はあそこにいるってー!」

「でも……」

さっき七海が言ったのは「ライブハウス」だったはずだ。話が違うとばかりに紅葉ちゃんの表情が不安へと変わる。

「んー? ああ! えっとねー、あのショップの隣にライブハウスがあってねー」

そのショップの目の前にやってくると確かに「ライブハウス大海原」の看板がとても控えめに出ている。

「ここだよー!」

ショップの正面ではなく、裏のドアを慣れたように開ける七海。

「お、おい七海勝手に入ったら……」

「ただいまー!」

「へ?」

「え?」

七海の一言に俺と紅葉ちゃんが同時に素っ頓狂な声をあげる。


 「あげのぢゃああんんん!!」

「お、お姉ちゃん痛い……」

姉妹の再開にホッとして冷たい麦茶で喉を潤す俺。

「それで、紅乃ちゃんはどうしてライブハウスに行こうと思ったの?」

「は、はい。姉様のライブ会場がどんな場所かどうしても見たかったので……ごめんなさい」

紅乃あけのちゃんは小学生にしては驚くほどしっかりした子である。

「それに気付いたら紅葉お姉ちゃんがどこにもいなくなってて……」

「そ、そうだったかなー? あははー……」

「それにしてもここが七海なみの家だったなんてな」

「うん、ライブハウスにいたお姉ちゃんがその子を見つけたって連絡してくれたの!」

「そのお姉さんは?」

「またライブハウスのほうに行ってると思うよー? 行ってみるー?」

「いや、忙しそうだしいいよ」

七海は何かのケースに入ったスマホを取り出す。

「よく泳いでたのにスマホ持ってたよな」

「うん、防水のケースに入れてリーシュコードみたいにして持ってたんだー! 砂浜に戻った時に皆に会えるようにねー!」

「っていうか結局ウェットスーツなんだな……」

サーファーがほとんどいない海水浴場でサーフボードも持っていないウェットスーツ姿の七海は正直かなり浮いていたのである。

「うん、距離を泳ぐし、こっちのほうが水着より慣れてるから!」

「暑くないのか?」

「普通の水着に比べたらだいぶ暑いよー? でも春とか夏に着るようなウェットスーツだから大丈夫だよー!」

「でも助かったよ七海、おかげで早く紅乃ちゃんを見つけられたよ」

「私じゃないよー! 見つけられたのはお姉ちゃんのおかげだから……」

七海はため息をつきながら自分の麦茶を一気に飲み干した。


 「紅乃あけの!」

海水浴場に戻ると紅音あかねが安心したように紅乃ちゃんに抱きついた。

……もしかしたら紅音の胸は中学生の紅葉ちゃんより小さく、小学生の紅乃ちゃんといい勝負な大きさかもしれない。

「なんだか失礼な想像をされてるような気がするわねー?」

「ま、まさかーはははははは……」

こいつ……心が読めるのか!?

「幸人はすぐ顔に出んのよ。ポーカーフェイスを身につけなさい!」

「でもほんとによかったです紅乃ちゃん。ね、紅葉?」

秋穂ちゃんから同意を求められた紅葉ちゃんは不敵な笑みを浮かべて右手で前髪をサッと流す。

「もちろんだ我が姉上よ! 血の因果によって結ばれし妹を見つけるなど『紅葉《こうようの女王》《じょおう》』である我にとっては容易なことだ。あーはっはっはっはっはっは!」

「また始まりましたか……お姉ちゃん!」

紅乃ちゃんの華麗な手刀が紅葉ちゃんのおでこにクリーンヒットして紅葉ちゃんが短い悲鳴をあげて「正常」に戻った。

「紅音さーん!」

一足先にライブハウスに行っていたはずのゆうさんが慌てた様子で俺たちのところに走ってきた。

「紅音さん大変です! 電車が止まっちゃってるらしくてお姉ちゃんたちが来れないって……」

「嘘!?」

優さんのお姉さんたち、つまり「L.C.」のメンバーが時間に間に合いそうにないということである。

「……仕方ないわライブハウス側に頼んでキャンセルさせてもらうしかないわ」

「でも……」

「わかってる、お客さんにもライブハウスにも迷惑がかかるわ」

「お、お姉ちゃん! ライブやろう?」

秋穂あきほ……?」

「私ならギターは弾けるよ!」

「おおーー! 私もベースやるー!」

七海と秋穂ちゃんはやる気だ。

「バンドならやっぱりドラムがいたほうがいいですよね、私もやりたいです!」

優さんも乗ってこれでギター二人とベース、ドラムが揃った。バンドとしては十分な人数とパートだ。

「やる曲はあたしたちが文化祭でやったやつがいいわね。秋穂、いける?」

「もちろん!」

ライブはなんとかなりそうだ。


 ライブ直前、観客席の最前列に陣取った俺と紅葉もみじちゃん、そして紅乃あけのちゃんはライブをする時とはまた違った緊張感を感じていた。

「ふたりは楽器とか何かやったりしてる?」

「紅乃はまだ何も。でも紅乃的にはベースがやりたいです!」

「我は未知なる旋律を紡ぐ楽器を少し嗜んでいるわ!」

「普通にシンセサイザーって言おうね、お姉ちゃん!」

本日2回目のおでこへの手刀。紅乃ちゃんの対中二病攻撃は毎回なかなかの精度と威力である。

「でもシンセサイザーか、なんかすごいな」

「将来はみんなで曲を演奏するんです」

正常になった紅葉ちゃんが笑顔でその夢を話してくれた。


ライブの代役は少しの困惑とざわめきが起こった程度で、完成度は本来のそれにも劣らない完成度で観客たちの心を奪って終了した。

「皆ウチに泊まっていきなよー! 夏の間はサーファーとかに向けて民宿もやってるから平気だよ!」

「私は遠慮します」

「あ、私も帰ります!」

紗雪さゆきと優さんはどうやら泊まる気はないらしい。

「あたしもほんとは遠慮したいところだったんだけど……」

紅音は気まずそうに俺を見る。俺の背中ではすやすやと安心した様子で紅乃ちゃんが眠っていた。

「秋穂と紅葉はどうする?」

「うーん……我は紅葉こうようのの……」

「お姉ちゃん、紅葉も立ったまま寝てるよ……」

「……ご厚意に甘えさせてもらうわ」

「ユッキーはどうする?」

「部屋は空いてるのか?」

「うん! 他にお客さんもいないよー!」

「じゃあ俺も泊めてもらおうかな」

俺も最初のころに比べたらだいぶコミュニケーションもとれるようになったし積極的になったものだ。

そしてこういうリア充っぽい雰囲気とかやり取りを楽しいと感じている俺も、たしかにいるのだ。

七海の家に入ると七海に似た青色の髪色をした女性が出迎えてくれた。

「いらっしゃい、七海の母です。いつも七海がお世話になってるみたいで……」

「もう! お母さんはいいからー!」

七海が母親を奥の部屋に追いやって俺たちを2階に通した。

「部屋は3つあるよー!」

「あたしは紅乃と寝るから秋穂は紅葉と一緒にお願い」

「うん、お姉ちゃん」

「ご飯はどうするー?」

俺たちは起きているから今食べられるが、紅葉ちゃんや紅乃ちゃんはすでに眠ってしまっている。

「2人はあとで起きたら何か考えるわよ」

「でも急だったしこんな大勢だけど食材とか大丈夫なのか?」

「うーん、それはさすがに足りないから、私は外で食べる予定だったんだよー」

「この辺にオススメの店とかあるんですか?」

「出た……秋穂のおいしいお店巡り」

「だって普段来ないところだし、地元の人のオススメ聞ける機会なんてほとんどないんだよ?」

「オススメって言ってもねー、時間も時間だからあんまりいいところはないかもー」

なぜか海辺や観光地の店は閉まるのが早かったりするものの、時間はすでに9時過ぎだ。夕飯には遅すぎる時間である。

「お母さんに聞いてくるねー!」

「待って……七海なみ……」

すごく間が空いた呼び方で奥の部屋から出てきた冷たい雰囲気の女性が七海のことを呼び止める。

「あ、お姉ちゃん! 今日はこっちにいるんだ!」

「この後……向こうに帰る」

「それでー?」

「オススメの店……あるから、連れてきて」

なんだろう、七海のお姉さんはすごく慣れ親しんだような話し方というか雰囲気な感じが……。主に人見知り的な意味で。

「あれ……? ねえお姉ちゃん、あの人って……」

「え、ええ分かってるわよ秋穂……同じこと考えてる」

何やら紅音たちのテンションが上がっている。

「どうかしたのか?」

「あ、あの人……」

「七海のお姉さん?」

「神奈川県出身バンド『|Marine Heartbeatマリンハートビート』のベースにそっくりなのよ。というより本人としか思えないわ!」

「お、お姉ちゃん聞いてきてよ……」

「あ、秋穂が行きなさいよ……」

「なになにー?」

「あ、あの! もしかしてベーシストのアイシスさんですか?」

秋穂ちゃんが勇気を出して七海のお姉さんに聞くと、お姉さんはしばらくの間を空けて無言で首を縦に振った。

「お姉ちゃん、それでオススメってー?」

「車……乗って」

「うん、わかったー!」


七海に促されて表に停まっているワゴン車の後部座席に乗り込む。七海が助手席で、後部座席の真ん中が秋穂ちゃん、その右隣が紅音で左隣が俺という配置だ。

「すぐ着くから……」

シートベルトを装着した瞬間に車はエンジンを唸らせながら夜の海沿いを走る。

「結局紅葉ちゃんたちは置いてきちゃってよかったのか?」

「紅葉はともかく、紅乃ちゃんは多分朝まで起きませんよ。いつもそうですから」

車内は女子ばかりだからかいい匂いに満たされている。

「七海、ライブ、見てた。ベース、うまくなったね……」

「まだまだお姉ちゃんみたいには弾けないよー」

「私なんかより……ずっと楽しそう、だったよ」

「お姉ちゃんはもう……弾かないの?」

「前ほどはもう、ね。まったく弾かないわけじゃ……ないと、思う」

車で10分以内、たしかに近い場所で車は停止した。

「ここ……」

「看板は出てますけどでも……」

明かりは消えている。人がいるのかも怪しいくらいだ。

「電話……したのに、まったく」

お姉さんは店の裏口に回ると呼び鈴を鳴らす。

「なんだこんな時間に、いったいどこのどいつ……」

「ついさっき、電話したはず……だけど」

「お、おう、悪い寝てたわ」

頭にタオルを巻いて顎髭あごひげを生やしたラーメン屋の店員のような風貌のおっさんはあまり悪びれた様子もなく笑って自分の頭を撫でる。

「ってことはそっちのガキどもが電話で言ってた腹ペコ野郎どもだな! まあとりあえず入れ」

店の奥、住居スペースの居間らしいところに座ると、またまた紅音たちのテンションが上がっていた。

「あの人はねー、お姉ちゃんとバンドをやってたギターの人だよー!」

「今、彼はラーメン屋……やってるから」

「夜にラーメンですか……」

「秋穂ちゃん、ラーメン嫌い?」

「いえ、ただ太っちゃいそうだなって……」

「安心しな。ラーメンは営業中に売り切っちまったから別メニューだ。ほらよ」

「これは……」

「しらす丼ですか?」

「ああ。ラーメン以外のメニューのひとつだ。ラーメンの次に人気のメニューだぜ!」

「あ、あの……なんで俺だけカレーなんですか?」

紅音や秋穂、七海とお姉さんはしらす丼なのに俺の前に置かれているのはどこからどう見ても普通のカレーライスだ。

「ああ、わりぃな。あいにくしらす丼は4人分で品切れなんでな」

「ってことはお店で3番人気のメニューがカレーライスってことですか」

「いいや、そいつは買いだめしておいたレトルトのカレーだ。店にゃ出しちゃいねえよ」

「さいですか……」


「ユッキー、シラス食べたかったの?」

それぞれ半分くらいまで食べたところで七海がそんなことを聞いてきた。

「ん? ああ、できれば食べたかったよ」

「じゃあはい、ひとくちあげるー!」

そう言って米としらすの塊を器用に箸で掴みあげると俺のほうに差し出してきた。

……これはまさかその、「あーん」というリア充の儀式であろうか?

「恋人じゃなくてもやっていいものなのか……?」

「んー? なにー?」

「プッ……あっははははは!」

「ちょ、ちょっとお姉ちゃん……笑っちゃダメだよ」

「だ、だって『恋人じゃなくても、やっていいものなのか?』とか真顔で言うんだもん。……あははは、おっかしぃ~!」

「そ、そんな笑うことないだろ!」

「ああはいはい、ごめんって」

「ユッキー、食べないのー?」

「た、食べるよ……」

七海の差し出したそれを一口で食べると、カレーライスとは違った海の風味で口が満たされる。

「ん、うまいな」

顔の熱さをごまかすようになんとか平静を装った感想を言ってみせる。

「おうそうだ、チャーハン作ったから持ってけ。あっためて明日の朝にでも食え」

……チャーハンがあるなら俺がカレー食べることもなかったんじゃないだろうか。

そんな文句も声になることはなかった。


 夕食を終えた俺たちは七海のお姉さんの提案で近くの温泉に行くことにした。

「温泉まで無料タダで入らせてもらえるなんてお姉さんすごいですね」

「ふふーん! お姉ちゃんは有名だからねー!」

「七海……そういうこと、言わない」

「あははー、ごめーん!」

それぞれ男湯と女湯へと向かう。脱衣所ですべての衣服を脱いで、男らしく手拭いひとつで露天風呂への扉を開くとそこには美しい夜空とそこに浮かぶ月、そして暖かいライトに照らされた露天風呂が広がっていた。

「きれいな場所だな……」

「そうですねー」

そんなやり取りをしつつ俺は、湯船の中で和んでいるバスタオルだけで身体を隠した小春こはるの隣に腰を落ち着けて……って。

「えええええええええ!? ちょ、なななななななんでいんの!?」

「なんですか? 人工知能が温泉入ったらおかしいですか! そりゃあ本来の私なんてただの機械ですから? お湯なんかに浸かった日には確実に壊れますけどね!」

ちげえよ! なんで男湯のほうなんだよ! 入るならせめて女湯に行けよ! なんにも隠さずに入って来ちまったじゃねえか!」

「だ、大丈夫ですよ……だってほら」

頬を少し染めながら俺のどこかを指さす小春。その方向、すなわち下半身へと視線を移すと……。

「お、おう……すごいその、湯気だな」

よくアニメとかで見る湯気さんが俺の下半身の1か所を真っ白く隠してくれていた。

「さすがにその……修正しないとまずいので」

さすが優秀な湯気さんである。


「なあ小春、七海の攻略ってそろそろ終わるんだよな?」

「はい。他のヒロインの攻略にだいぶ時間がかかりましたので全体的にストーリーを簡略化させていただいています」

「確かに一つのヒロインだけで何日、何週間もかけていられないかもしれないな」

「実際、私も含めて現在稼働しているELSはすべてモニターやテストプレイ機ですが、ほとんどの機体でヒロインの攻略を終えて自由遊戯フリープレイモードに入っています」

「早いな……」

「それでも当初の計画に比べたらだいぶ時間が押しています。このままのペースで行くと一般販売に間に合わないかもしれないと言われているくらいです」

「それで?」

「ヒロインの攻略が完了していなくても人工知能の判断でELSの機能の開放や実行ができることになりました」

「つまり自由遊戯フリープレイモードが遊べるってことか?」

「はい。今回のモニター調査はヒロイン攻略によるストーリーの完遂と自由遊戯モードの一定時間以上のプレイが最低限のノルマです。さすがにヒロインの攻略中に自由遊戯モードに切り換えることはできませんが」

確かにそうすれば効率的に各モードのプレイデータが集められそうだ。

「一般販売されてからもアップデートなどを経て、近い将来には恋愛シミュレーション以外もプレイ可能になるという計画もありますからねー」

一般販売の結果次第では高額であっても売れる可能性は高そうである。

「なので申し訳ありませんがストーリーは短めにさせていただきます」

「ああ、わかった」

話が終わると静寂と、少しの気まずさがやってくる。

隣を見るとゲームの中の温泉だというのに熱そうに頬を染めた小春が両手で水面を撫でていた。

「なあ、聞いてもいいか? お前のプログラマーのこと」

「どうしてですか?」

「お前ってさ、ほかの奴よりも感情豊かに造られたんだよな?」

「はい」

「それにお前が持ってるって言ってた権限のこととか聞いて……なんか気になってさ」

「まあ当然ですよね。でも何もかも話すことはできません」

「ああ」

「何かひとつだけお答えしましょう、何が聞きたいですか?」

聞けるのはひとつだけ。プログラマー自身のこと? 小春自身のこと? なぜ小春は感情豊かな個体なのか? それとも……。

「ダメだな……ひとつだけって言われても決められないや」

「……そうですね、すべてが終わったら……その疑問すべてにお答えしましょう。今は……」

小春はいつも通りの笑顔を受けべながら湯船から出る。


 「人工知能(私たち)のことをお話ししましょう」

「……」

「私たち人工知能もただの数字の羅列、プログラムです。当然人間のプログラマーによって造られます。当時、本社内では人工知能についての考え方の違う2つの派閥があったそうです」

小春は昔話を語るように、どこか寂しそうな表情で言葉を紡ぐ。

「人工知能に感情を与えるべきか、そうでないか。当時から今まで、多数派なのは後者、人工知能に感情は不要であるという考え方でした」

それが多数派だというのであれば、なぜ小春や統括人工知能トトには人間と変わらない「感情」があるのか。

「私とトトを造ったのは感情を与えるべきと主張する派閥のひとりのプログラマーでした。いわば兄妹のようなものです」

「他の人工知能に感情がほとんどないのはそれを造ったのがそういう派閥の人間だからってことか……」

「感情を持つのはトトだけの予定だったんです。ユーザーと直接的に関わる個体に感情は与えない予定でした」

それでも小春だけは感情を与えられて造られた……。

「だから感情を持つのは4号機()統括人工知能トトの2人だけです」

小春はそれ以上を語ろうとはせず、その姿を消した。


 温泉から出た俺たちは七海の家へと戻り、各々の部屋へと入る。

布団に入ってしばらく経ったころ、眠る感覚に近い何かに脳が支配されかけた時、何か重いものが俺の上に乗ってきた。それと同時に布団の右隣に潜り込んでくる誰かの気配と感覚

「な、なんだぁ……!?」

右手は隣の誰かに抱きつかれているせいで動かないから仕方なく左手で上に乗っている何かを触る。

「ん……この感じ、さっきまで背負ってたような……」

間違いない、上に乗ってきているのは紅乃あけのちゃんだ。では隣にいるのは……?

「フ……フフフフフ! ……観念しろ暗愚よ」

……紅葉もみじちゃんか。

寝言まで完全に中二病である。

「んん……おねえちゃん、んにゅ……」

俺の上を右に回転しながら紅葉ちゃんの頭にそこそこの威力の手刀が炸裂した。

「……お見事」

紅乃ちゃんの手刀に素直な感想を述べつつ布団から抜け出すと紅乃ちゃんにも布団を掛けて部屋から出る。部屋にエアコンはないが寝苦しい暑さはない。

外に出るとまだ未明だというのに七海なみがひとりで海を見ていた。

「よう、こんな時間に何してるんだ?」

「あ、ユッキー、起きるの早いね」

「紅葉ちゃんと紅乃ちゃんに起こされた」

「あはは、大変だったねー!」

「でも面白い姉妹だよな」

「うん、そうだね」

おや、元気が取り柄のあの七海に元気がない。

「私ね、ほんとはこんなに元気な性格じゃなかったんだー」

「へ?」

「意外……だよね。中学生の時までは内気で、ただ水泳だけやって目立つことなく過ごしてたんだよー」

今の七海からは少しも想像ができない。

「でも、変わろうと思ったんだ! 他の人に元気をあげられるような人になろうってね!」

「いいと思うぜ。明るく笑ったりしてる七海がいてくれるおかげで俺もすごい楽しいしな」

「ありがと、ユッキー!」

薄暗い空を白っぽく照らす太陽の光が俺たちを、七海の綺麗な青色の髪をも照らす。

普段の明るさをより引き立たせるような眩しい光になぜか激しくなる鼓動を俺は感じるのだった。

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