結局親子喧嘩
アレックスがアデルの寝室に降り立つと、憔悴しきったアデルと、髭に覆われた顔で、ニヤニヤと卑屈に笑う闇魔導師が居た。
「おや。奥方の姿が見えませんな。」
「俺の命が欲しいのだろう。マリーを脅しに使わなくても、くれてやる。」
アデルはハッとした顔でアレックスを見た。
「アレックス…、分かっていたのか…。」
「しかし、兄上。こいつに何を言われたのです。俺の命と引き換えに、フィリップを生き返らせるとでも言われたのですか。」
コクリと頷くアデルに、アレックスは辛そうな目をして言った。
「仮に本当にフィリップが生き返ったとしても、もう元のフィリップではない。それでも良いのですか。」
「それでも生きてて欲しいのだ。」
「お気持ちは分かります。俺もマリーを失いかけた時、そう思いました。
そして、闇の薬を使おうとしてしまった。
でも、今、マリーと暮らして、仮にマリーを失う事があったとしても、闇の力を使ってマリーを生き返らせ、元のマリーとは全くの別人になってしまったら、マリーに申し訳ないと思う様になりました。
ですからそうなった時、間違っても使わぬよう、闇の薬はボルケーノ王にお願いして処分していただきました。」
「ーお前にあるその強さが、俺には無い…。」
「兄上は兄上で良いのです。」
「フィリップが死んだ事が受け入れられぬ…。」
「姉上とお過ごしなさい。」
「……。」
「お一人で乗り越えられぬ事でも、お二人なら乗り越えられる。1人はいけません。」
「出来ん!今更、どのツラ下げて、リズに会えばいいのだ!フィリップさえ戻って来れば、何の問題も無いんだ!」
「本当に、心からそうお思いですか。闇の力で戻したら、元の可愛い、あの本好きのフィリップではなくなってしまうんですよ?仮に、元のフィリップだったとしても、フィリップを埋葬してから幾日経ったとお思いですか。もう14日も経っているのですよ。腐った肉体に魂が戻って、フィリップは喜びますか?姉上は、そんなフィリップを手放しで喜び迎え入れて、抱きしめると本気でお思いですか。2人にかえって悲しい思いをさせるのではないでしょうか。」
「……。」
「俺は自分の命が惜しくて申し上げているのではありません。それでフィリップも兄上も姉上も3人共が幸せになれるのなら、こんな命差し上げます。だが、どう考えても、全員が全員共お幸せになれる気がしないのです。」
「エリザベスは許してくれるだろうか…。」
「ちゃんとお話しされればきっと。」
「うん…。」
闇魔導師がイライラした様子で、アデルの背後に立った。
「フィリップ様が蘇らずとも良いのですか!?」
アデルは立ち上がり、闇魔導師からアレックスを庇う様に、アレックスの前に立った。
「元のフィリップでないのなら要らぬ。それに闇の力を使ってフィリップを呼び戻したとしても、アレックスも言った様に、フィリップも喜ばぬし、エリザベスを悲しませるだけだ。帰れ。もう用は無い。」
「そうは行きませぬぞ。」
闇魔導師は、一瞬見えなくなったかと思った次の瞬間には、アデルを黒い蛇の様な蔦で縛り上げていた。
「死んで貰おうか、アレキサンダー!さもなくば、兄はこのまま魔法の蔦で体が千切れて死ぬぞ!」
アレックスが大剣に手を掛けると、更にアデルを締め上げた。
「構わん…。アレックスこいつを斬れ…。」
苦しそうに言うアデルを見、アレックスは大剣を鞘のまま放り投げた。
「それで良し。」
闇魔導士がアレックスに近付いて行く。
「アレックス!逃げろ!」
アデルが言うのも聞かず、アレックスは両膝を着き、手を挙げ、後手に組んだ。
「忠義に厚い弟を持って幸せな事だな、アデル王。では首を貰い受けようか…。」
アレックスは怯えた様子も無く、冷静に聞いた。
「誰に命令されている。」
闇魔導士の口元が笑う。
「お主に恨みを持つお方とだけ言っておこうか。」
闇魔導士が懐から斧を出し、振り上げた所で、窓の外から飛んで来た矢が、闇魔導士の腕に刺さり、斧が派手な音を立てて落ちた。
「うーん、我ながらなんといいタイミング。」
エミールがエディに乗り、矢を射っていた。
間髪置かずに、彦三郎が刀を抜きながら、エディから飛び降り、あのすっとぼけたキャラクターからは想像もつかない様な早業で、アデルに絡みついている蔦だけを斬った。
闇魔導士が呆気にとられているその隙にアデルとダリルが闇魔導士を捕らえる。
「流石だのう、彦三郎。」
エミールは彦三郎を労いつつ、アレックスに向かって笑った。
「よくアデルを正気に戻した。大義。」
アレックスが何か言おうとしたところで、アデルが珍しく、あっと、慌てた声を出した。
闇魔導士が苦しみ出している。
「何かしたのか、アデル。」
「いいえ。」
闇魔導士は苦しみ抜いて、あっという間に血を吐いて死んでしまった。
アンソニーには、死んだ闇魔導士から、闇魔法と思われる呪文が、黒い砂の様になって、風に吹かれて行くように消えて行くのが見え、怒りを抑えきれない様子で、腹立たしそうに言った。
「しくじったら殺す魔法がかけられていたようでございます。仲間にこんな事をするなんて…。」
アレックスは、闇魔導士の死体を、悲しそうに見つめた。
「本当だな…。なんてむごい事を…。」
呟くようにそう言った後、さっき言いかけた事を言った。
「兄上、俺に恨みを持つ者とはどういう事でしょう…。」
「俺もそれを考えていた。
ーあいつ、お前をアレキサンダーと呼んだだろう?」
「はい。」
「アレキサンダーという本当の名前は、王宮のほんの一握りの人間と獅子王しか知らない。もしやお前は、アレキサンダー王の生まれ変わりなのではないのか。」
「それを知った上で、恨みを晴らしたいと思う相手と言えば、岩で潰された大蛇…。」
ダリルが納得した様子で言うと、エミールが飄々と答えた。
「という事になるのう。」
「なんです?なんの話です?」
アデルだけが状況を分かっていないので、アレックスが説明した。
「巷を賑わせている海賊は、呪われた土地で取れた宝石欲しさに、宝石を積む船から、宝石と金銀だけを奪い取り、それを使って、封印されし黄泉の国の力を使った闇魔法で、フィリップを殺す魔法の箱を作ったのです。
同様の箱は、義父上の下にも届き、大国に対しては、跡取りや王を狙った。
兄上でなく、フィリップを殺したのは、俺を殺すのを楽にする為だったのかもしれません。
そして、その海賊集団は、調査の結果、闇魔法を使う集団で、ウロボロスから出て来ている事が分かりました。
義父上のお話では、10年前、キマイラ国王が代替わりした途端、国民が全員消えたそうです。あそこは、昔から得体の知れない黒魔導士や闇魔導士ばかりの国。キマイラ国がそのままウロボロスに流れ込んだと思われます。
ウロボロス島は、100年前、黄泉の国からジュノーという闇魔導士が蘇らせた大蛇を、アレキサンダー王が岩で押し潰して出来た島だそうです。
その大蛇が、理由は分かりませんが、30年前には岩の下で息を吹き返していた様です。今現在、出て来ているのかどうかは分かっていません。
ただ、ジュノーという闇魔導士は、アレキサンダー王とエドワード最高聖魔導士が魔力を奪い、ウロボロス島の牢獄に入れられ、大人しくなって直ぐに死んだらしいのですが、この彦三郎が、海賊を見たという男を見つけて聞いた所、賊の会話の中にジュノーがどうとか、まるで生きているかの様に出て来ていたそうです。
そこは未だ不明ですが、大蛇は、このまま出てきて、キマイラと共に大陸の滅亡を目論んでいるのではないかと考えています。」
「ウロボロス?ウロボロスが絡んでいるのか?」
「はい。」
「ウロボロスは、2年前に斥候を送った。確か、ジュノーとかいう男が王ではなかったかな…。報告書を持って来させよう。」
アデルが衛兵に持って来るように言うと、エミールが、ギロリとアデルを睨み付けた。
「ウロボロスには関わるでないと言ったであろう。何故斥候など送った。」
「あそこが手に入れば、獅子国に睨みが効きます。海軍はあの入り組んだ入り江で不利にしても、大鷹部隊なら、いい駐屯地になりますから。」
「お主はどうしてワシの言う事を聞かんのかなああー!」
「そのお陰で、ウロボロスの最近の状況が分かるんじゃないですか。感謝して欲しい位だな。」
「全く…。して、止めたのは何故じゃ。」
「キマイラ国民が流れ込み、黒魔道士がわんさかいるという報告だったのです。魔法合戦となると、経費がかかりますから。」
「ふーん。」
エミールが不満気に口を尖らせているが、アデルは全く気にも留めない様子で唐突に聞いた。
「それで、父上、何故アレックスにアレキサンダーと名付けられたのですか。」
「なんじゃ、藪から棒に。」
「別に藪から棒じゃありません。さっき、私がアレックスがアレキサンダー王の生まれ変わりではないのかと言った時、父上の片眉が上がった。あなたは何か隠している時に、図星を指されると、そうなる。
それに、以前から気になっていたのです。偉大な王の名を付けながら、誰にもアレキサンダーと呼ばせず、アレックスと呼ばせた。何故です?」
「夢のお告げがあったのじゃ。エリーゼがアレックスを産む前の日、神々しい光に包まれた立派な騎士が現れ、産まれる子は、自分の生まれ変わりだと言った。肖像画のアレキサンダー王そっくりであったから、あなたはアレキサンダー王かと問うたら、頷いたので、お名前を頂いた。」
「じゃあ、アレックスがアレキサンダー王の生まれ変わりだとご存知だったのではないですか!何故早く仰らなかったのです!?世継ぎ騒動の時に、それを仰れば、重臣共も引いたでしょうに!」
「時が来るまで秘密にして置いた方が良いと思ったのじゃ。キマイラの二度の襲撃は、恐らく、アレックスがアレキサンダー王の生まれ変わりと察知しての事だろうとハッセルも言うのでな。キマイラ国は、父上の代になり、また復活してしまったが、アレキサンダー王が唯一滅ぼした国。恨んでおろうと思ったのだ。」
「だから名も伏せたのですね…。しかし、アレキサンダー王が滅ぼしたのに、何故また復活を?」
「黒魔導士というは、人間の弱さにつけ込むもの。人間がいる限り、必要とされ、また、なり手も後を絶たぬ。闇魔法が封じられ、禁じられた事で、黒魔導士達も生きづらくなり、キマイラに集まり、いつの間にか国が出来、弱い人間の依頼で食いつないでおったというわけじゃな。」
「なるほど…。しかし、せめて、あの時に秘密裏に私にだけでも言って下されば…。」
それまで黙っていたアレックスは、アデルにきっぱり言った。
「竜国の王は兄上です。俺には務まりません。」
アデルはふっと笑い、アレックスを慈しむ様に見つめた。
「そう…。確かにお前は、竜国程度で収まる男では無い。それはずっとそう思っていた。世界中を見て、沢山の事を経験し、もっと上を目指すべきだとな。」
エミールが顎を撫でながらニヤニヤと笑い、揶揄うような目でアデルを見た。
「ーふーむ…。だから好き勝手にさせておいたのか。なかなかやるのう、アデル。」
アデルはため息をつきながら、エミールを横目で睨んだ。
「どうも私は父上には誤解されておる様ですが、肉親にはそこまで腹黒くありませんよ。」
「ワシだけじゃないと思うがの。そなたは本心を言わなさ過ぎる。」
「捻くれておりますので。」
「うむ。それは嫌という程知っておる。」
アデルの眉間に深い皺が寄る。
どうも2人は昔から気が合わない。
今に始まった事では無いので、アレックスもダリル達も苦笑するしかない。
「全く…。アレックスだけだ。昔から俺を分かってくれるのは…。」
アレックスはすかさず、真剣な目をして言った。
「もう一人おられます。」
それが誰だかわかったようで、アデルは黙ってしまった。
「姉上もです。兄上。」
「ーうん…。」
俯くアデルを、エミールがじっとりと睨んでいる。
その視線を感じ、あからさまに嫌そうな顔でエミールを見るアデル。
「今度はなんですか。」
「側室3人、暇をだせよ?」
「そのつもりでいますよ!」
「全くとんだスケベじゃ。」
「!!」
アデルが剣に手をかけたので、流石にアレックスも慌ててアデルの手を掴んで止めた。
「兄上!?」
「父上だけには言われたくないわ!」
アレックスは、アデルの手から自分の手を離してしまい、しみじみと頷いた。
「うん…。それはそうだな…。」
今度はエミールが怒り出す。
「そうだなとはなんじゃ!アレックス!ワシは側室なんか置いた事は無いぞ!?エリーゼ一筋にスケベじゃ!」
「一筋にスケベとは、元国家元首の言うお言葉かあ!」
ダリルが額を抑えながら、情けなさそうに呟いた。
「昔から親子の会話が怒鳴り合いなのは、一重にエミール様のせいな気がする…。」
衛士が持ってきた報告書を先に読んでいた彦三郎は、おもむろに顔を上げた。
「まあ、そんな感じはするな。ところで、アの字、父上殿、この報告書はかなりの情報があるぞ。」
「あっ!」
3人揃って声を上げた。
どうも、報告書の事はすっかり忘れてしまっていた様だ。




