05.『トレンの街』
セシリアが扱う魔法の属性は『氷雪』。
基本四大系が一、水系魔法の亜種だ。
一個人が扱える属性は多くても三種類程度。勿論個人個人の資質に依るところがあるが。
逆に自分の得意な魔法だけを追究する魔法使いを『属性特化』と呼び、セシリアもその一人だった。
だから、セシリアは水系魔法以外の属性は使えない代わりに氷雪魔法を修得した。
大気中の水分に干渉し物体を凍らせる魔法。
それがセシリアの氷雪魔法だった。
「へぇー。意外とセシリアって凄いんだな」
夕真の讃辞にセシリアは照れたように笑い頬を掻いた。
「ま、まぁね。この歳で属性特化の魔法使いは珍しいのよ?」
「あぁ、そういえばセシリアの歳は?俺は十五だけど」
「あら奇遇ね、私も十五歳よ。これは運命の出逢いかしら。ーーーー胸も触られたし」
「おい止めろっ。いつまで引っ張るんだその話題を」
「ーーーあ。街が見えてきたわ。ほらっ行くわよユーマ」
「待て。お前絶対街の中で変なコト口走るなよっ。なあ約束してくれ。………なぁ聞こえてるか?聞こえてるよなっ?」
背後で喚く夕真を振り返ることすらせずセシリアは走り出していた。
地平線の先に小さく見える街へと。
◆ ◇ ◆ ◇
大陸の北東部に位置する場所にトレンの街はあった。
四方を山々に囲まれた地方の街ながら、その街は喧騒と活気に満ちていた。
行き交う人々。
大きな声を上げる行商人。
「………中々良い街だな。さて、どうする?」
「そうね……。先ずは冒険者ギルドの登録が優先ね、確か登録無料だったはずよ」
冒険者ギルド?と首を傾げる夕真にセシリアが説明した。
冒険者ギルドとは個人や団体からの依頼を仲介し、その難易度ごとに分け、それを冒険者へと委託する業者。
ギルドに登録した者を冒険者と呼び、その依頼達成度によって報酬を受け取る。
またギルド登録するとギルドカードが渡され、それが身分証の代わりになるらしい。
「……何かゲームみたいだな」
ぼそりっと呟いた言葉は幸いなことにセシリアには届かなかった。
「じゃあ行くか、その冒険者ギルドに」
「ちょ。ちょっと待ってよっ」
早速歩き出した夕真の外套を掴み、制止させるセシリア。
突然のことに転びそうになるが、何とか体制を整える。
抗議の視線を送るが、セシリアは焦った様子で口を開いた。
「ほらっ!私達今酷い格好じゃない?服は土埃で汚れてるしっ、その、どこかで一度着替えて行きましょうよ!」
「は?……いや大丈夫だろ、冒険者ギルドに行くだけだし」
「で、でもっ。ほら、その、………汗もかいてるし」
そう言ってセシリアは顔を僅かに染めた。
どうやら年頃の少女らしく汚れや臭いを気にしているらしい。
「………じゃあ俺はここで待ってるから着替えてこいよ」
「ぇ、いいのっ?でもユーマは………?」
「あぁ俺はーーーー」
夕真はそっと左手の薬指に嵌められた純銀製の指輪に魔力を流した。
ーーーーー『浄火』。
ボッと夕真の身体を炎が包み込む。
しかしそれは一瞬で消え去り、次の瞬間には夕真の着る外套に付着していた土埃や泥は綺麗に消えていた。
まるで新品のようになった外套。
薬指に嵌められた銀の指輪は魔導具だった。
魔力を籠めると発動し、効果は使用者の着衣及び身体の不純物と老廃物の滅却。
旅先など服や身体も洗えない状況で重宝する魔導具だ。
「どうだ綺麗になったろ?」
「………」
にやりと得意げに笑うが、返答は無言だった。
セシリアはぽかんっと口を開けたまま立ち尽くし、その表情は驚愕に満ちて瞳は大きく見開かれていた。
「………な」
「な?」
「なによソレーーーーッ!!」
街中に響き渡るようなセシリアの絶叫が響いた。
唐突な叫び、人が行き交う街路のため当然のように二人、正確にはセシリアへと幾対もの視線が殺到する。
夕真は若干の恥ずかしさに顔を伏せたが、セシリアはそんな視線を意にも介さず夕真の胸倉を、その腕、白く細い腕で掴んだ。
夕真の頭が上下左右に揺さぶられる。
「な、何よソレっ!魔法、魔法なの?………いえ、でも魔法の詠唱も無しで。ーーーまさか」
矢継ぎ早に喋るセシリアに、夕真は若干引き気味に頬が引きつっていた。
態度の豹変。
長い時間共にいたわけではなく、知り合ったのはつい先程のこと。
夕真がセシリアについて知っているのは極僅かなことだけだった。
セシリア・シフォン。
少女、同い年の十五歳。
陽光を乱反射させる輝くような金糸の長い髪と、大粒の翡翠を想起させる碧眼の瞳。
女性らしい丸みを帯びながら細く、均等のとれたプロポーションは子供から大人へと成長する過程の、未完成だからこそ完成された儚さと美しさがあり、いつも大事そうに黒い刀を腰に差している。
属性特化『氷雪』の魔法使い。
知っていることはこの程度だ。
けれど、夕真は思う。
セシリアの所作の端々に、言葉遣いに感じる洗練された大人びた様子を。
しかし今はどうだろう。
驚きに瞳を大きくさせている。
くすり、と笑って夕真は種明かしの為に左手を上げた。正確にはその手の小指に填められた銀の指輪を。
「『浄火の指輪』。まぁ、気付いたかもしれないけど『魔導装具』の一種だ」
魔導装具。
武器、防具、衣服や装飾品と種類種別は多岐に渡るがその共通点は一つ。
魔法が付与されていることだ。
特殊能力、といえばいいか。例えば夕真の持つ指輪は一定量の魔力を籠めることで対象の汚れ、不純物と老廃物を滅却させることが可能。
お世辞にも戦闘向きとはいえないが長旅で満足に身体も洗えない時に重宝する能力だ。
「この魔導装具の能力は観ての通り、だな。………まぁ、魔力の供給量は少ないからーーーー」
「ーーーー十枚」
「………え?」
「銀貨十枚でソレを譲って」
この世界の通貨は銅銭、銅貨、銀貨、金貨、そして白銀金貨の四種類。
貨幣価値は銅銭ひとつが日本円で百円程度であり銅銭十個で銅貨一枚へと換算される。
銅貨一枚が一千円。
銀貨一枚が一万円。
金貨一枚が十万円。
白銀金貨に至っては一枚で百万円の価値がある。
つまり先程のセシリアの銀貨十枚というのは日本円に換算すれば十万円の大金ということだ。
「ぉ、おいセシリア?」
「ぁ。あぁ、そう、そうよね。銀貨十枚程度で魔導装具を手に入れられるなんて安すぎるわね」
夕真の小指に填められた銀の指輪を凝視したままセシリアは独り言のようにブツブツと何かを呟いた。
血走った双眸がセシリアの気持ちを代弁しているかのようだ。
「な、なら私の全財産、金貨三枚でどうッ?」
「………あー。一応言っとくけど幾ら大金積まれても譲る気はないからな。その代わりーーーー『浄火』」
言葉と同時にセシリアの全身を炎が包んだ。
炎、といっても熱さは感じないはずだ。
それは何度も使用した夕真が一番解っている。
炎が包むのは一瞬で、後に残るのは湯上がりのようなサッパリとした清潔感だけ。
「………なにか、不思議な感覚ね」
言葉通りに不思議そうに自分の腕や服を見詰めるが、そこには汚れ一つ無い。
セシリアが動く度に、その金髪がサラサラと揺れる。
セシリアの表情は満足そうに笑みを浮かべていた。
「髪も身体も何日も洗えなかったのに。……服に至っては洗い立てのような肌触りだわ。」
「意外に便利だろ?……明言しとくけど譲らないからな」
欲しい、と暗に瞳で訴えるセシリアに牽制の一言を告げ、夕真は今度こそ冒険者ギルドへと向かうために一歩を踏み出した。
不満そうに拗ねたような表情を浮かべるセシリアもその後を追随するため歩き出す。