第三話 人気者の姉
俺の朝は早い。二人暮らしをするようになってからは、俺が姉さんと自分の分の弁当と朝ごはんを作らなければならなくなったからだ。
五時には起床。素早く着替えを済ませ、キッチンへ向かう。米は寝る前にセットしておいたから、おかずだけ作ればいい。
「さて・・・どうするかな」
冷蔵庫を開けながら一人呟く。食材は十分なので、困ることは無かった。卵を五つ取り出し、フライパンに油を敷く。
「まずは玉子焼きだな」
姉さんにも好評のおかずだ。後はウィンナーとかを適当に焼いておけば形にはなる。
「・・・よし、完成だな」
朝ごはんを並べ、弁当箱にもおかずを詰め終えた所で時計を見る。六時四十分を過ぎていた。そろそろ姉さんが起きてくる時間だ。
「おはよう広人」
ほら、早速。
「おはよう姉さ―――」
振り向いたところで俺は固まってしまった。
「? どうしたの広人?」
「ちょっ!? 何で下着姿なんだよ!?」
目の前には黒い下着姿の姉さんが立っていた。・・・大きい。じゃなくて!!
「どう? これってお気に入りなのよ」
「いいから服着ろーーー!」
朝っぱらから大声を出してしまった。近所迷惑だよなぁ・・・。
「ぶ~~」
姉さんは不満げな表情を見せながら着替えに戻った。
「あのな姉さん、あんな格好したら駄目って前から言ってるじゃないか」
朝ごはんの時間を使って姉さんに注意する。姉さんが下着姿でうろつくのは今日が初めてじゃない。少し前・・・具体的に言うと、二人暮らしを始めた時からだった。
「どうして?」
「どうしてって・・・俺だって一応男だぞ。男の前でそんな格好して恥ずかしく無いの?」
「広人なら構わないもの。むしろ見て欲しいわ」
「ッ・・・・!」
「あ、赤くなった。可愛い♪」
くそ、姉さんはすぐこうやって俺をからかうからたまったもんじゃない。
「と、とにかく! もうそんな格好は止めてくれよ! もし間違いが起きたらどうするんだ!」
「間違い? それってどういう事?」
姉さんの笑みが意地の悪いものに変わった。しかも、わざとらしく胸を強調しながら。
「広人ぉ、もしかして・・・お姉ちゃんに欲情しちゃったの?」
「なっ!?」
「いいわよ、襲ってくれて。お姉ちゃんはいつでもウェルカムだから♪」
「だーーー、もう! この話はもうお終い! 早く朝飯食わないと遅れるぞ!!」
俺は無心で朝飯をかっこんだ。心臓がありえないくらい激しく鼓動している。いくら姉だからって、姉さんみたいな美人に襲っていいなんて言われたらこうなるに決まってる!
「(ああ! もう、可愛すぎるわ広人! むしろ私の方がムラムラして来ちゃったじゃない!)」
姉さんはニヤニヤしながら俺の様子を伺っている。早くこの空間から逃げ出したかった。
・・・・・・・
・・・・・
・・・
「広人、忘れ物は無い?」
「姉さんの方こそ」
「大丈夫よ。ハンカチもちゃんとポケットに入れてるわ(広人の寝顔の写真もね)」
互いに確認しながら一緒に玄関を出る。そして、高校へ続く道を並びながら歩き始める。
「ひ~ろと♪」
姉さんが俺の腕にしがみつく。登校するときは腕を組んで歩く・・・いつの間にか決められていたルールだ。
「ねえ広人、こんな風に腕を組んでたら、周りからどう思われるかしら」
「姉弟だろ。というか、それ毎回言ってるよな」
「や~ん、広人につっこまれちゃった。でも、どうせなら広人のそれを私のここに・・・」
「どこ見て言ってんだよ!?」
視線を下に向ける姉さんに再びツッコミを入れる。その時、背後から声がかけられた。
「相変わらず朝からとばしているな志乃」
振り返ると、姉さんと同じ制服を着た女性が立っていた。青いショートヘアに、姉さんに勝るとも劣らない整った顔立ちをしている。
「おはよう今日子」
石田 今日子先輩・・・姉さんと同級生で、中学の頃からの友達だ。その端正な顔つきや、男らしい口調で、学校の男子だけでなく、女子にも人気の高い。まさに『凛』という言葉がふさわしい女性だ。俺も姉さんと一緒によく遊んだりしている。
「おはようございます先輩」
「おはよう広人君。今日も変わらずカッコいいなキミは」
「え? あ、ど、どうも・・・」
どういうわけか、俺はこの先輩に気に入られている。嬉しいのは嬉しいのだが、普段言われ慣れてないような事を躊躇いなく言ってくるから恥ずかしくもある。
「そうだ広人君。昨日ケーキを焼いたんだが、作りすぎてしまってな。よかったら食べてくれないか」
今日子先輩がカバンから小さくラッピングされたケーキを取り出した。
「いいんですか?」
「ああ。実を言うとだね、キミに食べてもらおうと焼いた物だったんだ」
「ありがとうございます! いやあ、先輩の作ったケーキは滅茶苦茶美味いですから! ほら、この前に食べさせてもらったチョコレートケーキも絶品だったし!」
「そ、そこまで喜んでくれるとは思ってなかったよ。・・・嬉しいな」
「ちょっとちょっと! 私を無視して勝手に話を進めないでよね! 広人、ケーキくらい私が作ってあげるわよ」
「ほお、毎日広人君に料理を作らせているお前がか?」
「う・・・」
どんな事でも完璧にこなす姉さんのたった一つの苦手な事・・・それは料理だった。だから、弁当も食事も俺が作っているのだ。
「ふ、ふん! 私が本気になったらケーキの一つや二つ・・・」
「そう言って、先週の調理実習でダークマターを作ったのは誰だったかな」
「うえ~ん、広人~! 今日子がイジメるよ~~!」
「はいはい。それより早く学校へ行こうよ」
「そうだな。どうせ今日も“あれ”が待っているだろうしな」
今日子先輩の言う“あれ”・・・その正体は学校の校門まで来たところで明らかになった。
「今日は三十人ほどか」
「毎日毎日よくも飽きないわね」
グラウンドに立つ大勢の男子生徒を見て、姉さんは溜息を吐いた。
「それだけお前が魅力的だという事だろう」
「広人以外に想われても迷惑なだけよ。それより今日子、ちゃんと広人を守っててよ」
「任せておけ。私がいる限り、広人君には砂粒一つ当てさせん」
グラウンドに入ると、男子生徒の一団が一斉に姉さんに向かって近づく。
「黒川 志乃さん! 今日こそあなたを倒して、彼女になってもらいます!」
男子の一人が歩み出る。姉さんは気だるそうに髪をかきあげた。
姉さんは弟の俺から見てもかなり綺麗だと思う。腰まで伸びる艶やかな黒髪、誰もが見とれる顔立ちに抜群のスタイルと社交的な性格と非の打ちどころがない。当然男達が放っておくはずがなく、連日のように告白する生徒が後を絶たない。
けれど、本人は誰とも付き合う気はないようで、「私と魔法で勝負して倒す事が出来たら付き合ってあげる」なんて言ったものだから、毎日こうやって勝負を挑まれているのだ。魔法は学校内等の決められた場所でしか使用することが許されないので、通学中はちょっかいをかけられる事はないが、いざ学校に着くと時間さえあれば挑んでくる男子がいるのだ。
「時間もないし、来るなら早く来てちょうだい」
「いきますよ黒川さん! フレイムアロー!」
炎で出来た六つの矢が、一斉に姉さんに襲い掛かる。無詠唱で魔法を使うと威力は下がるが、それでも直撃すれば大変な事になる。
けれど、姉さんはまったく焦った様子もなく右手を軽く振った。
「ウォーターシールド」
展開された水の盾が矢を全て飲み込む。間髪入れずに姉さんは左手を掲げて叫んだ。
「ウインドスラッシュ!」
「ぬわーーーっ!」
風で出来た不可視の刃が、男子生徒を一瞬で吹き飛ばした。
「さすが『スペルクイーン』だね。初級魔法のウインドスラッシュであの威力とは」
今日子先輩が呟く。魔法には火・水・地・風の四大属性と、光・闇の二極属性の六つの属性がある。姉さんは、その四大属性全てを扱う事が出来るのだ。四大属性を扱えるのは、世界でも姉さんを含めて数人しかいないらしい。
「(昔は俺が守るなんて言ってたけど、今じゃすっかり守られる立場だもんな)」
最強クラスの力を持つ父さんや母さん、そして姉さんの三人に比べて、俺は魔法の扱いが恐ろしいまでに下手だ。それというのも、俺が扱えるのは光魔法だけだ。光魔法の使い手はとても貴重らしいが、俺はまだ二つの魔法しか使えない。しかも、魔力ばかり消費が激しく、数回使えばすぐに魔力が切れてしまうほど燃費が悪い。
「めんどくさいわ。まとめてかかってらっしゃい」
姉さんが再び右手を掲げた。その掌には、赤、青、黄、緑・・・四属性全ての色が混ざった魔力の玉が浮かび上がる。
「おいおい、あれを撃つ気か?」
「フォースブレイカー!!」
姉さんが右手を振り下ろした刹那、学校全体を揺らす程の爆発音と、目を開けていられないほどの閃光が俺を襲った。
しばらくしてゆっくり目を開けると、そこには地に伏している男子生徒達と、それを見て溜息をついている姉さんの姿があった。
「さすが黒川先輩!」
「今日もお見事です!」
「後始末は俺達にお任せ下さい!」
周りにいた生徒達が歓声をあげた。一人の女子が姉さんにタオルを渡している。
「・・・」
「? どうしたんだ広人君?」
「いえ、姉さんは人気者だなって」
俺と出会う前からイジメを受け続けていた姉さん。それが中学に入ってから今日子先輩と出会って少しずつ友達が増えて。そして今、姉さんはたくさんの生徒に慕われている。化け物と呼ばれる原因になった魔力も、今では純粋に賞賛の対象になっているのだ。
「(あの頃より今の方がずっといい笑顔だよな)」
辛い目に遭っていた分、姉さんには幸せになってもらいたいもんだな。
「(・・・俺ってシスコンなのかな)」
「そろそろ行こうか広人君」
「はい」
気絶している男子達に心の中で手を合わせつつ、姉さんに駆け寄ってそのまま一緒に下駄箱に向かった。さあ、今日も一日お勤めしますか。