弐、
何故、運命というものは容赦がないのだろうか。
ボクは時々、そんなことを考える。
雨に打たれ、二つ盛られた墓を見下ろしながら、うなだれる。
彼らは父に殺された。
そして、ボクと一個しか変わらない女の子は殺されたのか生きているのか。
あの赤髪の子は彼らが殺された日以来、みていない。
「紅」
しゃがれた、男の声。ボクは、もっとも憎むべき人間を背後に迎えていた。
「父上」
都にいたはずのこの男は、ふらりとこの領地に帰ってきて、兄を困らせて帰る。今日も、その予定らしい。
街を歩くボクの姿を見つけて、あとをつけてきていたのはだいぶ前からわかっていた。
「感傷に浸っている間があるのであれば、勉学に励め。兄のように、そして、私のように地位を高め、都まで上がって来い」
「この町はどうするのです? この領地は」
「都の暮らしにはたらぬもの。他のやつらにくれてやれ」
兄が都に行くことは当の昔に決まっていたことだった。ボクがいずれこの町を治めるのだと勤めて歩き回るようにしていた。もし、本当にそうなったとき、困らないように。
「おまえは一番私に似ている。期待しているぞ」
下の言葉は知らないが、上の言葉ならばこの男以外にもたくさんの人がいってきた。
この男は、似ているからかわいがるという思考の持ち主ではなく、ただ、使える駒ができたのだと喜ぶだけだった。そして、それを母が諌め、かんしゃくを起こした父が母を殺したのだった。
幼いころの記憶だが、やけにはっきりと残っている。
いつもならばがんばります、とか、また、御冗談を、というが、今日のボクは違かった。
「ボクは、都には行きません」
はっきりとした言葉に、背後の気配が変わる。ボクは振り返って、鬼と対峙する。
「なに?」
ボクの老けた顔が赤く染まっていく。まだ、ボクはここまで怒りにこの顔を染めたことはない。
「ボクはここを治めて骨をここに埋める覚悟をしています」
なぜ、こんなことを口走ったのだろうか。
兄の口を通してだったらこの人はこんな顔をしなかっただろう。
「ふざけたことを。この私のいうことが聞けないか?」
「ボクはあなたの使える駒ではありません」
『この子はあなたの使える駒ではありません』
母がいった言葉をそっくりそのまま再現してみせる。
ボクだって覚えているんだ。そして、この男のこの後の行動も。
「ならば、おまえは消えろ」
そういわれるのはわかっていた。
「感情のままに、自分より下のものを切り殺し、少女の運命を狂わせたあなたの言いなりなんてなりやしない」
男は、父はボクに刃を抜いてのど元に突きつけた。ボクもそれとなくよけて自分の持っていた、邪魔にならない程度の長さの剣をとる。
「この父に刃を向けるか」
「妻を切り殺し、子供に刃を向ける父にいわれたくありません」
所詮は似たもの同士なんだよ。バカ親父。
そう心の中で付け足すと、それが聞こえたように父の顔が真っ赤に染まって、一瞬で剣が消える。
僕はとっさに後ろに跳び退るが、墓があることを思い出して体をひねる。
鼻先を刃がかすめ、胸辺りの衣が裂ける。
そして、ボクは体勢を崩した父の隙を狙って飛び出していた。
その時だった。父の開いた左手がもぞりと動く。
嫌な予感がした。
剣を投げつけるように手放して後ろに跳び退るが、父は右腕に刺さったボクの剣を振り払うように腕を振り回しながら左手で逆袈裟に僕を切りつけていた。
腹から肩にかけて熱いものが肉を断つ。
「この雨だ。だれも通らないだろう。その発言、後悔して死ぬが良い」
結局この人は決定的な致命傷を与えずに、人を殺す。
中途半端なんだよやることが。
水音を立て、去る人を感じながらボクは、屋敷によるであろうあの男が、剣に仕込まれた毒に苦しみあえぐ姿を想像して、かすかに笑みを浮かべた。
斜めに切られた傷がずきりと痛む。
ボクは飛ばされた剣を拾ってから、衣が汚れることもいとわずに、さっきまで立って見つめていた墓の前に座り込んだ。
あだ討ちなんて、思わない。ただ、ボクもあの男と同じで、自分の感情に任せて剣を振るっただけだ。
焔の両親を殺したのが、父だと、信じられなかった。だが、焔のあの髪の色は見覚えがありすぎた。
十数年前に、ボクと仲良くしてくれていた一個下の女の子。
ユゥイと呼んでいたあの子は、両親が殺された翌日から姿をみせなくなった。
ボクもそのころには母を殺されて、殺されるということがまだ理解できなかったが、幼いなりに殺される、死ぬということはもう逢えなくなることなのだ、と感じていた。
「ごめんな……」
そして、彼女と再会した。
美しく成長をしていた彼女は、ボクのことは覚えていないようだった。それに、彼女は声を失っているようだった。
あまり心に負担がかかりすぎると声を失うのだと薬師がいっていた。
あの幸せだった町長夫婦が目の前で切り殺されたのだ。
許されざることだ。
ボクとほぼ同じ顔が彼女の両親を殺したのだ。彼女がボクを憎むのは時の問題だった。だから、と。
「ごめんな……」
痛みに視界が煙る。雨だけでない視界のぶれは目の前の土盛りを大きくする。
音を立てて崩れ落ちたボクは、左手で右肩を押さえてうめき声を噛み殺した。
雨の音が耳をつんざくようだった。
痛みで意識を失いたいのに、それを引きとめるように雨が耳障りだった。雨の音は好きだったはずなのに――。
「……さまっ!」
愛らしい、小鳥がさえずるような声が聞こえた。その声は悲痛さを帯びて、また、必死さが感じられた。
だれの声だろうか――。
首をめぐらしたくても、体がいうことを利かなかった。
体の冷え方からして、だいぶ、時が経っているようだった。
「紅さま!」
近くで、聞こえた。
体を動かしたい。
この声の主を確かめたい。
ぬかるんだ大地に膝をついたような激しい水音。髪に泥が跳ねるが、雨がすぐに洗い流す。
「紅、さま……」
ボクはやっと頭を動かして、頬を地面に擦り付けるようにしながら、声の主をみて、体の力が抜けたのを感じた。
「ああ、焔……」
意識して漏れたため息じゃなかった。
ただ、本当に、最期かもしれないと思ったから、安心したのだ。だれかが傍にいてくれることに。
彼女は首を振ってなにかをいう。
それも、もうボクの耳は聞き取ってはくれなかった。
まあ、いいか。
最期に一目みられたんだから。
僕はそう思いながら、あっけなく意識を失ってしまっていた。
右肩からかけての傷の痛みがつかの間和らいだことを、不思議に思いながら。