壱、
わたしも嫌な予感がした。
その予感にしたがって、屋敷の外に出ていく。
服を汚してはもったいないからと、元のボロ布を身にまとって外に出る。
この時間帯、だれも外に出ないのだろう。わたしは、部屋から一本失敬してきたひもで髪をくくって、走り出した。
どこにあてがあるというわけでなく、ただ予感の知らせた場所へ、走る。
屋敷の格子窓からみていて思ったのだ。
――ここはふるさとなのではないのかと。
あの川の流れや、あの里山。この屋敷の近くにある町になんて見覚えがありすぎて驚いた。
そして、町に連れて行ってくれた紅さまが、その町の人に恐れられているということにも、驚いた。
町の人曰く、紅さまは先代さまにとっても似ているそうで、それが怖いといっていた。
どこの流れ者かわからないわたしに名前をくれて、なおかつ町に出て行かせて遊ばせて、欲しいものを買い与えてくれるような優しい方がそう恐れられていることがわたしは口惜しかった。
そう、紙に書くと、彼は、珍しく頬を染めてそっぽを向いた。
「そんなこというんじゃない。……はずかしい」
そういう彼にわたしはにっこりと笑っていた。
ぴたりと雨戸の閉められた家の隙間を走る。道は隙間から漏れるかすかな明かりが照らし出す。
泥が足だけでなく、太ももや全身にかかる。それでもわたしは走るのをやめなかった。
「さま、……」
ポツリと呟く声が意外としっかりしたものだった。ドクンと嫌な予感が胸を締め付ける。
「紅さま!」
そう叫んだ声が、普通に出た。
わたしは驚きながら辺りを見回す。町を通り抜けて里山の裾野まで来ていた。
足がもつれて転ぶ。体を打つ雨が大粒で、冷たくて痛かった。
「紅、さま」
わたしは立ち上がって、もつれる足でまた走り始めた。
秋の色が香りはじめたその裾野をすぎて、真新しい塚や朽ちた石がぽつんと置かれているだけの墓場にやってきた。
なぜ、ここにきてしまったのかはわからない。だが――。
すこし離れたところに見えた人影に、わたしは驚いていた。
すこし朽ちた土盛りの正面にひざまずいてうずくまっている人が一人。その人の衣は色鮮やかな涙色。
「紅さま!」
叫んで、駆け寄る。
その土盛りがだれのものであるかはどうでもよかった。部屋着の単ではこの雨は冷たすぎる。
そう思って隣に座り込む。不思議なにおいがした。
すこし、生臭いような、金物臭いような。紅さまの傍らには綺麗に磨かれている一つの短剣がある。そして、うずくまったからだが隠しているのは――。
「……紅、さま」
右肩を左手で押さえてピクリとも動かない、彼にわたしはまた声をかすれさせていた。
「いや……」
「う」
かすかにその背中が震える。わたしは夢中でその背中に手を当てた。
「紅さま」
呼びかけると、雨に打たれて、傷の痛みに顔を白くさせた紅さまがこちらをみるように首をめぐらせて声を詰まらせ、そして、目を細めた。
「ああ、焔……」
吐息だけのその声にわたしは首を振っていた。
「いや、嫌です、紅さま!」
声が出るように云々の前に、ただただそれだけだった。
震える背に手を当てながらわたしはそれだけをいっていた。
「……もうし、わけ、ない。…………ごめん」
ちいさな、ゆっくりな呟きと共に、彼の体から力が抜けていく。
「だめ!」
そうゆすっても、彼は痛そうに眉を寄せながらも、それでも申し訳なさそうに、していた。
「いやあああああああああああ!」
そして、彼のまぶたが完全に閉じた瞬間、わたしは叫んでいた。