参、
そして、二日後。蓮さまがいった日になった。
その日は起きても、だれもいなく、屋敷は静まり返ってきた。
まだ辺りは薄暗く、朝焼けは厚い雲にさえぎられている。
「……だれか」
秋の冷たい空気に身震いをしながら床を上げて、部屋の外に出る。
本当にだれもいなかった――。
庭をみても色づくもみじが、なにかをはらむ風に揺れているだけだ。
「……」
わたしは身支度を整えて、玄関のほうに向かう。
「……」
耳を澄ましてもだれもいない。
広い屋敷に一人。
なんだか不気味だった。
わたしは、玄関から外に出て門を開く。そうすると、かがり火が見えた。
その時、自分になにが起こったのかはわからない。
ただ、視界がぐっと狭まって、かがり火の真ん中にいる、町の人々に囲まれた人をみて、倒れそうになった。
「紅さま!」
真ん中に囲まれてうなだれているのは紅さまだった。
人々はがやがやとなにかを攻め立てるようにして、大きなうねりを作っている。
まずいと思ったときには遅かった。
人々は、ただ、中心にいる紅さまに石のつぶてやら、薪やらを投げつけはじめた。
町人は、紅さまが嫌い。
わたしはそれを思い返して、唇をかみ締めた。
紅さまは、先代さまに生き写しで来るだけで町人の憎しみを煽るという。そして集団になった人々は、なにをしでかすのかはわからない。
わたしは駆け出していた。その中心めがけて。
「おまえが!」
「父の代わりにおまえが死ね」
近づくとわかる怒号。
わたしは、そんな叫びに耳をふさぎたくなった。だが、ふさいではいけない。
だって紅さまがそれを受け止めていらっしゃるのだから。
紅さまは石にいくら打たれても腰にある剣を抜かずにただうなだれている。
あ、と思ったときには大きな石で背中を打たれ、よろめいたかと思ったら今度は薪が頭をかすめる。
わたしは羽織っていた打掛を脱いで、円の中心に入ると紅さまに放り投げてかけた。細かい石のつぶてはこれで避けられるはず。
「おやめになりなさい!」
わたしはそう叫びながら紅さまの前に両手を広げる。
あろうことか正面切って周囲を煽っていたのは庄屋さんだった。
「焔……」
驚きすぎてかすれた声に、わたしの名を乗せながら紅さまがわたしをみる。
「おやめになりなさい」
もう一度いうと、群集が一歩下がった。だが、庄屋さんはわたしに一歩近づいた。
「何故邪魔をするのですか? その方は自ら打たれることを望んだ」
「……焔、けがをするから下がっていなさい。ボクだけが打たれればいいんだ」
紅さまはそういうと一歩下がった群衆をみながら、わたしがかけた打掛をわたしに羽織らせた。
「よくありません」
肩に手をかけて外に押しやろうとする紅さまの冷たい手をとって握り締める。
なぜ、ここまで大胆になれたのだろうか。
わたしは呆然と見つめる紅さまのお顔をすこしだけみて庄屋さんの目をみる。
「あなた方は、なにをやっているのですか?」
そう問うとまわりはざわめく。ざわめくことはなにもないのに。
「あの男の責任を彼にとってもらっている」
「ならば、蓮さまをお打ちになられましたか?」
わたしのその問いは周りの意表をついたらしく、ぴたり、と静まり返った。
「今からお屋敷に出向いて、蓮さまをお打ちになりなさい。そうしたら、わたしはこの方を打つことをとやかくいいません」
「なぜ蓮さまを打たねばならん?」
「先代様の血は、なにもこの方だけが引いているわけではないのでしょう? 血族が憎いのであれば、矛先は、蓮さまにも向ければよいではありませんか」
きゅうと紅さまの手が握られる。
わたしも握り返すとふっと力を失って、わたしの手を包み込んだ。
わたしにはこれだけで十分だ。
「それも出来ぬのにあの男の責任をとれと、片方につめよるのは目に余ります」
思っていることを口に出して相手に伝えられるのはとてもうれしいことだ。
わたしは常日頃から思っていることを表に出せずに生きてきた。
だから、伝えられるのだから、今伝えよう。
「あなた方がやっているのはただの鬱憤晴らしです。姿が似ているからと理由はつけているようですが、その理由も筋が通っていない」
「うるさい」
庄屋さんがわたしに手を上げようとする。
上げれば良い。
奴隷育ちのわたしには慣れたことだ。まっすぐとそれを見つめる。
そうすると、紅さまの手が離れ、その手をとった。
「この子に手を出すことはわたしが許さぬ。わたしだけではない、兄の屋敷のもの全てが許さないだろう」
静かに庄屋さんに告げる紅さまに、わたしはほっとしながら庄屋さんをまっすぐとみる。
そして、わたしはそこに落ちていた木の枝で庄屋さんの肩を打った。ぴしりと痛そうな音が聞こえた。
「もしも、それでもこの方を打つのであれば、わたしはあなた方を同じ数だけ打ちましょう。あなた方から紅さまに与えられた痛みを、この群集一人ひとりに与えましょう。あなた方がやっているのは、そんなことです」
石を構えながらも冷静になりつつある町の人たちを見回しながら、わたしはそういった。
一歩、一歩と人々が私たちを囲む輪を広げていく。
「さあ、どうしますか? 今ここできびすを返し、蓮さまを打ちに行った後にこの方を打つか、今ここで、この方を打ち、わたしから打たれるか、それともやめるか。それか……」
わたしは、そこで言葉を切って息を整えた。すっと息を吸って庄屋さんをにらむ。私の目に庄屋さんの瞳が揺れた。
「私ごと彼を打ち、二人まとめて始末するか」
紅さまが、それはいけないというようにわたしの肩をつかんで引き寄せる。
わたしは振り返らずに庄屋さんを見つめる。
懐には一昨日返してもらった懐剣を忍ばせてある。
目を血走らせた庄屋さんはなにかをいおうとした、その時だった。