壱、
ちょくちょく誤字、表現などを直していってます。
わたしには、名前がない。
物心ついたときにはちゃんと名前があって、それを呼んでくれるお父さん、お母さんがいたけれど、それもわたしの幼いときに殺されてしまった。
それ以来、わたしは、端女として朝な夕な機を織る仕事についていた。 そんなある日だった。
「おい」
わたしを呼ぶときはいつもこんな言葉だった。振り向くといきなり腕をつかまれ、引きずられて小屋の外に連れ出された。
なにかしてしまっただろうか。
そう思いながら周りをみると、きらびやかな衣を着た、いかにも身分の高そうな男達が私たちを囲っていた。
「こんなので良いのですか?」
わたしを使っていた男は下心のある目で男達を下から見上げて首をかしげる。
わたしだけ、置いてきぼりだ。
「ああ。この女だ。こい」
そういって男の一人はわたしの腕をとって強く引っ張った。
いつものことだ。
わたしは要らなくなったのだ――。
荷物を入れるだけの粗末な馬車に入れられてわたしはそう膝を抱えた。
がたがたと荷馬車は進んでいく。
今度の働く場所はどこだろうか。
男達の身なりからして、遊郭ではないことは確かだ。甘い香のにおいもしなければ、怪しい雰囲気もなかった。
いうならば、武官のような、高潔で近寄りがたい雰囲気があった。
「おい」
また、わたしを呼ぶ声。
気がつけば馬車は止まっていて扉を開けられていた。
ボロ布をまとっただけのわたしは、ふらふらと馬車から降りて、目の前に広がった大きな屋敷に息を呑んでいた。
「あ……」
「こちらに」
綺麗な衣をまとった女の人がわたしを誘導する。首をかしげながらその人についていく。
わたしはどこかの家に買われたのだ。
「長旅ご苦労様」
そんなことをいってくれる女の人を不思議に思いながら、わたしはあいまいに微笑んだ。
わたしは言葉をしゃべれない。声を失ってしまっているのだ。
「声が出ないの?」
こくりとうなずく。かすれた、さっきみたいな声は出るのだが、言葉はまるきりでなくなってしまっている。それはおそらく幼少時の体験のせいだろう。
「いっていることはわかるのよね?」
優しい、いうならばお母さんみたいな声音で女の人は、わたしのお姉ちゃんぐらいの年の人はいった。
わたしはまたうなずく。まともにご飯を食べられていない足には、この屋敷のやわらかい土はきつい。
「大丈夫?」
うなずく。足をとられそうだが、何とか歩けている。だが、すぐに足をとられてしまった。
「おっと」
すぐ上から優しげな男の声が聞こえた。そしてふわりとわたしを包み込むぬくもり。
こけたわたしを受け止めてくれたのだ。
「ああ。蓮様」
「この子は?」
「私どもの新しい……」
「この子、あいつにくれないかな?」
「あいつとは、まさか、紅様に?」
驚いた声を上げた女の人にわたしは首をかしげ、そして、優しい香の香りのする衣をつかんで自分で立った。
「ああ、ごめんね。……ああ。だめか?」
「だめって、私どもはそれでも良いですが、でも……」
「この子ならあいつも気に入るよ」
そういってわたしの頬をそおっと撫でた男の人は、声に似合う優しい面立ちに笑みを浮かべた。
「はじめまして。私はこの屋敷の主の蓮だ。キミは、今日から私の家で働くんだよ」
わたしは声を出せないなりに辺りを見回して女の人に助けを求めた。
「……この子?」
「声が出せないそうです。……なにか聞きたいことがあるの?」
うなずく。紙と筆があれば何とか通じるはず。
そう思ってわたしはしゃがみこんで地面に文字を書いた。
「君、字をかけるんだね。なになに? なにをしたらいいかって? それを聞いて、いわれたことをこなすのが君の仕事だ。それに、ここの屋敷にある部屋を一つ貸そう。ぜひ、君には私の弟の世話をしてもらいたい」
弟?
そう書くと男の人、蓮さまはうなずいてわたしの頭をそっと撫でた。
お父さんにされていたみたいで、とっても優しい気持ちになれた。
「ああ。ちょっと気難しいやつだけれども、根はすっごく優しいやつだ。うるさい侍女は嫌だといっていたから、君の声が出ないのはあいつにとっては良いのかも」
そういってくすりと笑った蓮さまにわたしはあいまいに微笑んで立ち上がって一礼した。
「よろしく」
わたしの意志をしっかり理解してくれていたらしい蓮さまにわたしはやっと心からの笑みを浮かべられた。