結果オーライな婚約
アリティー王国では社交シーズンになると王都エモルに貴族達が集まりお茶会、サロン、夜会などを通して交流を深めている。しかし、貴族同士の交流を深める場所はそういった場だけではない。王都エモルには広々とした公園や広場があり、昼間そこでのんびりしながら交流を深めている貴族もいる。
伯爵令嬢ルネッタ・グラツィア・ディ・グレッピと侯爵令息ノルベルト・イタロ・ディ・スピノラもそうである。しかし、二人の間には重々しい沈黙が流れていた。
(……何を話したら良いのかしら? この前の刺繍が思ったより上手に出来たこと? でもそれってノルベルト様は興味あるかしら……?)
公園のベンチに座り、チラリと隣を見るルネッタ。
ノルベルトはどこか一点を見つめているようで、眼鏡の奥のアンバーの目はルネッタを捉えているようには見えない。華やかではないがよく見ると整った顔も、どこか硬いように見えた。風が吹き、ノルベルトの柔らかな癖のある赤毛がふわりと揺れている。風によりルネッタも自身の栗毛色の真っ直ぐ伸びた髪が少し乱れたので、軽く整えた。
「えっと……ノルベルト様は、読書とかはなるのですか?」
「する」
ルネッタが必死に話題を考えてノルベルトに質問をすると、素っ気ない答えが返って来る。
「どのような本を読まれるのです?」
「……ルネッタ嬢にとってはつまらない内容の本だ」
「えっと……そうでしょうか……?」
再び素っ気ない答えが返って来て、ルネッタは困惑してしまう。ノルベルトはまるでこれ以上深入りするなと言うかのような雰囲気を醸し出している。
そして再び重い沈黙が二人の間に流れた。
(どうしよう……。ノルベルト様との婚約が決まって一ヶ月が経つけれど……歩み寄りが難しいわ。ノルベルト様、何をお考えなのか全く分からない)
ルネッタは俯きしょんぼりと肩を落とした。ムーンストーンのようなグレーの目を曇らせている。
ルネッタのグレッピ伯爵家とノルベルトのスピノラ侯爵家、両家の事業提携を円滑に進めるために結ばれたのがこの婚約だ。
ルネッタはお互い心地良い関係性を作ろうとノルベルトに歩み寄ろうとしているのだが、いつもこのように失敗してしまうのだ。
(うう……。どうしたら良いの?)
ルネッタは後ろで控えている侍女に助けを求めるように視線を送るが、侍女は困ったように肩をすくめて申し訳なさそうにするだけである。
(この婚約、上手くいくのかしら……?)
ルネッタはノルベルトとの婚約に不安を感じるのであった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
ルネッタはノルベルトとの交流を終え、グレッピ伯爵家の王都の屋敷に戻って来た。
王都の屋敷の門の前で馬車を降りたルネッタ。
「あら? ルネッタ様じゃない」
そんなルネッタに、声をかける者がいた。明るく溌剌とした声である。
そこにいたのは、ルネッタにとって気心知れた人物。
「まあ、ドミナ様」
ルネッタは表情を綻ばせた。
伯爵令嬢ドミナ・ヴィオランテ・ディ・トリヴルツィオ。ルネッタとは同い年の十六歳。グレッピ伯爵領とトリヴルツィオ伯爵領は隣接していて、ルネッタとドミナは幼い頃から交流があった。いわゆる幼馴染である。グレッピ伯爵家とトリヴルツィオ伯爵家は王都の屋敷も隣同士なのだ。
「ルネッタ様、今日は婚約者との交流の日だったわね。どうだったの?」
興味津々な様子のドミナだ。前のめりになっているドミナ。
キラキラと輝くサファイアのような青い目に、ふわふわとして艶やかなブロンドの髪。華やかで大人びた顔立ちが近くに来る。
ルネッタは思わず苦笑しながら後退りをした。
「ドミナ様、近いわ。……私も、ドミナ様みたいな美貌があれば良かったのかしら? そしたらノルベルト様も話に乗ってくれるのかしら?」
「何を言っているの? ルネッタ様は可愛いわよ。その様子だと、婚約者と相変わらず上手くいっていないみたいね。良いわ。今からトリヴルツィオ伯爵家の王都の屋敷にいらっしゃい。いくらでも話を聞くから」
ドミナに連れられ、ルネッタはトリヴルツィオ伯爵家の王都の屋敷に行くのであった。
お互いの王都の屋敷は隣同士なのですぐに行き来が可能である。ルネッタは何度も入ったことがあるドミナの私室で話をすることにした。
「なるほどね。ルネッタ様は婚約者のノルベルト様に歩み寄ろうとするけれど、上手くいかないのね」
「ええ」
ルネッタは軽くため息をついた。
「私、どうしたら会話が上手くなるのかしら。ノルベルト様のご興味があることを聞き出そうとしても、あまり答えてくださらないですし、何というか、ご自身のことについて聞かれるのがお好きではなさそうで……」
「ああ、そういうタイプの方いるわよね」
「他に意中の女性がいるとか、こちらを見下している感じはないのだけど……何というか、上手くやっていけるのか不安なのよ」
ルネッタは再びため息をついた。
「まあ、浮気やこちらに危害を加えてくる心配がないのは良いことだとは思うけれどね」
音もなく紅茶を啜りながらドミナは苦笑していた。
「婚約って大変なのね。私にはまだ婚約者がいないからどうなるかは分からないけれど」
ドミナは肩をすくめている。
「でもルネッタ様の場合は、根気よくやっていくのが良いのではないかしら」
「それしかないわよね……」
ノルベルトと上手く関係を築ける自信がないルネッタは、先程よりも大きなため息をつき表情を曇らせた。
「ルネッタ様、紅茶が冷めてしまうわよ。美味しい焼き菓子もあるのだから、今は食べましょう」
「ありがとう、ドミナ様」
ドミナに勧められ、ルネッタは焼き菓子に手を伸ばした。
上品で柔らかな甘さが口の中に広がり、ルネッタは表情を綻ばせる。
「美味しいわ」
少しだけ、心のモヤモヤを忘れることが出来たのだ。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
一方、ノルベルトもルネッタとの関係で悩んでいた。
(ああ、結局ルネッタ嬢と上手く話せない……)
ノルベルトは項垂れながらスピノラ侯爵家の王都の屋敷に戻り、自室の扉を開けた。
「よう、ノルベルト」
「リベリオ、どうして君が僕の部屋にいるんだ?」
ノルベルトの部屋にいたのは、侯爵令息リベリオ・アデルモ・ディ・リカーゾリ。年はノルベルトと同じ十七歳。スピノラ侯爵領とリカーゾリ侯爵領は隣接しており、二人は幼い頃から交流があった。要するに幼馴染だ。ちなみに、スピノラ侯爵家とリカーゾリ侯爵家の王都の屋敷は隣同士だ。
ルネッタとドミナと全く同じである。
「どうしてって、この前お前に借りた本を返しに来たんだよ。侯爵閣下や侯爵夫人も快く俺をこの部屋に通してくれたけど」
「父上も母上も、リベリオを信用し過ぎだ」
ため息をつき、ノルベルトは頭を抱えた。
アッシュブロンドの髪にペリドットのような緑の目。端正な顔立ちで会話も上手。ノルベルトはそんなリベリオが羨ましく思った。
「それでノルベルト、今日は婚約者の令嬢と交流の日だったんだろう? どうだった?」
「どうもこうも、いつも通り上手く話せなかった」
ため息をつき、自室のソファに座るノルベルト。
「ノルベルト、話を振られたら色々考えちまうもんなあ。思慮深いと捉えられるかつまらないと捉えられるか、相手次第だしな」
ハハッと明るく笑うノルベルト。
「ルネッタ嬢はきっと僕のことをつまらないと思っているだろう。彼女からの質問にも、気の利いた答えを返せなかったし」
「そのルネッタ嬢からは何て聞かれたんだ?」
「読書はするか、とか、どんな本を読むかだ」
「素直に答えたら良いだけだろ」
リベリオはノルベルトの隣に座る。
「リベリオ、植物の品種改良についての本について、ルネッタ嬢は……というかこういうことに興味がある女性はいると思うか?」
「いないことはないと思うけど、まあ確かにノルベルトの趣味はどちらかというとマイナー寄りだな。今も植物の品種改良やってるんだろう?」
「ああ。寒冷な気候でも育つ小麦とか、珍しい色の花を」
「花ならルネッタ嬢も興味を持ってくれるんじゃないか?」
「そうだと良いけど。問題は気が利いたことを話せるかだ。僕は誰も興味がないだろう技術のことを話しそうになるから」
「そこは気を付けるしかないな」
ハハッと笑うリベリオ。
そんなリベリオに適当だなと呆れるノルベルトだった。
♚ ♕ ♛ ♔ ♚ ♕ ♛ ♔
ある日の昼下がり、ルネッタはドミナと一緒に美術サロンに参加した後、王都エモルの公園を歩いていた。
「ルネッタ様、ベテランの画家の方の絵、凄かったわね」
「ええ、ドミナ様。流石はベテランよね。若手の方も素晴らしかったわ。まさしく新進気鋭といった感じで」
「分かるわ。色使いがダイナミックで圧倒されるわよね」
ドミナとサロンで見た絵画について感想を言い合い盛り上がっていた。
その時、ルネッタはベンチに座っている見知った人物を見つけた。
「あ……」
思わず立ち止まるルネッタ。
「ルネッタ様、どうかなさったの?」
ドミナは不思議そうに首を傾げ、ルネッタの視線の先を辿る。
「ああ、ルネッタ様の婚約者、ノルベルト様ね。その隣にいる男性はどなたかしら?」
ベンチにはノルベルトと別の男性が座っており、何やら話をしているようだった。アッシュブロンドの髪にペリドットのような緑の目の、端正な顔立ちの男性である。
「ルネッタ様、話しかけてみない?」
「でも、お邪魔にならないかしら?」
「ルネッタ様はノルベルト様の婚約者なのだから、堂々としていたら良いのよ。ほら、行くわよ」
「ちょっと、ドミナ様、押さないで」
ドミナにグイグイ押され、ルネッタはノルベルトの前まで来てしまった。
「ルネッタ嬢……!?」
ノルベルトは眼鏡の奥のアンバーの目を大きく見開き驚いているようだ。
「えっと……ご機嫌よう、ノルベルト様」
「……ご機嫌よう」
素っ気ないが挨拶は返してくれたノルベルトだ。
しかし、会話が続かない。
その時、ノルベルトの隣に座っていた男性が口を開く。
「ノルベルト、彼女はもしかして婚約者?」
「ああ……」
ノルベルトが頷くと、男性は立ち上がる。
「初めまして。リカーゾリ侯爵家長男、リベリオ・アデルモ・ディ・リカーゾリです。ノルベルトとは幼馴染でね」
明るい笑みのリベリオを見て、ルネッタはドミナと似ている人だと感じた。
「えっと、グレッピ伯爵家長女、ルネッタ・グラツィア・ディ・グレッピと申します」
ルネッタはおずおずと自己紹介をした。
「私はトリヴルツィオ伯爵家長女、ドミナ・ヴィオランテ・ディ・トリヴルツィオと申しますわ。ルネッタ様の幼馴染ですの」
ドミナは自ら前に出て自己紹介をした。
「幼馴染同士、奇遇だね、ドミナ嬢」
「ええ、左様でございますわね、リベリオ様」
明るい者同士、リベリオとドミナは打ち解けるのが早そうだとルネッタは感じた。
しかし、事態は予想外の方へ向かう。
「そうだ、ルネッタ嬢にノルベルトについて話しておきたいことがあるんだ。ノルベルト、結構口下手なんだけどさ、めちゃくちゃ良い奴なんだ。この前も、ルネッタ嬢に気の利いたことを言えなかったって悩んでたしさ」
「え……?」
リベリオからそんな話をされ、ルネッタはムーンストーンの目を見開いた。ノルベルトがそんなことを思っていたなんて初めて知ったのだ。
「おい、リベリオ」
ノルベルトは焦ったようにリベリオの話を止めようとする。
ルネッタは少しだけノルベルトに親近感を抱いた。
しかし、そう呑気に考えてはいられない事態が発生する。
「あら、そちらもお悩みでしたのね。ルネッタ様も、ノルベルト様にどう歩み寄ったら良いのか悩んでおりましたのよ」
「ルネッタ嬢が……!?」
何と今度はドミナがルネッタの悩みを暴露したのだ。ノルベルトは眼鏡の奥のアンバーの目を丸くしている。
「ちょっと、ドミナ様」
「ルネッタ様。この際、思っていることを洗いざらい話した方が絶対に良いと思うわ」
「おお、ではこちらもノルベルトのことを全部話すとしよう」
こうして、ドミナとリベリオによるルネッタとノルベルトの心情暴露大会になってしまったのだ。
「ルネッタ様はノルベルト様に対してこう思っていてね」
「ノルベルトはルネッタ嬢にこんな話をして良いのかと考え込んでいたんだ」
「ドミナ様、やめてー!」
「リベリオ、いい加減にしろ! それ以上は言うんじゃない!」
ドミナとリベリオは暴走機関車のようになり、ルネッタとノルベルトが止めようとしても止まらない。
ルネッタとノルベルトは二人して赤面し、叫ぶことしか出来なかったのだ。
「ところでドミナ嬢、君に婚約者はいるのかい?」
「いいえ、まだでございますわ」
「じゃあ俺なんてどうかな? トリヴルツィオ伯爵領の技術とリカーゾリ侯爵家の特産品を組み合わせたら利益が出そうな新規事業が生まれそうなんだけど」
「まあ、素晴らしいですわ。でしたら、一度家同士で打ち合わせの場を設けましょうか」
ドミナとリベリオは完全に意気投合していた。
「じゃあノルベルト、後は婚約者同士で話してみなよ」
「ルネッタ様、きっともう大丈夫よ」
こうして、暴走機関車二人組が立ち去り、ルネッタとノルベルトは二人残されてしまう。
気まずい沈黙がルネッタとノルベルトの間に流れる。
「……ルネッタ嬢、色々と申し訳ない」
「……いえ、ノルベルト様。こちらこそ申し訳ございません」
恥ずかしさと気まずさが消えず、お互い目を合わせられなかった。
「あの、ルネッタ嬢……」
「ノルベルト様、何でしょう?」
ノルベルトがゆっくりとルネッタの方を向いたので、ルネッタもノルベルトに目を向ける。初めてノルベルトの眼鏡の奥のアンバーの目をまともに見たような気がした。
「僕は、会話が苦手で、気に利いたことが言えない。……この前父と一緒に参加した音楽サロンでも、気の利いた感想が言えなかった。でも、これから努力する。だから……僕との婚約を続けて欲しいと思っている」
初めて聞いたノルベルトの本音は、不器用ながらも誠実さを感じた。
ルネッタは表情を綻ばせて頷く。
「ええ、もちろんでございます。私も、話題選びは得意な方ではありません。ですが、ノルベルト様とは色々なお話をしたいと思いました。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ノルベルトとの関係が上手く築けるか不安だったが、この先何とかなると思ったルネッタである。
こうして、ルネッタとノルベルトの問題は解決したのである。また、ドミナとリベリオの婚約も決まり、色々と上手くまとまるのであった。
読んでくださりありがとうございます!
少しでも「面白い!」と思った方は、是非ブックマークと高評価をしていただけたら嬉しいです!
皆様の応援が励みになります!




