懐古
小学生時代のことである。私には、最も親しい友人がいた。名を池川隼人という。ただ出席番号が近かったという理由だけでそうなったわけであるが、その頃の私にとっては、池川が人生のすべてだったのである。
池川と私は、とにかく仲が良かった。どちらも互いを最もの親友だと確信するくらいである。小学校の放課後、毎日のように池川の家へ通った。特に何で遊ぶかも決めずに。ただ二人でいるだけでよかったのである。ゲームのキャラの名前でしりとりをしたり、消しゴムでキャッチボール、話しながら宿題をする。子供ゆえの失態だが、同級生の悪口を言ったりもした。今は、どんなに仲の良い友人であっても5分もすれば話は尽きるが、その頃の私たちは沈黙とは縁がなかった。誰かと2人きりの時の特有の気まずさなど知らず、ただ笑いあっていた。午後6時ほどになると、私は家に帰る。私の家庭は、両親は共働きで、私に兄弟はいなかったため、アパートの一室に帰ると私はいつも一人であった。一方、池川の家はとにかく裕福であった。天井にはファンがあり、子供部屋にはピアノがあった。池川の虚勢かもしれないが、庭師もいるらしかった。言うまでもなく、池川の家と私の家には、経済的な差があった。しかし、当時の私はどちらも同じ「家庭」であり、特に何も気にしていなかったものである。帰ってきてからは、テレビの番組表から、見る番組の順番を決めた。晩ご飯は白米に卵をかけ、一人で食べる。当時の私にとってはそれが日常であった。寂しいと感じることは少なくはなかったが、それゆえか、私の精神年齢は同級生より高く、少し同級生を見下していた節もあったと思う。いつもひとりでテレビばかり見ていたせいだろうが、同級生が知らない世界情勢や、慣用句などを私はよく知っていた。特に、漢字にはめっぽう強かった。同級生が私に漢字の読み方を聞きに来るのが、嬉しくてたまらなかった。夜遅く、帰ってきた母に学校での話をするのが、唯一の親との交流であった。朝は早めに学校に行き、運動場で池川とサッカーをする。池川はクラブチームに入っていて、それなりに上手であった。下手な私に色々教えてくれたものである。当時の私は少し努力して、家で練習でもしてみれば、池川ぐらい上手くなるだろうと、本気で考えていたと思う。いや、本当にその頃から精進していたらまた違ったのかもしれないが。授業を受け、給食を食べる。池川と、早く食べ終えた方の勝ちという戦いをよくしたものだ。だいたい私が勝っていた。昼休みには、またサッカーをする。ただボールを高く蹴ることに技名をつけたりして、遊ぶ。基礎的な運動能力の差などは知らなかった。そうして学校が終わると、池川の家に向かう。これが小学生の頃の私の日常であった。
数年が経った今では、漢字は周りと特に大差はなくなってしまった。なんとなく入ったサッカー部でも、常にベンチである。家で一人、久しぶりに卵かけご飯を食べ、もうめっきり疎遠になってしまったかつての親友、池川との小学校生活を思い返す、高校2年の秋である。




