【序章-2】信長の価値の直感
信長は九十九髪茄子を手に取ると、掌の上でわずかに角度を変えた。
障子越しの冷たい光が、茶入れの胴に沿って細く滑り、広間の空気を切り裂くように走った。
その光の筋が、宗春の目には“線”ではなく“刃”のように見えた。
広間の温度が、さらに一段下がった気がした。
信長はしばらく無言のまま、茶入れを見つめていた。
その横顔には、怒りも喜びもない。
ただ、何かを“測っている”ような静かな緊張だけがあった。
久秀は深く頭を下げたまま、微動だにしない。
その背中に落ちる光もまた、冷たかった。
「……よい」
信長が低く言った。
その一言が、広間の空気をわずかに震わせた。
「久秀」
「はっ」
「この茶入れ、ただの器ではないな」
久秀の肩が、ほんのわずかに揺れた。
宗春はその揺れを見逃さなかった。
広間の冷気の中で、久秀の緊張が“温度”として伝わってきた。
「価値とは、こういうものか」
信長は茶入れを宗春のほうへ向けた。
宗春は思わず息を呑んだ。
飴色の光が、信長の指の間からこぼれ、宗春の胸元に落ちた。
その光は、冷たいのに、どこか温かかった。
冬の朝に差し込む陽のような、硬く澄んだ温度。
「宗春」
呼ばれた瞬間、宗春の背筋が伸びた。
「はい……」
「おまえは、この器の“どこ”を見た」
宗春は言葉に詰まった。
名物の価値など、まだ理解できていない。
だが、箱を抱えたときに感じた“気配”だけは確かだった。
「……静けさ、でございます」
信長の目が、わずかに細くなった。
広間の空気が、また一段冷えたように感じた。
「静けさ、か」
信長は茶入れを見下ろし、
その表面を親指で軽くなぞった。
「よい目だ」
宗春の胸の奥で、何かが小さく弾けた。
それは、光でも音でもなく、
ただ“温度”として広がった。
信長は茶入れを家臣に渡し、
広間の空気がゆっくりと動き始めた。
だが宗春の中では、
さきほどの光と信長の言葉が、
まだ静かに燃えていた。
この瞬間が、
自分の人生の“始まり”になることを、
宗春はまだ知らない。




