ネコとタチの店で、腹バージンの真相を聞いた日。
昨日の映画内容、なぁーんも頭に入ってこなかった。
すばるさんのシーンのたびに、この俳優の腹は唾液でべちょべちょなのだということを思い出してしまい、全く集中できなかった。
「どうした久豆、元気がないな?」
この美形父は息子をよく見てるな。いや、暗殺を生業としてるから、表情観察に長けてるってだけかもしれないけど。
「この店のカフェの無料券をもらったんだ。なかなかうまいコーヒーが飲めるぞ。気分転換に行ってみなさい」
父、良い人だな。
俺はスマートフォンの地図を頼りに即隣町のカフェ、「ネコとタチ」に行ってみた。
店に到着してから、店名に問題があることに気づいた。
店名からしてゲイしか集まらなそうだけど、大丈夫?
カランカラン。
「いらっしゃいませー。おひとり様ですか?」
ウェイトレス可愛い。よかった、女の子だ。マッチョな男性店員が出たらどうしようかと思った。
「はい」
「こちらの席へどうぞ」
木目が多くて、落ち着いた空気のカフェだな。
メニューには軽食と複数のコーヒーの種類。
とりあえずホットサンドとアメリカンコーヒーを選んだ。
むっちゃくちゃうまかった。
(うまぁ、ここのコーヒー)
わかる、うまいよな、ここのコーヒー
ん?この声……。御影すばるじゃないか?!
斜め向かいに座ってた!
こんなところでなにやってるんだ?
なんだよそのチョビヒゲとうんこ巻みたいな帽子!
ださいにもほどがあるし、正体隠せてないぞ!
周りの人間の声を聞いてみるか。
(すばる変装やばくない?)
(ね、あいかわらず変装へたー )
(歴代の変装の中では一番マシかもだけどね)
……バレてる。
おいおい、周りに気づかれてるぞすばるさん。ていうかこの俳優の変装がヘタなのは周知の事実になってるのか。
しかも今日のはマシな方なのかよ。
(今日の躾…いや、デートなくなったし、暇になっちゃったな。ただのスポンサーのクセに、時間があったらすぐ躾…じゃない、デートに誘ってくるから本当に面倒だ。今からどうしようか。ひまだし、主人公ごっこでもするか)
躾ってなに。いつもなにされてるんだこの人。恋人いたのか。
(俺は俳優、御影すばる。本名佐藤タケル。本名を気に入っていたが、もともといる芸能人と丸被りしてるからという理由で事務所に芸名を御影すばるにされた)
なんかプロローグ始まった。
(劇団アグレッシブンに入団し、子どもの頃から演劇を楽しんできた。これを仕事に出来たらどんなに良いかと思うようになっていた。大学で就職活動をしていた時に転機はやってきた。俺は芸能事務所からスカウトを受けたんだ)
へぇ、そうだったんだ。
(演技で食べていけると聞いて、俺は一も二もなくその仕事に飛びついた)
演技が好きだったんだな。
(そして俺は思い知る。ちょっと演技ができるくらいでは、生き残れない世界だった。
そこで俺は、とびついてしまったんだ。芸能界の裏の仕事、枕営業に)
ああどうしよう、聞きたいような聞きたくないような。
すばるさんじゃなかったら絶対聞きたくないけど…なにをされてしまったんだろう……。
(俺は研修を受け、立派な枕営業マンになった)
枕営業マンってなんだよ。
(マネージャーは言ったんだ…。「【株式会社超安眠】の代表営業マンとして、うちの枕をとあるスポンサーに一万個販売してきてほしい」と。)
そっちの枕営業かよ!
なんだよ心配して損した。
ただ健全に枕の販売営業してただけじゃないか。ややこしい言い回しするなよまったく。
(俺が所属していた芸能事務所は子会社を持っていた。売れない俳優や女優は【株式会社超安眠】の営業部署に回されたんだ。歩合制だったが、なかなか金になった。もう俳優の道いいやって思うくらい)
そんなに稼いだんだ。
(俺は芸能界きっての枕営業ナンバーワンになった)
まじか。
(そして、俳優よりも営業の仕事の方が向いていることに気づいた。俳優では食べていけない。なら、趣味として劇団で演劇を続け、営業一本で生きていこうと。そう決心したころ……あの男と出会ってしまった……)
ゴクリ。あの男?
(飲食店のほか、あらゆる事業を展開している男がいた。大手芸能会社の子息で、芸能界では強い影響力を持っていた。その男が今後寝具や家具販売にも手を出そうとしていると聞きつけた俺の上司が、販売営業に行くように指示をしたんだ。相手は俺よりちょっと年上の男だった。背も高く、顔も良かった。ちょっと悔しくなった。自分と年がそんなに変わらない人間が、大成功を収めている事実に、どうしてか腹が立った。同時に、本当に俺がやりたいことで稼いでいたら、こんな想いはしなかったんじゃないかと思うようになった)
おお。シリアスな展開だな。
(そいつは俺を見て、言ったんだ。"お前のスポンサーになってやってもいい。見返りは、お前の体で"と。こんな金持ちのスポンサーがつけば、月9ドラマも夢じゃないかもしれない。だけど、枕営業なんてやりたくなかった俺はすぐに断った。枕営業しにきたんだけど)
えぇいややこしいこと言うな、集中して聞けないだろ。
(でも、あいつは引き下がらなかった。”映画主演、やってみないか?”と人参をたらしてきやがった!もちろんやりたいと言ったさ!そしたら、あの悪魔の契約を提案されたんだ。”君の腹バージン、くれないか?”と……!)
なんだよ腹バージンって。
(映画名はセフレオーディションだった)
なんてタイトルだよ。誰が観るんだよ。
(おれは一も二もなく応えた。「やります!やらせてください!」と)
どうしてその映画タイトルで前のめりで即答できたんだ。
(そして…その夜!俺の腹バージンは奪われたんだ……!)
だからなんだよ腹バージンって!ていうかセフレオーディション逆に気になるんだけど。
(そいつは芸能界きっての大物スポンサーだった。そいつが芸能人全員に「人前でひじをついて食べるな」と言えば、皆ちゃんと肘をついて食べないようになったし、「ゲップを人前でするな」と言えば、みんなゲップは音を立てないように気を付けるようになった)
いや芸能人なら当たり前だからそれ。
(それから毎日…あいつはお腹に口をつけて…ブゥゥゥ!とやるようになった。俺の腹は、毎朝アイツの唾液まみれで……うぅ俺の腹バージン…)
なぁ、腹バージンって、あれか?赤ん坊がお母さんとかの腹に口付けてぶぅぅぅ!ってする、あれ?
そのスポンサーに毎朝それされてるってこと?
それくらいでアンタ大打撃受けてんの?
(同じマンションで住むこと。それが映画俳優として成功するための、もう一つの条件だった。毎朝バブりたいから、と)
それはきついな。
(あいつがバックについてくれたおかげで、映画だけでなくCM、月9ドラマ、果ては日本アカデミー賞 優秀主演男優賞までもらえる地位まで上り詰めた)
よかったじゃないか。
(だけど、俺の生活は一変した。悪い方向へと。躾が始まってしまったんだ)
ど、どうなったんだ。ゴクリ。
(毎日夜中までパチンコ天国だった生活は終わった。夜は23時就寝、朝は7時起きに切り替わり、肌に悪いからとタバコと酒までやめさせられた。パチンコに行けば携帯に搭載されたGPS機能が発動し、小学生が持ってるあのビービーうるさい音が携帯から鳴る仕組みにされてしまった……人間らしく躾けてやると言われ、毎食家では和食しか食べさせてもらえないし)
良くなってるからそれ、ていうかパチンカスだったのかよ。
(カップ麺を禁止され、果物と野菜まで食わしてくるし!あいつは最低な男だ!腹いせに、俺は毎日あいつの財布から一万円を盗み、他人の金でこうしてカフェタイムを満喫している)
最低なのはお前だよ。
(芸能事務所は未だに枕を営業販売してくるように俺をコキ使うし、同居人のスポンサーには毎朝腹ブゥゥゥ!をされるし…ぐすっ)
いっそ転職しろ。
「グスッ」
(え?!すばる泣いてない?!)
(なんで?)
(話しかけちゃう?!)
やばい!この店内みんなすばるファンか!
ざっと100人、みんな女だ!
なんでこんなに女がいるんだ?ここの店名”ネコとタチ”なのに!
すばるをこっそり追っかけてきたけど、泣いてるなら、話しかけていいよね?ラッキー、みたいな声ばっかりだ!お前らストーカーしてたのか!
うお、全員立ち上がって泣きべそかいてるすばるさんの方に!
大変なことになるぞ。どうする、俺が助ける方法はあるか?
カランカラン。
「いらっしゃいませー」
誰だ?またすばるさんのストーカーファンか?
(やだぁ!かっこいー)
(すごい男前。モデル?)
(全米俳優みたいな男が入って来た)
確かに男前だな。女が全員ガン見するくらい。
すばるさんがギョッとした顔で男を見上げてる。知り合いか?
「まさるさん!躾…じゃない、デートは今日、なくなったはず……なにしに来たの……っ?」
……アンタが腹バージン泥棒かよ。
次回2025/12/28/19時更新




