機内での肉弾戦の行方
サラが静かにそう呟きながら視線を移した先はビジネスクラスの最後部だった。
──見てから間もなく、二つの人影が音もなく立ち上がる。
一見、中年の優雅なカップルだ。
男は恰幅が良く仕立ての良いスーツを着用し、女は細身の有名なハイブランドのロゴがあしらわれたデザイナーズドレスを着ていた。
……そして勿論、この場を飾る最大の❝セット❞が有る。
彼らの右耳たぶの不自然に赤みを帯びたピアス跡だ。
彼らの顔に感情はなかった。
その動きは、極度の効率と無駄のなさに支配されている様だ。
「最適化を邪魔する者は、排除する」
彼らは凶器を隠すことなく、通路を滑るように突進してきた。
男はシートベルトのバックルを外し、鈍器のように振り上げ、女はCAのワゴンから奪ったナイフを水平に構える。
九条は、咄嗟にサラを守るべく彼女の前に立ち、近くの席を蹴って通路の壁に体を密着させた。男のバックルが、彼のミリタリージャケットの襟を掠める。その一瞬の隙に、女のナイフが九条の顔面を狙う。
戸惑いなく向かってくるナイフと同じくして、今の九条には相手が女性だという事実に何の戸惑いも無い。
そのナイフを回避すると同時に、手に持っていたシャンパングラスを迷いなく女の顔面に叩きつける。
ガシャンという鈍い音が鳴り響いたと同時に女の発した静かで低い声が耳に入ったが、一連の流れを見ていた他ビジネスクラスの乗客達の驚いた声にかき消された。
その非合理的な攻撃で女の動きが鈍った瞬間、九条はエコノミーで支給された新品のブランケットを引き剥がし、女の体に巻き付けて動きを封じた。
「何だよ、この女…」
そう呟きながら、思い出したかの様にサラの方に視線を移すと、どうやら心配は無用の様で、ブロンドの美人は床に脱ぎ捨てられていたハイヒールを掴むと、まるで精密機械のように、男の膝裏の腱に突き立てていた。
そして均衡が一気に崩れた男の右耳に容赦なくフルーツフォークを突き刺した彼女は慣れた手つきでチップを取り出す。
「……あちらの女性は強いんだな」
「あら、聞こえてるわよ、ミスター・怜。一つ訂正をするなら、フランスの女性が強いのではなくて全ての女性が強いのよ。」
俺の少し荒い息とは正反対に、落ち着いた呼吸でそう俺に言い放ったサラは二人分のチップをティッシュに包み込むと自らのスーツの内ポケットの中にそれをしまい込んだ。
そして状況がイマイチ掴めていないCA達に短く指示をすると、他の乗客をエコノミーに避難させ、ビジネスクラスの空いているシートに厳重に容疑者達を移し、拘束する。
その一連の動きを見ていた俺の心に嫉妬の様な何とも言えない気持ちが浮かび上がった。
……恰好付けていうならば、女性にここまでさせてしまった情けない俺、とでも言おうか。




