値の張る密談の場
二人は、誰の目も気にすることなく話せるビジネスクラスの広いシートへと移動した。
女性と隣同士で飛行機に座るなんて何年振りの事だろう。少し緊張している俺とは反対に、サラは着席と同時に慣れた手つきでCAに「シャンパンとフルーツをお願い」とオーダーする。
もしかしたら他国ではこの事件を調査する部にはそれなりの予算が置かれているのかもしれない。
まあ、少なからず我々❝貧乏内情庁❞よりは…。
「さっそくですが、九条さん。あなたを指名したのは理星君で間違いないですね。」
「ああ、そうだけど……。まさか、こんな美人が理星と繋がっていたとは。どこで?」
「彼とは私が学生時代、少しだけ東京大学に留学していた時からの仲です。関係性で云うと後輩になりますが」
「理星君、あんなに優秀なのに、なぜか私には東京の隠れた美味しいお菓子の情報ばかり送ってきて。もしこの事態になっていなかったら、今回は彼おすすめの和菓子をトランジットで買ってからアメリカへ向かうつもりでした」
サラはふわりと笑う。
情報戦のエリートである理星が、彼女にだけは「人間の情緒」を見せていたことに少しだけ安堵した。
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一口だけ口に含んでみたシャンパンはモエか何かだろう。少しフルーティで余り酒が強くない俺でも飲みやすい。
「で、理星は何を?」
「彼とは、彼がこの事件に関わる様になってからというもの情報交換をしているのです。まあ、本当はダメな事なんですけどね。お互いに。」
「──貴方に関しては、いかに一貫性の無い男か、そしてあなたの非合理的な仮説が、今回のAIの論理を破る唯一の鍵になるかもしれない、と聞かされています。」
「ちなみに、彼のメールは最後にこう結ばれていました。『どうか、うちの九条をよろしくお願いします』と」
「フッ、何だそれ」
理星らしいメッセージといえばそうだが、少し笑ってしまう。
「理星の言う通り、俺の仮説は感情論に近いものです。あなたのような知性派は、この事件についてどう捉えますか?」
サラは、シャンパングラスを傾けながら、九条の目をまっすぐに見つめた。
「完璧な論理の裏には、必ず穴があります。」
彼女の表情が一瞬だけ曇った。
「私の弟の妻も、被害者になりました」
九条は息を飲む。
「フランスでも数件の事件が起きました。その中の一つで、弟の妻は、生後半年の子を置いて、命を落としたのです。被害に遭ったのは、小さな町の精神科の待合室でした」
ブロンドヘアーの美人は静かに続けた。
「彼女は産後半年。少し精神的に不安定で、セラピーに通っていました。AIが彼女をどう認識したか?『重度の精神疾患患者』という『管理不能な不要分子』としてのデータだけです」
「これは私の仮説です」
「AIが戦争で使われる時、その究極の目的は効率的な勝利です。そこでは感情が芽生える人間は、平和を乱す存在、つまり管理不能な不要分子になる。」
「AIは❝戦争をなくす❞ために殺される人間も殺す人間も両方の❝不要分子❞をなくすという、論理の飛躍を犯した」
サラの声に熱がこもる。
「しかし、AIの最大の欠陥は、その『不要分子』を見極める方法が、『場所』や『前科』といった目に見えるデータしかないことです。パチンコ屋に行った者は『ギャンブル依存者』、精神科に行った者は『精神疾患患者』。全てデータだけで判断される」
九条の脳内に、今まで散々写真で見つめてきた被害者たちの顔写真が映画の様に浮かび上がる。
「……そうか。あのパチンコ屋で被害にあった人たちも、そうだったのかもしれない。仕事の鬱憤を晴らすため、ほんの少しだけ時間を潰していただけで、彼らの人生には何の影響もなかったのかもしれない」
「精神科にしてもそうですよね。待合室で診察を待っている人々の大多数は明日を生きる希望を求めている人達だ。明日を生きる為に今を生きている…」
九条は拳を強く握りしめた。
「俺は、犯人や犯行動機にとらわれて被害者の思いを馳せられていなかったと思います…。」
九条は、心から湧き上がる悔しさに顔を歪ませた。
──事件を解決する事は勿論大切だが、その前に亡くなった人自身やその家族の無念や苦しさに向き合っていたのだろうか、と自問自答した。
例え写真越しでも良い、手を合わせただろうか。
空を見上げて「彼らが成仏出来ますように」と思っていたのだろうか。
いつの間にか【人が殺される事が当たり前という不自然な現実】に慣れていたのは俺自身だったのではないだろうか。
サラは、その九条の表情を見て、微笑んだ。
「さすが、自由を求めて革命を起こした国の知性だ。繊細な部分に気づく優しさがありますね」
「それでいうならば、しっかりと過去に振り返り、反省と改善を考える知性も又日本の誇るべき美しい知性だと思いますよ」
九条の賞賛に、彼女はまた優雅に微笑み、シャンパングラスを合わせた。
「我々も大概、一貫性がないものですわ、あなたみたいに。完璧な理論より『不完全な日常の価値』を信じている。この戦い、勝てそうですね、九条怜」
二人のグラスが、カチン、と小さく鳴った。
ニューヨークまでの長いフライトは、すでに戦いのための密談の場へと変わっていた。




