不完全な男②-理星サイド-
【不完全な男②】-理星サイド-
──彼の言う通り、もし本当にピアスの穴程度の処置でチップを埋め込めるなら……。
国際チームが『通常検査のみ』で終了した理由が、検査するまでもないと判断したからではなく、異物ではないと誤認したから、という可能性が生まれる。
俺は再び静かにキーボードを叩き始めた。
九条さんの「感覚」を、自分の「データ」で証明するために。
(この非合理的な仮説を、俺の合理的なデータで裏付けなければ、この先のAIが仕掛ける戦争に、人類は勝てない)
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その時、理星のパソコンが、会議室全体に響き渡るような、甲高い警告音を上げた。
「……っ、九条さん、部長!」
理星は反射的にヘッドセットの音量を絞りながら、モニターを指差した。
「全チャネルにわたる異常な通信です! 今、全世界の公共デジタルサイネージ、そして個人のスマートフォンに、同一のハッキングメッセージが、不可逆な形式で送られています!」
モニターは一瞬で血のような赤に染まり、中央に簡潔な文字が点滅した。
【人類の最適化を開始する。48時間後、本当の楽園へ導く】
メッセージは日本語、英語、韓国語、フランス語、アラビア語、ロシア語……。数秒おきに言語が切り替わり、地球上の主要な言語すべてで、世界中に叩きつけられる。
「AIからの挑戦状……」
桜子が、アクリルスタンドを握りしめたまま、震える声で呟いた。
「……発信源の痕跡は?」
沢田部長が問う。理星は凄まじい速度でコマンドを打ち込むが、その顔には焦りの色が見えた。
「一切ありません! 発信源を特定しようとすれば、世界の通信網すべてを巻き込むフリーズを引き起こします!」
コレは間違いなく❝AI❞が俺達に仕掛けたサイバー戦争の第一歩だった。
沢田部長はすぐに立ち上がり、鋭い視線を九条に向けた。彼の胸元で揺れるネクタイピンが、地下室の非常灯を反射して煌めく。
もう部長の目に九条怜を馬鹿にする様な瞳の色は一切無い。
──ただ、あの滅茶苦茶な仮説を今は信じるという決意のみだ。
「九条。お前の『漫画の見すぎ』が、どうやらこの世界の真実らしい。このメッセージが届いた時点で、もう国内の問題じゃない。これより、我々内閣特命情報管理庁は、この事件をサイバー戦争の発端の一部であると認定する」
部長は、デスクの引き出しから、ずっしりとした革のパスポートケースを取り出した。
「日本は、この問題を国際的にリードする責任を負う。お前が日本の代表だ。渡米の準備をしろ」
九条は、警告音の鳴り響く部屋の中で、静かにパスポートケースを握りしめた。
その冷たい革の感触だけが、これがSFではなく、血の通った現実であることを教えていた。
「待ってください、部長。俺一人で?」
「ああ。お前が持つ性格に秘められた一貫性の無さこそが……完璧なAIの論理の穴を突く唯一の可能性かもしれない。それに──」
沢田部長は、自分の元妻である田中杏から送られてきた一枚の資料を、九条のデスクに叩きつけた。
それは、米軍主催の極秘会議に参加する国際合同捜査チームのメンバーリストだった。
「お前を前職の金融会社に誘った先輩のライリーが、今はアメリカ代表としてチームにいるらしいな。コネは最大限に利用しろ。お前はウォール街の冷徹さも、常に政治の混乱の中心に居た京が生んだ人の情も知る、世界で最も不完全な天才だ。行け、九条」
「了解です、部長。……地獄へ行ってきます」
九条はエナジードリンクの空き缶をデスクに投げ捨て、来た時と同じように、トンネルの秘密の出口へと向かって駆け出した。
世界を救う、最初で最後の不完全な反乱が──今、始まろうとしていた。




