ゴブリンの巣②
木々が生い茂り、空を覆うようになっていく。昼間だというのに、ひんやりとした薄暗さが漂い始めた。
「……近いですね」
シャロンが低い声で囁く。
やがて岩肌がむき出しになった斜面に出た。
その一角に、ぽっかりと黒い穴が口を開けている。
ゴブリンの足跡が無数につき、周囲には獣臭と血の混じったような悪臭が漂っていた。
「ここか……」
俺はごくりと唾を飲み込む。
入口付近には骨の山が転がっており、ヒトや獣のものが混ざっているらしい。
「……やっぱり、気持ち悪いな」
「でも、やらなきゃいけません。ここを放置したら、街道を通る人が襲われ続けますから」
シャロンがぎゅっと剣を握り直す。
俺もスローイング・スピアを手に取り、松明に火を灯した。
燃え上がる炎が、岩肌に揺らめく影を作り出す。
「行こう」
二人で洞窟の中へ足を踏み入れる。
しんとした闇の中、滴る水音と湿った土の匂いが鼻を刺す。
耳を澄ますと、奥から「ギャッ、ギャギャッ」という甲高い声がかすかに響いてきた。
「……巣の中には十体以上はいますね」
「そんなに……」
「ええ。でも、セイジさんの投擲と私の剣があれば、大丈夫です!」
心強い笑顔を向けられ、少しだけ気持ちが軽くなる。
だが油断はできない。
──この戦いで、俺が本当に“冒険者”としてやっていけるかどうかが決まる。
松明の炎を高く掲げ、俺たちはゴブリンの巣の奥へと進んでいった。
洞窟の奥へ進むにつれて、臭気はどんどん濃くなっていった。
獣臭、汗、腐った肉の匂い──吐き気を催すほどの悪臭だ。
「っ……うぇ、キツいな」
「鼻で呼吸するとやられます。口からゆっくり吸ってください」
シャロンが小声で注意する。慣れているのか、表情は崩れていない。
やがて、視界の先に明かりが見えた。
たいまつの灯りではなく、ゴブリンが焚いている粗末な焚き火だ。
その周囲に、五体ほどのゴブリンが集まっている。肉の塊を串刺しにして焼き、ぎゃははと下品に笑っていた。
「五体……」
「静かに仕留めましょう。セイジさん、まず投げてください」
「了解」
俺は息を殺し、スローイング・スピアを構える。
狙いをつけて──投げ放った。
ヒュッ、と風を裂く音の直後、槍は一体の胸を貫き、そのまま焚き火へと突き刺さった。
「ギャアアッ!」と断末魔が響き、残りのゴブリンたちが一斉にこちらを振り返る。
「今です!」
シャロンが飛び出し、剣を振るう。
俺も腰のスローイング・ダガーを次々に投げた。一本は外れたが、一本はゴブリンの首筋に突き刺さり、血が噴き出す。
残り三体が突進してきた。
一体はシャロンが剣で受け止め、火花を散らしながら押し返す。
もう一体が横から回り込もうとした瞬間──俺はとっさに地面の石を掴み、全力で投げつけた。
──
スキル:投擲
武器:石
ダメージ:小
効果:怯み(成功)
──
石が額に命中し、ゴブリンがよろめく。
そこへシャロンが剣を振り抜き、真横から首を斬り飛ばした。
「あと二体!」
俺は突き立ったままのスローイング・スピアを焚き火から引き抜き、振り返りざまにもう一度投げつける。
ゴブリンの肩を深々と貫き、壁に縫い付けるように突き刺さった。
絶叫を上げて暴れるが、逃げ場はない。
最後の一体が俺に棍棒を振り下ろしてきた。
「うわっ──!」
間一髪で身をひねる。肩にかすり、鈍い痛みが走る。
「セイジさん!」
シャロンが割り込み、ゴブリンの胸を突き刺した。緑色の血が噴き出し、獣のような悲鳴を上げて崩れ落ちる。
……静寂が戻った。
焚き火がパチパチと音を立て、血の匂いが鼻を突く。
「はぁ、はぁ……終わったか」
「セイジさん、すごいです! 一人で二体も!」
シャロンの顔は汗で濡れているが、笑顔だった。
俺は肩を押さえながら苦笑する。
「危なかったけどな……」
倒れたゴブリンの死体から討伐証明と臓物を回収しながら、奥へと続く暗い通路を見やった。
「……まだ、これで半分もいってないんだろ?」
「ええ。巣の奥には、必ず『群れの頭』がいます」
その言葉に、背筋が再び冷たくなる。
けれど、もうここまで来て引き返す選択肢はない。
「行こう。全部、片付けるんだ」
俺は槍を拾い直し、シャロンと共にさらに奥の闇へと足を踏み入れた。
ゴブリンの死体を乗り越えてさらに奥へ進むと、通路が広がり、やがて大きな空間に出た。
焚き火の明かりがいくつも灯され、獣臭と血の匂いが渦を巻く。
その隅に──木の檻があった。
「……誰か、いる?」
俺が呟くと、シャロンがすぐに駆け寄った。
中にいたのは、手首を縄で縛られた少女だった。
白い髪に金色の瞳。猫のように尖った耳と、腰から伸びる尻尾。
薄汚れた布切れを身にまとい、ぐったりと座り込んでいるが、その瞳にはまだ強い光が宿っていた。
「獣人……!」
シャロンが驚きの声を上げる。
俺が松明を近づけると、少女はゆっくり顔を上げた。
「……人間……?」
声は弱々しいが、怯えは感じられない。むしろ、敵を見定めようとする芯の強さがあった。
「大丈夫、俺たちは冒険者だ。助けに来た」
俺は急いで檻の鍵を探すが、見当たらない。
代わりに解析眼が反応した。
──
対象:檻の鍵
状態:錆びて折損、使用不能
備考:破壊以外に開錠不可
──
「……鍵はダメだ。壊すしかない」
「なら、私が!」
シャロンが剣を振り上げ、錠前を思い切り叩き斬った。火花が散り、鉄の音が洞窟に響き渡る。
鈍い音と共に、錠前が壊れた。
檻の扉を押し開け、俺たちは少女を引き出す。
「助けてくれて……ありがとう」
少女はよろよろと立ち上がり、ふらつきながらも頭を下げた。
「私はティナ。……森で攫われちゃったの」
白い髪が焚き火に照らされ、金の瞳が揺れる。
彼女の控えめな声に、俺とシャロンは目を見交わした。
「……捕虜がいるって、本当だったんだな」
「はい……ゴブリン、許せません!」
シャロンが剣を強く握る。
だが、奥から「ギャアアアッ!」という怒号が響いてきた。
複数の影がこちらに迫ってくる。──残りのゴブリンたちだ。
「来るぞ! ティナ、後ろに!」
「……うん!」
少女を庇いながら、俺とシャロンは再び武器を構えた。
──ここからが本番だ。