社畜スキル
──というわけで、俺はどうやら異世界に来てしまったらしい。
いや、まだ断定はできない。もしかしたら病院のベッドで昏睡していて、これは全部夢という可能性もある。あるいは脳が衝撃に耐えられず、勝手にファンタジー世界をでっち上げているとか。
……でも。
目の前でにっこり笑う金髪美少女の温度感とか、風に混じる馬の匂いとか、肌を焼く太陽とか。どれもリアルすぎて、夢とは思えなかった。
「セイジさんは、冒険者じゃないんですか?」
「いや、会社員……って言ってもわかんないよな」
自分でも空しい説明だと思いながら肩をすくめる。案の定、シャロンは首を傾げた。
「カイシャイン……新しい職業ですか?」
「うん……まあ、そういうことでいいや」
説明は面倒だ。どうせ「職業:社畜(人間)」とか言っても通じないだろう。
「じゃあ、とりあえず街まで行きましょう。ここにいても危ないですし」
「街……か」
俺の目の前に広がるのは、果てしない草原と一本道の街道。遠くに小さな城壁みたいな影が見える。あれが街なのだろう。
足を踏み出そうとしたとき、茂みの中からガサリと音がした。
鳥か? いや、違う。シャロンが即座に剣を抜いたのを見て、背筋に冷たいものが走る。
「……モンスターです!」
言葉と同時に、茂みから飛び出したのは──
「……スライム?」
小さな緑色のスライムだった。
なんだ、と拍子抜けする俺に、シャロンは少し及び腰で剣を構えている。
「毒スライムです!」
「毒!?」
思わず声が裏返る。スライムって、もっとこう……初心者向けで、ぷよぷよしてて、攻撃してもゼリーみたいに跳ね返るやつじゃないのか。
「油断しないでください! かすっただけでも体が痺れて動けなくなります!」
「そんな危険生物だったの!?」
俺の中のゲーム脳が粉々に砕かれた瞬間だった。
スライムはびよん、と大きく跳ね、こちらに飛びかかってくる。
「うわっ、く、来るなっ!」
咄嗟に後ずさる俺の目の前で、シャロンの剣がきらりと光った。
鋭い一撃がスライムを真っ二つに裂く……はずだった。
「えっ……切れない!?」
刃は確かにスライムの身体を貫いたが、ゼリー状の体は再び合体し、むしろぷるんと勢いよく弾み返す。
「くっ、やっぱり私じゃ火力が足りません!」
「火力!? なんでスライムにそんな現実的な言葉使うんだよ!」
俺のツッコミも空しく、スライムは次の標的を見据えるように、ぷるん、と揺れた。──明らかに俺のほうを向いて。
せっかくの異世界転移なんだし、なんかチートスキルとかないのか。焦りつつも、近くの小石を引っ掴んで投げつける。
すると、スライムは「みゃ」だか「みゅ」だかの声をあげて、じわじわ後退した。
「……効いた?」
俺は呆然とつぶやいた。たまたま当たりどころがよかったのか、スライムはびくびく震えながら後ずさっている。
「すごい! 今の石つぶて、効いてます!」
シャロンが目を輝かせて俺を見上げる。いやいや、ただの石だぞ? 俺、野球部でもなかったし。
すると、視界に淡い光が差す。
──
スキル:投擲
武器:石
ダメージ:小
効果:怯み
──
「……俺、投げるだけでスキル発動するのか?」
信じられない気持ちで呟いた瞬間、スライムが再びびよんと跳ねた。狙いはやっぱり俺。
「うわっ、く、来るなって!」
慌ててもう一個石を拾って投げつける。
見事に命中したスライムは、情けない声をあげて体を震わせ、動きを止めた。
「今です!」
シャロンが鋭く踏み込み、剣を振り抜く。
先ほどとは違い、スライムは切断されたままぐずぐずと崩れ、ついには地面に溶けるように消えていった。
「……勝った?」
「はい! セイジさんのおかげです!」
振り返るシャロンの顔がぱっと花開いたように輝いている。
いや、俺はただ石投げただけなんだが……。
スライムが消えた後を見ると、陽光を反射してキラリと光る塊があった。
なんだこの、ゼリーみたいなの。そう思ったとき、また視界に淡い光。
──
スキル:解析眼
対象:毒スライムの卵
効果:毒付与
備考:素手で触るのは危険大
──
「……解析眼?」
俺は目を瞬かせる。さっきの「投擲」とはまた別に、視界に情報が浮かんでいた。
「セイジさん、どうしました?」
「いや、その……このスライムの残骸、卵らしいぞ。毒持ちの」
「えっ!? なんで分かるんですか!?」
シャロンが目を丸くする。そりゃそうだ、俺だって意味が分からない。でも確かに見えた。説明文までご丁寧に添えてある。
「いや、なんか……文字が浮かんで見えるんだよ」
「識別スキル……! しかも高等魔術師でも難しい解析系!?」
シャロンが信じられないとばかりに口を押さえた。
いや、俺からしたら信じられないのはこっちだ。石投げと目がいいくらいで、どうしてそんなレアスキル持ちになるんだ。
「これ、どうすんだ?」
俺が指さすと、シャロンは小さく頷いた。
「ギルドに持っていけば換金できます。ただ……触ると危険ですから、袋か瓶に入れないと」
「なるほどな……」
俺はポケットからハンカチを取り出して卵を包む。
するとまた淡い光。
──
スキル:着想
内容:スライムの卵を使用した薬の生成
方法: 毒性を中和する草を混ぜ、乾燥させ、粉末状にすることで【解毒薬】を作成可能
備考:高値で取引される
──
「……薬のレシピ?」
俺は思わずつぶやいた。まるでRPGのアイテム生成チュートリアルを見せられている気分だ。
「セイジさん?」
「いや……この卵、調合に使えるっぽい。粉にすれば売れるって」
「ええ!? そんな……解析だけじゃなく着想まで!? 完全に錬金術師レベルじゃないですか!」
シャロンの目がさらにまん丸になる。いや、俺はただハンカチで包んだだけなんだが。
「会社でよくやってたんだよ、改善提案とか。『これとこれ組み合わせたら効率上がるんじゃないか』って」
「カイシャインって……すごい職業なんですね……!」
シャロンが尊敬のまなざしを向けてくる。いや、そんなキラキラした目で見られるほど立派なもんじゃない。俺がやってたのは、コピー用紙を節約するとか、終電を逃さないよう業務フローを見直すとか、そういう地味なやつだ。
でも、ここでは──
「……俺の社畜スキルがチートになってる?」
そんな嫌な予感と、少しの高揚感が、胸の奥にじわりと広がっていた。