第七回 天下諸侯合兵盟 董相国焚城遷都
中平六年。漢の都洛陽は、董卓という一人の暴君に支配されていた。彼は、勝手に前皇帝劉弁を毒殺し、幼い陳留王を擁立した。宮中の貴人は処刑され、都の富豪から金品を強奪する。洛陽の通りは、もはや恐怖と絶望の囁きに満ちていた。
「董卓様は、恐ろしい方じゃ…。気に入らぬ者は、たとえ高官であろうと容赦なく処刑なさる…」
「もう、この国はおしまいだ…!天子様まで意のままに動かすのだからな…」
そんな絶望的な空気の中、一人の男がいた。名は曹操。彼は董卓の暗殺を試みたが、失敗。追っ手が迫る中、単身で洛陽を脱出した。
逃亡の道中、曹操は一人の男と出会った。名は陳宮。陳留郡の役人であり、若いころから高名な学者や英雄たちと交友を結び、天下の行く末を憂う、正義感に満ちた男だった。
陳宮は、険しい表情で道を行く男を遠目から観察していた。その眼差しは、飢えた狼のように鋭く、しかしその奥には、抑えきれないほどの情熱が燃えているように見えた。
この男こそ、天下の乱れを鎮める英雄に違いない…!
意を決した陳宮は、男に駆け寄った。
「貴殿は、洛陽を逃れてきた曹孟徳殿ではござらぬか?噂に聞いていた通り、並々ならぬ気概をお持ちだ。このまま董卓の追っ手に捕らわれるのは惜しい。この陳宮、貴殿と共に天下に新たな光をもたらしたい!」
陳宮の言葉は、彼の理想と信念に満ちていた。彼は、天下の動乱を収めるには、曹操のような才を持つ英雄が必要だと信じていたのだ。二人は意気投合し、共に故郷を目指すことになった。
夜通しの逃避行の末、二人は曹操の父の旧友である呂伯奢の家に身を寄せることになった。呂伯奢は、遠い昔に別れた友の子を温かく迎え入れた。
「おお、孟徳! よくぞ生きておった! 遠路はるばる、さぞかし疲れたであろう。さあ、遠慮はいらぬ、疲れを癒して行くがよい!」
「伯奢殿…!この乱世に、このような温かさを持つ者がいるとは…」
呂伯奢は、二人をもてなそうと、台所で豚を屠る準備を始めた。
その夜のことだった。
曹操は、眠りについた陳宮の傍らで、かすかな物音に目を覚ました。薄暗い台所から聞こえてくる、かすかな音。それは、豚を屠るために包丁を研ぐ音だった。しかし、長年の軍務で磨かれた勘が、曹操の脳裏に警鐘を鳴らす。
豚を屠るだと…?しかし、この音は…! 万一、このことが董卓の耳に入れば、呂伯奢殿は我々を捕らえるために準備をしているのかもしれぬ…!
彼の猜疑心は、極限まで高まっていた。この乱世では、一瞬の油断が命取りになる。友の父という信頼よりも、生き延びるという本能が勝った。
曹操は刀を抜き、物置の扉を開けるなり、家人を次々と斬り伏せていった。物音を聞いて駆けつけてきた陳宮は、その光景に言葉を失った。
「孟徳殿…!一体何をなされているのです!彼らは、ただ私たちをもてなそうとしていただけでは…!」
曹操は、血の付いた剣を肩に担ぎ、冷ややかに言い放った。
曹操:「例え私が他人を裏切ったとしても、他人が私を裏切ることは許さん」
陳宮は、この言葉に息をのんだ。彼の目に映る曹操は、もはや正義を志す英雄ではなく、生き残るためなら手段を選ばない、冷徹な鬼だった。そのあまりの非情さに、陳宮の理想は音を立てて崩れ去った。
呂伯奢の家を後にした曹操と陳宮は、そのまま故郷の譙県へと向かった。陳宮は、曹操の非情さを目の当たりにしたものの、彼の並外れた才能と、この男でなければ天下を救えないという信念が捨てきれなかった。
曹操は、まず父の曹嵩に事の顛末を伝えた。呂伯奢を斬り殺した話を聞き、曹嵩は深い悲しみと驚きを覚えた。しかし、長年の経験から、息子が歩む道は、もはや凡人には理解できない領域に達していることを悟った。
「お前はもう、ただの官吏ではない。天下を動かす器だ。お前をこのまま凡人の道に押しとどめることは、もはやできぬ。行け、お前の信じる道を行くがいい」
「父上、感謝致します。この乱世を終わらせるため、もはや情など不要。私は、鬼となってでも天下を平定してみせます」
曹嵩はそう言って、私財のすべてを投げ打ち、曹操の挙兵を助けた。
そして、曹操の呼びかけに応じ、彼を信じる者たちが集まってきた。
一族からは、古くからの盟友である夏侯惇と夏侯淵が駆けつけた。
「兄者!天下に覇を唱える日が来るまで、この命、捧げさせていただきます!」
「我ら一族の力、存分にお使いくだされ!」
その武勇を誇る曹仁と、勇猛果敢な曹洪も集結した。
「公の御為ならば、我が身など惜しくはありません!」
「公に天下の光を見ていただくまで、この命、使い潰していただきます!」
さらに、若き一族の曹純や、後に非業の死を遂げる息子曹昂も、この初期の軍に加わった。
董卓の高笑いが響き渡る中、各地の諸侯たちの心に怒りの炎が灯された。東郡太守の橋瑁が、三公の公文書を偽造し、董卓討伐を呼びかける檄文を各地に回付した。
「董卓は天子を廃し、暴虐を尽くしておる! 漢室の安寧のため、共に立ち上がろうではないか!」
この檄文に応じ、後将軍袁術、冀州牧韓馥、そして渤海太守袁紹ら、各地の有力者たちが兵を挙げた。彼らは、それぞれの思惑を胸に、袁紹を盟主として反董卓連合軍を結成した。
連合に加わった者の中に、一人の異質な男がいた。曹操である。彼は宦官の孫という出自ゆえ、名門出身の貴族たちから常に冷ややかな目で見られていた。
フン、宦官の孫が、よくもこの名門揃いの場に顔を出せたものだ。
所詮、小僧の戯言よ。この天下は、名門の我らが動かすのだ。
一九十年春。連合軍の諸侯たちは酸棗に集結した。彼らは董卓軍の強大さを恐れ、誰も率先して攻め込もうとはせず、酒宴に明け暮れるばかりだった。
「乾杯!この杯が、漢室復興の狼煙とならんことを!」
「左様、左様!皆で力を合わせれば、董卓など恐れるに足りませんな!」
曹操は、彼らの臆病な姿に激しい憤りを感じていた。
何という愚か者どもめ! 口では大義を語り、酒杯を交わすばかりで、誰もリスクを負おうとしない! このまま時を過ごせば、董卓は勢力を固めるばかりではないか!
業を煮やした曹操は、盟友の鮑信、そして衛茲と共に、わずか五千の兵を率いて董卓軍に戦いを挑んだ。しかし、滎陽の汴水で、董卓配下の猛将、徐栄と遭遇し、大敗を喫した。
敗走の際、馬を失った曹操に、家臣の曹洪が自らの馬を差し出した。
「公! この馬にお乗りください!」
「いや、私は結構だ。子廉お前が乗れ!」
しかし、曹洪は泣きながら叫んだ。
「天下に洪なかるべきも、公なかるべからず!公こそ、この乱世を救う唯一の希望!どうか、この命に代えてもご無事にお戻りください!」
曹洪はそう直言し、曹操に馬を譲り、自らは徒歩で付き従った。この忠誠に、曹操は心から感謝し、この家臣の存在を自身の最も重要な支えだと認識した。
董卓は、連合軍の動きを知ると、洛陽にいた袁一族を皆殺しにした。これにより、袁紹と董卓の憎悪は決定的なものとなった。そして董卓は洛陽を焼き払い、長安へ遷都した。
一方、連合軍は内側から崩壊を始めた。南陽に拠点を置く袁術は、兄袁紹が豫州刺史に周喁を任じたことに激怒。兄弟の感情的な対立は、決定的な亀裂を生んだ。
「あの兄上が、この私を差し置いて、周喁ごときに豫州の刺史を任じただと!?なんという侮辱だ!」
「将軍、落ち着きなされ!今は董卓を討つ大義を優先すべき時では…!」
袁術配下の孫堅も、袁術に兵糧を止められたことに激怒し、直接袁術のもとへ詰め寄った。
「私がわが身を投げ出すのは、上は国家のために、下は将軍の家門の仇を報じるためです。それなのに、将軍は陰口を信じて、私を疑うのですか!」
孫堅の迫力に、袁術は渋々兵糧の手配をさせたが、二人の信頼関係はすでに壊れていた。
反董卓という大義はもはや失われ、連合軍は完全に解体した。多くの武将たちは、それぞれの野心を胸に、新たな時代の覇権を争い始めたのだった。
反董卓連合の瓦解後、天下は群雄割拠の時代へと突入した。北では、名門の袁紹が、南では弟の袁術が、それぞれ勢力を拡大しようと動き始めていた。
南陽で奮戦する孫堅は、董卓軍の都尉である華雄を討ち取り、勢いに乗って洛陽へ入った。彼は荒れ果てた皇帝たちの陵墓を修復し、その忠誠心を示した。そして、その探索の最中、伝説の伝国の玉璽を発見したという。
この玉璽こそ、天が我に下した証…!この力があれば、もはや袁術など恐るるに足りぬ!
玉璽を手にした孫堅の胸に、新たな野望の炎が燃え上がっていた。
孫堅が玉璽を手に入れ、袁術と袁紹の板挟みとなる中、北では袁紹が一大勢力を築きつつあった。彼が次に狙ったのは、冀州牧の韓馥だ。韓馥は、真面目だが臆病で大局を見る力に欠けていた。
袁紹は、直接的な武力行使という危険な手段を選ばなかった。彼は、北方に勢力を拡大する幽州牧の公孫瓚を利用する策を練った。袁紹は公孫瓚に、韓馥を攻撃するよう示唆し、韓馥を追い詰めることに成功した。
「韓馥め! 貴様ごときが、この天下を動かせるものか! 冀州を我に渡さぬならば、力ずくで奪ってやるぞ!」
ああ…わしは、公孫瓚殿の軍勢に勝てるはずがない…!
公孫瓚の威圧的な言葉に、韓馥は絶望した。彼の部下たちは必死に抵抗を促したが、韓馥は恐怖に屈した。
そこへ、袁紹の使者がやってくる。
「刺史。公孫瓚殿の軍勢は、あまりに強力。ここは、袁紹殿に冀州を譲り、共に力を合わせて公孫瓚に対抗しては如何でしょう?」
この提案は、天からの救いの手…!
韓馥は、この提案を救いの手だと信じ、冀州の権力を袁紹に譲り渡した。こうして袁紹は、血を流すことなく北方の広大な地を手に入れた。彼の勢力は、もはや誰にも止められないほどに膨れ上がっていた。
袁紹と袁術が互いの威信をかけて争いを繰り広げる中、曹操は静かに、しかし着実に力を蓄えていた。滎陽での大敗から、彼は故郷の譙県へと戻り、軍の再建に励んでいた。
彼は、旧知の揚州刺史の陳温に協力を仰ぎ、兵を募った。家臣の曹洪は、陳温との親交を活かし、優秀な人材を獲得した。
「公、ご覧ください!揚州刺史の陳温殿より、精鋭の丹陽兵を数千、お借りすることが叶いました!」
「丹陽兵か! これで、ようやく戦える兵力が揃ったな! 今こそ、天下に覇を唱える第一歩を踏み出す時だ!」
曹操は、袁紹が広大な領土を得た一方で、自身は丹陽兵という精鋭を得たことに満足していた。彼は知っていた。この乱世は、ただ広大な領土を持つ者ではなく、最も規律正しく、最も強い軍を持つ者が制することを。
漢王朝という巨大な旧体制が崩壊した後の世界は、もはや血統や名声だけでは生き残れない。そこは、それぞれの野心と実力が試される、群雄割拠の時代へと突入していったのだった。
反董卓連合が瓦解し、名門の袁紹と袁術が互いの野望を胸に対立を深める中、天下はさらなる激動の時代へと突入していった。
袁紹と袁術の間に生じた亀裂は、修復不可能なほどに広がっていた。
初平元年、袁紹は名士である劉虞を新たな天子に擁立することで漢室を立て直そうと計画し、弟の袁術に賛同を求めた。しかし、袁術は洛陽で董卓が擁立した献帝の正統性を主張し、この申し出を断固として拒否した。
「劉虞殿こそ漢室の正統。乱世を収めるに相応しい人物だ。弟よ、我らの大義が分からぬか!」
「庶流の袁本初ごときが、この私に指図をするとは!天子の血統を軽んじる行為、断じて許さぬ!漢王朝を操る逆賊は、董卓だけではなかったようだな!」
この出来事以来、二人の関係は完全に決裂し、互いを仮想敵と見なすようになった。
袁術は、孫堅に命じて袁紹が任じた周昂を豫州から追い出そうと画策した。この戦いに孫堅の援軍として加わった公孫瓚の従弟の公孫越が、流れ矢にあたって戦死するという悲劇が起こる。
この報せを聞いた公孫瓚は、激しい怒りに震えた。
「袁紹!貴様、我の弟を手にかけたな!その首、この手で討ち取ってくれるわ!白馬義従、出陣じゃ!」
公孫瓚は、精鋭の騎兵部隊「白馬義従」を率い、磐河まで進軍。公孫瓚は、自らの兵が袁紹軍を圧倒すると信じて疑わなかった。
初平三年、袁紹は界橋まで進軍した公孫瓚を迎え撃つ。公孫瓚軍の布陣は、中央に歩兵三万余が方陣を敷き、その左右を一万余の騎兵が固めるというもので、その軍容は見る者を圧倒した。
対する袁紹軍は、先陣に麴義が率いる楯を構えた兵士八百人と、千張の強弩隊を配置し、その後ろに袁紹自身が指揮を執る数万の歩兵が続いた。
開戦の火蓋が切られると、公孫瓚軍の騎兵が猛然と突撃を開始。しかし、麴義は羌族の戦術を熟知しており、巧みに兵を動かした。
公孫瓚の白馬義従など、羌族の戦術に比べれば赤子同然!
麴義は兵士たちに盾を構えさせ、強弩隊の集中射撃で騎兵を次々と射倒した。公孫瓚の部将、厳綱もこの戦いで討ち取られ、公孫瓚軍は壊滅的な打撃を受けた。
しかし、公孫瓚軍の敗残兵に襲われた袁紹は、一時窮地に陥る。家臣の田豊が必死に逃走を勧めた。
「公!公孫瓚の騎兵は強大!一旦退かれよ!」
だが、袁紹は臆することなく、その場で奮戦を続けた。
「退くは臆病者のすること!我は天下の覇者となる男だ!皆の者、我に続け!」
袁紹の奮戦により、軍は持ち直し、公孫瓚を打ち破ることに成功した。この戦いの勝利は、袁紹の天下における威信を不動のものとした。
袁紹が公孫瓚との戦いに勝利し、黒山賊を撃破して勢力を盤石なものとする一方で、天下の情勢はめまぐるしく変化していった。