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官僚、乱世を駆ける  作者: 八月河
奸雄世に問う
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第五回 袁氏兄弟互相争 宦官暗中養私兵

黄巾の乱は辛うじて鎮圧されたものの、漢王朝が抱える病はあまりに深く、その終焉を告げるかのように、各地で新たな火種が燻り続けていた。北では黒山軍や白波軍といった賊が割拠し、西では涼州の辺章、韓遂らが反乱を起こし、朝廷の権威は地に落ちていた。霊帝は相変わらず十常侍の甘言に溺れ、宮中の腐敗は一向に改善の兆しを見せなかった。


そんな混沌とした政界において、未来を見据える若き志士たちは、それぞれの理想と野心を胸に、異なる道を歩み始めていた。彼らの視線は、洛陽の中心に君臨する巨大な名門、袁家に向けられていた。


洛陽の中心には、祖父の袁安以来、四代にわたって三公の位に就いた傑出した家柄である袁家という巨大な存在があった。まさしくこの漢王朝を支える柱であったこの名門には、避けられない兄弟の確執が横たわっていた。

弟、袁術こそが、袁家の嫡流であった。彼は、その血統を何よりも重んじ、自身の身分に絶対的な自信を持っていた。常に豪奢な絹の衣を纏い、侍女に酌をさせながら、傲慢で高ぶった笑みを浮かべていた。その言動は、名門の嫡男としての特権意識に満ち溢れ、周囲の空気を顧みることなく、自らの欲望と享楽を追求する姿は隠しようがなかった。彼は、事あるごとに兄である袁紹の出自の低さを殊更に持ち出しては中傷した。


ある宴席でのこと。袁術は、わざと大声で周囲に聞こえるように言い放った。


「はっはっは! 兄貴も偉そうにしているが、所詮は妾腹の身よ! この袁家を継ぐのはこの私、袁術なのだ! 他の者は、皆、私の下に従うべきなのだ!」


その言葉には、兄である袁紹への隠しきれない対抗意識と、露骨な軽蔑が滲み出ていた。さらに、袁紹と親しく交際する何顒や許攸といった清流派の士人たちを憎悪し、彼らが袁紹にばかり集まることに強い不満を抱いていた。


「何顒め、許攸め! なぜ私のもとへは来ぬのだ!? あの庶子の袁紹にばかり媚びへつらいおって! 所詮は、小賢しいだけの輩よ!」


袁術は、彼らが自分ではなく袁紹に近づくことに、激しい嫉妬を覚えていた。彼の派閥は、袁術の強引なやり方に惹かれる者や、既存の秩序に不満を持つ者たちが集まっていたが、その多くは袁術の気まぐれな性格に翻弄されるばかりだった。彼の財力と武力を頼りとしたが、その統率は袁術の気分次第であり、その内実は決して盤石ではなかった。


しかし、皮肉なことに、それに次ぐ異母兄の袁紹の方が、よっぽど人望があったのだ。名門の血脈にふさわしい威風堂々とした風貌は、遠目にも目を惹くものがあった。しかし彼は、決してその高貴な身分をひけらかすことはなかった。むしろ、人と話をする時には常に下手に出て、謙虚な態度を取り続けたのである。彼の言葉には常に大義が込められ、腐敗した朝廷、特に宦官を厳しく批判するその姿勢は、多くの若手官僚や義侠心に富む士人たちの心を掴んだ。


「宦官どもを粛清し、汚れた朝廷を清めねば、漢の天下に明日はない! 我らが袁家こそが、その先頭に立つべきである!」


袁紹は、そう高らかに訴えた。その言葉は、まるで漢室の未来を一身に背負っているかのようだった。彼の言葉は常に正義と大義に満ちていた。その堂々たる風格と、それでいて驕らない謙虚な人柄が、彼を慕って集まる者を後を絶たなかった。彼の下には、かつて洛陽で曹操と義侠を交わした何顒や、後の反董卓連合で重要な役割を果たすことになる張邈といった義侠の士が集い、一大派閥を形成していた。「奔走の友」と呼ばれた彼らは、袁紹の理想主義的な言動を信じ、漢室の再興を心から願っていた。彼らは清流派の理念を奉じ、汚れた宮中を浄化することこそが、漢王朝を救う唯一の道だと信じて疑わなかった。


豪族の子弟たちは皆、挙って袁家の兄弟、特に袁紹の機嫌を窺っていた。彼らの力関係は、そのまま洛陽政界の勢力図に直結したからだ。都にいた地方の豪族子弟はこぞって両家に赴いたが、何顒や許攸らは袁術のもとには決して赴かなかったという。袁術は袁氏の正嫡であると自負していたが、この事実が彼のプライドを深く傷つけ、袁紹と交際する何顒らを憎悪し、後に対立する決定的な一因となった。この兄弟の間に存在する根深い確執は、洛陽政界の表層を揺るがすどころか、やがて天下の群雄を巻き込む大いなる争乱の伏線となることを、この時誰も知る由もなかった。


「はっはっは! 本初、全くその通り! この腐りきった世を正すには、まずは膿を出し切らねばな!」


曹操もまた、この袁紹派の一員として、彼の傍らにいた。表向きは袁紹の放蕩を共にし、彼の理想論に賛同する友として振る舞った。袁紹が掲げる「大義」は、確かに天下を動かすには必要不可欠な求心力を持っていた。曹操自身、改革が阻まれた経験から、漢室の現状に強い不満を抱いており、腐敗した宦官の排除には賛成だった。しかし、彼の内面では、袁紹の理想論がどこまで現実的なのかを冷静に分析していた。


袁紹は、民を惹きつける「大義」を掲げることにかけては天下一品だ。だが、その謙虚さの皮の下には、名門の血筋に対する揺るぎない驕りが見え隠れする。その「大義」が、どれほどの覚悟を伴っているのか……。宦官を排除するだけでは、この国は救えぬ。もっと深い根が腐っているのだ。


そして、袁術については、その傲慢な言動と器の小ささが、いずれ彼の破滅を招くことを予見していた。


まさに火と油、か。袁家は二つに割れた。どちらも天下を動かすには欠かせぬ存在だが、その器量は……。袁術は常に自分の欲望に忠実だ。その単純さが、時として利用しやすい反面、いつか己の首を絞めるだろう。この兄弟の争いが、やがてどれほどの血を流すことになるか。はっはっは、まるで悪夢のようだ、しかし、これこそが歴史なのだ!


曹操はどちらの派閥にも深入りせず、自身の野心を悟られぬよう、両者との友誼を保ちながらも、常に一歩引いた距離を置いていた。彼の闊達な笑みは、その真意を悟らせないための巧妙な仮面でもあった。豪族の子弟たちは、彼らが密かに交わす言葉の裏にある、それぞれの思惑を察しようと躍起になっていた。


当時、朝廷の政治を壟断していた宦官の趙忠らは、袁紹の行動を不審に思い、危険視していた。彼らは袁紹の「宦官排斥」という言葉が、自分たちの権益を脅かすだけでなく、宮中の秩序そのものを破壊する可能性を秘めていると警戒したのだ。


宦官の一人である蹇碩が、趙忠に耳打ちした。


「趙大人、あの袁紹め、最近ますます鼻息が荒い。清流派の若者どもを扇動し、我らを排斥しようと企んでおります。このまま放置すれば、いずれ大きな禍となりましょうぞ」


趙忠は、不慢そうに茶を啜りながら答えた。


「ふん。口ばかり達者な小僧め。だが、その言葉に扇動される者どもが増えているのは事実。宦官を排除するなど、我らがおらねばこの宮中が立ち行かぬことを知らぬ愚か者よ! だが、迂闊な真似はできぬ。名門袁家の血を引くゆえ、表立って手出しはしにくいからな」


そんな宦官たちの警戒ぶりを聞いた袁紹の叔父、袁隗は、深く憂慮した。袁隗は袁家を守るため、袁紹を強く叱責したという。


「紹よ! お前は一体何を考えておるのだ! 宦官との対立は、この袁家を破滅に導きかねぬぞ! この名門を、お前の軽率な行いで滅ぼすつもりか! 今は時ではない! 軽挙妄動は慎めと、何度言えばわかるのだ!」


叔父の厳しい忠告を受け、袁紹はようやく官途に就くことを決意した。袁術は既に孝廉に推挙され郎中に就任すると、官は河南尹から折衝校尉、そして宮廷を警護する要職である虎賁中郎将へと累進していった。


そんな袁紹を頼りにしていたのが、何皇后の兄にして外戚、そして軍事の最高責任者である大将軍の何進であった。何進は、霊帝の死後を見据え、自らの権力を盤石にするために、名門袁家の後ろ盾が必要だと考えていた。そして、その中でも特に人望を集める袁紹の才能と影響力を高く評価していたのだ。


ある日、何進は袁紹を自邸に招き、酒を酌み交わしながら語った。


「本初よ、そなたの才覚と人望は、今や天下に聞こえるほどだ。この何進、そなたの力を借りたい。宮中には、我らが排除すべき者が多すぎる。そなたの持つ大義と、清流派の力こそ、今、この漢室には必要なのだ。」


何進は袁紹を自らの属官として重用し、まずは掾として召し抱えた。そしてその手腕を認めると、さらに司隷校尉という、洛陽周辺の治安と司法を統括する重要な役職へと累進させた。この司隷校尉という職は、朝廷の要人を逮捕、処罰する権限を持つことから、「百官の師」とも呼ばれるほどの重職であった。何進は、袁紹の持つ「宦官排斥」の大義と、彼が率いる清流派の勢力を利用し、宮中の宦官勢力を一掃しようと画策していたのである。


中平5年、黄巾の乱以後の混乱が続く中、洛陽では不穏な空気が漂い続けていた。そんな折、都の望気者が、恐ろしい予言を口にした。


「都に戦が起こり、両宮で血が流れるであろう……」


この不吉な予言は、宮中の人々に動揺を与えた。これを聞いた大将軍司馬の許諒と、仮司馬の伍宕が、大将軍である何進に献言した。


「大将軍殿、『六韜』には『天子が将兵を率いる』という記述がございます。これに倣い、皇帝陛下が自ら将兵を率いて四方を圧倒すべきかと!」


彼らの言葉は、霊帝の権威を高めると同時に、何進自身の軍権を強化する狙いもあっただろう。何進は、宦官に対抗するため、この提案に乗り気になった。


その意見を受けて何進は霊帝に上奏し、霊帝はこれを受け入れた。霊帝は何進に命じ、四方から精鋭の兵を徴発させた。


(補足: この「皇帝が将兵を率いる」という記述が、史料によっては西園軍成立の直接的な根拠であるとは言い切れません。また、この時に徴発された兵が、そのまま後に設置される西園軍であると断定することも難しいとされています。しかし、この一連の動きが、後の西園軍設置への流れを汲むものであることは確かでしょう。)


そして、同年八月、「西園軍」が正式に設置された。これは、皇帝直属の軍隊であり、形式上は皇帝がその総指揮を執ることで、宦官勢力や外戚勢力との間で均衡を図ろうとする意図が隠されていた。


同年十月には、平楽観において盛大な閲兵式が行われた。平楽観は宮殿の西側、西園に位置する演武場であり、この場所で、霊帝自らが甲冑を身に纏い、騎乗して現れた。彼は自らを「無上将軍」と称し、その威厳を見せつけた。その横には、大将軍である何進が控えていた。そして、この閲兵式で、西園軍を率いる「西園八校尉」が正式に任命されたのである。

その顔ぶれは以下の通りであった。


上軍校尉小黄門蹇碩


「ふん、この蹇碩が筆頭とはな。陛下も、よほど我らを信頼しておられる証拠よ」


蹇碩は、満足げに鼻を鳴らした。


中軍校尉、司隷校尉袁紹


「この袁紹が中軍校尉か。何進殿も、ようやく私の真価を認めたようだな。はっはっは、これで宦官どもを一掃する足がかりができるというものだ」


袁紹は、内心で勝利の笑みを浮かべた。


下軍校尉、屯騎都尉鮑鴻

典軍校尉、議郎曹操


曹操は、自分の名が呼ばれると、いつものように朗らかな笑みを浮かべた。その胸中では、未来への布石が着々と打たれていくことに、静かな高揚感を覚えていた。


「はっはっは、典軍校尉か。なかなか面白い役回りではないか。これもまた、乱世を生き抜くための経験となる。」


助軍校尉、趙融


佐軍校尉、淳于瓊


その他、左右校尉があったとある。


この西園八校尉の任命は、宮中の複雑な力関係を如実に物語っていた。宦官の蹇碩が筆頭に置かれ、何進の甥である袁紹が中軍校尉に任命されるなど、それぞれの勢力が互いに牽制し合う形で人選がなされていた。そして、黄巾の乱で功績を挙げた曹操もまた、この要職に名を連ねたのである。彼は、一見して不満顔の宦官の蹇碩や、内心では優越感に浸る袁術、そして大義を掲げる袁紹らの顔を見ながら、静かに、しかし深く笑みを湛えていた。


はっはっは! 面白い。これで役者は揃ったな。宦官、外戚、そして名門。この三つ巴の争いが、やがて董卓を招き入れるのだ。西園軍も、所詮は名ばかりの飾り。この軍が真に天下を動かすことはないだろう。私の出番は、その先にある。


中枢の様相はいよいよ複雑になって行く、曹操は官僚時代の事務作業と比べれば余程刺激的なのか笑っていた。


そして、その後どうなったのかもわかっていた。


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