第四回 誅賊有功任官職 深謀遠慮対董卓
光和七年。予兆はあった。民衆の間に広がる不安、宮中の腐敗、そして不気味な噂。しかし、多くの者が目を背けていたその現実が、ついに天下を揺るがす大嵐となって吹き荒れた。太平道の教祖、張角が「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」と唱え、数十万の信徒が頭に黄色い布を巻きつけ、一斉に蜂起したのである。その勢いは、あたかも乾いた野に放たれた火のごとく、またたく間に漢の広大な領土を覆い尽くした。
「はっはっは! 来たか、来たか! これぞまさしく、乱世の幕開けよ! なんとも面白いことになってきたではないか!」
報せを聞いた曹操は、顔にはどこか愉しげな笑みを浮かべていたが、その瞳の奥には確かな、そして冷徹な決意が宿っていた。この時代の人間には理解しがたい、未来を知る者の余裕がそこにはあった。彼はすぐに中央から騎都尉の職を与えられ、長沙太守の朱儁、そして老将皇甫嵩らの指揮下に入り、黄巾賊最大の拠点の一つである潁川の討伐に向かうことになった。
「陛下、黄巾の賊が洛陽に迫っております! 早く手を打たねば!」
「うるさい! 朕に指図するな! 蹇碩、何をしておる!」
宮中は連日、混乱の極みにあった。皇帝の狼狽は隠せず、朝議は常に怒号と嘆きに満ちている。
だが、我々十常侍は、この混乱をむしろ好機と捉えていた。地方の豪族や清流派の連中が、この期に乗じて発言力を強めようとするのは目に見えている。しかし、我らが操る朝廷が主導権を握る限り、すべては我々の掌の上だ。
「蹇碩殿、黄巾の乱は予想以上に広範囲に及んでおりますな。地方の太守たちだけでは手に負えぬ。やはり、中央の兵を動かし、有能な者たちを派遣せねば…」
「うむ。しかし、誰を送り出すか。実績があり、それでいて我々の意のままになるような者が望ましい。地方で勝手に勢力を築かれては困るからな」
我々の間で交わされる会話は、表面上は国を憂う言葉だが、その本質は、いかにこの乱を収めつつ、我々の権勢を盤石にするか、であった。清流派の鬱陶しい連中は、常に我々の腐敗を糾弾しようと目を光らせている。彼らの勢力を削ぎ、あるいはこの戦で消耗させることができれば、これに勝る好機はない。
その中で、曹操という若き武官の名が挙がった時には、皆が一瞬顔を見合わせた。
「曹操……あの生意気な小僧か。済南では随分と好き勝手やったと聞くぞ。賄賂にも靡かず、我らの息のかかった県令どもを罷免したとか。全く、厄介な男だ」
「しかし、黄巾討伐の功は確かだ。それに、彼のような猪突猛進型の人間は、利用しやすい側面もある。大義名分を与え、思う存分暴れさせればよい。疲弊すれば、後は我らが手を伸ばせばよいだけのこと」
「ふむ、騎都尉の職を与え、皇甫嵩や朱儁といった老将の指揮下に入れれば、勝手な真似はできまい。むしろ、彼らの監視下で動かせば、万が一暴走しても抑えがきく。」
我々は、曹操を半信半疑で、しかしこの緊急事態においては有効な「駒」として見ていた。彼のような才覚ある者が、いざという時に我らに刃を向ける可能性は常に考慮していたが、今は目の前の黄巾賊という巨大な脅威を排除することが最優先だ。彼が功を挙げれば、それは漢王朝の、ひいては我々の威光を高めることになる。
「元譲、妙才、子孝、子廉! いよいよ腕の見せ所だ! 我らが五千の兵、天下にその武威を示す時が来たぞ! はっはっは、漢のために、そしてこの乱世を終わらせるために、存分に暴れ回るのだ!」
曹操は、張奐の指導で鍛え上げられた五千の私兵を率いて出陣した。彼らがまとうのは、派手さはないが堅牢な鎧と、研ぎ澄まされた武器。その動きは統制が取れ、士気は高かった。それは、彼の苛烈なまでの軍規と、将兵への惜しみない投資の賜物だった。彼は「民から略奪する者は斬る」と明言し、将兵たちにはその掟を徹底させた。飢えた民衆の藁葺き小屋を襲うどころか、わずかな食料を分け与えることさえあった。その姿勢は、略奪と狼藉が横行するこの時代の兵とは一線を画しており、行く先々で民衆の驚きと静かな称賛を呼んだ。
潁川の地は、黄巾賊の牙城と化しており、その数は圧倒的だった。数十万に膨れ上がった黄巾賊は、張角が説く太平の教えに陶酔し、死をも恐れぬ熱狂的な勢いを見せ、官軍を幾度となく苦しめていた。しかし、曹操は持ち前の現代的な戦術眼と、張奐から学んだこの時代の兵法を組み合わせ、奇策と堅実な布陣を使い分けた。
最初の激突は、潁川北部の広大な平原で起こった。黄巾賊の波のような進撃に対し、皇甫嵩と朱儁の本隊が正面から激しく押しとどめる中、曹操は自ら百騎ほどの精鋭を率いて敵の側面を偵察した。
「敵は数に任せて突進してくるが、その指揮は乱れがち。はっはっは、まるで暴れ牛のようではないか! よし、その鼻先を捻じ曲げてやろう!」
彼は笑いながらも、双眼鏡で得た現代的な視点から、地形のわずかな起伏、黄巾賊の兵種ごとの配置、そして指揮官の旗の位置を瞬時に見抜き、本隊に伝令を送った。彼の脳裏には、数百年後の歴史書に記された、この戦いの展開が鮮明に浮かんでいた。
「元譲、妙才! 我が隊は正面の敵を引きつける。その間に、お前たちは隠密裏に左翼を迂回し、敵の糧道を断て! 子孝、子廉! お前たちは遊軍として、混乱に乗じて敵の指揮系統を狙え! 決して深追いするな、だが敵の喉元に食らいつけ! はっはっは、一網打尽にしてやるぞ!」
黄巾賊は、官軍が真正面からぶつかってくると思い込んでいたため、曹操の奇襲に完全に意表を突かれた。背後からの火矢と、補給路を断たれたことによる動揺は瞬く間に広がり、統制の取れていない大軍は、一気に混乱に陥った。曹操は混乱に乗じて、巧みに兵を動かし、敵の弱点を徹底的に突いた。
「敵は我らが規律正しい軍であることを知らぬ! はっはっは、これぞ戦の妙味よ! 兵とは、数ではない、質と統率よな!」
彼の部隊は、飢えた狼の群れが羊の群れを狩るがごとく、黄巾賊の陣中を駆け巡り、次々と指揮官を討ち取っていった。戦況が最も混沌とする中でも、曹操の朗らかな笑い声が響き渡り、将兵の不安を吹き飛ばし、士気を鼓舞した。その笑いは、彼の自信と、状況を完全に掌握しているという揺るぎない確信の表れだった。
数日にわたる激戦の末、黄巾賊は壊滅的な打撃を受け、潁川の戦いは官軍の勝利に終わった。その活躍は皇甫嵩や朱儁からも高く評価され、その名を天下に轟かせた。特に曹操は、その大胆な発想と冷静な指揮、そして常に笑みを絶やさぬ闊達な性格が将兵の士気を高め、士官たちの間でも一目置かれる存在となった。潁川での功績が認められ、曹操は済南の相に任命された。一郡を治める重職である。
済南に着任した曹操は、その地で再び辣腕を振るい始めた。彼は赴任早々、郡内の現状を徹底的に調査した。役所の奥に座り込んでいるようなタイプではない。彼は自ら民の声を聞き、裏帳簿に目を凝らし、密かに不正の証拠を集めていった。彼の足跡は貧しい農村から豪族の邸宅まで及び、その鋭い観察眼と行動力は、周囲を常に驚かせた。
「済南の郡下に県令が十人いるそうだが、そのうち八人もが、私腹を肥やし、民を苦しめているというではないか! はっはっは! 面白い。ずいぶんと私を試してくれるものだ!だが、甘く見るなよ!」
彼は笑っていたが、その目は決して笑っていなかった。そこには、現代の法治社会で培われた、不正を許さない断固たる正義感があった。現代の企業で培った監査の知識と、効率的な組織運営の理念が、この時代の腐敗した官僚を炙り出す上で、恐るべき威力を発揮した。彼は証拠を突きつけ、十人の県令のうち八人を汚職で罷免したのである。その手際の良さと厳しさに、済南の官僚たちは震え上がった。中には、あまりの恐怖に病を装って職を辞する者さえいた。
さらに、曹操は民を苦しめる旧習にもメスを入れた。特に彼の目を引いたのは、城陽景王の祠だった。この祠は、民から過剰な供物を要求し、病や災いを口実に金品を巻き上げていた。その横暴は、もはや信仰とはかけ離れた、悪徳な組織と化していた。
「城陽景王の祠だと? 民を欺き、私腹を肥やす淫祠邪教に過ぎぬ! これが、新末後漢初の反乱の契機になったという歴史がある以上、放ってはおけぬ! はっはっは、この私も、少しばかり過激な改革者と見えるかもしれぬな!だが、結果が全てよ!」
彼は高らかに笑いながらも、容赦なくその祠を破壊し、廃止した。抵抗する者たちもいたが、彼の容赦ない決断と、それに従う精強な兵たちの前に為す術はなかった。そして、この行為が未来の歴史において、王莽の失策を繰り返さないための重要な一歩となることを、彼は知っていた。加えて、彼は官吏の祭祀を厳しく禁止した。これは、官吏が宗教的な権威を利用して不正を働くことを防ぎ、行政の公平性を保つための断固たる措置だった。
曹操の徹底した改革により、済南の統治は劇的に改善され、民衆は歓喜した。その評判は瞬く間に広がり、「曹公が治める済南は、別天地のようだ」とまで言われるようになった。しかし、彼の辣腕ぶりと急進的な改革は、朝廷の旧態依然とした勢力や、既得権益にすがる者たちにとっては、あまりに目障りな存在となっていた。彼らは、曹操の行動を「傲慢」「不敬」「秩序を乱す者」と評し、警戒と反発を強めていった。
「済南の曹操め、また勝手な真似をしおって! 県令を八人も罷免し、祠まで破壊したと申すか! なんと傲岸不遜な!」
「全くもって手に負えぬ。あれは完全に我々の支配から外れておる。民衆に支持されるなど、もってのほかだ!」
黄巾の乱が鎮静化に向かうにつれ、我々十常侍の次の懸念は、地方で力をつけ始めた「清流派」や、我々の意図を超えて行動する官僚たちへと移っていった。中でも曹操は、その筆頭格であった。彼の改革は、一見すれば民のため、漢のためだが、その実、我々の既得権益を脅かすものであった。
「あの男は、かつて我々の意に沿わぬ行動を繰り返した。その上、今や民衆の支持を得て、あたかも聖人のごとき評判を得ている。このまま地方に置いておけば、いずれ我々への反逆の狼煙を上げるかもしれぬぞ」
「うむ。だが、功績は事実だ。罷免すれば、不当な弾圧だと外野が騒ぎ立てるだろう。ならば……引き戻すか。我々の目の届くところへ」
我々は、曹操を中央に引き戻し、彼を我々の管理下に置くことを画策した。表向きは昇進という形で、東郡太守の職を与える。東郡は済南よりも荒れており、彼の力を分散させると同時に、監視を強化できると踏んだのだ。彼を洛陽の近くに置けば、我々の息のかかった者たちを送り込み、その動向を逐一報告させることができる。あるいは、中央の煩雑な政務に忙殺させ、改革の情熱を失わせることもできるだろう。
「これで、あの曹操も大人しくなるだろう。所詮は地方の一官僚。我々の掌で踊らせてやるまでよ」
我々はそう高を括っていた。彼が我々の意図を看破し、それを拒否するとは夢にも思わなかった。
済南での目覚ましい功績にもかかわらず、曹操の改革は宮中の警戒心を呼び起こした。腐敗した貴族や宦官たちは、彼の存在を危険視し始めた。彼らは曹操を洛陽に引き戻し、再び自分たちの影響下に置こうと画策した。やがて、彼は中央から東郡太守への異動を命じられる。それは表向きは昇進だが、実質的には済南での改革を中断させ、彼を監視下に置こうとする意図が透けて見えた。東郡は、済南よりも遥かに荒れており、立て直すには骨が折れるだろうと予想された。
「東郡太守、か。はっはっは! 済南でせっかく改革の緒に就いたばかりだというのに、随分と面白い人事をするものだな! まるで、私を試しているかのようだ!」
曹操は朗らかに笑った。しかし、その笑みの裏には、朝廷への深い失望と、もはや宮中での改革は不可能だという確信があった。彼が本当にやりたいのは、汚職官吏の罷免や淫祠の破壊といった個別の問題解決ではない。この腐りきった漢王朝そのものを立て直し、新たな時代を築くことなのだ。東郡太守に就任すれば、また同じような泥沼にはまるだけだと彼は理解していた。彼の心は、既に次なる大いなる戦略を描き始めていた。
このまま朝廷に縛られていては、来るべき大乱、特に董卓の専横に備えることができない。歴史は、まさにあの男が洛陽に入り、帝を擁して天下を牛耳る時代へと向かっている。宦官と外戚の争いは、必ずや董卓という新たな災厄を招き寄せるだろう。はっはっは、厄介だが、腕が鳴るというものだ!
彼は決断した。光和七年、済南の相を辞任し、東郡太守への就任を拒否。この時代の官僚としては異例の、そして誰もが理解できない行動だった。そのまま故郷の譙県へと戻り、郷里に隠棲したのである。彼の突然の引退は、周囲の者を驚かせた。多くの者は、彼の輝かしい将来を期待していたからだ。だが、曹操は誰に咎められても、ただ笑っていた。
「何だと!? あの曹操め、東郡太守の辞令を拒否し、郷里に隠棲しただと!?」
「馬鹿な! あやつは何を考えておるのだ!? 昇進を拒むなど、常軌を逸しておる!」
曹操が東郡太守への任命を拒否し、郷里に隠棲したという報せは、我々十常侍の間に大きな動揺をもたらした。我々の思惑とは全く異なる行動であり、完全に計算外だった。
「あの男は、我々が地方で自由にさせぬよう、中央に引き戻そうとしていると見抜いたか?」
「あるいは、もっと大きな狙いがあるのかもしれぬ。我々には想像もつかぬような……」
彼が自ら職を辞し、隠棲を選んだことは、我々の常識では理解できなかった。官職に就き、権力を手に入れるのがこの時代の官僚の常である。それをあっさりと捨て去るとは、一体何を企んでいるのか? 我々は彼の行動の裏に、何か不穏な、より大きな計画が隠されているのではないかと疑心暗鬼に陥った。彼が民衆の支持を捨て、郷里に蟄居したことで、一時的に危険性は薄れたかのように見えた。だが、その謎めいた行動こそが、我々の疑念を一層深めさせたのである。
「よし、誰かを送り込み、彼の動向を密かに探らせよ。隠棲などと申しておるが、裏で何を企んでおるか、徹底的に洗い出せ!」
我々は、曹操という予測不能な「異物」の監視を強化することを決定した。彼の行動は、表面上は静かな引退だが、その裏にはきっと何かがある。我々の築き上げた宮廷の秩序が、彼によって揺るがされることがないよう、警戒を怠ることは許されない。
しかし、曹操はただの隠棲ではなかった。表面上は悠々自適の生活を送るかに見えたが、彼の胸の内では、来るべき乱世の到来、特に董卓が洛陽を掌握する未来とその後の展開について、静かに、しかし深く思索を巡らせていた。
その具体策は、多岐にわたった。まず、最優先は人材の囲い込みだ。黄巾討伐で得た人脈や評判を活かし、志を同じくする有能な若者や、隠れた賢者を密かに探させた。特に、これまでの人生で培った現代的な知見を持つ者や、実践的な軍事経験を持つ者を重視した。次に、情報網の構築。洛陽の宮中や各地の動静を探る者、特に董卓の動向やその周辺の人物に関する詳細な報告を求める者たちを密かに手配し始めた。賄賂を使い、あるいは恩を売って、独自の情報ルートを確立しようと図ったのだ。
そして、最も重要なのは軍事力の更なる強化。五千の精鋭部隊をさらに鍛え上げ、いつでも動けるよう準備を怠らなかった。彼らの訓練は、張奐の指導の下、より実践的なものへと進化した。また、兵糧や武器の備蓄についても、将来の大規模な戦いを想定し、綿密な計画を立てていた。地元の豪族たちとの関係を深め、万が一の際には彼らの協力を得られるよう、交渉を重ねた。
「董卓は、必ずや帝を擁し、天下に号令するだろう。その時、真っ先に声を上げるのは、名門袁家……特に袁紹だろうな。はっはっは、彼らがいなければ、面白い幕は開かぬ。だが、その後の主導権を握るのは、我らでなければならない。そのための準備だ!」
彼の笑みは変わらない。だが、その笑みの意味は、より一層深みを増し、未来を見据える者の、底知れぬ深淵を湛えていた。その静かな隠棲の日々は、来るべき天下の大乱、そして董卓との対決に備える、曹操にとっての重要な「雌伏の時」だったのである。