第二十二回 曹操大意失荊州 孫劉両家争荊南
赤壁の大敗後、曹操は敗残兵を率いて北へ向かっていた。周瑜と劉備の軍は水陸並行して、その背後を執拗に追撃する。曹操の百万の軍は、もはや見る影もなかった。慣れない江南の地で流行した疫病は、兵士たちの命を次々と奪い去り、泥濘と化した道には、力尽きた兵士たちの骸が累々と横たわっていた。
曹操は、その憔悴しきった顔に、敗北の苦々しさと、それでも生き残らねばならぬという執念を浮かべていた。
「くそっ…!この程度のことで、天はわしを見放すというのか…!この乱世に、このわしを殺せるものがいるものか!」
その時、一筋の光明が差した。華容道と呼ばれる、狭く、険しい山道だ。ここを抜ければ、安全な地へとたどり着ける。曹操は、安堵の息を漏らし、わずかな兵を率いてその道を進んだ。
しかし、その道の先には、たった一騎の男が待ち受けていた。関羽だ。彼の背後には、劉備の兵が整然と控えていた。
この待ち伏せは、劉備の計略だった。諸葛亮は、関羽の義が、曹操への旧恩によって試されることを予期していた。そして、それこそが、関羽という英雄を、劉備の義の象徴として、より高みへと導く試練だと信じていたのだ。
関羽は、馬上で得物を静かに構え、曹操を待ち受けていた。しかし、彼の心は千々に乱れていた。
「丞相…!このわしが、貴殿を討つことになるのか…!」
その時、泥と血にまみれた曹操の姿が、彼の目に飛び込んできた。かつて、自身を厚く遇してくれた、あの威風堂々とした英雄は、見る影もなく憔悴しきっていた。曹操は、関羽の姿を見ると、静かに馬を下りた。
「雲長…やはりお前がいたか。これは、天がわしに死を命じているのであろうな…」
曹操の言葉に、関羽の心は激しく揺れ動いた。
「丞相…」
「頼む…このわしを、見逃してはくれぬか。かつてわしがお前に与えた恩義に免じて…」
曹操は、ただ静かに、関羽の顔を見つめていた。その瞳には、かつての覇者の光はなく、ただ友への信頼と、一縷の希望が宿っていた。関羽は、青龍偃月刀を握りしめ、目を閉じた。彼の脳裏に、かつて曹操から受けた数々の恩義が、走馬灯のように蘇った。
「この関羽…劉備殿への忠義は変わらぬ。だが、男の義は、命に代えても報いねばならぬ…!」
関羽は、決意を固めると、得物をゆっくりと下ろした。そして、静かに道を開けた。
劉備の陣に戻った関羽は、諸葛亮の前にひれ伏した。
「軍令を破り、曹操を見逃しました。この関羽、いかなる罰も甘んじて受けましょう」
諸葛亮は、冷徹な目で関羽を見つめた。
「軍令に背いた者は、死罪に処すのが劉備軍の定め。雲長殿、この孔明に、何か弁明の余地はないか?」
諸葛亮の言葉は、ただ軍律を守るためだけではなかった。この行動が、劉備軍の将来に与える影響を彼が深く懸念している証拠だった。その時、劉備が静かに進み出た。
「孔明、よい。今回の件は、わしの不徳によるものだ。わしが、関羽の義を、重んじ過ぎた故の過ちだ」
劉備は、関羽の両手を取り、立ち上がらせた。
「雲長よ、そなたの義は、決して間違いではない。そなたの忠義は、わしが一番よく知っている。命を賭けて、曹操に義を貫いたそなたを、わしは誇りに思う」
諸葛亮は、その言葉を聞き、静かに頭を下げた。劉備の「義」は、彼の論理を超えた、人間としての慈悲だった。そして、その慈悲こそが、劉備の周りに英雄たちを結びつけ、強固な絆を築き上げてきたのだ。
こうして、関羽は死罪を免れ、劉備軍の絆は、さらに深まった。
赤壁の大火で曹操を打ち破った周瑜は、その勢いそのままに南郡へと兵を進めた。長江を挟んで、曹操軍の守将、曹仁が待ち受けていた。赤壁の勝利の興奮はすでに過去のものとなり、代わりに、互いに睨み合う静かな緊張感が、長江の水面を覆っていた。
「周瑜殿、曹仁は手強い。江陵は堅固で、容易には落ちませんぞ」
魯粛が周瑜に語りかける。周瑜もまた、そのことを痛いほど理解していた。曹仁は、曹操軍屈指の勇将であり、知略にも長けている。このまま正面から攻めれば、泥沼の消耗戦となるだろう。
膠着状態を破ったのは、甘寧だった。彼は周瑜の前に進み出ると、大胆な策を献じた。
「都督、このままでは攻めあぐねるばかり。この甘寧に数百の兵をお与えください。夜陰に乗じて夷陵城を奪い、曹仁軍の背後を突いて見せます!」
その言葉に、周囲の将軍たちはざわめいた。数百の兵で堅固な城を攻めるなど、狂気の沙汰。だが、周瑜は甘寧の瞳に宿る揺るぎない自信を読み取った。
「よし、甘興覇。この周瑜、貴殿の勇気と才を信じよう!数百の兵を与えようぞ!」
周瑜の号令一下、甘寧は数百の決死隊を率い、江陵を後にして夷陵城へと向かった。夜が明け、城門が開きかけたその瞬間、甘寧の部隊は怒涛のように城内へとなだれ込み、見事、夷陵城を奪取した。
だが、甘寧の勝利は、すぐに新たな危機を招いた。曹仁は、夷陵を奪われた報せを聞くと、即座に五千人規模の部隊を派遣し、夷陵城を包囲した。甘寧は、降兵を合わせてもわずかに千人あまりの兵しか持たず、絶望的な状況に追い込まれた。
兵士たちは恐れおののき、士気は地に落ちた。しかし、甘寧は包囲されてもなお泰然自若として指揮をとった。
「皆の者、恐れるな!城壁に敵が攻めかかってこようとも、この甘寧が死力を尽くして守って見せる!我らが守り抜けば、必ずや都督の援軍が来る!」
彼の言葉は、兵士たちの心に勇気を灯した。甘寧は自らも矢面に立ち、迫り来る敵兵を次々と撃退した。
夷陵城が包囲されたとの報せは、周瑜のもとにも届いた。周瑜は、甘寧の無謀な行動に苛立ちを募らせていた。その時、呂蒙が進み出て、静かに献策した。
「都督、ここは、凌統殿の部隊に守りを任せ、都督自ら夷陵城を包囲する敵軍を攻撃なされませ」
周瑜は、呂蒙の献策に目を見開いた。呂蒙の言葉は、彼の驕りを打ち砕き、最善の策を提示していた。周瑜は、深く頷いた。
「わかった。呂蒙よ、貴殿の策に従おう。この周瑜、甘寧を見殺しにはせん!」
周瑜は、凌統に守備を任せ、自ら精鋭部隊を率いて夷陵城へと向かった。周瑜の軍が、夷陵を包囲する曹仁軍に襲いかかると、曹仁軍は不意を突かれ、大混乱に陥った。城内からは甘寧の部隊が打って出て、敵を挟み撃ちにした。曹仁軍は為す術なく破られ、周瑜は夷陵を完全確保することに成功した。
この勝利は、南郡攻防戦の大きな転換点となった。周瑜は、甘寧、そして呂蒙の才を改めて認め、彼らとの信頼関係をさらに深めたのだった。
周瑜軍の江陵進攻は、予想外の苦戦を強いられていた。曹仁は、赤壁で敗れた曹操軍の将とは思えぬほどの奮戦ぶりで、城は堅固であり、容易には落ちなかった。
その戦いは、曹仁の驚くべき武勇によって、さらに厳しいものとなる。周瑜の先鋒部隊が曹仁軍の将、牛金を包囲した時、曹仁はわずか数十騎の兵を率いて包囲網に突入した。その姿は、まるで嵐を穿つ孤高の龍のようだった。彼は血と泥にまみれ、次々と敵兵をなぎ倒し、見事に牛金を救い出した。それを見た部下たちは、心からの敬意を込めて叫んだ。
「将軍は、真に天人なり!」
その声は、周瑜の耳にも届いた。周瑜は、敵ながらも曹仁の武勇に感嘆した。だが、次の瞬間、その感嘆は絶叫へと変わる。周瑜は、乱戦の中で流れ矢を受けて重傷を負ったのだ。彼の体から鮮血が噴き出し、将兵たちは動揺を隠せない。
この報せを聞いた曹仁は、勝利を確信した。
「周瑜が負傷したぞ!今こそ、奴らを打ち破る時だ!」
曹仁は、全軍に総攻撃を命じた。しかし、周瑜は、激痛に顔を歪めつつも、甲冑を身に着け、再び馬に跨がった。
「この程度の傷で、この周瑜が倒れるとでも思ったか!」
彼は血まみれの姿で戦に臨み、自ら陣頭指揮を執って曹仁の攻撃を退けた。その鬼気迫る姿は、兵士たちの心に再び闘志の火を灯した。
南郡での戦いは、一年を越える長期戦となっていた。曹仁は城に籠もり、周瑜軍は幾度となく攻撃を仕掛けるが、そのたびに跳ね返された。兵士たちの疲労は極限に達し、周瑜は、焦りと苛立ちを感じ始めていた。
その時、劉備が進み出て、周瑜に一つの提案をした。
「周瑜殿、我らもこの戦に加勢いたしましょう。わたくしが張飛に千の兵を預け、周瑜殿の指揮下に入れましょう。その代わり、周瑜殿から二千の兵を借り受け、共に曹仁を討つ策を講じたいのですが…」
周瑜は、その言葉の裏にある、劉備の深謀遠慮を読み取った。劉備は、曹仁軍の兵を削ることを望み、同時に、周瑜軍の兵力を自らの手元に引き入れることで、将来の勢力拡大を目論んでいるのだ。周瑜は、警戒しつつも、この戦を終わらせるためには劉備の協力が必要だと判断した。彼は、自軍から二千の兵を選び、劉備に預けた。
劉備は、その二千の兵を率い、荊州南部の四郡へと向かった。疲弊しきった守将たちは、劉備の軍勢の前に次々と敗れ去り、あるいは降伏した。劉備は、この漁夫の利を逃さず、劉琦を荊州刺史に立て、南の四郡を併合した。
徐州を追い出されて以来、流浪の旅を続けてきた劉備は、この四郡を治めることで、天下三分の計の第一歩を、ついに踏み出した。
だが、この勝利は、周瑜と孫権が一年以上にわたり流した血と汗の上に成り立っていた。劉備の勝利は、彼らの犠牲に便乗したものであり、この荊州南部四郡の帰属をめぐって、後に劉備と孫権の間で激しい争いが起こることになる。
江陵を巡る攻防戦は、すでに泥沼と化していた。曹仁は城に籠城し、周瑜軍の猛攻を耐え忍んでいた。しかし、曹仁をさらに苦しめたのは、援軍が届かないという絶望的な状況だった。劉備軍の関羽が、北方の道を封鎖し、曹操からの援軍が一切届かないようにしていたからだ。
「関羽め、この我らを、兵糧攻めにして飢え死にさせようというのか…!」
曹仁は城壁の上から、関羽軍が築いた厳重な封鎖線を眺めていた。兵士たちの疲労は極限に達し、食糧も尽きかけていた。
その頃、北から曹仁を救出しようとする二人の将がいた。李通と満寵だ。彼らは、関羽が守る道の険しさを承知で、決死の覚悟で突進した。
「関羽が、曹仁殿を苦しめている。あの関羽を打ち破らねば、我らの忠義が廃る!進めぇ!」
李通と満寵は、関羽軍の厳重な陣営に突入し、激しい戦いを繰り広げた。関羽は、その強さで彼らの進軍を阻んだが、李通らの決死の奮戦は、関羽軍の隙を突き、ついに突破口を開いた。彼らは、傷つきながらも、決死の合流を果たしたのだ。
李通と満寵の忠義は、曹仁を深く感動させた。だが、彼らがもたらしたのは、勝利ではなく、撤退の勧めだった。
「将軍、これ以上の籠城は無謀です。丞相も、この事態を憂慮されております。江陵を捨て、一度態勢を立て直すべきです!」
曹仁は、英雄としての誇りを捨て、敗北を認めるという苦渋の決断を迫られた。彼は李通と満寵の言葉を受け入れ、江陵を捨てて北へと撤退した。
「周瑜め…!この屈辱、必ずや晴らしてやる…!」
曹仁の悔しさに満ちた叫びは、夜空に虚しく響いた。
こうして、一年以上に及ぶ激戦の末、周瑜はついに江陵を手中に収め、南郡全域を平定することに成功した。赤壁の戦いから始まった、長きにわたる戦いは、ついに周瑜の完全な勝利で幕を閉じた。
一方、曹操は、荊州での戦いには、ほとんど兵力を割いていなかった。揚州では陳蘭、梅成、雷緒といった勢力が反乱を起こしており、曹操は夏侯淵、張遼、于禁、張郃、臧覇といった主力級の将を、その鎮圧に派遣していた。
「荊州の損失は、痛手ではある。だが、揚州の反乱は、我が勢力の根幹を揺るがすもの。目先の勝利に囚われ、より大きなものを失うわけにはいかん」
曹操は、荊州に劉巴を単独で派遣するに留めた。劉巴は智謀に長けていたが、軍を率いる将ではない。これにより、曹操は南郡以南のすべてを失うこととなった。
しかし、曹操は襄陽だけは決して手放さなかった。襄陽郊外の青泥まで進出していた関羽と、劉備軍の蘇非を、曹操軍の楽進が攻撃し、見事撤退させたのだ。楽進は、その地の異民族をも降伏させ、襄陽一帯を堅固に守り抜いた。
こうして、荊州は南北に分断され、南を周瑜と劉備が、北を曹操が、それぞれ支配する形となった。三国時代の勢力図は、赤壁の戦いと、その後の攻防戦によって、さらに複雑な様相を呈していくことになる。
赤壁の戦いで、生涯最大の敗北を喫した曹操は、失意のうちに本拠地である許昌へ帰還した。彼の軍は、もはや天下を席巻する勢いはなく、長江の湿地帯で得た疫病と飢餓、そして敗北の屈辱にまみれていた。
しかし、彼の顔に浮かんでいたのは、絶望の影ではなかった。それは、自らの驕りが招いた過ちを噛みしめる、深い思索の跡だった。彼は勝利に酔い、南方の気候や、水上戦の不利をおろそかにした。そして、その代償はあまりにも大きかった。
「戦に敗れたのではない。天命と、わしの不徳に敗れたのだ…!」
彼は、自らにそう言い聞かせるように、静かに、そして力強く語った。そして、もはや軍事的な拡張は一旦休止し、国内の立て直しに全力を注ぐことを決意した。
曹操は、兵士たちの喪失以上に、国土の疲弊が深刻な問題であると認識していた。長年の戦乱で荒廃した農地は広がり、多くの民が食糧を求めて彷徨っていた。このままでは、たとえ天下を統一しても、飢餓によって国は崩壊するだろう。
彼は、荒れ果てた土地に軍隊や流民を移住させ、農業に従事させる屯田制を大々的に推し進めた。屯田制は、単なる食糧増産策ではない。それは、戦乱で住処を失った人々を土地に定着させ、秩序と安定を取り戻すための、冷徹かつ合理的な統治策だった。
また、官僚制度も刷新した。彼は身分や家柄にとらわれず、能力のある者を積極的に登用する唯才主義を掲げた。敗北後の人心の動揺を抑え、自らの権力を確固たるものにするため、優秀で忠実な人材を求めたのだ。これにより、曹操の政権は、さらに強固なものとなっていった。
彼は、日々の政務に没頭し、戦場の英雄から、一国の宰相へとその役割を完全に転換させた。赤壁の敗北は、彼に一時的な屈辱を与えた。しかし、それは同時に、彼の視野をさらに広げ、天下統一を成し遂げるために必要な、強固な基盤を築く契機ともなったのだ。




