第二十回 劉玄徳携民渡江 諸葛孔明赴江東
劉備が新野を捨てて逃亡したという知らせを受けた曹操は、安堵と嘲笑の入り混じった笑みを浮かべた。
「やはり、奴めは逃げよったか!劉備よ、逃げることにかけては天下一品と褒めてやろう。だが、今回はそうはいかぬぞ」
曹操は即座に、一万の虎豹騎を先頭に、総勢八万もの兵を追撃に送った。この兵力は、単なる追討のためではない。博望で屈辱を味わわされた曹操の、劉備という好敵手に対する、最大級の敬意と執念の表れだった。
「ゆめゆめただの流浪の徒と侮るなかれ。奴は逃げているのではない。逃げながら、民を連れて、新たな牙城を探しているのだ。虎豹騎よ、一気に叩き潰せ!奴が次なる策を講じる前に、その首級を挙げよ!」
その言葉には、劉備の知略への警戒と、いよいよ宿命の対決に終止符を打つという、曹操の強い意志がこめられていた。
追撃の号令を下した後、曹操は自ら兵を率いて襄陽に入城した。街は静かで、市民は誰もが戦火の兆しに怯えていたが、抵抗する者は誰一人としていなかった。
彼は、若き当主、劉琮と対面した。劉琮は怯えた目で、曹操を前に深く頭を垂れる。
哀れなものよ…
曹操の心には、冷たい嘲りが湧き上がった。劉表という、天下の情勢を静観し、かろうじて荊州の均衡を保っていた男が死に、その跡を継いだのは、臆病な雛鳥にすぎない。
「劉琮よ、そなたの降伏は、荊州の民を戦火から救った英断である。父君の劉景昇殿が残されたこの地を、そなたはよく守った」
曹操は言葉では褒めたたえたが、その内心は全く違っていた。
「愚か者め。そなたは、自らが築くべき天下の基盤を、他人の手で簡単に売り渡した。劉備ならば、決してこのような真似はせぬであろう」
曹操の目は、劉琮を通り越して、彼の背後に控える蔡氏一族の顔を冷ややかに見やった。彼らの保身のための決断が、結果として劉備という強敵を、自らの手で放ち、さらに怒らせたのだ。
この襄陽の静けさは、これから始まる大戦の、嵐の前の静けさにすぎなかった。曹操は、劉琮という若造と安穏な都を後にし、劉備を討ち取るため、再び馬を走らせた。
曹操が襄陽を制圧したその夜、彼は自ら幕舎に蔡瑁を招いた。蔡瑁は、自身の運命がどうなるか、戦々恐々としながら曹操の前にひれ伏した。
「面を上げよ、徳珪」
曹操は静かに、そして親しげに、蔡瑁の字を呼んだ。その一言に、蔡瑁の全身に電流が走った。
徳珪…?まさか、この方が、私の名を…!
「若い頃、酒を酌み交わしながら天下を論じたことを覚えておるか?そなたの才は、あの頃から非凡なものであった」
曹操の言葉は、単なる社交辞令ではなかった。そこには、長い年月を経てなお色褪せぬ友情と、旧友の才を評価し続けてきたという曹操の真意が込められていた。
「我が軍の水軍を任せたい。そなたの才、そして張允の経験が、どうしても必要なのだ。共に江南を平らげ、天下を統一しようではないか」
曹操は、降伏した蔡瑁を「部下」としてではなく、「同志」として扱った。それは、曹操が単に力で人を従わせるのではなく、その心を掴む術に長けていることの証だった。
蔡瑁は、若き日の記憶が蘇り、感極まって言葉が出なかった。目の前の男は、かつて共に夢を語り合った旧友であり、今や天下の覇者だ。その男が、今も自らの才を認め、必要としてくれている。
「この命、尽きるまで、丞相にお仕え仕りましょう!」
蔡瑁は、心からの忠誠を誓い、深く頭を垂れた。こうして、かつて劉表に仕えた蔡瑁と張允は、曹操軍の水軍都督という重職に就き、来るべき南征の要として、その運命を曹操に委ねた。
新野を捨てた劉備の軍勢は、十数万の荊州の民を伴っていた。彼らの足音は、もはや行軍の音ではなく、大地から響く、絶望の悲鳴だった。老人の咳き込み、赤子の泣き声、そして家族を必死に守ろうとする人々の必死な息遣いが、土埃にまみれた空気の中に満ちていた。
「ああ、この者たちを捨てることは、義に反する。だが、このままでは、皆が曹操の刃に斃れてしまう…!私の掲げる義が、この者たちを死地に追いやっている…!」
劉備は馬上で歯を食いしばり、自責の念に苛まれた。彼は関羽と諸葛亮に、数百隻の船団を率い、江陵で物資を確保するよう命じた。これが、彼らにできる唯一の希望だった。
その頃、曹操は劉備が江陵へ向かっていることを聞き、怒髪天を衝く勢いで自ら陣頭に立った。
「劉備め、あの愚か者が!民などという無用な足枷に囚われ、自ら滅びの道を選んだか!」
曹操の目は冷たく燃えていた。劉備が江陵の豊富な軍需物資を手にすれば、再び強力な勢力となりかねない。曹操は輜重隊を後方に置き、一万の虎豹騎と五千の精鋭騎兵を率いて、昼夜兼行の強行軍で劉備を追った。虎豹騎の蹄の音が大地を揺らし、その姿はまるで、獲物を追い詰める飢えた獣の群れだった。
「奴は義を語る。だが、その義が、常に奴を遅らせる。そして、その隙を、わしは見逃さぬ。劉備、今度こそ、貴様を討ち、貴様の掲げる『義』が、この乱世では無力であることを天下に知らしめてやる…!」
曹操の怒号が響く。もはやそれは、天下統一の大義名分を超え、劉備という好敵手への個人的な復讐戦と化していた。
ついに、当陽県の長坂で追撃軍が劉備に追いついた。十数万の民は恐慌に陥り、阿鼻叫喚の地獄と化した。土煙が舞い上がり、悲鳴と怒号が入り混じる中、劉備は妻子を置き去りにして逃走せざるを得なかった。その苦渋に満ちた顔に、深い絶望の色が浮かぶ。
その時、趙雲はただ一人、敵陣へと馬を走らせた。彼の心中にあるのは、ただ一つの決意。
「殿、わたくしは戻ります。この身に代えても、殿の御子息をお守りいたします!たとえこの命が尽きようとも!」
趙雲は怒涛のように襲い来る曹操軍の兵士をなぎ倒しながら、必死に阿斗を探し求めた。彼は血の匂いと、焼け焦げた木々の匂いが混ざり合う中、瓦礫と化した民の荷物、そして無数の死体を乗り越えて進んだ。血みどろになり、鎧は裂け、槍は折れそうになりながらも、彼はついに阿斗を背負い、甘夫人と合流した。
「子龍、よくぞ生きておった!」
甘夫人が震える声で叫ぶ。
「夫人、阿斗様をお守りください!この身がある限り、誰一人、通すことはできぬ!」
趙雲は馬を駆けさせ、阿斗を背負い、甘夫人を連れて敵陣を突破しようとする。その行く手を阻んだのは、曹純率いる精鋭、虎豹騎だった。
「趙子龍か!よくぞこの血の海を生き延びたな。だが、ここまでだ!」
曹純が剣を抜き、馬上から趙雲に向かって突進する。趙雲は単騎で、彼らと死闘を繰り広げ、ついに追手を振り切った。だが、その代償として、劉備の娘二人は曹純に捕らえられてしまった。
劉備は、妻子を失いながらも、かろうじて逃走した。その背後では、関羽に合流するはずだった張飛が、わずか二十騎を従え、殿を務めていた。彼は川に架かる長坂橋を切り落とすと、目をいからせ、丈八蛇矛を横に構えた。
「張益徳、これにあり!死にたい奴からかかって来い!」
張飛の咆哮は雷鳴のように轟き、大地を揺るがした。追撃してきた曹操軍の兵士たちは、その凄まじい気迫に恐れをなし、誰一人として橋に近づくことができなかった。彼らの目には、怒り狂った鬼神のような張飛の姿が映っていた。
その様子を遠くから見ていた曹操は、馬上で静かに呟いた。
「張飛、たしかにそなたは並ぶ者なき勇将。だが、わしの兵は怯えてはおらぬ。ただ、その決死の覚悟を、目に焼き付けているのだ…!劉備よ、貴様の周りには、いつもこのような男たちがいる。貴様の『義』と『絆』こそが、わしを最も苛立たせるのだ…!」
張飛の決死の殿のおかげで、劉備はかろうじて逃げ延びることができた。
長坂の地獄を抜けた劉備は、命からがら吉野にたどり着いた。そこで、別行動をとっていた関羽と諸葛亮の船団と合流した。土埃と血にまみれた劉備の顔は、疲労と絶望でやつれていた。船に乗り込み、水面に映る自分の姿を見た彼は、力なく膝をついた。
「…ああ、子龍。わしの身代わりとなって死んだか。益徳…お前まで…」
彼はただ、共に命を懸けてくれた仲間たちの名を心の中で呼び、その無事を祈るしかなかった。妻子を捨て、多くの民を見殺しにした自責の念が、彼の心を深く抉る。
その時、諸葛亮が静かに劉備の前に進み出た。
「殿、子龍と益徳は、生きておられます。子龍は阿斗様を背負って、無数の敵をなぎ倒し、この地にたどり着きました。翼徳は、ただ一人で橋を守り、曹操の軍を押し留めました」
諸葛亮の言葉に、劉備は顔を上げた。失ったものばかりだと思っていたが、忠義に満ちた仲間たちが、命を懸けて自分を救ってくれたのだ。劉備の目から、大粒の涙がとめどなくこぼれ落ちた。それは、安堵と、言葉にできない感謝が入り混じった涙だった。
「殿、もはや江陵の占拠は叶いません。ですが、希望はまだ残っております」
諸葛亮は、疲弊しきった劉備に、確信に満ちた声で語りかけた。
「曹操は強大ですが、南の地は彼にとって未知の領域。そして、この長江には、もう一人の英雄、江東の孫権殿がおられます。彼こそが、我らと手を携えるべき同志にございます」
そこに、長江の風に乗って一隻の船が近づいてきた。船から降り立ったのは、温和な人柄で知られる魯粛だった。彼は劉表の弔問という名目で、この情勢を探るべく派遣されていたのだ。
「劉備殿、お目にかかれて光栄です。曹操は今、天下を手にしようとしています。ですが、漢室の賊である彼に、天下を委ねるわけにはいきません。今こそ、孫権殿と同盟を結び、曹操の南下を防ぐべきです」
魯粛の言葉は、まるで天の啓示だった。諸葛亮と魯粛、二つの知が結びつき、劉備の目の前で一つの道筋を示していた。
諸葛亮は、劉備の目を見据え、静かに言った。
「わたくしにお任せください。この孔明が、江東へ赴き、孫権殿を説得して見せます。この同盟こそが、漢室復興の唯一の道でございます。長江を挟んで、曹操と対峙すれば、天下三分の計の第一歩が踏み出せるのです」
劉備は、その言葉に最後の希望を託した。この逃走劇は、決して終わりではなかった。
長江の波は穏やかだった。だが、諸葛亮を乗せた船の進む先には、すでに嵐の予兆が満ちていた。
長坂の地獄を抜けた劉備は、その身も心も疲れ果て、憔悴しきっていた。しかし、諸葛亮の目には、すでに次の戦いが映っていた。劉備を説得し、魯粛と共に江東へと向かう船の上で、諸葛亮は静かに目を閉じる。彼の頭の中には、勝利への道筋がはっきりと描かれていた。
孫権殿は若くして決断力に富んだ英主。だが、その家臣団には、曹操の圧倒的な力に畏怖を抱き、降伏を唱える者も少なくない…
その中には、学識深く、江東の重鎮とされる張昭のような人物もいる。そして、最も警戒すべきは、若くして大都督の座に就いた周瑜だった。孫策の遺言を受け、江東の命運を一身に背負う彼は、傲慢なまでに自らの才を信じている。
周瑜殿は曹操を恐れてはいないだろう。だが、彼は劉備殿を軽んじるだろう。いかにして、彼の自尊心を傷つけずに、協力を引き出すか…
諸葛亮は、降り注ぐ陽光の下、冷たい計算を巡らせていた。彼の戦いは、剣と槍ではなく、言葉と知略によって行われる。
やがて、船は孫権の本拠地、柴桑に到着した。この地は、長坂の混乱とは対照的に、穏やかな空気に包まれていた。日々の暮らしを営む人々の平穏な顔。その安寧こそが、諸葛亮にとって最大の敵だった。
魯粛は、諸葛亮を大都督の周瑜ではなく、張昭をはじめとする重臣たちのもとへと案内した。
「諸葛亮殿、これが我が江東の誇る文官たち。彼らと、存分に天下の趨勢について語り合っていただきたい」
魯粛の言葉の裏には、諸葛亮の才を試す意図があった。諸葛亮は、そのすべてを理解しながら、静かに微笑んだ。彼の使命は、この試練を乗り越え、孫権に同盟を決意させること。そして、その先にある、天下三分の未来を切り拓くことだった。
魯粛に案内された諸葛亮は、呉の都、柴桑の大広間に足を踏み入れた。そこには、孫権の命を受け、諸葛亮を待ち受ける数十名の文官たちが、まるで彼を試すかのように居並んでいた。彼らの眼差しは、獲物を査定する猛禽がごとく鋭かった。
「ようこそ、孔明先生。劉玄徳殿が三度も足を運ばれたという、臥龍先生と拝察いたします」
最初に口を開いたのは、降伏派の筆頭、張昭であった。彼の言葉は丁寧だったが、その声には、冷たい嘲りが隠されていた。
「劉備殿は英雄を求めて各地を彷徨っておられるようだが、先生の知をもってしても安寧の地を得られなかった。この戦の敗北は、先生の才が噂ほどではない証左ではござらんか?」
張昭の言葉に、他の文官たちから小さな嘲笑が漏れた。諸葛亮は、その無礼な言葉を意に介さず、静かに答えた。
「戦に勝てぬのは、天命が尽きていないからでございます。我ら主従は、勝てぬと知りながらも、義のために戦い続けた。それは、戦うことに意味があったから。敗北の苦しみを味わうことで、天下の民の心を得たのです」
諸葛亮の反論に、張昭は一瞬言葉を失う。だが、すぐに別の文官が声を上げた。
「口先ばかりの義を語っても、現実は変わらぬ。今や天下は曹操殿によって統一されようとしている。我らが降伏すれば、民は戦火から逃れ、安寧を得られる。先生は、無用な犠牲を払うことを、義と呼ぶのか?」
諸葛亮は、この問いに鋭い眼光を放った。
「愚問でございます。英雄が戦うのは民のため。そして、民を守るためにこそ、時に英雄は戦うことを選ばねばならぬのです。ただ安寧を求めて降伏すれば、それは奴隷となることと同じ。あなた方は、その安寧と引き換えに、一族の誇りと、孫家の天下を曹操に献上するおつもりか?」
諸葛亮の言葉は、まるで鋭い刃のようだった。彼の言葉は、彼らが心の奥底に隠していた本音を突きつけた。他の文官たちも次々と挑みかかったが、諸葛亮は、彼らの論理の矛盾を次々と突き崩し、彼らを沈黙させていった。
やがて、大広間は静寂に包まれた。誰もが、その圧倒的な才知と弁舌の前に、言葉を失っていた。魯粛は安堵の息を漏らしたが、諸葛亮はまだ気を緩めなかった。
第一関門は突破した。だが、真の戦いは、これからだ。周瑜殿、あなたの才を、私に見せてください
諸葛亮は静かに、次の対面を待った。
言葉の刃が交錯する舌戦を終え、諸葛亮は静かに魯粛と共に大都督、周瑜の幕舎へと向かった。幕舎の中は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。周瑜は座席に腰を下ろし、静かに諸葛亮を待っていた。彼の眼差しは鋭く、まるで天下のすべてを見透かすかのように、諸葛亮の一挙手一投足を値踏みしていた。
さすがは周瑜殿…その気概、並大抵のものではない。この男は、私を警戒している。そして、おそらく劉備殿のことを、取るに足らぬ存在と見ている…
諸葛亮は、周瑜の態度から、論理的な説得が無意味であることを悟った。この男を動かすには、彼の自尊心を、そして最も大切なものを刺激せねばならない。
周瑜は、静かに口を開いた。
「孔明先生、貴殿の才は、今しがた我が家臣たちを言葉で打ち負かしたことで、十分に理解した。だが、天下の大勢はもはや決している。曹操は百万の軍勢を擁し、我ら呉の兵など、その波に逆らうことなどできぬ。先生は、この状況を、どのように見ているか?」
周瑜の言葉は、まるで諸葛亮を試すかのような挑発だった。諸葛亮は、周瑜の言葉の裏にある諦めの色を読み取り、静かに微笑んだ。
「大都督。天下の大勢は、決して定まっておりませぬ。曹操の真の目的は、天下統一にあらず。この長江を下る目的は、決して軍事的なものではないのです」
周瑜は、その言葉に眉をひそめた。
「ほう、では何だと?この百万の軍勢は、一体何のために動いていると申すか?」
諸葛亮は、周瑜の目を見据え、ゆっくりと、しかし確信に満ちた声で語った。
「大都督は、曹操がかつて『銅雀台の賦』という詩を詠んだことをご存知か?」
周瑜は、その言葉にわずかな不快感を覚えた。戦を語る場で、詩などという風雅な話は場違いに思えたからだ。
「知らぬ。それが、何だというのだ?」
「その詩には、彼の真の目的が隠されております。それは、江東の二喬を手に入れること。孫策殿の妻、大喬殿と、大都督の妻、小喬殿…その二人を手に入れるためだけに、曹操は百万の軍を動かしておるのです!」
諸葛亮は、周瑜の顔色が変わるのを静かに見つめていた。周瑜は、曹操の詩など知らなかった。しかし、その言葉が、彼の胸に深く突き刺さる。
「貴様…何を戯れ言を申す!」
周瑜は、怒りのあまり椅子から立ち上がった。だが、諸葛亮は臆することなく、さらに言葉を続けた。
「これは決して戯言ではございません。この孔明が、曹操の『銅雀台の賦』から読み解いた、偽りのない真実でございます。もし、大都督がその愛する妻を、曹操に奪われることを望まれるならば、どうぞご自由に降伏なさればよろしい…!」
その言葉に、周瑜の顔から血の気がさっと引いた。彼の冷静さは、愛する妻を侮辱された怒りの炎によって、完全に吹き飛んでいた。
周瑜は、諸葛亮の言葉が自らを挑発するための嘘だと分かっていた。だが、彼の自尊心はすでに踏みにじられ、愛する妻を侮辱された怒りが、その理性を焼き尽くしていた。もはや、この男の策略に乗せられたと悟ったところで、後に引くことなどできぬ。
「…わかった。この周瑜、必ずや曹操を打ち破ってくれる。そして、この江東の地を、誰にも渡さぬ!」
周瑜は、その夜のうちに孫権に謁見した。
「曹操は今、疫病に苦しみ、水軍は弱体化しております。今こそ、彼らを打ち破る好機にございます!この周瑜に、兵をお任せください。必ずや、曹操の首級を挙げ、江東の安寧を守って見せます!」
周瑜の決意に満ちた言葉に、孫権は大きく頷いた。こうして、江東は曹操との一戦を決意し、天下を揺るがす大戦、赤壁の戦いの火蓋が切って落とされたのだった。




