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官僚、乱世を駆ける  作者: 八月河
天下三分其の二を得る
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第十一回 派兵委将平四方 曹操品定劉皇叔

建安三年、許昌。


下邳から帰還した私は、まず疲労困憊の将兵たちを休ませ、そして、すぐさま執務室へと向かった。


「この度、呂布を滅ぼし、徐州の地を平定した。しかし、天下はまだ定まらぬ…」


私は、目の前に広げた地図を睨んでいた。北には袁紹という大敵が控えている。そして、今、私の傍らには、もう一人の英雄がいる。


劉備。


呂布を攻める際、私は彼を味方につけた。しかし、その彼が、今や私の最大の懸念となっていた。


「天に太陽は二つも要らぬ……英雄もまた二人もいらぬ…」


私は、心の中で静かに呟いた。だが、私は前世の記憶で知っている。この男は、易々と殺せる器ではない。そして、今、この男の力が必要だ。


私は、四人の軍師、荀彧、郭嘉、荀攸、程昱を呼び寄せた。彼らの意見を聞くために。


「皆の者、呂布を倒した。だが、天下統一の道は、まだ遠い。ここにいる劉備玄徳…この男を、どう処遇すべきか、聞かせてもらいたい」


私の言葉に、四人の顔に緊張が走った。彼らは、それぞれの考えをすでに持っているようだった。


まず、口を開いたのは荀攸と程昱だった。


「曹公、何卒、この男は早急に排除すべきかと」


荀攸は、静かな口調ながら、その瞳は鋭かった。


「劉備の器量は並大抵のものではございません。仁義を重んじるがゆえに、民心を得ております。このまま放置すれば、いずれ必ず、我らにとっての禍根となりましょう」


「私も、荀攸殿の意見に同意します」


程昱もまた、冷徹な表情で続けた。


「彼は、虎を解き放つようなものです。今は忠義を誓うとしても、一度力を得れば、必ずや我らを脅かす存在となるでしょう。呂布のように、いつか牙を剥くやもしれません」


私は、二人の言葉に深く頷いた。彼らの意見は、前世の記憶と寸分違わぬものだった。

「やはり、そうか…」


私がそう呟くと、今度は荀彧が進み出て、静かに口を開いた。


「曹公、お待ちください。劉備を殺してはなりません」


荀彧の言葉に、荀攸と程昱は驚きを隠せない。


「何故だ、文若」


私が問うと、荀彧は、堂々と答えた。


「劉備を殺せば、天下の義士たちの反感を買います。彼は仁義の徒として、天下に知られております。そのような人物を、何の理由もなく殺せば、曹公の大義が揺らぎます。我々は、天下に号令する者です。天下の民心を得なければなりません。今は、彼を味方につけ、共に天下統一を目指すべき時です」


荀彧の言葉は、王道の策略だった。それは、私自身の心にも響くものだった。


「天下の大義…か」


私は、この乱世を、力だけでなく、正義の旗印の下で平定したいと願っていた。しかし、そのためには、時に非情な決断も必要となる。


「ならば、奉孝、お前はどう思う?」


私は、静かに佇んでいた郭嘉に目を向けた。彼は、いつも通り、どこか飄々とした表情で、一歩前に進み出た。


「荀彧殿の仰る通り、劉備を殺すのは得策ではありません」


その言葉に、荀彧は安堵の表情を見せた。だが、郭嘉は続けて、こう言った。


「しかし、彼を生かすだけでは、いずれ禍根となりましょう。そこで、私の策は、こうでございます」


郭嘉は、不敵な笑みを浮かべた。


「今は彼を利用するのです。袁術の残党や、北の袁紹と戦わせ、我らの盾として使う。そして、天下統一の邪魔な敵がすべて片付いた後、いつでも彼を殺せるよう、監視下に置く。天下の民心も得られ、かつ、将来の禍根も絶つことができる。これこそ、最も合理的な策ではありませんか」


郭嘉の言葉は、冷徹だった。しかし、その合理性は、私の心に深く突き刺さった。


そうだ。これこそ、私が望む答えだ。


力と、大義と、そして冷徹な計算。そのすべてを兼ね備えた、完璧な策だった。


私は、四人の意見を聞き、そして、自らの決断を下した。


「良い。郭嘉の言う通りにしよう」


私の言葉に、荀攸と程昱はわずかに不満の色を浮かべたが、それ以上は何も言わなかった。荀彧は、複雑な表情で、私を見つめていた。


「劉備は、今は生かす。だが、いずれ、私が天下を統一したその暁には…」


私は、心の中で、そう決意した。


英雄は、二人もいらぬ…


私の決断は、後世に「青梅煮酒」として語り継がれることになる、あの夜の出来事へと繋がっていくのだった。


各地の反乱を平定し、地盤を固めた私は、天下に、そして何よりも劉備に、我が武威を見せつけるため、彼を伴って朝廷に参内した。


「曹公、ようこそおいでくださいました!」


門衛は、私を見るや否や、恭しく頭を下げ、何の躊躇もなく門を開けた。


私は、ただ一言、頷き、静かに馬を進める。


この国は、もはや私のものだ…


私の脳裏に、昔の記憶が蘇る。董卓が跋扈したあの頃、私は一介の官僚に過ぎなかった。しかし今、この宮殿の門は、私のためだけに開かれる。


門をくぐり、私は静かに振り返った。そこには、私の入城を許されず、門衛に止められている劉備の姿があった。


「劉備殿、申し訳ございませんが、曹公と違い、あなた様は呼び出しがございませんゆえ…」


門衛の言葉に、劉備はただ、静かにそこに立っている。


「ちっ、馬鹿にしやがって…」


劉備は、心の中で毒づいていた。


同じ朝廷の臣下だっていうのに、この違いはなんだってんだ…。あんたは、皇帝に拝謁するのに、何のお咎めもねえ。だが俺は、呼び出しがなきゃ、門をくぐることもできねえ…


門衛の、見るからに恭しい態度。その目に、自分はただの客将と映っている。


これが、力ってやつか…


劉備は、唇を噛みしめた。この屈辱。この無力さ。

それは、かつて民のためと剣を振るいながら、何も成し遂げられなかった、あの日の自分を思い出させた。


「見てやがれ、曹操の野郎。いつか、てめえの力、全部ひっくり返してやるってんだ…!」


私は、献帝に拝謁した。


「ああ、曹操よ!この度も、天下の賊徒を討ち、朕の憂いを晴らしてくれたな!」


献帝は、私の顔色を窺いながら、震える声でそう言った。


その言葉は、まるで台本を読んでいるかのようだった。私は、ただ静かに、その言葉を聞いていた。


帝よ…あなたが持っていた力は、もう私の中にある。あなたはただ、私の大義を証明するための、飾りでしかない


私は、献帝が私の権威をさらに高めるための言葉を紡ぐのを、冷徹な目で眺めていた。


「朕は、そなたを車騎将軍、そして録尚書事に任じる! 今後は、朝廷のすべての政務は、そなたが取り仕切るがよい!」


献帝の言葉は、私の権力を盤石なものにした。もはや、朝廷に、私に逆らう者などいない。


謁見を終え、私は再び宮殿の門へと戻った。

そこには、依然として、劉備が立っていた。

私は、わざとらしく、明るい声で彼に話しかけた。


「待たせたな、玄徳」


劉備は、無言で私を見つめている。その目には、悔しさと、そして、わずかな怒りが宿っている。


「ハハハ!見ろ、玄徳。帝は、この私に車騎将軍の位を授け、朝廷の政務のすべてを任せると仰せられたぞ!」


私の言葉に、劉備は、何も答えなかった。


「ところで…」


私は、不意に、献帝の言葉を思い出し、不敵な笑みを浮かべた。


「帝が、お前を呼んでおられたぞ。帝は、お前の出自を調べさせ、こう言っておられた。お前は、漢室の血を引く者、劉一族の末裔であると」


その言葉を聞いた瞬間、劉備の顔に、驚愕の色が浮かんだ。


「まさか…」


「帝は、お前を、皇叔と呼んでおられたぞ。朕の叔父であると、な」


私の言葉に、劉備は、呆然と立ち尽くした。


フン…馬鹿なことを…


私は、心の中で舌打ちをした。


帝め、余計なことをしてくれた。これで、この男を殺す大義名分が一つ減った…


しかし、私は、すぐに笑みに戻った。


だが、良い。皇叔か…その肩書は、この男を監視するための、最高の首輪となる…


私は、劉備の肩を叩いた。


「さあ、皇叔よ。この曹操と共に、天下統一の道を歩もうではないか」


私の言葉に、劉備は何も答えず、ただ、その瞳の奥に、燃え盛る炎を宿らせていた。


そして、その日の夕刻。


私は、劉備に、許昌の郊外に軍を駐屯させることを許可した。


「天下を統一するため、お前の力が必要だ」と、もっともらしい理由をつけて。


だが、その真意は、彼を監視下に置くためであることは、言うまでもない。


「皇叔…いつか、その称号ごと、お前をこの手で潰してやる…」


私は、遠ざかる劉備の背中を見つめながら、静かにそう呟いた。


ある日のこと、曹操と劉備は酒を飲みながらくつろいでいた。曹操は、劉備を小亭に招き入れ、天下の英雄について語り始めた。


「玄徳、汝は各地を転戦し、多くの英雄を見てきたであろう。今、天下の英雄を挙げよ」


曹操は、劉備の「器」を試すかのように問いかけた。


「私は、凡庸な身であり、英雄を見抜く力など持ち合わせておりません」


曹操は笑い飛ばした。


「謙遜するな。誰を英雄と考えるか、聞かせてみよ」


劉備は、ためらいながらも、敢えて曹操が否定するであろう名を挙げ始めた。


「淮南の袁術は、兵糧も豊富で、英雄の一人であったかと?」


曹操は、嘲笑した。


「袁術は、墓の中の枯れた骨だ。取るに足らぬ」


劉備は、次々と名を挙げた。


「河北の袁紹は、四世三公の家に生まれ、多くの部下を持つ。英雄と言えるのでは?」


曹操は、首を横に振った。


「袁紹は、見かけ倒しで、決断力がない。大事を成し遂げるには、生への執着が強く、小さな利益に目がくらむ。英雄とは言えぬ」


劉備は自身の学友であり悪友でもあった公孫瓚の名を出した。


「河北を支配した公孫伯珪は…」


「ふん!量見の狭い男が天下の英雄と言えるか!戦となれば儂わしが勝たぬ理由なぞ無い」


劉備は、さらに名を挙げた。



「荊州の劉景升(劉表)、江東の孫伯符(孫策)、益州の劉季玉(劉璋)は?」


曹操は、それぞれの欠点を指摘し、英雄ではないと断じた。


「劉表は虚名にすぎず、その子らは猪、狗にも劣る」


「孫策は亡き父の威光を借りとっているに過ぎぬ。劉璋は宗室その傍系とは雖も、ただ門戸を守っている犬に過ぎぬ」


劉備は、張繡、張魯、韓遂なども挙げたが、曹操は全て取るに足らない小物と一蹴した。


劉備は、これ以上思い当たらないと答えた。


「曹公…他に思い当たる者はもういません」


曹操は、ゆっくりと語り始めた。その目は、劉備を真っ直ぐに見据えていた。


「英雄とは、胸に大志を抱き、腹に良策を秘め、宇宙(天地)を包み込み、其れを呑み込むような志を持つ者だ」


そして、曹操は、劉備を指さし、次に自身を指さした。


「今天下の英雄は、使君とこの操だけだ!」


この言葉に、劉備は驚き、持っていた箸を落とした。その時、運命を予感させるかのように、雷鳴が轟いた。


劉備は、箸を拾い上げながら言った。


「この雷鳴の威勢、まさに畏るべきものです」


曹操は笑った。


「丈夫たる者が、雷を恐れるか?」


劉備は答えた。その言葉は、巧妙に箸を落とした理由を「雷」に転嫁するものであった。


「聖人は、『突然の雷、激しい風に対しては必ず居住まいを正す』と説いています。畏れないわけにはいきません」


「恐れざるを得ぬか?」


曹操は、劉備の言葉を『雷怯子』、つまり「雷を怖がる臆病者」と解釈し、彼の動揺を疑うことはなかった。劉備は、その場を巧みに取り繕ったのだった。


北には袁紹という大敵が控えている。しかし、その前に、足元に燻る火種を、すべて摘み取らねばならない。


「宛城の張繍め、いまだ私に心から服従しておらぬ…」


私は、過去の因縁を断ち切るために、ある決断を下した。


「昂、典韋、高順」


私が呼びかけると、三人が一斉に前に進み出た。


「お前たちには、宛城の張繍を討ち、この地を完全に我らのものにせよ」


「父上…」


曹昂は、一瞬、戸惑いの表情を見せた。この地で、彼は父を守り、そして、悲劇を回避した。その因縁の地へと、再び向かうことに、彼の中にも葛藤があるのだろう。


だが、私は、あえて彼にこの任を命じた。


「昂よ、お前は、もはや私の庇護の下にいる子供ではない。お前自身の力で、この地を平定し、過去の因縁を断ち切ってこい」


私の言葉に、曹昂は静かに頷いた。その目には、迷いはない。


「はっ!父上の御命、必ずや果たして参ります!」


「高順、お前は昂を補佐し、張繍の軍勢を制圧せよ。典韋、お前は高順と共に、我らが武威を天下に示せ」


「承知いたしました」


高順は静かに頭を垂れた。彼は、私の息子への忠誠を、すでに誓っている。


典韋は、にやりと笑い、大声で答えた。


「任せてくだされ!この典韋が、張繍を粉砕してご覧に入れます!」


私は、彼らの背中を静かに見送った。


典韋は、あの夜、命を落とすはずだった。


高順は、呂布と共に死ぬはずだった。


そして、昂は…私の身代わりとなって命を落とすはずだった。


だが、彼らは今、私の天下統一の礎となるために、戦地へと向かっていく。


私の手で変えた歴史は、確かに、新たな道を切り拓いていた。


「さて、次は…徐州の火種を消さねばな…」


私は、地図の東、徐州の地を指でなぞった。呂布を滅ぼしたばかりだが、その残党である昌豨らが反乱を起こしているとの報告が入っていた。


「夏侯淵、張遼、于禁、徐晃、参れ!」


私の声に、四人の将軍が、揃って執務室に入ってきた。


「徐州の昌豨らを討ち、この地を完全に平定せよ」


私の言葉に、夏侯淵が真っ先に返答した。


「承知いたしました!すぐに軍を差し向け、賊徒どもを掃討して参ります!」


彼の忠義と迅速な行動力は、私の最も信頼するものである。


だが、私は、もう一人の男に、特別な眼差しを向けた。


張遼。


彼は、かつて呂布の配下だった。そして、昌豨は、その呂布の元、共に戦った仲間だ。


「文遠…お前は、この戦で、私への忠誠を証明せねばならぬ」


私の言葉に、張遼は、一切の動揺を見せなかった。


「承知いたしました。かつての主を裏切り、その忠義を貫けぬ者…たとえそれが旧友であろうと、この張遼が討ち取ってご覧に入れます」


彼の言葉には、微塵の迷いもなかった。


宛城では、曹昂の誠実さが張繍の心を動かし、戦わずして降伏させた。


徐州では、張遼がかつての仲間を説得し、血を流さずに反乱を鎮圧した。


「ハハハ!私の将兵は、力だけでなく、心でも戦を制するようになったか…」


私は、各地から届く吉報に、心から満足した。


私の天下統一への道は、着実に、そして揺るぎなく進んでいる。


南の張繍は、もはや脅威ではない。東の徐州も、完全に支配下に入った。


残るは、北の袁紹のみ。


「…さて、そろそろ、あの男との決着をつける時か…」


私は、静かに空を見上げた。


そして、来るべき天下分け目の大戦に備え、全軍に号令を下した。

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