第30話 結婚してください
「……驚きました。私、長らくここに来ていなかったのですが、ほとんど前のままで……。誰がが手入れをしているみたいですね」
裏庭は、昔のままだった。
むしろ、伸び放題だった草も刈ってあって、整然と綺麗になっていた。
(誰かが、頻繁に手をかけてくれているの?)
マリンだろうか?
裏庭の存在を知っている人間は、限られている。
まさか、リューンではないだろう。
魔法使いとはいえ、そんな魔術、この世にあるはずが……。
「ところで、アルカさん」
「ひっ!」
いきなり話しかけられたので、アルカは飛び跳ねそうになってしまった。
「な、何でしょう?」
「今年も、薬を作るんですか?」
リューンがさも当然のように、きらきらした瞳で尋ねてきた。
「えっ?」
「ほら、あの辺一帯に植わっているのは、薬草でしょう?」
「……リューン様、凄い。分かるんですね」
彼の視力が良いのは、事実のようだ。
ついでに、夜目も利くらしい。
「元々、群生していた青白花に混じって、アルカさん、いろんな薬草を植えていますよね?」
「ええ、私の趣味みたいなもので」
……正確には、趣味ではなかった。
最初は善意でやっていたことが、いつしか義務になってしまい、段々やるべきことが増えてしまって、やがて、それしか出来なくなってしまった。
アルカは複雑な想いで、薬草を摘んでいたものだった。
「もう……薬は、作らないかもしれません」
「なぜ? 今は無理でも、また育てたいと仰るのなら、私、手伝いますよ」
「いいですよ。そこまでしても……」
「しても?」
「いえいえ。何でもないです」
微苦笑で誤魔化して、早々にこの場を去ろうとした。
……が。
「何でもないはずないですよね。何故、アルカさんは、隠すんですか?」
「え?」
強めの指摘に、アルカは浮かしかけていた腰を再び長椅子に戻すしかなかった。
リューンは、ずっと薬草畑の方に目を向けていた。
「君が薬を作りたくないのは、作ることが苦しくなってしまったからでしょ? 私のことだって快く思っていないはずだ。魔法なんてものがあったのなら、とっくの昔に魔法使いレトに救われて、愛しの王子様に出会えただろうにって」
「どうして、そのことを?」
「……君は、私が嫌いでしょう?」
真摯に問われたことが、辛かった。
……悲しかった。
アルカは血相を変えて、身を乗り出した。
「まさか、そんな……! 私が貴方を嫌うはずないじゃないですか!! むしろ、最近ご様子がおかしかったので、私の方が捨てられるんじゃないかって……」
「私が君を捨てる? 逆はあっても、私からなんて、天地がひっくり返っても、あり得ません」
熱のこもった一言。
まるで口説かれているみたいだ。
……でも。
「やっぱり、リューン様……熱、あるんじゃないですか?」
暗がりでも、確認できてしまう。
目がとろんとしている。
アルカは気になって、手を伸ばした。
……が。
「……っ」
顔を真っ赤にしたリューンは、弾かれたように長椅子の端に吹っ飛んで、アルカの手を避けたのだった。
「何で?」
嫌っているのかと問いながら、アルカと一線を引いているのは、リューンの方ではないか?
「私は、大丈夫です」
「大丈夫じゃないですって。絶対、熱があります。お辛いようでしたら、元のリューン様のお姿に戻って頂いていいですから」
「君は……人のことばかり構いすぎなんですって」
「そんなことありません」
「まだ一度も泣いていない」
「……え」
「お父上が身罷ってから、君は一度もこの庭に来ていない。ここはいつも君が現実から逃げて、心を解放する場所でしょう? せめて、私の前でだけは気を張らないでください」
「嫌だな。そんな……。私、無理しているように見えますか?」
「見えます」
「そんなはず……」
……と、何てこともないように、今度も微笑しようとしたら……。
アルカの視界は、真白くぼやけていた。
「あ……れ?」
頬に触れると、濡れている。
涙が頬を伝って、ぽつりと地面に落ちていた。
(何で、今?)
別に、悲しいわけでも、辛いわけでもないのに……。
「ごめんなさい。私……何でだろ? 急に」
「いいんです。泣いて」
「リューン様?」
その柔らかい口調は、辛い時、一緒にいてくれたレト様そのものだった。
……無理だ。
気持ちが溢れてしまう。
「……私……リューン様。父様だけ死に目に会えなかったんです。だから、今でも亡くなったって実感がなくて。でも、時々思うんです。あの時、父様を視察なんかに行かせなければ? 私が傍にさえいれば……死なせずに済んだんじゃないかって」
「……アルカさん、君は?」
「何でそんなことを思うのか……それこそ、自惚れも甚しいのに。私……後悔していて。こんなこと誰にも言えないし……。リューン様にだって」
「私のことはいいんです。私はアルカさんが話してくれた方が嬉しいので。……でも、お父上のことは、君のせいではありません。むしろ、君が近くにいたからこそ、寿命が延びていたと考えてもいい。……悲しいけど。現世にあるものは、すべて有限なんです。その法則は人間側から変えることが出来ないんです。どんなに手を尽くしても……」
「リューン様……」
「だから、ご自分を追い詰めないで。責めるのなら私を。君になら、何をされてもいい。……覚悟だけはあるんですから」
なぜ?
彼の方が、アルカより辛そうなのだろう?
父の死とリューンは何も関わっていないのに、自分を責めろだなんて……。
「アルカさん。やはり、薬……二人で作りましょう。これからは、良い思い出を重ねていくんです」
「えっ、ええ、そうですね」
「良かった。私は、ずっと君一人で、手間暇かかる薬を作らせたくなかったんです。でも、薬作り自体は、好きそうだったから」
「ん?」
――ずっと?
アルカが薬を煎じていたことをリューンが知ったのは、たった今の話だったのではないのか?
(なのに、私が薬作りをするのが好きだって知ってる?)
困惑していると、アルカの方に向かって、リューンの手が伸びて来た。
「さっき、君が私のために怒ってくれた時、すごく嬉しかった」
「リューン様?」
ゆっくりと彼の繊細な指先が、アルカの頬に届こうとしている。
(えっ、何? 何をするつもり?)
アルカから触られるのは避けるのに、自分からなら良いのか?
……とか。
中身八十歳じゃないか?
……とか。
あらゆる妄想を繰り広げながら、アルカは身を硬くして待っていたのだが……。
「すいません」
一言。
リューンはアルカの前に、うつ伏せで倒れてしまったのだった。
「な、何?」
「無理」
「何がっ!!??」
なんて、問い質している場合ではない。
涙なんて引っ込んでしまった。
リューンの呼吸は、危険なほど荒くなっていた。
(やっぱり、大丈夫じゃなかったんじゃない)
「しっかりしてください。リューン様!」
「ううっ」
慌ててリューンの額に触れると、発火しそうなくらい熱い。
「大変。早くお薬を飲んで、お医者様に診て頂かないと」
「アルカ……さん」
「何ですか!?」
「私と……」
「はい」
「結婚……してください」
「は……い?」
いや、もう結婚しています……けど?
「駄目だわ。急がないと」
これは重症だ。
リューンが熱に浮かされて、おかしくなっている。
たとえ、大声で助けを呼んでも、宴の最中。
護衛は、遠くに退けてしまっている。
秘境の裏庭に、駆け付けてくれる人間なんているはずもないのだ。
(仕方ないわ)
アルカは踵の高い靴を脱ぎ捨てて、渾身の力で、リューンを担ぎ上げたのだった。




