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9 知られざる家族、交差する糸




「そんなに悩んで、どうした?」



アスティンの静かな声が、室内の静寂を破った。

エヴァルシアは、ゆっくりと顔を上げる。


彼は椅子に腰を下ろし、落ち着いた仕草でこちらを見ていた。銀色の髪が光を受けてやわらかく揺れ、深い青の瞳は静かに彼女を見つめている。


彼女はすぐに答えず、指先を膝の上で組みながら、小さく息を吐いた。


「……私、家族のことを、何も知らない。」


ぽつりとこぼれた言葉は、空間に静かに溶けていく。


彼女は考えていた。


本当に「何も知らないのだろうか」と。思い出そうとしても、そこには何もない。家族との思い出が、どれほど曖昧で薄れているのか、自分でも驚くほど。


けれど、それを不自然だとすら思えなかった。


それほどまでに、彼女の中で「家族」というものは、遠い存在だったのだ。


アスティンの表情がわずかに動いたが、彼はそれ以上何も言わず、椅子の背もたれに軽く体を預ける。そして、目を伏せるようにしながら、言葉を選ぶようにゆっくりと話してくれた。


「エステリア家は、かつて『星の導き』を受ける家とされていたーー」


彼の話によると、

エステリア家は『星の導き』を受ける家。


王国の歴史の中でも特に占星術や未来予測を担ってきた一族であり、その知識と能力によって王族や貴族社会に影響を与えてきた。

しかし、時代の変遷とともに、その価値は薄れていったという。かつては王族に助言を求められるほどの影響力があったが、今ではほとんど形骸化している。


今のエステリア家は、貴族の中でも没落貴族の一つとして扱われ。人々はもはや占星術に頼らなくなり、王族の政治方針も変わっていく中で、エステリア家の名声は次第に衰えていた家門…だと。


彼の言葉を聞きながら、エヴァルシアはぼんやりと考える。


本当に、それが自分の家族だったのか。まるで他人事のようだった。どれほど貴族社会において影響力があろうと、家族の中での彼女の存在は、どこか薄く、遠いものだったのかもしれない。


「とはいえ、エステリア家には特別な血筋があるとされていた貴族だ。」


彼はゆっくりと手を組み、思考を整理するように視線を落とす。


「時折、『星の加護を受ける者』が生まれると言われている。その存在は王国の未来を左右するとされ、貴族社会においても注目される存在だった。」


その星の加護を持つ者が現れることで、家の権威が保たれた時代もあった。しかし、近年ではその力を持つ者がほとんど現れず、家の名声は衰え続けている。


「そんな中で、お前が生まれた。」


アスティンは言葉を区切るように言い、彼女を見た。

エヴァルシアは、その言葉を静かに受け止める。


「お前が生まれたとき、占星術師が『特別な役割を持つ者』と予言した。それがきっかけで、エステリア家はお前の未来を公爵家との縁談に結びつけた。」


彼の声には感情の起伏はない。ただ、事実を述べるような調子だった。


「公爵家と結ぶことで、家の権威を維持しようとした。それだけのことだった。」


それが、本当に彼女のためのものだったのかは分からない。彼女の結婚は、家の存続を優先しての決断。

それが、彼女の意志とは無関係に決められたものであったことは、疑いようがない。


エヴァルシアは、静かにその事実を受け止めながら、ゆっくりと目を伏せた。


家族というものは、本当にそこに存在していたのだろうか。彼らが自分をどう思っていたのか、どんな気持ちで送り出したのか。そんなことすら、当の本人なのに過去の彼女のことは分からないのだ。


「公爵家の記録をたどる限り、お前がエステリア家に帰省したことはほとんどない。」


アスティンの言葉が、部屋の空気をわずかに冷たくさせる。


貴族同士の婚姻では、通常、実家との関係は一定の距離を保ちつつも続くもの。格式の違いがあっても、必要最低限の訪問や手紙のやり取りが交わされるのが普通。

…そんな情報すら、つい最近知ったことだ。


「普通なら、公爵家に嫁いだ娘を、実家の家族が訪ね、手紙などで連絡を取り合うものだ。しかし、記録を見ても、エステリア家がここに来た形跡はほとんどない。」


彼の言葉が、まるで現実を突きつけるように響いた。

エヴァルシアは、何も言わずただ静かに聞いていた。


彼女の記憶には、家族との交流の記録はほとんど残っていない。彼女は、公爵家に嫁ぐために生まれた存在だったのかもしれないけど。


それとも、最初から家族にとって 「不要な存在」 だった?


「お前の結婚は、家のために決められたものだった。だが——」


アスティンはふと視線を落とし、ほんの僅かに間を置いた。


「エステリア家は、その後もお前を必要としていたのか? それすら悩ましい」


静寂が降りる。


ただ静かに考えを巡らせて思った言葉とエヴァルシアの家のこと教えてくれたアスティンと意見が、ここで重なるなんて思っていなかった。


アスティンの問いかけに、エヴァルシアはすぐには答えられなかったけど…

家族が自分を必要としていたのか、その答えは彼女の中にはない。考えれば考えるほど、記憶の中の家族の姿は霞み、まるで幻のように遠ざかっていく。

エステリア家にとって、彼女は家を繋ぐための存在だったのかもしれない。それを確かめる手段は、もう何も残されていないのだろうか。


静かな空気が流れる中、アスティンは再び口を開いた。


「公爵家に嫁いで以降、エステリア家からの書簡は、公式な報告以外ほとんど届いていない」


やはり、そうなのかと、彼の言葉を聞きながら、エヴァルシアは静かに納得した。


私でもわかる。貴族の家同士の婚姻であれば、実家との交流は普通のこと。公爵家とエステリア家の間柄であれば、なおさら重要視されるはずだ。

だが、彼女にはそういったやり取りの記憶がない。それどころか、嫁いでからエステリア家の誰かが公爵邸を訪れた記憶すらないのだ。


「……私は、家族から一度も手紙をもらったことがないの?」


自分でも驚くほど落ち着いた声だった。アスティンは一瞬視線を伏せた後、ゆっくりと答える。


「少なくとも、公爵家に届いた手紙の中に、お前個人宛のものはなかったな」


彼女はその答えを聞きながら、アスティンの横顔を静かに見つめる。


銀色の髪が、揺れる灯火の中で柔らかく光を反射し、深い青の瞳が冷静にこちらを見ていた。

その瞳の奥に何を秘めているのか、彼の表情からは読み取ることができない。


「……そう」


短く答えながら、静かに視線を落とした。


彼女が公爵家に嫁いでから、家族が彼女に対して何を思っていたのか、それすらも知ることはできない。

エステリア家は彼女を送り出した。それが役割を果たしたということだったのかもしれない。


彼女が何を感じようと、家族には関係がなかったのかもしれない。


指先で軽く袖をつまみながら、エヴァルシアはふと別の記憶を思い出した。


「そういえば……お茶会で、レティシアが私を見ていたかも」


あの日、お茶会の席で彼女は確かに視線を感じた。

ただの好奇心ではなく、もっと深く、意味を持ったもの。あの淡い紫色の瞳が、自分を捉えていたことを思い出す。

白い肌に整った顔立ち。貴族の女性らしい優雅な動きと、品のある物腰。その姿は、王族の血を引く貴族としての気品を感じさせるものだった。

だが、あの時彼女の瞳の奥に宿っていたものは、穏やかさではなかった。どこか探るような、疑うような、あるいは何かを確かめるようなものだった。


「レティシア・ヴェルシオンのことか?」


アスティンが静かに問いかける。エヴァルシアは頷く。


レティシア・ヴェルシオン。

王族の血を引く貴族であり、社交界でも影響力を持つ人物。彼女は、なぜか、あの日のお茶会でエヴァルシアをじっと見つめていた。


「もしかして彼女とは、何か関係があるの?」


エヴァルシアがそう問うと、アスティンは少し考え込むように沈黙した。


「……レティシアは、王家の血を引いている。だが、それだけではない」


その言葉に、エヴァルシアは眉を寄せた。


「え どういうこと?」


「ヴェルデン家は、かつてエステリア家と強く関わっていた。彼女の家は、王族の魔力管理を担う一族の一つだった」


思わず息をのむ。


「……エステリア家と、関わりが?」


記憶はない。家族のことすら覚えていないのに、貴族社会の関係まで知っているはずがない。

でも、もし理由がそういった事情なら。それならば、あの日、なぜあんな風に自分を見ていたのか。その理由が、少しだけ見えてきたような気がした。


「レティシアは、何を考えているの?」

「それは、彼女自身にしか分からない」


アスティンは、冷静にそう答える。

しかし、その表情はどこか慎重なものに見えた。


「ただ……彼女は、お前のことを知っている可能性があるかもな」


心臓が、わずかに跳ねた。


彼女がエステリア家のことを知っているのなら。


彼女が私について何かを知っているのなら。


知らなければならない。


なぜ、自分は家族のことを覚えていないのか。


なぜ、家族は何の接触もしてこなかったのか。


なぜ、公爵家に嫁ぐことになったのか。


そして、なぜレティシアは、あんな目でこちらを見ていたのか。


静かな部屋の中で、エヴァルシアはそっと指先を組み直す。彼女の中で、答えを求める気持ちがゆっくりと強まっていくのを感じた。


「……レティシアに、会うことはできる?」


そう問いかけると、アスティンは少しだけ表情を動かし、ゆっくりと頷いた。


「その気があるのなら、場を設けることは可能だ」


目を伏せる。


彼女の知らない記憶は、まだこの王都のどこかに残されているのだろうか。それとも、すでに失われたものなのか。分からないままでも、進むしかない。


レティシアに会う。


その言葉が、エヴァルシアの胸の奥で静かに響いた。


彼女は、公爵家に嫁いでからずっと、家族と関わることがなかった。それは、選んだわけではなく、自然とそうなっただけ…だと思いたい。


きっと、彼女が何かを求める前に、家族は何も差し出さなかった。だから、自ら家族のことを知りたいと考えたこともなかった。


けれど今は違う。自分が何者なのかを知りたい。


家族が何を思い、自分をどう扱ったのかを知る必要がある。そして、その答えを知っているかもしれない人物が目の前に現れた。


エヴァルシアは静かに呼吸を整える。


「レティシアに会うことができるのなら、話をしてみたい せっかくのチャンスだから」


アスティンは、エヴァルシアの瞳をじっと見つめる。

彼の青い瞳は、まるで深い夜の湖のように静かだった。


「本当に、それでいいのか」


その問いは、彼女の覚悟を試すような響きを持っていた。エヴァルシアは、ゆっくりと瞳を伏せる。


まだ何もわからない。


レティシアが何を知っているのかも、何を考えているのかも。


けれど、知るべきことがそこにあるのなら、避けるわけにはいかない。


「知ることを恐れていたら、私は何も変われない」


静かに、けれど確かな声でそう告げた。アスティンはその言葉を受け止めるようにしばらく沈黙し、それから小さく頷いた。


「わかった。近いうちに機会を作る」


エヴァルシアは小さく息を吐いた。


それが決まった瞬間、今までどこかまとまらなかった思考が、一つの方向へ向かって動き始めたような気がした。


レティシアの視線。あの日のお茶会で向けられたあの目は、確かに何かを伝えようとしていた。

ただの好奇心ではなく、もっと別の感情が込められていたなら。王族の血を引く貴族である彼女が、自分に何を求めていたのか。


それを確かめるためには、会うしかない。


エヴァルシアは、そっと指を組んだまま視線を落とした。アスティンは彼女の様子を見ていたが、それ以上は何も言わなかった。


そのまま、静かな時間が流れる。


エヴァルシアはゆっくりと目を閉じ、考えを整理していた。


…今まで、自分が誰なのか、どこに属していたのかを深く考えたことはなかった。


けれど、家族という存在が自分にとってどういう意味を持つのか、それを知る時が来たのかもしれない。

レティシアは、それを知っている可能性がある。

それならば、話を聞かなければならない。


ゆっくりと瞼を開ける。


薄暗い室内の静けさの中で、エヴァルシアは新たな一歩を踏み出す覚悟を固めていた。エヴァルシアは、自分の胸の内を確かめるように静かに息を整える。


知ることを恐れていたわけではない。


ただ、今まで考えたこともなかっただけだった。


家族とは何か。前世ではなく、自分にとって、エステリア家とは何だったのか。

それを知る機会を、今まで持とうとも崩れていた。

けれど、それを知ることができるのなら、知りたいと思った。


レティシアが何を伝えようとしているのか、それが家族に関することなのかはわからない。


けれど、あのお茶会の場で彼女が向けた視線は、単なる貴族の礼儀や興味ではなかった。


何かを見定めるように、試すように、自分を見ていた。


それが何だったのか。


何のために自分を見ていたのか。


それを知ることで、自分の過去に対する何かが変わるのかもしれない。


「機会を作ると約束した以上、必ず準備する」


アスティンの声が静かに響く。

彼はすでに、エヴァルシアの意志を受け入れていた。エヴァルシアはゆっくりと彼を見た。


「ありがとう」


その言葉を口にするのは、なぜか少しだけ難しかった。

彼が何を考えているのか、どうしてここまで自分の決断を尊重してくれるのか、まだはっきりとはわからない。


けれど、彼の目はまっすぐこちらを見ていた。その青い瞳がふと和らぐ。


「礼を言われるほどのことではない」


そう言った彼の口元には、微かに笑みが浮かんでいた。それは、皮肉でもなく、からかいでもない。

ただ、静かに彼女の言葉を受け止めたというような、穏やかなものだった。


エヴァルシアは、それをまじまじと見つめた。


今まで、彼がこうして微笑む姿を意識したことがあっただろうか。公爵家での日々の中で、彼が感情を表に出すことはそう多くはなかった。


だからこそ、その変化がどこか不思議に思えた。


けれど、何かを問いかけることはせず、彼女はただその場で静かに受け止めることにした。


ゆっくりと瞼を閉じる。


家族のことを思い出すことはできなくても、知ることはできる。レティシアに会うことで、自分の中で何が変わるのかはわからない。けれど、その先に何があるのかを確かめるために、彼女は歩みを進めることにした。


そう決めた時、静かだった空間が、少しだけ動き出したような気がした。


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