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4 静かに揺れる感情、公爵の決意


王都の一角にある名医の屋敷の一室。そこは静かに揺れる灯りに照らされ、深い夜の静寂が満ちている。


アスティンは隣の部屋で待機していた。

机の上にはいくつもの書類が広げられ、蝋燭の炎が小さく揺れている。その中には、彼女の診断書も含められている。


「意識が戻るまで安静が必要だが、魔力の状態は安定している」名医はそう言った。


しかし、目覚めなければ意味がない。


彼は書類に目を落としながらも、思考は別の場所にあった。魔力暴走の影響を考え、彼女の異変について整理しようとしていたが、結論は出ない。


そんな時、不意に微かな魔力の揺らぎを感じる。

それは隣の部屋からだった。


彼は即座に立ち上がる。慎重に足を踏み出しながら、扉の前に立つ。気配を探ると、わずかに呼吸の乱れが伝わってくる。意識が戻ったのだろうか。


短い沈黙の後、静かに扉を開く。


室内には、ベッドの脇に置かれたランプの光が柔らかく灯っていた。天蓋付きのベッドの上で、長い銀の髪が枕の上に広がっている。しなやかな指先がかすかに動き、シーツの端を握る仕草が見えた。


薄暗い室内でも、その美しさは際立っていた。


銀糸のような髪、陶器のように滑らかな白い肌、長い睫毛の影が落ちる蒼い瞳。静かに横たわる姿は、まるで人形のよう。

アスティンはベッドの傍へと歩み寄り、低く落ち着いた声で話しかける。


「目が覚めたか、エヴァルシア」


その言葉に応えるように、わずかに瞼が震え、ゆっくりと目が開かれる。彼の呼びかけに対し、彼女はゆるく視線を向けた。


「……エヴァルシア?」


声は掠れていて、喉が乾いているのがわかる。

無理に話すつもりはないのか、それ以上の言葉は続かなかった。

アスティンは椅子に腰掛けると彼女の様子をじっと見つめ、淡々とした口調で説明を始める。


「ここはシルヴァティス公爵家の領地内にある名医の屋敷だ。お前は魔力暴走を起こした後、昏睡状態に陥り、この屋敷で療養していた」


彼女の表情に僅かな困惑が浮かぶ。


「……私が………」


言葉の続きを探すように、唇がわずかに開く。しかし、それ以上の言葉は出なかった。


「まさか、ほんとうに覚えていないのか?」

「………」


アスティンの言葉に、彼女は目を伏せたまま小さく息を吐いた。


「忘れているかわからないが。俺と婚約している。そして俺が、お前の夫、アスティン・シルヴァティスだ」


アスティンは静かに問いかける。

彼女はゆっくりと指輪を見つめ、微かに目を見開く。

アスティンは微かに視線を落とし、彼女の手の動きを見つめながら、小さく息を吐いた。


「…エヴァルシア。痛みは大丈夫か?」


彼の問いかけに、彼女は短く指を動かした。


「そうか……以前のお前とは、それにしても雰囲気が違うな」


アスティンの言葉には、かすかな疑問が滲んでいた。


「何かが変わったように感じる。魔力が正常だからかもしれんが ……よかった」


それ以上は言わず、彼は静かにベッドの傍に立ったまま、彼女の様子を見つめていた。やがて、彼女が小さく囁くように口を開く。


「……あの、ここのこと、教えてもらえますか?」


アスティンはしばらく彼女の瞳を覗き込むように見つめていたが、やがて小さく頷いた。


彼の説明を聞きながら、彼女は僅かに表情を曇らせる。


この世界のことを知らないかのような反応。それが彼の中で小さな違和感となっていた。やがて彼女はゆっくりと目を閉じた。疲れたのか、呼吸がゆっくりと落ち着いていく。


アスティンは立ち上がり、窓際へと歩を進める。外の闇を見つめながら、静かに考えを巡らせていた。


目覚めた彼女は確かに妻であり、エヴァルシアであるはずだった。だが、何かが違う。言葉の端々、仕草、雰囲気。すべてが、まるで別人のように思えた。


彼女の瞳に宿る光は、以前とは異なっていた。


以前の彼女は、言葉を選びながらも、彼に向かって遠慮がちに微笑んでいたが。しかし、今の彼女はまるで何かを悟ったように、冷静で静かな表情をしている。


それはまるで、別の人生を生きてきた者のように。


この数日間、彼女が目覚めるまでの間、何度も考えた。もし彼女が記憶を失ったのなら、またゆっくりと思い出せばいいと。

けれど、目の前にいる彼女は記憶を失ったのではなく、別人のように変わった。


彼はふと、指を組みながら小さく息をついた。

どこか、懐かしさすら感じる。けれど、それが何なのかは、まだ言葉にはできなかった。


彼女の静かな寝息が部屋に満ちる。今は、眠らせておこう。アスティンは静かに部屋を後にし、廊下へ出た。

扉を閉めると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。

思考を整理するように一度深く息を吐くと、そのまま名医の待つ部屋へと向かった。


扉を軽くノックし、部屋へ入ると、温かみのある灯りの下で名医と看護師が迎えた。


名医は五十代半ばの穏やかな表情の男で、長年の経験を重ねた医師らしい落ち着きを漂わせている。刻まれた皺の奥には思慮深い眼差しが宿り、その静かな佇まいは安心感を与える存在に近い。


看護師もまた、控えめながらも確かな職務意識を感じさせる態度でそこに立っていた。


「目覚めましたか」


名医の静かな声が部屋に響く。アスティンは軽く頷き、低い声で答えた。


「ああ。意識は戻った。ただ…以前とは雰囲気が違う」


名医は黙って聞きながら、手元の診断書を指先でなぞるように見つめた。


「そうでしょうな。魔力の状態を診ても、違和感があります」

「違和感?」

「魔力の流れが変化しているのです。暴走後の治療によって安定はしましたが、それだけでは説明がつかない変化がある」


名医は慎重に言葉を選びながら続けた。


「精神の揺らぎがほとんど見られません。通常、魔力暴走を起こした者は、治療後もしばらくは魔力の波が不安定になるものですが……彼女は異常なほど整っている」


アスティンは考え込むように沈黙する。


確かに、彼女の魔力は驚くほど落ち着いていた。

それは単なる治癒の効果とは思えないほど、異質な安定だった。


看護師が一歩前に出て、静かに言葉を添える。


「体力の回復は順調ですが、完全に力が戻るまではまだ時間がかかるでしょう。当面は無理をさせないことが重要です」


アスティンはゆっくりと頷いた。


「食事は?」

「少しずつなら問題ないかと。ただ、長く昏睡していたため、消化に優しいものから始めるべきでしょう。アイラ。よろしく頼むよ」

「承知しました」


前者はアスティンに向けて後者は屋根付き看護師に支持を仰ぐ。如何にも屋根付き看護師ことアイラさんはやる気が満ちて笑顔に答えているので任せられそうだ。

先程の名医の言葉を反芻しながら、アスティンは思考を巡らせる。


「意識が戻ったとはいえ、油断はできないな」

「ええ。魔力の変化だけでなく、精神的な影響も考慮すべきでしょう。無理に記憶を刺激することは避けたほうがいいかもしれません」


名医の言葉に、アスティンは短く頷く。


「引き続き、経過を見てくれ」

「もちろんです」


名医と看護師に一礼し、アスティンは部屋を出た。

廊下を歩きながら、彼の脳裏にはエヴァルシアの姿が浮かぶ。


彼女は確かに目覚めた。しかし、その様子は今までとは明らかに違っていた。それは単なる魔力の変化ではない。内面から何かが変わってしまったような、根本的な違和感。


一体、何が起こったのか。


アスティンは窓の外へ視線を向けた。

名医の屋敷の庭は夜の闇に沈み、静寂に包まれている。

彼女の目が覚めたことで、これからどう接するべきか。深く考えながら、夜の空気を吸い込んだ。



エヴァルシアが目覚めてから数日が経過した。


彼女の体調は回復しつつあったが、完全ではなく、未だに長時間の移動や会話には負担がかかる状態だった。彼女は静かに療養を続け、看護師たちは細心の注意を払いながら世話をしているという。


アスティンはその様子を静かに見守っていた。


表立って部屋を訪れることは少なかったが、名医や看護師を通じて彼女の容態を逐一確認し、必要があればすぐに対応できるよう準備を整えていた。


名医が再度診察に訪れた朝、アスティンは隣室で報告を受けていた。


「魔力の流れはかなり落ち着いています。回復の兆しが見えますね」


名医の言葉に、アスティンは書類から視線を上げた。机の上には、彼女の診断書と最近の経過報告が並べられている。


「だが、まだ動くのは厳しいか?」

「そうですね。彼女自身の意思とは別に、体がまだ完全には回復していません。ただし、精神的な混乱は見られませんでした」


名医の言葉に、アスティンはわずかに眉をひそめた。


「混乱がない、か」

「ええ。普通なら、自分の魔力暴走が原因でこのような状況になれば、不安や焦燥を抱えるものです。しかし、公爵夫人は極めて冷静でした」


アスティンは短く息を吐いた。思い当たる節がある。

エヴァルシアは確かに以前とは違っていた。記憶を失ったわけではないのかもしれないが、どこか遠くからすべてを見ているような、そんな印象を受ける。


「お前はどう見る?」

「……人が大きな危機を経験すると、精神的に変化することは珍しくありません。しかし、あまりにも落ち着きすぎているのは、確かに気になりますね」


名医の言葉に、アスティンは頷いた。違和感は消えない。彼女は以前とは明らかに異なっている。


「様子を見つつ、公爵邸へ戻る準備を進めよう」

「承知しました」


名医は軽く頭を下げ、診察を終えた。アスティンは彼女のいる部屋の扉を一瞥し、静かに席を立った。



そして、夕刻。

アスティンは再び名医の屋敷へと足を運んだ。


屋敷の中は静かで、沈みかけた夕日が窓から差し込み、廊下の影を長く伸ばしている。彼女の部屋を訪れると、エヴァルシアは窓辺に立っていた。


銀糸のような髪が柔らかく揺れ、淡い青緑の瞳が静かに外を見つめている。その横顔は、光を受けてどこか儚げな印象を与える。


「体調はどうだ? だいぶ良くなったか?」


低く落ち着いた声で問いかけると、彼女はゆっくりと振り向いた。その目が一瞬だけ揺れた気がしたが、すぐに無表情へと戻る。


「……ええ」


最低限の言葉だけを選んで返事をする。それが彼女の変化のひとつだった。


「今日、公爵邸へ戻る」

「戻る……?」


彼女は静かに呟いた。まるで、それが当然のことだと分かっていても、実感が湧かないような声音だった。


「お前の療養は終わった。名医も問題ないと判断した」


アスティンはそう言いながらも、彼女の反応を観察していた。


「支度を整えろ。すぐに出発する」


そう言い残し、彼は一度部屋を後にした。


馬車へと乗り込むと、エヴァルシアは静かに窓の外を眺めていた。アスティンは改めて彼女の姿を見た。


淡いブルーのドレスに白いレースの袖口。品のある装いだが、それを纏う彼女は以前の彼女と違って見える。


王都の石畳の道を進む馬車の中で、彼女は何かを考えているようだったが、あまり言葉を発することはなかった。アスティンもまた、敢えてその沈黙を破ることはしなかった。

やがて、公爵邸の門が視界に入り、馬車がゆっくりと停まる。アスティンが先に降り、彼女を導く。


「部屋へ案内しろ」


執事が静かに頷き、エヴァルシアを先導する。その後複雑そうな顔をするエヴァルシアの背を見送りながら、アスティンは執務室へと向かった。



執務室では、執事が報告を持って待っていた。

机の上には、影者からの報告書と共に、一通の封筒が置かれている。


「閣下」


執事が封筒を手渡す。

そこには王家の紋章が刻まれていた。


「お茶会の招待状が到着しております。王族主催のもので、公爵夫人に対しての招待が強調されております」

「公爵夫人に?」

「はい。レティシア王女が主催するもので、開催は三日後です」


さらに、エステリア家の動きも活発になっているという報告が上がっていた。


「お茶会の件は、エヴァルシアの体調を考慮して判断する。看護師にも相談しろ」

「かしこまりました」


アスティンは静かに息を吐く。エヴァルシアが戻った。だが、以前とは何もかも違っていた。


執務室で執事から影者の報告を受けた後、アスティンはしばらく無言で考え込んだ。


「……やはり、外部も動き始めているか」

「はい。公爵夫人が以前と違うという噂は、王宮にも広まっているようです」


執事の低い声に、アスティンはゆっくりと書類を閉じた。

彼女の変化がどこまで影響を及ぼすのか。そこに危険が伴うのかどうかは、まだ判断がつかない。


だが、彼が気にしているのは、外部の動向ではなく、エヴァルシア自身の意志だった。


「……様子を見てくる」


短く言い残し、執務室を後にする。


彼女の部屋へ向かう途中、足を止めた。扉の前に立ち、そっと手をかけようとした時、部屋の中から微かな声が聞こえた。


「……公爵邸は、あなたの家なの?」


その声音は驚くほど静かで、どこか虚ろだった。

扉を開けるつもりだった手が止まる。


彼女の問いかけに、誰も答えてはいない。独り言のようなその言葉には、何かしらの迷いが滲んでいた。


アスティンは、魔力を薄く巡らせる。彼女の感情の揺らぎを探るために。


けれど、そこに感じたのは、戸惑いではなく、まるで何かを確かめるような、静かな諦観。


「……」


扉を開けるべきか、一瞬迷った。しかし、彼はそのまま踵を返した。

今、彼女に何かを問いただすつもりはなかった。

彼女自身も、今の自分を完全には理解していないのかもしれない。


執務室に戻ると、すぐに執事と影者を呼び寄せた。


「公爵夫人への王宮のお茶会の招待状についてだが……」

一瞬、思案し、指示を下す。

「看護師に伝えろ。お茶会の件を夫人に確認し、行く意思があるなら同行させると」

「……公爵夫人の状態を考えると、出席は控えさせるべきかと」

「決めるのは彼女だ」


短く言い放ち、アスティンは視線を落とす。


「彼女の意志を無視して決めることではない。ただし、行くと判断した場合は、看護師を同行させることを条件にしろ」

「承知しました」


執事が静かに頷き、影者もすぐに動いた。


アスティンは椅子に座り、招待状を指で弾く。


エヴァルシアの変化に、王族が興味を持ち始めている。だが、それ以上に気がかりなのは、彼女自身がこの世界に対して抱いている、どこか距離を感じさせるような態度だった。


「……」


窓の外に広がる夕暮れの景色を眺めながら、彼は静かに目を閉じる。彼女の本心が、どこにあるのかを知るには、まだ時間が必要かもしれないと。



「……それで、公爵夫人はお茶会に行かれるのですか?」


翌朝。控えの間で、使用人たちがいそいそと小声で囁き合っていた。


「看護師が報告をしたところ、公爵夫人は行くことを決められたようです」

「まぁ、療養が終わったばかりなのに、随分と早いご決断ですわね」

「でも、公爵様のご判断でしょう? 公爵夫人のご意思を尊重してのことだと」

「それは分かるのだけれど……」


使用人たちの間に微妙な空気が流れる。


公爵夫人が変わった。噂は屋敷の中でも広まりつつあった。以前の彼女は、どこか控えめで、気弱な印象だったという。

けれど、今の彼女は無駄に言葉を発することもなく、ただ静かに受け入れているように見える。


「何か、別人みたい……」


誰かがぽつりと呟いたが、それ以上は言葉を続けなかった。そこに、一人の影が音もなく現れた。

影者だった。


「公爵閣下に報告を」


短く言い残し、そのまま執務室へと向かう。

使用人たちは互いに視線を交わし、それぞれの持ち場へと戻っていった。



エヴァルシアが出席するお茶会当日。執務室の窓から差し込む夕陽が、長く伸びた影を机の上に映していた。

アスティンは静かに書類を閉じると、影者が控えているのに気づき、短く指示を出した。


「報告を」


影者は一礼し、冷静な口調で語り出す。


「公爵夫人は王宮のお茶会に出席されました。看護師が付き添い、途中で体調を崩すこともなく、終始落ち着いていたとのことです」


アスティンは軽く眉を寄せる。


「……そうか」


彼女が社交の場に出向くなど、予想していなかった。回復が順調だという証拠か、それともただ義務を果たしただけなのか。


影者は続ける。


「周囲の反応は、公爵夫人が以前と違うというものがほとんどでした。社交の場においては礼儀正しく、しかし控えめで、以前のような遠慮や迷いが見られなかったと」

「……」


やはり、彼女は変わったのだ。


アスティンは指先で机を軽く叩く。これが一時的なものなのか、それとも本質的な変化なのか。


「お茶会に行くことを誰かに相談していたか?」

「いいえ。看護師に付き添いの確認を取っただけで、公爵家の者には報告がありませんでした」


まるで、自分の意思で動くことが当然だというような行動だ。


「そうか。……看護師には、今後も夫人の判断に委ねるよう伝えろ」

「承知しました」


影者が退室し、執務室に静寂が戻る。


アスティンは手元の書類をもう一度開くが、内容が頭に入らなかった。


「エヴァルシア……お前は、何を考えている」


以前の彼女なら、体調を理由に外出を控えていたはずだった。今は違う。まるで、生まれ変わったように自ら動き、己を作り直そうとしている。


それが好ましい変化であるのか、彼にはまだ判断がつかなかった。



執務室を出ると、使用人たちが廊下で控えめに囁いていた。


「公爵夫人が……本当にお茶会に?」

「ええ、王宮の招待を受けたそうよ」

「でも、あんなに体調が悪かったのに、もう外出できるほど回復なさったの?」

「それが……様子が少し、以前とは違う気がするのよね」


使用人たちの会話が耳に入り、アスティンは無言のまま足を止める。彼の気配に気づいた侍女たちは、慌てて頭を下げた。


「失礼いたしました、公爵閣下」

「構わん」


そう短く答え、彼は再び歩き出す。彼女が変わったと感じているのは、屋敷の者たちも同じなのか。


彼女を知る者ほど、その違和感を敏感に察しているのだろう。そして、その変化の本質を理解している者は、まだ誰もいない。



馬車の車輪の音が、石畳の上を滑るように響く。

アスティンは正面玄関に立ち、迎えの準備を整えていた。やがて、黒い馬車がゆっくりと停まる。


扉が開かれ、エヴァルシアが降り立つ。淡い色のドレスが夜の灯りに揺れ、銀の髪が微かに風を孕む。

彼は彼女を静かに見つめ、低く落ち着いた声で話す。


「戻ったのか」

「ええ」


エヴァルシアはゆっくりと彼を見上げた。


彼は、これまで彼女を守ることを最優先にしていた。

だが、今、彼女は自らその場に立ち、貴族社会の中へと踏み込んだ。


その意志を示すように、彼女は静かに言葉を紡ぐ。


「公爵夫人として、務めを果たしてきたわ」


その言葉を聞いた瞬間、彼の瞳がわずかに揺れる。


「そうか」


彼女の瞳には、迷いがなかった。アスティンはゆっくりと手を伸ばし、彼女の肩を軽く叩く。


「……お疲れだろう。今夜はゆっくり休め」

「……そうね」


エヴァルシアは静かに頷く。その表情には、ほんのわずかだが充足感のようなものが滲んでいた。


彼女は確かに、以前とは違う。

だが、それが彼にとってどういう意味を持つのか、未だに答えは出なかった。静かな夜が、二人を包み込んでいく。



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