魔王は結局止めようとしない
今日から国内にいる貴族達の使用人が、数人ほど城で勤めることになった。
正確には湯浅直弘から家事に関する指導を受け、それを勤め先の貴族の屋敷へ伝えるのが役目だ。
そういった事情もあり、やって来たのは屋敷へ戻った際に指導ができるよう、使用人の中ではそれなりの立場にある者達ばかり。
当初は誰もが湯浅直弘に懐疑的な目を向けており、正直いい気味だと思った。
ところがそれは、翌日には尊敬の眼差しに変わっていた。
「あの、昨日教えてもらったことを復習していたら、気になる点があったのですが」
「申し訳ありませんが、拭き掃除について質問よろしいでしょうか」
「この点についてなんですが、こうしてはいけない理由を教えてください」
誰もが嬉々として湯浅直弘へ問い掛けをして、それに対して納得できる説明を聞くと目を輝かせる。
バカな、たった一日で彼女達の印象をあそこまで変えるなんて。
「さすがは湯浅殿ですね。城の使用人達からの印象を数日で変えたのですから、あの人数の印象を変えるのには一日あれば十分というわけですか」
納得して頷いているんじゃない、ナイザ。
おのれ湯浅直弘め、相変わらず憎らしい奴だ。
「ちなみに彼女達、昨日彼が作った食事を食べた時点で、彼を見る目が変わっていましたよ」
「一日どころではなかった!?」
仮にもそれぞれが仕えている家の使用人の中では、それなりの位置にいる者達が胃袋への一撃で沈んだというのかっ!?
「魔王様ですら一撃で沈んだのです、彼女達が沈まないはずがありません」
「私は沈められてなどいない!」
「朝食に彼が作った餡子とバターたっぷりの小倉トーストを口いっぱいに頬張って、おかわり食べるかという質問にたべりゅ~と返していたのにですか?」
うるさい、余計なことを言うな!
だって仕方ないじゃないか、バターと餡子があんなに合うんだから。
どうして一見合わなそうなあの二つが、あんなに合うんだ。
「こうなるのは目に見えていたのですから、気にすることではないかと思います」
「目に見えていたからこそ、現実になって悔しいのだ!」
これでまた湯浅直弘の株が上がってしまう。
うぬぬっ、奴は人質だというのにどうしてこうなるのだ。
やはり奴は牢屋に入れておくべきか。
だが今の状況でそれをやれば、確実に各所から反発の声が上がる。
いったいどうすればいいのだ。
「魔王様、いい加減に諦めて現状を受け入れて、彼がもたらした生活環境と美味しい食事を堪能しましょう」
「それでは私が湯浅直弘に屈したようではないか!」
それだけは、それだけは許さん。
魔王としての立場がある身としては、民を守るためならいざしらず、この程度のことでそう易々と屈するわけにはいかん。
「既に彼の食事に篭絡されているというのに」
「篭絡されてなどおらん!」
「それでは昨夜の夕食で、甘めのクリームパスタをおいしーと言いながら口の周りをクリームソースだらけにしながら食べ、おかわりまでしたのは何故ですか?」
うぅ……。
「俯いて悔しそうにして黙ってしまったということは、自覚しているのですね」
「ち、ちがーう! 私はあいつに篭絡などされていない!」
違うったら違うんだい!
「つまらない意地を張らずに、素直になって楽になられたらどうですか?」
「意地など張っていない!」
「昨日の仕事中、休憩に甘いココアとシロップ漬けフルーツとクリームたっぷりのクレープを届けられて、わーいと喜んで大口を開けて食べて口の周りをクリームでベッタベタにしていたのはどちらの魔王様だったでしょうか?」
首を傾げているが視線はこっちを向いている。
ああそうだな、私だよ。
私がクレープを大口を開けて食べて、口の周りをクリームでベッタベタにした張本人だよ。
だって仕方ないじゃないか、甘くて美味いんだから!
「しかし私は篭絡などされておらん、ちょっと夢中になっていただけだ!」
「さすがにその言い分は、少々苦しいかと思います」
「苦しかろうが通ればそれでいいのだ!」
普段の仕事ではこんなことは考えないが、湯浅直弘に対してだけはこの考えを通させてもらう。
「彼が作った食事やおやつを、毎回満面の笑みで食べているのでは、通そうとしても通らないと思います」
「そこはなんとか通せ」
魔王たる私が湯浅直弘に篭絡されたとあっては、異世界から召喚された勇者やそれを行った国、さらにはそこに追従しようとする国に対して下手に出てしまう恐れがある。
それを避けるためにも、多少強引にでも私は篭絡されるわけにはいかんのだ。
「別に彼に篭絡されたからといって、敵対している国に対して下手になったり弱気になったりすることは無いと思いますが」
「では、どうなると思うのだ?」
「むしろ彼を返すまいと一致団結して対抗されるかと」
……その光景が容易に想像できてしまった。
これは良いことなのか、それとも拙いのか。
「いっそのこと、現状を受け入れて流れに身を任せるというのも一つの手ですよ」
「仮にも一国の王が、そんなことできるはずがないだろう!」
「ですよね」
分かっているなら言うな!
「ですが彼の現状を考えるに、今の流れは止められませんよ」
ナイザが向けた視線の先では湯浅直弘からの指導を受け、ガリガリとメモを取る使用人達の姿がある。
彼女らも本来の雇い主の屋敷へ戻れば、使用人の中ではそれなりの立場だというのに、そんな気配はまるで感じない。
その姿はまるで、少しでも早く仕事を覚えようとしている新人のようだ。
おそらくは彼女達も若い頃を思い出しているのだろう、生き生きとした雰囲気で目をキラキラさせている。
「はあ、いまさらながら厄介な男を人質にしてしまったものだ」
「本当にいまさらですね」
まったく、あいつを拉致してきた奴を一回しばいてやろうか。
いや、そいつは任務失敗を受けて遠方へ出向させられたのだったな。
「あっ、魔王。ちょうどいいところに」
ぬうっ、なんだ湯浅直弘。
何か用があるみたいだが、私はお前に用は無い――。
「今日の昼はトロトロチーズを挟んだチーズカツと、甘酸っぱいタレが利いた油淋鶏のどっちがいい?」
「チーズカツ~!」
前に作ってくれた甘酸っぱい油淋鶏も美味しいけど、チーズカツの方がいー!
「分かった。チーズカツなら付け合わせはパンにするけど、カツを挟めるように切れ目をいれておくか?」
「入れてー!」
チーズカツを挟んだパン、前にやった時すごく美味しかった。
一緒に千切りキャベツも挟んで食べたい。
「だったらソースはかけておかないで、別添えにして自分で掛けられるようにした方がいいか?」
「うん!」
その方がパンに挟んでから、キャベツやパンにも掛けられるもん。
「ちなみにデザートはフルーツタルトを作ろうと思うんだけど、食べるか?」
「たべりゅ~」
あー、今日のお昼も楽しみだな~。
「ふふっ、魔王様ってば。あれでどこが篭絡されていないと言い張るのやら」