魔王は篭絡されていないと言い張る
国というのは国民があってこそ成り立っている。
彼らが労働をして税を納めてくれているからこそ、国の経済が回り、税で国のためになることを実施できる。
だからこそ我々国営に関わる者達は、国民のために国を豊かにするだけでなく、彼らを守り生活を向上させることで応える。
そうして良い形でサイクルさせることで、国というのは発展していく。
この国はそうして発展してきたのだが、それに伴い仕事は増えてしまう。
だがこれも国のため、そして国民達のためを思えば容易い……。
「はずがあるかぁっ!」
あまりに多い仕事に思わず執務室の机を叩き、大声を上げてしまう。
それにより積み重なった書類が崩れそうになるが、ナイザが素早く抑えて元に戻した。
「いくら騒いでも仕事は減りませんので、落ち着いてください魔王様」
「騒ぎたくもなるわ! なんだ最近の仕事の多さは!」
「国の運営に関する書類は、それほど増えていません。この書類の大半が、国内の貴族達からの嘆願です」
「そんなこと、分かっている!」
嘆願といっても、それは政治や経済に関する不平不満、領地運営に関する相談の類ではない。
彼らが送って来た嘆願、それは湯浅直弘の家事の知識と技術を自分の使用人に学ばせたいから、どうか城で働かせてほしいというものばかり。
給料は引き続き自分達で出すとまで書く辺り、本気度が窺える。
「どうしてこんな嘆願が出されるのだ」
「魔王城の生活に質が向上したことで、城勤めの方々が自宅でも同じ環境で生活したいと思い、さらに貴族間の繋がりによってそれが口コミで広がったからです」
「あいつら……湯浅直弘は人質なのだぞ」
なんだかあいつの立場のこと、段々と忘れられていってないか?
以前は城内を歩いているあいつへ向けて、嫌疑や侮蔑の目を向けていたというのに、今ではご近所や顔見知りへ接するように笑って挨拶を交わしている。
それどころか普通に話しかけるし、それを不思議に思わなくなっているとは嘆かわしい。
「そういう魔王様も、彼の料理ですっかり篭絡されているではありませんか」
「私は篭絡などされていない!」
「と言いながらもご昼食の際、トロトロ半熟卵と分厚いベーコンのベーコンエッグバーガーにケチャップとフライドポテトとオレンジジュースを添えて、を彼が運んできた時に蕩けた笑みでたべりゅ~と言っておかわりまでしたのは、どこの魔王様でしたっけ?」
だって仕方ないじゃないか、美味そうなんだから!
というか事実美味かったし!
噛むと半熟の目玉焼きから出た黄身が、口の中で分厚いベーコンと絡み合ってなんとも言えない美味を演出するんだぞ。
それにケチャップを付けたフライドポテトと、オレンジジュースまであったら完璧としか言いようがないだろう。
だが、断じて私は篭絡などされていない。
「う、うるさい! 私はあいつには屈しない!」
「私が読んでいる物語では、オークに対してそう言った女騎士は総じて屈してしまうものです。主に性的に」
「創作物と現実を一緒にするな!」
「これは申し訳ありません。つい彼には屈しないと言った魔王様が、彼に組み敷かれて快楽堕ちする姿を妄想してしまいました」
謝りながら、なんというカミングアウトをしてくれたのだ貴様は!
というか、どんな妄想をしてくれているのだ!
「とにかく! 私はあいつに篭絡などされていない!」
「そうおっしゃられても、彼は見張りに付いている諜報部の方々ですら、篭絡したくらいですからね」
……今、なんて言った?
「見張りの奴らが、あいつに篭絡?」
「はい。彼のお陰で洗濯や入浴の質が向上し、潜入任務の際に服の匂いや体臭で気づかれずに済むと喜んでいます」
あいつらあぁぁぁぁっ!
「さらに彼がおにぎりやサンドイッチといった、持ち運びやすく素手で食べられる携帯食を教えてくれたので、任務中の食事がしやすくなったと好評です」
おのれえぇぇぇっ、湯浅直弘!
まさか使用人達や母上や弟妹達に飽き足らず、貴族や諜報部まで誑し込むとは!
はっ、もしやそうやって我々を懐柔するつもりなのか?
そうはいかん、私はそうはいかんぞ。
「どうすれば、あいつの暴挙を止められるのだ……」
「暴挙は少々言い過ぎなのでは? 彼のお陰で城内の環境が良くなったことで、以前より仕事に覇気が出て効率的に回っています」
「うぬぬぬ……」
確かに、あいつが来てから徐々に仕事が円滑になってきたのは否定できない。
「それを城内だけに留まらせず、貴族家にも広げることで彼らの仕事の効率が上がり、国力が増すことにも繋がります。なので早く彼らの嘆願に印を押して許可をしましょう」
簡単に言うな!
そうなればあいつの影響力が貴族家に、さらには市井にまで広がる恐れがある。
巻き込まれたとはいえ、あいつは異世界から来た勇者の知り合い。
そんな奴にヘタな影響力を持たせるわけにはいかん。
「でないと貴族家からの反発も予想されますよ」
それもあるから困るんだろう。
いくら私が知恵と力を見せつけたとはいえ、あまり力づくで押さえると反発される。
しかもそれが爆発すれば、異世界の勇者と戦う前に内乱に発展してしまう恐れがある。
「さあさあ魔王様。早くしないと大変なことが起きるかもしれませんよ、さあさあさあさあ」
「えぇいうるさい! 分かった、認める!」
国を治める身としては、最悪を想定しなければならん。
現状最悪なのは、先ほど予想した内乱だ。
一方で湯浅直弘の影響力が高まる方は、上手くやればこちらの士気を上げて一致団結を促せる。
あいつの影響力が高まるのは少々癪だが、むしろそれを利用してやればいいのだ。
ふふふっ、そうだ、そうではないか。
冷静に考えればあいつの影響力が増すなら、それを利用すればいいのではないか。
許可の印を押しながらそう考えると、思わず笑みがこぼれてしまう。
見ていろ湯浅直弘め。
私がお前に篭絡されるのではなく、私がお前を利用して――。
「魔王、ちょっといいか?」
扉をノックする音に続いて聞こえたのは、湯浅直弘の声だ。
なんだこんな時に。
「何の用だ!」
「おやつに、あま~く煮詰めたリンゴを使ったアップルパイ、を持って来たんだけど食べるか?」
「たべりゅ~、入って~」
扉が開き、ワゴンを押して湯浅直弘が入ってくると、書類をどかした私の前にアップルパイとフォークを置いた。
いそいそとフォークを取り、切り分けて一口。
「あま~い、おいしー!」
「そうか、良かった。飲み物はアップルティーと普通の紅茶、どっちがいい?」
「アップルティー!」
「はいよ」
返事をした湯浅直弘は、アップルティーを淹れてくれた。
ん~、どっちもリンゴでおいしー!
「ほら、篭絡されているじゃないですか」