人質らしくない人質ライフ
俺の名は湯浅直弘、二十歳。
現在俺はなかなかに刺激的な人生を、現在進行形で送っている。
普通に大学へ通って、所属しているボードゲームサークルの仲間達と一緒に廊下を歩きながら、どこのボードゲームカフェに行こうかを話していたら何故か異世界に召喚された。
しかも仲間達は勇者だの賢者だの剣聖だの強そうなジョブを授かったのに、俺のジョブは何故か家政夫。
称号も仲間達が勇者と勇者の盟友なのに、俺は巻き込まれた者。
サークルの仲間達には悪いけど、非戦闘員であることと巻き込まれただけの一般人ってことで、ホッとしてしまった。
それから俺達を召喚した国王の説得で仲間達は魔族と戦うことを決め、非戦闘員の俺は家政夫のジョブを活かし、城で働くことになった。
ところが、少し経った頃に魔族の暗殺者が登場。
勇者とその仲間達とはいえ戦闘経験が無いことから、傍に付いていた護衛によって友人達は守られた。
すると暗殺者は何を思ったのか、同じ異世界人でさほど重要でないことで警護が甘かった俺を拉致。
そのまま魔王城へ連れて行かれ、思ったより幼い少年魔王から勇者達に対する人質にすると言われた。
そうして波乱万丈かつ過酷で激動な人生を送るかと思いきや……。
「直弘さん、この床の汚れが落ちにくいのですがどうすれば?」
「すみません、こちらの素材の洗濯方法を教えていただけますか?」
「申し訳ありません、前に教えていただいた料理に関する質問なのですが」
声をかけてきたのは、頭に角が生えている魔族っていう種族の若いメイド達。
どうして彼女達からこんな質問をされているのかというと、拉致されて一ヶ月が経った現在、絶賛魔王城で働いているからだ。
いや、それも波乱万丈には違いないか。
なにせ職場が魔王城なんだから。
「はいはい、順番に答えるよ」
メイド達の質問に順番に対応し、お礼を言われながら別れた。
最初は懐疑的だった魔族の人達とも、なんだかんだ上手くやれている。
こうなった原因は分かっている。
魔王城における生活環境があまりに酷くて、黙っていられなかったからだ。
『今の世の中、勉強や運動が出来なくとも家事さえ出来ればなんとかなるものよ』
それが口癖の母さんによって仕込まれた技術と知識を遺憾なく発揮し、周囲から徐々に生活環境を改善したらそれが認められ、いつの間にかこうなっていた。
母さん仕込みの家事に関する知識と技術、異世界でも通用したよ。
さすがはテレビやネットでも評判の、人気カリスマ家政婦なだけはある。
本当に家事さえ出来ればなんとかなったよ。
まあ、こっちの食材や道具なんかが元いた世界のとさほど変わらなかったから、という面があるのは否めないけど。
「湯浅殿、少々よろしいでしょうか」
「あっ、はい」
魔王の傍付きのナイザさんか。
いつも無表情だから、何を考えているのか分かり辛いんだよな。
「明日のお茶会について確認なのですが」
「なんでしょう」
「ユフィア様がお見えになる頃に合わせて、昨日のお菓子が完成するようにするのでしたね」
「そのつもりです」
出来立ての温かいのを食べてもらいたいからな。
「その時間には別の仕事が入らないよう調整しますので、しっかりお願いします」
相手は魔王の婚約者だから、失礼が無いように万全を期するってことか。
だったら俺も失礼が無いよう、全力で貸しを作ろうじゃないか。
「それとは別件なのですが、余分に作って余ったのをいただけませんか?」
「……はい?」
「できればもう十人分くらい」
「十人分!?」
「これでも絞った方です。湯浅殿が作るお菓子は美味しいので、希望者が多くて」
えぇー。
評価してもらえるのは嬉しいけど、それ大丈夫なのか?
「そんなことして、大丈夫ですか?」
「厨房とは話を通してあるので、問題ありません。十人分のうち一人分を、料理長に渡すのを条件に許可を得ました」
料理長さん、何やってんのー!
いかつい見た目とごつい体つきの割に細かい調理も手際よくこなして、元いた世界の料理を教える時はとても熱心に聞き入って質問もたくさんしてくる、あの職人肌風な料理長さんがお菓子に屈しただって!?
ていうかそれ買収行為!
いいのか、魔王城で働く人達がこんなのでいいのか!?
「さらに言うなら、それによって発生する経費の方も経理部の方へ話を通してあります」
「よく許可を得られましたね」
「十人分のうち、三人分を渡すことで手を打ってもらいました」
経理部ー!
お金にはとてもシビアで、食事の材料費やら掃除洗濯のために必要な物の経費について、あれこれ細かく聞いてきて領収書だの予算だのと言っていた経理部までも、お菓子に屈しただとー!?
この一ヶ月で試作を差し入れに行ったことはあるけど、そんなに気に入っていたのか!?
そしてこれまた買収行為!
「交渉がまとまった直後に、誰が食べるかを決める凄まじいじゃんけん合戦が始まりましたよ」
どんだけ食べたいんだよ。
俺が来る前の食事情はおおよそ把握しているけど、そこまで飢えているのか。
「もしも別途お礼をお望みでしたら、可能な限りお応えしますよ」
なんでそこで寄り添ってくるの。
なんで胸元を緩めてボタンを外すして、胸元を見せてくるの。
なんで無表情のままとはいえ、上目遣いで潤んだ眼を向けてくるの!
「良ければ今夜、私の部屋で一晩……」
「でもって外堀を埋めて一緒になり、一生俺に世話をしてもらいたんですね」
ナイザさんの思惑を口にしたら、目を見開いた。
この人の表情の変化、初めて見たよ。
「どうして分かったんですか」
「他にも似たような人が何人もいて、そういうことを口にしていたんです」
若いメイドが今のナイザさんと同じようなことをして、別の若いメイド達がそれを阻止して詰め寄る際に、そんなことを口にしていたんだ。
無論、その子達も同じ考えだったらしい。
このことはメイド長さんに報告して、彼女たちはきつく説教されたそうだ。
「そういうことでしたか」
あっ、離れて胸元を直した。
「どうしてそうまでして、俺を手に入れたんですか」
「だって、考えてみてくださいよ。仕事を終えて帰ってきたら、ピカピカの室内で綺麗に洗濯された服で美味しいご飯を食べて、フカフカで良い香りのするベッドで寝るなんて最高じゃないですか」
その意見は分からなくもないかな。
「さらに朝も、美味しい朝ごはんを食べて出勤すればやる気満々です」
なんにしても、俺を世話係のように考えているわけね。
立場上、そう考えられていても仕方ないとはいえ、ちょっと虚しい。
「あとは湯浅殿から帰宅後におかえり、朝におはようと言われたいんです」
「えっ?」
「揺れました? 今、心が揺れましたか?」
あっ、くそっ、弄ばれた!
無表情でこんなことをするなんて、ナイザさんはこういう人だったのか。
「揺れていません」
「口ではそう言っても、表情には出ていますよ」
「ぬっ……」
「まあいいでしょう。ですが私は、いつでもウェルカムですので」
そこで両腕を開いて、さあ来いと言いたげなポーズを取っても行かないよ。
「では私はこれで。あっ、それと最後に一つ」
なんだ?
「湯浅殿から帰宅後におかえり、朝におはようと言われたい。というのは若干本気ですので」
「えっ?」
「また揺れましたね。チョロくて助かります」
こんの女狐め!
狐じゃなくて魔族だけど女狐め!
さっさと離れていく背中を恨めしく睨むけど、なんにもならないから仕事へ戻ることにした。
そういえばあいつら、大丈夫かな。
特に勇者に選ばれた真琴は。